気になっていた2冊の新書

 最近、刊行された2冊の新書が気になって、一気に読んだ。
 一つは、前田速夫著 『「新しき村」の百年 <愚者の園>の真実 』と、
 もう一つは、養老孟司著 『 遺言。』だ。
         
 どちらも、僕にとっては示唆に富んだ、読み応えのある新書だった。
 養老孟司さんの『 遺言。』は、感覚と意識という2大要素で成り立つ人間の認識のあり方、動物と人間の違い、意識とは「同じにする」という同一性を求めるが感覚は違う、意識が一神教を生みだす、などなど知的刺激が満載の著書なので、ベストセラー間違いなしだと思う。
 そんなことで、僕は、あえて「新しき村」に関した新書の方をここに記してみる。


◇『「新しき村」の百年 <愚者の園>の真実 』
 「新しき村」は、武者小路実篤が「人間らしく生きる」「自己を生かす」社会の実現を目指して、1918年(大正7年)に宮崎県(日向)で発足し、その後、その土地の3分の1がダム建設のために水没することになり、1939年(昭和14年)に、首都近郊に活動拠点を移したいと埼玉県入間郡毛呂山町に建設された共同体である。
 創設当時から世間から注目されて発展したが、実篤の離村や逝去や、時代の波の影響など、幾度も危機にさらされながらも、創立100年を迎えるわけだが、現在のメンバーは、宮崎県の「村」には2人、埼玉県の「村」には10人となっている。
 その「新しき村」の100年の経緯を丹念に辿った著書である。
 僕も、2000年前後に埼玉県の「新しき村」を訪ね、村の長老・渡辺貫二さん(第三代理事長)に村内を案内してもらい、その後3、4度再訪して親しくお話しをした。その後、年賀状のやり取りはしていたが、2005年に亡くなられてからは訪れていない。
 「新しき村」は、共同の労働と生活が求められながら、労働(当時6時間)に費やした後の時間は、芸術など自己を高める時間として、各自が自由に使ってよいというやり方の「個性の尊重」を重視した運営である。
 そんな「新しき村」と「ヤマギシの村」との、労働についてや、教育についての考え方の差異を、渡辺さんと話した記憶があるので、本書を興味深く読ませていただいた。

 著者はまず、武者小路実篤の生い立ちと、『白樺』創刊に至る経緯から述べて、「新しき村」発足から現在までの経緯を、村外会員の立場から考察している。
 著者は「はじめに」で、村内生活者が少なくなり、後継者難もあって今後が危惧される現在、『新しき村のような独自のコミュニティのありかたが、今ほど求められているときはないと思量されることだ。すなわち、この新しき村が百年を超えて生き残れるか否かを問うことは、大げさに言うなら、日本が、世界が、生き残れるかどうかを問うに等しいのではないか。』と述べている。
 そして最後の章「創立百年を超えて─人類共生の夢」では、実篤が満70歳の誕生日に書いた『決心せるものが 村に五人ゐれば 天下は動く 五人が十人になり五十人になり 百人になる』を引用しながら、いま『必要なことは、十人を五十人にし、百人にする具体的な方策であり、行動である。規模は小さくてもいい、こうした独自の空間が、トポスが、過疎地や限界集落のみならず、都市近郊のあちこちに増え、いつか世界中に広がるなら、そのときこそ、武者小路実篤の自他共生、人類共生の理想が実現する。』と、温かい眼差しで結んでいる。