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naoyaのはてなダイアリー

February 04, 2016

ソーシャルメディアにおける他人との関係性がコンテンツ価値に影響を与える

ときどき、たまたま自分がそのとき考えていたことについてそれを補強するような材料が偶然たくさん集まってくる、なんてことがあります。そんな出来事があったので、ちょっとブログを書いてみようかなと。

以前に HBFav を作ったときこんなことを書きました。

Mark Zuckerberg は、いずれみんな、ニュースは友人知人経由で知ることになるだろうと言っていました。自分もそうなるだろうと思います。

HBFav というはてなブックマーク iPhone アプリを作りました - naoyaのはてなダイアリー

4年ぐらいが経ちましたが、その思いは以前よりも増して確信めいたものになってきています。

ところで先日、Twitter の iOS アプリに「ニュース」という機能が追加されました。人によっては出てないそうなのでまだテスト中か、もしくは既に削除されているのかもしれないですが。

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この機能についての自分の感想は以下のようなものでした。

もうすこし補足します*1

Facebook や Twitter のようなソーシャルメディアで伝搬してくるコンテンツの価値は、そのコンテンツそのもの単独で決まるのではなく、「誰がそのコンテンツをピックアップしたのか」という要素がその価値における大きな部分を占めると思っています。

例えば、技術に関するコンテンツの場合でも、ソフトウェアテストに関する記事を @t_wada さんが面白いと言ってシェアしているものと、そうではない人がシェアしている場合では、「僕にとっては」そのコンテンツの価値が変わってきます。

なぜ「僕にとっては」なのか。それには、僕から見た場合に t_wada さんはソフトウェア開発におけるテストやリファクタリングという文脈のおいての第一人者だから。「この分野に関しては t_wada さんが言うならそうなんだろうな」という信頼があるからです。これは僕という人間と、t_wada さんとの関係性によって決まります。つまりソーシャルな関係性が、コンテンツに新しい文脈を与えているとみなすことができます。

敢えて t_wada さんのように、界隈で著名な方を例に挙げましたがその対象は別に著名な方である必要はありません。例えば職場に、とある技術にとても明るいけど一般にはあまり名は知られてない同僚がいたとする。その同僚が、その技術についての記事をシェアしているならやはり「僕にとっては」その記事の価値が、それ単独で存在した場合とは変わってきます。

逆に、たとえ t_wada さんだとしても、そうですね・・・別に何でもいいのですが、例えば食に関する URL を流していたとしても「僕と t_wada さんの関係性」が、そのコンテンツに与える影響は少ないです。これは別に t_wada さんが食に詳しくないということではなく、たとえ t_wada さんが食に詳しかろうがそうでなかろうが、僕と t_wada さんの関係性において食の面での繋がりは薄いので、そういう結果になる・・・ということです。

繰り返しになりますが、コンテンツの価値というのはそれ単独で決まるのではなく、それはそのコンテンツに触れるきっかけになった人や媒体と自分との関係性が大きく作用する、ということです。

これは以前にも同様のことを述べました。

タイムラインあるいはアクティビティフィード、という観点から見ると、Twitter で「何を言ったか」より「誰が言ったか」の方が重要なことと同じように、何がブックマークされたかということより「誰がブックマークしたか」と言うことの方がずっと重要です。

HBFav というはてなブックマーク iPhone アプリを作りました - naoyaのはてなダイアリー

まあ、キュレーションだなんだという話が何年も前から話題になっていますから、別にとくに新しい話ではなく、2016 年の昨今においては多くの方が実感されていることであろう、と思います。

この観点から言って、Twitter に自分が求めるのは「Twitter 全体で今どんなニュースが盛り上がっているのか」ではなく、「自分とフォロワーとの関係性の中で価値があるものは何か」というところです。ですので、先の機能については個人的にはあまり必要ないなと感じました。実際、掲載されているニュースはいずれもほぼ関心がありません。

話は変わりここ数日、Kaizen Platform の PM が読んでいたのを見かけて『 ぼくらの仮説が世界をつくる』という書籍を読んでいます。(あいつが読んでたから俺も読んでる。これも、人間関係がコンテンツ価値に影響を与えてる一例ですね) 『ドラゴン桜』や『宇宙兄弟』の編集を手がけた佐渡島庸平氏の本でなかなかに面白い本なのですが、以下のような節がありました。

なぜ人は「練り込まれたプロの文章」よりも「友だちのくだらない投稿」のほうがおもしろいと思うのか?

(中略)

つまり「美味しさ」というものは絶対値があるわけではなくて、「関係性」の中できまるのではないか。同じように作品の「おもしろさ」というものも絶対値ではなく、関係性の中で決まるのではないか、という結論に至りました。

SNS で流れてくるコンテンツは何を食べたとかどこにいったとか、それ単体ではあんまりそれそのものはおもしろくない (というか全然おもしろくない) のについつい見てしまうのはなぜなのか、という問いから出発して答えはやはり「関係性」らしい。ああ、自分とまったく同じこと考えてる人いたわーと思って、何度も頷きました。

よくよく考えると、コンテンツが自分に届くときは知人経由にしろメディア経由にしろ、何かしらのチャネルを介して届いてくるわけで、自分にとっては、独立でそれが届くことはないんですけど。自分の予想では、従来の媒体からではなくソーシャルメディアから届いた場合の方が個人によっては、コンテンツの価値が高まる (あるいは下がる) 度合いが強く、結果それがコンテンツの取捨選択基準を大きく左右するし、内容を読み取るにあたってもソーシャルな関係性の文脈が当人に対して強く反映される、と思います。

例えば昨今よく目にする NewsPicks というサービスがあります。このサービスも、Web上のユーザーのコメントを記事と一緒に届けることで同様のことを狙っていますよね。

正直にいうと自分はこの NewsPicks があまり好きじゃないです。コメント欄が自分の苦手な Facebook 的な雰囲気に満ちあふれているので、触れるとお腹いっぱいになる。

好きではないけど、こんな形でソーシャルな関係性が与える文脈を取り込むメディアは時代の変化に合ったアプローチを取っているとは思いますし、以前も述べたように、Facebook/Twitter (あるいは LINE) などのソーシャルメディアがコンテンツを届けるインフラとして重要なインフラであり続ける、そしてその影響力は今後益々大きくなる・・・ということは事実としてあるでしょう。ニュースなどの情報ソースがインターネットやスマートフォンにシフトしていけばいくほどその勢いは増していくのは間違いない。好むと好まざるに関わらず。

すなわちソーシャルメディアの本質は、そこにいるユーザー同士のソーシャルな関係性が、そこで扱われるコンテンツに強い価値基準や文脈を与える、ということだと思うのです。

*1:別にこの記事の主張は Twitter アプリの出来についてが主題ではなく、たまたま考えるきっかけになった良い材料だっただけです、悪しからず。個人的に要らないと思ってるだけで万人にとって、ではないです。エクスキューズめんどくさい!

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