Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

女川ツーデイズ

女川に行ってきたよー。


お昼過ぎに「おちゃっこクラブ」に到着。大人はカレーを食べ、子どもたちはソフトクリーム、のハズがカレーをパクパク食べる娘にソフトクリームそっちのけで遊びたい息子。まあ元気が一番か(^_^;)



嫁さんが仕事で離脱。関係者の方の娘さんも何故か同行して総合運動場裏のアスレチックへ。女川の新聞販売店の先輩に案内していただき、はじめ一緒に子どもたちの面倒を見ていただいたのだが所用のため先輩も離脱。にわかに3児の保護者となり灼熱の太陽の元、気を使う使う。とにかく自分の考えで走り回る息子と、ついていく姫様と、マイペースな下の子に翻弄される34歳。改めて痩せることを誓うのであった。子どもたちについていけない(+_+)



夜は先輩にごちそうしていただいてしまった!このウニウニウニウニー!!絶品でありした。ご馳走様でございました!



手土産も持たず訪れた不躾な後輩を歓迎してくれる先輩…ありがたや。食事後もご自宅にお招きいただき、家族でお世話になる始末。私めも久しぶりのウィスキーをいただいたのでありました。翌日、先輩の次男さんが早朝に出発するというのに、夜遅くまで大変お世話になってしまって何だか申し訳ないやらありがたいやら。



次の日も先輩にご厄介になり、長男さんのご案内で近くの元小学校へ。マイペースな娘は、松ぼっくりを拾いジャングルジムに上り、地面に絵を書いて遊ぶ。息子は既に三男さんの弟に定着してしまい、先輩宅でずっと二人で遊んでる(^_^)



お昼寝と昼食(これもご馳走になってしまった!)のあと、再び3児の保護者となって昨日と同じ公園へ。息子は三男さんと二人楽しそうに探検してる。娘は花摘み。僕は連日のローラーすべり台で尾てい骨のあたりの皮が剥けるという被害に。娘を抱っこして滑るのだが僕の体重によってスピードが上がりすぎるため、足で速度を調整しようとすると尾てい骨が当たる当たる(TдT) 痩せることを誓う。



帰りの車内でもグッスリ寝た娘は、自宅に帰るや「散歩に行く」などと泣く。仕方がないので近くの公園へ。ここでもひとしきり歩く。僕は本日二枚目のTシャツも汗でグッショリ。ヘトヘトであった。スタミナが大切だなあ。痩せることを誓う。



素晴らしい女川への旅でございました。全ては先輩ご家族による歓待によるもの。特に、自然にお客を歓迎する女川の、あるいは港町の気質に、僕たち家族は本当に惚れてしまったのでした。息子は完全に先輩宅の四男坊となり、娘は長女となり、僕ら夫婦は何だか弟夫妻になったようでした。ありがたや。ありがたや。


そして僕が女川の皆さんから感じたのは、「自然とともに生きる」ということでした。こう文にしてみると、よく聞く、何だか使われ果てた言葉のようだけれど、実感としてこうしか表現できないのでご勘弁。特に今回感じたのは、「子どもがいるという自然」をすんなり受け入れるということでした。
いつも息子が遊んでいる子が見当たらないので、そのご両親に所在を尋ねると、「うーん。どこにいるか分からない。朝から見かけない。みんなで山に虫取りかな?」と語る。先輩の三人の息子さんも、年下の子どもがいることに対して気負いがない。一緒にいて、それなりに面倒を見てやり、かつ自分のやりたいことも十分に楽しむ。子どもがいて、自分がいて、仕事があって、それが自然。そしてそれを受け入れるというか、生きることの一部なのだよという感覚が、僕が女川の方に感じたことでした。


きっと、多くのまちでそういった感覚はあるんだと思う。何も女川に特有のことではないかも知れない。でも失われつつあったし、今も失われつつあることは確か。まちが都市化し、郊外は過疎化し、そうした子どもがいる自然な環境というものが成り立たなくなってきている。それはそれで進化かも知れない。でも女川には残っていて、震災を経てもそれは変わっていない。震災後に女川を動かしている大いなるパワーの源が、そういうところにもあるんだろうな、と思う。


なかなか先輩宅から離れたがらない息子に、「また来ようね」と行って諭した。それは息子に諭したんじゃなくて、僕自身を諭したのかも知れない。また行きたいなー女川!