「がんばれ ふくしま」が日比谷公園で

 元時事通信社の知人のいる日比谷公園市政会館に出かけての帰り、公園内で「がんばろう!ふくしま しらかわ地方の野菜・物産品大集合」という催しに出会ったので立ち寄った。
 「しらかわ地方」というのは、僕と妻のふるさと・出身地である。
 配っていたチラシには「ご存知の通り、福島県では多くの生産者が原発事故によるいわれなき風評被害に苦しんでおります。…(略)… しらかわ地方の野菜は安全・安心です! 」と書かれていた。

 あいにくの雨で人の出足はいまいち。懐かしいアクセントの呼びかけで、豚汁を振る舞っていた。

 妻の生まれた「西郷村」も出品していたし、もちろん私が生まれた「矢祭町」も出品していた。「西郷村」コーナーから「西郷産豆かりんとう」2種類を妻のお土産に、「矢祭町」から「たまご」と「ジャム」を、案内所の今日の若者研鑽会の昼食にでもと思って買う。
 お金を払いながら「僕も矢祭町だよ」というと「ああ、そぉう、どこ?」と、急に顔をまじまじと見る。
 田舎に住んでいる中学の時の同級生の名前を出したり、ちょっと話し込んで、最後に「あんたの家あたりは、地震もね、瓦や塀が壊れたところはあったけど、人的被害はなくてね、安心していいよ」と言って、キュウリを3本くれた。
  

 私の生まれた「矢祭町」。
 住基ネット市町村合併に反対して、「合併しない宣言」を出して話題になった自治体だ。今でも住基ネット導入を拒んでいるのは「矢祭町」だけだと思う。そんなことで、時々、マスコミにも取り上げられている。
 「矢祭」という名前は、子供のころ聞いた話だから記憶が定かではないが、源頼朝だったか、源義経だったかが放った矢を祭ってある神社があることから、そう呼ばれたと聞いた。その神社がある所が「矢祭山」という公園。福島県の最南端でツツジの名所でもある。小学生の時の春の遠足は必ずそこだった。
 そこには、今でも姉夫婦が住んでいて、僕が帰省すると必ず、亡き母に代わって好物の「ぼたもち」を作って歓迎してくれる。