Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

「僕、ずっと忘れないと思う」

昨夏のこと。日帰り東京出張でもうすぐ帰りの新幹線に乗ろうとする頃に嫁さんから電話があり、息子がちょっとした事件を起こしたことを知らせてくれた。まあ些細といえば些細なことなのかも知れないけれど、少なくない人たちに迷惑を掛けてしまって、僕もそれなりにショックを受けた。新幹線は決まった時間で運行されていて、急いでも仕方ないのだけれど、何となく気が落ち着かないまま帰宅。既に息子は寝付いており、嫁さんから一部始終を聞いた。
息子的にも、自分がやったことを反省した様子だし、何しろ嫁さん含めた各方面から注意があったわけで、おそらく泣いただろうし、それなりにショックだっただろうということが伺えた。出張だったとはいえ、そういう時に立ち会えなかったことが悔しかったし、僕だけ置いてけぼりを受けたような感覚だった。


じゃあ、父親としてどうすればいいか。考えた。でも、考えても何をすればいいのか、息子にどんな言葉をかければいいのか、まったく分からなかった。


ふと、山に登ろう、と思った。もっと正直に言えば、息子と山に登りたい、と思った。それが良いことなのかどうか、どんなことを意味するのか、息子にどんな影響があるのか、全く分からなかった。でも、僕の心はどうしても山を向いていた。


翌日、息子と二人で家を出発した。リュックサックにはオニギリと飲み物を入れ、少し暑いのを我慢して長袖と長ズボンを揃って履いた。
行き先は近くの「鉢盛山」にした。小学生の遠足としてちょっとした山登り感が味わえるほどの高さと距離にある山だ。小学2年の息子の足なら、頑張れば何とか登りきり、降りられるほどの山であり、僕自身も土地勘があるので安全だと判断したわけだ。


山の入口まで歩く間も、それほど会話は無かったと思う。坂道も、二人で黙々と登った。話すにしても、「虫が多いからスプレーもう一回しとこうか」「そこ滑りそうだから気をつけな」「お父さんは遠足でここを登ったの?」そんな程度の会話だったと記憶している。息子にとっては初めて入る山道。息子のペースに合わせるようにして、ゆっくりと登っていった。休憩も何度か入れた。こまめに水分を取り、虫さされに注意して進んだ。


3時間ほど登った頃、頂上近くに着いた。頂上で二人でオニギリを食べ、お菓子を食べた。風が心地よかった。
さあ、降りるぞ、と息子に声をかけ、登り口とは違う道を降りた。息子がはしゃぎ過ぎないように注意しながら、ゆっくりと降りた。1〜2時間でふもとに到着し、医薬量販店でアイスクリームを買って二人で食べた。店の前の、少し日陰になっているところに二人で座り、しばらく自分たちが登った山を見ていた。


そして数ヶ月が経った。



ある日、僕の母が息子を習い事へ送っていく時に、車内でポロリとこんなことを言った。
「おばあちゃんは山に行ったことがある?」
「僕は行ったことがあるよ」
「前に僕が事件を起こしちゃったときだよ」
「もしかしたらお父さんが怒っていて、山に置いていかれるのかって思って、一人で帰れるかなってドキドキしてたんだ」
「でも、お父さんは優しくしてくれて、一緒に降りてきたんだ」
「僕、ずっと忘れないと思う」
涙もろい僕の母は、孫のこの言葉にグッときたらしい。



この事実が、果たして良かったのかどうなのか、まだ分からない。ただ、息子にとってその思い出が、とても印象深い思い出だったことは間違いない。誰かに叱られた記憶だけではなくて、全く違う未知の体験も一緒に、彼の心に深く残ったのだろう。


父親としてまだまだ未熟な僕だけれど、少なくともあの時、自分の心に殉じて良かったと思っている。