縄文から弥生へ移行する時代の物語

◇いま、荻原浩著『 二千七百の夏と冬 』を読んでいる
 直木賞作家の萩原浩に、このようなイマジネーションあふれる作品があるとは知らなかった。
 出張前の電車に乗る前に書店に寄ったら新刊文庫で平積みされていたので、「縄文時代の物語?」と思いながら買ったのが、この『 二千七百の夏と冬(上)』だ。
          
 萩原浩の作品といったら、僕はまだ読んでないが直木賞の受賞作品が代表作だというのだろうが、僕は明日の記憶だと思っている。
 まだ、いまほど「認知症」が社会的に取り上げられていなかった2004年の作品で、2005年に本屋大賞を受賞し、その後、映画化もされた『明日の記憶』は、若年性アルツハイマー病を患った中年男性とその家族の物語だった。
 いま読んでいる『 二千七百の夏と冬 』は、縄文から弥生へ移行する2700年前の時代の物語なのだ。
 (上)(下)2冊の文庫で、まだ(上)しか読んでないが、「縄文時代の人たちの営みって、こんな日常だったのかもな〜」と思わせる内容で、実に興味深く面白い。

関東のあるダム建設現場から発掘された古人骨。
 まだ十代と思われる人骨は縄文人と推測され、伸ばした手の先には、弥生人の少女と思われる人骨。
 2人は顔を向け合い、あたかも手を握り合っていたような埋もれ姿だった。
 2人が生きていた2700年前の時代。
 それは、どんな時代だったのか。どんな生活を営んでいたのか。
 そして、この2つの古人骨の青年と少女に、どんなドラマがあったのか。
 萩原浩の豊かなイマジネーションを駆使しての古代時代の物語なのだ。
 「カァー」や「イー」「ミミナガ」と聞いたことがない呼び名の動物や、「鼻曲り」と呼んでいる魚。それが「鹿」や「猪」や「ウサギ」や「鮭」であるというのが読んでいて分かるし、「夏の雪」と書いて「たわごと」とルビがふってあったり、「鳥の巣の卵」と書いて「たぶん」と読ませたり、「生肉と焼き肝」を「ぜいたく」と読ませたり、当時はこのような表現だったのかどうかは問わないとして、ユーモアさえ感じる表現で日常生活や狩りの様子、大人になる「歯抜きの儀式」などを描いたり、「ヌペ」という食べ物が「ドングリ」で、歯に付き虫歯に悩まされている様子などなど、読んでいて作者の遊び心も感じながら、不思議と2700年前の時代に引き込まれるのだ。
 (下)は、いよいよ弥生人との出会いで、「コーミー」と呼ばれる「米」との出会いであり、縄文青年と弥生少女の恋物語の展開もありそうで、楽しみだ。