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the deconstruKction of right このページをアンテナに追加

2012-02-01

「北海道SF」についてのメモ

 2013年に夕張SF大会が開催されるのにあわせて、毎年恒例になっている「東京SF大全」「静岡SF大全」に続く地域SFシリーズ「北海道SF大全」を今年もやることになりました。そこで、「北海道SF」について色々考えて書いたのですが、本文に合わない上に私的なこと垂れ流しでうざいので切った部分です。個人的な思い入れのメモとして、一応アップします。

 北海道という土地に、僕はこんな“偏見“を持っている。

 平らな土地をグリッドに区切って「設計」された土地は、まるでワイヤーフレームのようである。街が次々と広がっていくのも、シムシティのようだ。都市全体があまりに直線と四角で構成されていて、ゲームの中の空間と間違えそうになる。京都もまた碁盤の目だが、建物が四角くはない。東京などは、自生的に発生した曲がりくねった道などが多く、こんな印象は受けない。

 極寒の自然と闘うために“科学技術“が必要である。そして“科学技術“で街をゼロから設計して作ることができる。

 まるでSFのような土地だ。

 その“設計“を可能にしたのは、北海道の“開拓“である。日本でなかった場所を無理に日本にしたために、アイヌなどとの軋轢の歴史を抱えている。民族問題、国家の問題などに自然に考えが行きがちである。「抗争」を意識しやすい現場であると同時に、多くの“移民“たちは、加害者であることの負債があるために、逆にそのことを忘却しやすい。そのためかどうかはわからないが、歴史や伝統は重要視されない。「新しいもの」の価値が追求される。

 これは、北海道で十八年暮らし、その後一〇年近く東京で暮らして、色々な人と話す中で自分の故郷の特異性を考えているうちに僕の中に芽生えた“偏見“に過ぎない。実証も何もない。単なる感想である。

 先日、数年ぶりに帰省したら、実家の周辺は、この不況だというのに、住宅地が拡大していた。帰るたびに膨張している。日本という単位で考えれば「閉塞感」だとか「下降」だとか言われているのに、実家周辺だけは「発展」しているのだ。

 ここで不思議な捩れを感じる。

 札幌駅に行けば、駅舎自体が巨大化し、デパートが建てられ、地下歩行空間というSFチックな空間が作られていた。ツルツルしていてクリーンなものに覆い尽くされ、古いもの、汚いものは次々と立ち退いていく。「都市のダイナミズム」というよりは都市の「神経症」を僕は感じる。新旧の鬩ぎあいではない。新の一方的な勝利である。コールハースの分析したニューヨークとは異なっている。

 札幌市街を歩いていて、眩暈がした。

 なんの眩暈か。

 無限の眩暈である。

 都市が、建物が、余りにも遠近法を強調しているので、頭の中で、計算の中で、観念の中で、建物から延長されるパースの先の無限を先取りしてしまい、あちこちに無限が穴を開けているように感じる。

 吐き気がする。圧倒的な疎外感を感じる。

 この土地では――グリッドに区切られた地面も、あまりにも一直線な道路も、均質な住宅が整然と並ぶ住宅地も、ビルもデパートも――あまりにも「崇高」過ぎる。

 「崇高」とは、カントが『判断力批判』で述べていた、数学的崇高、すなわち「無限」に直面し、自分がそれから疎外され、「有限」であることを思い知らされることによる「不快」の「快楽」――カント学者には間違っていると指摘されるかもしれないが、僕は、札幌にいるときに感じる「眩暈」は、どうもこれなのではないかと考えるようになっていた。

 脳の中に、計算可能性としての「無限」が、都市設計の齎す「パース」によって次々と生み出され、その結果、その「眩暈」の中で都市自体と、その延長として脳の中で自動計算された「無限」が混濁していく。その中で、僕は現実と虚構の区別を、物質と観念の区別をなくしていく。これは僕の個人的性質だけではなく、都市自体、土地自体の「効果」として起こっているのではないか――

 その複数の「無限」から「疎外」されることによる「眩暈」の中に、ある「崇高さ」の感覚が生じ、それが「内奥」の喜びに、ある震撼に繋がるのではないか――

 僕が今書いているのは、第三回日本SF評論賞で選考委員特別賞を頂いた「消失点、暗黒の塔」の絵解きである。スティーヴン・キングの長編、『ダーク・タワー』を論じることで、僕は『ダーク・タワー』にどうしようもなく惹かれる自分というものを解明しようとしていた。「消失点、暗黒の塔」で書いた「無限」と「都市」の問題は、『ダーク・タワー』の舞台であるニューヨークに対して、僕が「札幌」での経験を投影して読んでいたと考えるべきなのではないか? 先日の帰省で、そう感じざるを得なかった。

 同様のことは、デビューしてからすぐに取り掛かった佐藤友哉論にも反映されている。千歳出身のこの作家を扱った『社会は存在しない』という論集所収の文章では、グリッドと設計という土地の効果によって、虚構と現実が混同しやすくなるのではないかという仮説を展開していた。

 それらを書いてから三年以上が経って、帰省して、札幌市街、郊外を歩き回っていて、初めて、「僕はこの感覚を言葉にしたかったんだ」と気がついた。

 北海道を扱った映画や文学などにはどうしても感じてしまう違和感の正体は何か、何かが間違えている、納得いくのは『水曜どうでしょう』ぐらいである、この自分の感じている皮膚感覚とは違う、しかしどう違うのか言葉に出来ない…… 潜在的なそんな意識が、自分のデビュー当初の論文には、確かにあった。

 だから、「北海道」と「SF」について書くということは、僕自身を構成した様々な土地の要素や、その土地の中で「SF」に魅入られていった自分をひたすら分析せざるを得ず、僕自身としてはいずれ向き合うべきテーマであり、むしろ評論ではなく映像作品や小説として形にするべき何かであることは分かっているが、過去に作品化を試みて何度も失敗しているために、その挫折感ばかりが残っており、今回も本気で向き合おうとしたら、どれだけの時間と紙幅を使うか、予想もつかない。

 なので、今回は“逃げ“を打つことになる。アイヌの問題にも、移民の問題にも、本気で触れることはしない。むしろ、ふざけて、軽く扱うものを評論の対象にする。しかし、「ふざけて、軽く扱う」ことこそが、逆に北海道性を浮き彫りにしているのかもしれない。

 扱うのは筒井康隆『歌と饒舌の戦記』である。

 (リンク先、本文)http://www.varicon2012.jp/taizen.php?no=08

2012-01-26

『小松左京マガジン』第四十四巻

 「花と緑の博覧会」で上演された「ランドスケープオペラ ガイア」について、プロデューサー/演出・音楽監督であった、芸能山城組の山城祥二さんに、日本SF作家クラブ会長の瀬名秀明さんたちとインタビューさせていただいた記事が掲載されています「。「花と緑の博覧会」のメインイベントであった、小松左京製作総指揮の「ランドスケープオペラ ガイア」のハイビジョン映像を、山城さん所有のすごい再生装置で拝見させていただいたのは、凄い体験でした。

 しかし、30億とか40億とかの規模だったり、池が割れてモーゼの道が出来るというとんでもない演出とか、聞いているとスケールがでかすぎて、眩暈がしました。小松さんも山城さんも、凄すぎると思いながら、現代との落差を思い知った座談会でした。つくば科学万博でのNTT館の話を聞くと、現在のメディアアーティストが「ソーシャル」とか「つながり」とか「ネット」移行した理由は割と経済的な問題なのではないのかな……と思ったりもしました。アーティストの方々も、是非、90年代の「凄み」を知るために是非読んでいただけたら参考になるかと思います。


ランドスケープオペラ「ガイア」と「花と緑の博覧会」を巡って

 プロデューサー/演出・音楽監督の山城祥二さんに訊く

■出席者

芸能山城組

山城祥二=大橋力

河合徳枝

仁科エミ

日本SF作家クラブ

瀬名秀明

八代嘉美

藤田直哉

2012-01-22

「ネット一揆」について――「ゾンビ」の「管理」への蜂起?

 1月20日の神山睦美さんと笠井潔さんのトークショーで、現代の叛乱の場はネットに移っているのではないか? という議論をしたかったのですが、時間が来てしまい、その話に入れませんでした。実は「日本オタク大賞2011」での話とも接続させたかったのですが、「日本オタク大賞」でのトークも駆け足で、色々と紹介するものの背景にある「大きな動き」についての「解釈」を話す時間がなかったので、事前に用意した原稿に加筆修正してアップしてみます。話したかったのは「ネット一揆」の傾向についてでした。

 今回からネット・活字の部門を担当させていただくことになりました藤田直哉と申します。よろしくお願いします。

 基本的にぼくが今回紹介するのは、ネット上の騒動を中心としたものです。特徴として、作者と消費者のあり方などを巡った争いが多い年でした。

 昨年の顕著な特徴というのは、「ネット一揆化」が著しく進んだということといっていいと思います。その最も目立った例が、フジテレビへの抗議に端を発する「フジテレビデモ」や「花王不買運動」だと思います。今までのネットでの騒動は「祭り」や「炎上」と呼ばれていましたが、今年は特に、政治・経済的な闘争の側面を強くしていました。そこで、これは「祭り」ではなく「ネット一揆」と呼んでみると、ある程度の見通しができるように思います。

 ぼくが「ネット・活字」の担当になったことも、そのようなネットと活字などの「メディア」を巡って、コンテンツなどが再編成される揺らぎこそが今まさに「コンテンツ」になってしまっているような状況に対応して、ということだと思います。

 ただ、ネットでの騒動というのは、基本的にリアルタイムで参加して、インタラクションを味わったり、一緒に高揚したり、未知の展開に驚くという「祭り」の快楽が重要になってくるので、なかなか説明しにくいところがあります。なので、細部を省略して、分かりやすく説明するようにしたことをご了承ください。

 その特徴的なものを見ていきます。一番最初は、現代アートオタクの関係性について様々なことを考えさせてくれる「カオスラウンジ」の騒動です。


カオスラウンジ騒動

■基本 カオスラウンジというのは、新進気鋭の自称現代アーティスト集団です。『美術手帖』で紹介されたり、『破滅ラウンジ』などの展示を行ったので、ご存知の方も多いと思います。

 彼等の作品は、オタクやネット世代であるということをアピールし、アニメやネットの画像を使ったコラージュが多くあります。そのような作風と、自らがまるでネットと一体化したマシーンであるかのようなアピールで一躍注目を浴び、現代アートの中で注目を集める存在になっていました。

■騒動のはじまり

 騒動は、カオスラウンジの代表的なアーティストである梅ラボさんが、東浩紀から依頼を受けて作成した作品の中央に、とある匿名掲示板の有志が共同で作ったキャラクターがかなり大きく堂々と据えられていたことにありました。

 そのキャラクターは、アニメのキャラクターをモチーフに、それぞれの有志が手書きで二次創作したものをコラージュして作られるキャラクターでした。

梅ラボさんは、それをまったく引用の明示なく、ほとんど加工しないままそれを真ん中に配置しました。梅ラボさんの作風はコラージュなので、見る人が見れば、それは梅ラボさんが新しい次元の作風を切り開いたかのように誤解されるような置き方でした。そして実際、そこを褒めてしまった人たちは結構いたのです。そこで、「一揆」が起こりました。

 この騒動の問題点は、複数の匿名によって作り上げられたキャラクターであったことと、複数のアニメのキャラクターを「二次創作」して作られたものであったので、著作権侵害に対して法的に抗議はできないグレーゾーンにあったということです。それに対してカオスラウンジ側は、文句があれば法廷で、という態度を取りました。そこで、匿名掲示板の人たちは、法には頼らない実力行使を行うことになりました。

特に、匿名の人びとが怒りを覚えたのは、その騒動の当初に、代表の黒瀬陽平氏がラジオで発言した「ネットにある画像は自由に使う」「弱いコミュニティはつぶれても仕方がない」と言う発言でした。

■報復の開始

 色々なえげつないこともあったがこの騒動が特筆されるべき面白さがあるとすれば、報復のやり方でした。一言で言えば、「アートがネットを必要としても、ネットはアートを必要としていない」という本心を伝えるために、相手の言う「アート」のルールの上でゲームをしてしまう、というやりかたでした。

具体的には、とある実写コラの職人たちが大量のコラージュをものすごい勢いで作っていきました。この方々は、よく知らないおじさんのコラ画像を六年間作り続け、その結果、そのおじさんを地球上で一番画像が多い人間にしたといわれています。画像はペタの単位である。彼等がこの騒動の中で喜んで、「ネットの画像は全て素材」なら彼らのコラージュは作り放題だと喜んで、彼等の実写コラージュを作っていきました。

 その例の一つとして、カオスラウンジメンバーがコーランを焼いて、カオスラウンジのロゴをつけるというコラージュなどもありましたが、その辺りは悪意が露骨だったので、だんだん廃れていきました。そのうち、カオスラウンジメンバーが「寿司を食った」というだけで寿司コラージュを丸々半日作り続け、わけのわからない動画が次々に出てくるといった、一番最初にあった「抗議」とか「悪意」とかを忘れたかのようなネタ画像が次々と出てきました。

 全く趣旨の全く分からないギャグのようなコラージュが秒単位で次々と生み出されていき、「ネットの創作」そのものが、アートや商業性などとは違う独自の原理や美学によって動いているものであり、独自の価値を持っているものであると示していました。

 そのような、アート文学や商業の「価値」では測ることのできない別種の価値や美学がそこに存在すると示したことが、この運動の特筆すべき点でした。


やらおんステマ疑惑

ステルスマーケティングとは

 ステルスマーケティング、略称ステマとは、消費者に、宣伝だと思わせないで宣伝をする行為。「やらおん」というのは、ネットにおいてアニメ消費者に絶大な力を持つ「まとめサイト」です。「まとめサイト」いうのは、匿名掲示板などの内容を引用して省略などを行って読みやすくしたサイトのことです。

■今回の騒動の発端

まどか☆マギカ』の製作会社シャフトが、自サイトのアマゾンリンクに、何故かやらおんへの利益に繋がるアフィリエイトリンクが貼っていました。これが発端となり、そのまとめサイトは利益供与を受けていたのではないかと騒動が発火しました。

 そこから2ちゃんねるのニュース速報板に次々とステマスレが立ち、ステマについての書き込みが連投。あれもステマ、これもステマと騒然となり、2ちゃんねる側も規制をするなどの対抗措置を発動しました

 しかし、何故今回だけ急に問題になったのでしょうか?

 ステルスマーケティング自体は、今に始まったことではありません。テレビ番組でのタイアップ芸能人ブログなどでの商品の紹介にもそういう性質はありましたし、そのことには大勢が気付いていました。

 では何故今回はこんなに問題になったのか? 第一に、まとめサイト自体への反感があったと思います。他人の書いたもので稼ぎやがって、という気持ちですね。

 もうひとつ、最近はまとめサイト自体がある種の権力化してきている状態でもあったことも付け加えておきます。購買行動や評価に大きく関わる存在になっていたのです。

 そして最も大事なのが、「まとめサイト」とはいえ、「俺たち仲間」「純粋に楽しんでいる」みたいな気持ちがあった、つまり消費者だと思っていたら、そうではなかったという、裏切られた感じというのがやっぱり決定的だったんじゃないかと思います。

 結局、ネットが「商業」や「情報操作」などがない、互酬的で、信頼できる場であってほしいという思いがある。どんどん崩されてきているが故に、これだけの騒動が今起きているように思います。

 この「一揆」は、そういう互酬的な場を守ろうとしているものであるかのように見えます。

■追記

 追記するならば、宇宙人によって人間を知らないうちに支配し、人間をゾンビ化して搾取するというストーリーの『魔法少女まどか☆マギカ』が「ステマ騒動」の中心にあるというのは非常に面白いことだと思います。『まどか☆マギカ』を熱心に見てそのメッセージを真剣に受け取ったものほど、そのような「管理」や「操り」のテーマに敏感になったであろうからです。ここには奇妙な逆説が、確かにあります。あるいはその逆説のサーキットを作ることこそが、『まどか☆マギカ』の野心的な設計だったのかもしれません。


ゾンビ小説大流行

■基本

 2000年代後半からゾンビが再ブームを迎えていました。象徴となる作品が、エドガー・ライトの『ショーン・オブ・ザ・デッド』です。

東のエデン』、さらに、花沢健吾の『アイアムアヒーロー』です。

  最近の日本では、もうこれは世界に誇るべきオリジナルゾンビとして胸を貼っていいと思いますが、「美少女ゾンビ」というのが発明されていました。はっとりみつるの『さんかれあ』や、『これはゾンビですか』などもそうですね。『まどか☆マギカ』も自分たちをゾンビと表現するシーンがありました。

ゾンビインフレ

 ぼくが今回紹介したいのは、『奥の細道オブザデッド』という作品です。これは元禄時代の江戸ゾンビが溢れ、松尾芭蕉が、奥の細道を旅しながらゾンビと戦うというもの。松尾芭蕉忍術とかを使っててとにかく強い上に、ゾンビと戦いながら俳句を作ったりする。

ゾンビ自体に増殖力があるとしても、ちょっと昨今のブームは常軌を逸している。ここには考え方が二種類あって、「ゾンビ」というメタファーで捉えると何かが腑に落ちる、というようなリアリティがあるような状況である、ということが一つ。もうひとつには、この常軌を逸して増殖していくゾンビ作品自体の「感染」そのものの熱狂的なエネルギーが楽しまれている、ということ。

 これはちょっと牽強付会かもしれませんが、「二次創作」や「感染・模倣」などのネット特有の集合的創作の感覚が活字媒体に逆流入してきたかのような感じがします。作品内容でも情報環境を扱い、その作品の流通の仕方もネットを模倣する。これは面白い解答だと思います。)


地震兵器説大流行

■基本

 東日本大震災のあと、東日本大震災地震兵器のせいであるという説がまことしやかに囁かれて、いくつかの本も出ました。この地震兵器説は、国会答弁にもなりました。

 2011年7月11日、みんなの党の柿澤議員が、浜田和幸政務官アメリカ地震兵器に関する持論を追及。平野復興大臣が間に入って諌めるということもありました。

 代表的な作品が、『地震兵器も投入 闇の世界権力の「日本沈没計画」を阻止せよ! イルミナティ大幹部が打ち明けてくれた驚愕のプロジェクト』という本です。あまりにも盛りだくさんなタイトルでもうおなかがいっぱいなのですが、この色んな「地震兵器」説の中で一躍脚光を浴びたのが、HAARPという施設でした。


■HAARP

HAARPというのは、アメリカ空軍、アメリカ海軍、国防高等研究計画局 (DARPA) の共同研究の「高周波活性オーロラ調査プログラム」のことです。Google画像検索で見ていただければば分かるのですが、アンテナが異様にたくさん立っているだけで、パッと見、意外とチャチい施設にしか見えなかったりします。ただ、どことなく確かに電波的な感じがする施設です。HAARPは「High Frequency Active Auroral Research Program」の略。呼びそうな感じがする。

 HAARPは陰謀界では由緒正しい施設のようで、1997年の時点で学研は『悪魔の世界管理システム ハープ』という本を出版していました。陰謀界の人々の中では、HAARPが気象兵器・地震兵器であることはかなり常識に属していることのようでした。

 で、HAARPが不思議なのは、イルミナティとか爬虫類人とか、色々な陰謀説を持っている人が、みんなこの地震はHAARPだって言っていたことです。

 爬虫類人類「レプティアン」っていうのが人類を侵略しているっていう陰謀論があるんですが、その人たちも「HAARP」がやったって言ってて、せっかく爬虫類人類なのに、全然爬虫類的な設定を生かしてなくて、見ててイライラしました。

 海に潜ってみんなで揺らした、とか、そういうことを言ってほしい。

 陰謀界もネタ不足なんじゃないかというのが今回のトピックです。

 余談ですが、陰謀論の流行も、おそらくステマ騒動と同じ根を持っていると思います。「信用」「信頼」できる何か、あるいは場が欲しい。それは本当の真実が欲しいというわけではない、そういう心理的根拠を元にしているように思います。

(さらなる余談:爬虫類人類が人間を管理していてゾンビ化して搾取しているという設定は、『まどか☆マギカ』と似ている)



自炊代行業者vs作家

■基本

自炊というのは、個人が私的に書籍を電子化すること。IPHONEやIPADが普及した、電子端末で書籍を読みたい人が、ドキュメントスキャナで自分で作っていました。これを自炊といいます。

この背景には、日本ではまだ電子書籍が軌道に乗っているとは言い難いという状況があります。

■代行業者

問題は、それを代行して行う業者が現れたことです。自分で自炊を行うのは、たとえそれが流出する危険性があったとしても、建前としては私的複製の範囲でした。しかしこの自炊代行は著作権の侵害ではないのか? 9月に、出版社と、作家122人が、約100社の代行業者にいっせいに質問状を送付。そして12月には、7人の作家が業者を提訴しました。

■問題は

 問題は何か。自炊する際に本を読みとりやすくするために裁断してバラバラになってしまう、という点が、感情的にもキャッチーなので取り上げられることが多いのだが、実はそこが問題ではない。法人が依頼している場合や、一冊のデータを他の顧客にも使いまわす(本を裁断しない)などのケースが予測され、さらに、それらがネットで流通しても著作者や出版社の利益にならない、ということが長期的な問題である。

 これもまた、インターネットと活字メディアが利益を奪い合っているような状況であるとも言える。これに対し、ネット論、著作権法の立場から、法改正も視野に入れた様々な議論が出てきている。

 で、驚いたのが、自炊代行業者を訴えた七人の作家の中に、東野圭吾、浅田二郎、林真理子らとともに、『北斗の券』の武論尊さんが含まれていたことです。核戦争で破滅した世界で生きるアウトローかと思いきや、意外と法にはうるさかった。自炊業者を「あべし」って言わせたいのかもしれません。



■まとめ

2011年は、ネットとそれ以外における、「著作権」や「金銭」を巡る闘争が顕在化した年でした。震災やその後の不安なども要因になっているでしょうが、これは構造的な必然であるとも思います。メディアが再編成されている今、自分たちが、消費者として、いい作品に出会いたいし、安く手に入れたいし、しかも書き手としてはなんとか飯を食っていかなければいけない。そういう中で、どういう未来を選んだらいいのか、この「ネット一揆」の行方を見ながら真剣に考えなくてはならないと思います。

 さあ、このネット上の「共同体」を守ろうとするレジスタンス(というよりは、シュミットの言う、土地と結びついたパルチザンに近いのかもしれない)の叛乱のような昨今のネットの現状、そしてその祝祭性は、政治と如何なる関係を持つのか。それは68年の運動と共通性を持つのか。マルチチュード概念と接続することはできるのか? これらは単なるバーチャルな叛乱に過ぎず、ガス抜きなのか。それとも、既にネットは虚構でなく現実であり、それは実際に政治的に有効であり、なおかつ実存にとって「真」である何某かの超越性の感覚を与えてくれるのか?

 その辺りを、真剣に見極めたい、と思いながら、状況の推移を見ています。


宣伝:ゾンビ論に関しては以前書いた「極私的ゾンビ論」と合わせてご覧いただければ。円城塔氏が続きを書くと仰った伊藤計劃氏の遺作『屍者の帝国』について書いています。http://sfhyoron.seesaa.net/article/182793169.html http://sfhyoron.seesaa.net/article/188780267.html

宣伝その2:「極私的ゾンビ論」の第三回は「美少女ゾンビ論」で行くと前に告知していたんですが、これもちゃんと書きます…… 「極私的ゾンビ論」第2.5回に当たるミステリ論も、初春に刊行される評論集に所収していただきます。

2012-01-05

日本オタク大賞2011に出演させていただきます

日本オタク大賞2011」

この1年のアニメ、ゲーム、フィギュア、マンガ、ラノベ、映画、特撮に至るまで

あらゆるジャンルのオタクネタを総ざらい!

拡散と浸透、普遍化とタコ壺化の果てに、

2011年オタク業界はいかなる作品を生み、

いかなる人を失い、いかなる問題を抱えたのか?

毒舌コメンテーターたちが2011年のネタを縦横無尽に語り倒す!

オタクの明日はどっちだ?

そして今年の大賞は??

2001年に始まったこのイベントも、去年10周年を迎えて

今年さらに新たなステージへ!(注・いつもと同じです)

【司会】藤津亮太

【出演】鶴岡法斎、志田英邦、東海村原八、

    前田久奈良崎コロスケ藤田直哉

2012年1月15日(日)新宿ロフトプラスワン

OPEN 17:00 / START 18:00

前売¥2,500 / 当日¥2,800(共に飲食代別)

前売はローソンチケットにて12/10(土)10:00〜発売!

【Lコード:37349】

http://otakur.blog7.fc2.com/blog-entry-76.html

こちらで生放送があるようです。よろしくです。

http://live.nicovideo.jp/gate/lv77702271

2011-12-16

『DOMMUNE オフィシャルガイドブック2』

 『DOMMUNE オフィシャルガイドブック2』に寄稿させていただきました。「2011年のカルチャー100選」にni_kaさんの「AR詩」が入った関係で、その紹介を書かせていただきました。

 で、ちょうど発売日と同じ日から銀座西欧ギャラリーで展示です。「Shiny holidays exhibition 2011 「the Civilization」」12月21日〜12月27日 インスタレーションの作成を手伝わさせられてます。ご来場いただけましたら幸いです。

 展覧会 http://sunshinenetworkjapan.blogspot.com/

 AR詩 http://yaplog.jp/tipotipo/