Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

僕とあなたのフェスティバル






昨日は、白石市福岡の三住地区にある神社のお祭りを見てきた。
仙台ではハーフマラソンが行われているし、白石のまちなかでは旧車会などのイベントが行われていたけれど、ひっそりと行われているこのイベントに行ってみた。地元の、地元による、地元のための祭りだ。神社に豊作を祈るという祭り本来の儀式の意味をハッキリと感じることができた。
もちろん、ここにお住まいの皆さんのほとんどが農業・酪農を生業としているため、その年の収穫というのが本当に生活と直結する重大なテーマということもある。祭りの規模が小さいから、どんな儀式にどんな意味があって、どういう段取りで行われるのかが分かりやすいということもある。でも、もっと特徴的だったのは、この祭りは今ここにいる人たちによってゼロからつくられたという点だろうと思う。
開拓事業が終了した後、地元の人によりこの神社が建てられたのは昭和50年3月。初めは本当に祈祷だけで終わっていただろう祭りは、それから少しずつ変化が加わりながら、今の形になっていった。人数が増え、食事を用意し、神輿を手に入れ、植樹し、来賓を呼んだ。そして今も、人の流出や少子化などの環境の変化によって、祭りもまた変化を余儀なくされている。結婚した家庭が植えていった桜が花を咲かせても、その分校に通う子どもたちはもういない。市の施策として分校は休校とされ、地元の子どもたちはみんなスクールバスに乗って山の下の学校に通う。


白石のまちなかにも、もちろん祭りがある。でもそれはいつしか観光客を呼び、地元の活性化を興すためのイベントとなってしまい、本来の役割が希薄になってしまった。少なくとも僕は、小中学生時代に祭りの意味を感じたことなどなかった。
どちらが良いということは無い。双方に良い点があり、悩みがある。大切なことは、それぞれの個性を大切にしつつお互いの良さを理解し、悩みに共感できる関係を築くことだ。


それは別にここ白石の中だけのことだけを言うわけではない。優劣や表裏などなく、それぞれが役割と意味を持った行事であり、お互いの存在を認め合う関係を築けるはずだ。仙台ハーフマラソンとこの三住のお祭りの間には大きなギャップはあるだろうけれど、同じ人間、同じ日本、同じ宮城県の仲間がお世話し参加する行事なのだから。