石川啄木終焉の地

 地下鉄・丸ノ内線茗荷谷」駅から歩いて7〜8分のところに、「石川啄木終焉の地」という歌碑があるというのを聞いたので、先週、文京区に行ったついでに寄ってみた。
 石川啄木といったら、僕は中学3年生だった時に歌集「一握の砂」に初めて触れた。
 僕は啄木の歌を夢中で読んだ記憶がある。
 僕の育った田舎の中学に、大学を卒業し、教師になって赴任してきた若いクリキ先生と出会ったのもその頃で、歌集を読んでいたら「文芸部」を作ろうとなった。
 その文芸部の最初のガリ刷りの文芸誌の表紙に、スケッチと一緒に載せたのが、
    『砂山の砂に腹這ひ初恋の いたみを遠くおもひ出づる日』
 この歌だった。
 クリキ先生以外の、他の先生たちからは、中学生に相応しくなかったのだろう「なんでこの歌?」とヒンシュクを買ってしまったことを覚えている。
 そんなことで、僕の内なる文学的領域にとって石川啄木は特別な存在として残っている。



◇「石川啄木終焉の地」
 場所は、東京都文京区小石川5丁目だ。
 うっかりすると、通り過ぎてしまうくらい、「石川啄木終焉の地歌碑」はビル敷地の一角に静かに佇んでいた。
        
        
 啄木は、明治44年、家族と共に本郷の喜之床からここに移り住み、翌年3月に母が亡くなり、啄木自身も5月13日に肺結核で26歳の生涯を、ここで終えた。
 歌碑には、啄木の故郷の石を使用し、最後の創作二首の直筆原稿が再現され埋め込まれている。
        
        

 歌碑の隣のビル内の一室が「石川啄木顕彰室」と書かれた小さな展示室があった。
        
        
        
 白壁に、啄木筆跡の歌が書かれている。
        
        
        
        
 写真や展示物
        
        
        
        
        
        
        
        
 

◇啄木の歌
 最近は、啄木の歌集を開くことも少なくなったが、それでも時々、啄木の歌に触れたくなる。
 啄木の歌は、今でも僕の心をくすぐる。
 たとえば、
  「たわむれに母を背負いてそのあまり 軽きに泣きて三歩あゆまず」 
  「はたらけどはたらけど猶 わが生活 楽にならざりぢっと手を見る」
  「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ」


 かなり以前、サラリーマン時代に函館に出張の折、函館公園に寄ったことがある。
 そこにも歌碑があった。
 刻まれていた歌を忘れてしまったので調べたら、この歌だった。
  「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」