宇野千代論15 文体=スタイル=着物

 千代は本論で何度も論じているように前近代的精神の持ち主である。しかし近代化が進む社会の流れに対し、洋装を纏い見かけ上の近代化を果たすことにより適応する。これができそこないのモダンガール宇野千代である。「色ざんげ」ではその前近代的要素を文体で隠し、モダンな作品を作り上げた。だとすれば彼女にとって文体とは文章中の服であったと考えることはできないだろうか。千代は着物に関してこう言っている。

「私は生まれたときからの小説家であるようにさえ見えた。女にとってはいつまでも気にかかるのは着物のことである。(略)ただ気の向いたときに今日はあれを明日はこれをときがえることが出来るのだと思っている。」

現実世界で自分が誰であるかわからず、小説世界に於いてコスプレをして誰にでもなれた千代は個性を内面にではなく表層に見出し、いつでも着替えること、つまりお洒落をすることに価値を求めていたのだ。
「衣着せつる人は、心異になるなり」と天の羽衣を着たかぐや姫は今までの悩みを全て忘れ空に消えた。千代も同様である。着替えることによって彼女は忘れていくのだ。自分が何者であるのか忘れていくのである。

彼女は平塚らいてうのようにモダンな精神を持ちモダンな服を着た革命家ではなかったが、その代わり伝統に着せる時代のセンスに合ったコーディネートを考える能力に長けたスタイリストであった。だからお洒落をしない者を嘆き、服を作るためのファッション誌ではなく現在誰もが読む様なお洒落の模倣、または参考にするためのファッション誌を編集したのだ。となれば雑誌「文體」とは文章のファッション誌である、とも言えるだろう。恐らく2誌とも千代はモード(模倣と流行)の発生によるシーンの活性化を目的としたはずである。その結果、「スタイル」は好評だったが「文體」は当時の民衆に受け入れられず廃刊となる。理由は2つである。

1つは無意識的に彼女がやろうとした文章のファッション、モードという概念を誰も理解できなかったこと。彼女は文学仲間たちからも「小説家のくせに二股かけて…」と非難された。
2つ目は文学における「モード」は一般市民とは無縁のものであったからである。誰でも参加可能なゲームであるお洒落モードに対し、文壇というのは誰でもそうそう参加できるものではなかった。しかし、現代文壇ではサブカルチャーからの文学へのアプローチは散見される。例えば歌謡曲に於けるラップの流行は若手小説家たちに絶大な影響を与え、文体にリズムを意識させた。ならば千代の無意識にしろ提案した考えはかなり現代的なコンセプトだとも言えよう。また後者の問題も同様にブログ、ケータイ小説を経過した現代なら十分強度を持つアイディアと言えるだろう。

styleという言葉の語源はStylus、つまり古代の鉄筆を表し、そこから文体を意味するようになり、転じて個性という意味を持つようになる。 そして現代僕らが使っている様式やファッションという意味に辿り着くのだ。筆から始まり後に外見を表現する言葉と強く結びつくことになる単語style。そしてお洒落雑誌「スタイル」そして文章のスタイルである「文體」 、僕には千代とこの単語とは奇妙なシンクロニシティを感じずにはいられない。このstyleという言葉を仲立ちにして文体と着物は等号で結ばれるのだ。

これほど彼女に最適な言葉がどこにあるだろうか。この言葉を冠した2誌を編集したのも必然の様に思われる。では千代がこの単語の不思議な意味の変遷と自己との同一性を理解していたか。そのはずは無い。雑誌「スタイル」の由来は当時売れていた目薬「スマイル」からとったと彼女は語る。
この事実ももしかしたら「女の記憶」でねつ造されたものかも知れない。しかし、それを確かめるすべも最早無いのだ。既に宇野千代の永遠は1996年6月10日に閉じてしまった。事実はその中でぐるぐる周っている。「桃太郎」が本当に今の「桃太郎」の物語だったのか、ということも探る手段が無いのと同じように。しかし、冗談のような目薬「スマイル」の逸話も現在では一番確かな事実である。
これが「女の記憶」なのだ。