成馬零一が考えていること。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-12-26

[][] 今年の個人的オススメ作品


 http://story-station.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_5747.html



 今年の個人ベストについて喋りました。
 以下がそのラインナップで、後編は
 その中からベスト10を選ぶ予定です。

 そのラインナップとレビューをリンクしておくので
 ご参考ください。



 漫画



 ハンター×ハンター  
 魔人探偵脳噛ネウロ 
 バガボンド 
 闇金ウシジマくん
 ラウンダバウト
 いとしのニーナ 
 カズン 
 わにとかげぎす
 謎の彼女X  
 鋼の錬金術師
 大奥(最新刊は未読なので保留)



 映画


 
 ブラックブック
 パンズ・ラビリンス
 ゾディアック   
 ボーン・アルティメイタム 
 トランスフォーマー
 ホット・ファズ



 ここからはあくまで今年見たもの
 (公開時期が別のものも含む)




 嫌われ松子の一生
 トゥモロー・ワールド
 ドーン・オブ・ザ・デッド
 ショーン・オブ・ザ・デッド
 ボーン・スプレマシー
 ユナイテッド93
 グアンタナモ 僕達が見た真実  シティ・オブ・ゴッド
 デスノート ザ・ラストゲーム
  
 大日本人 
 スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ

 ドラマ



 「ライフ」 
 ライアーゲーム
 セクシーボイスアンドロボ
 3年B組金八先生
 風魔の小次郎
 ハゲタカ
 仮面ライダー電王



 アニメ



 コードギアス 
 らき☆すた
 天元突破グレンラガン
 ぼくらの
 スクールデイズ 
ef
 モノノ怪
 大江戸ロケット 
 バンブーブレード



 小説



 扉の外 メタボラ
 スロウ・ハイツの神様
 青年のための読書クラブ
 でかい月だなあ
 DDD



 音楽



 中田ヤスタカ全般
 チャット・モンチー

 果たしてベスト10はどの作品か?
 (思ったよりレビューアップしてないので、後で追加してきます)


 

[][]竹熊健太郎は何故、成長物語が描けなかったのか?






 『ドラゴンヘッド』と同時期に
 『漂流教室』のリメイクを試みた作品がもう一つある。
 それは作画・永福一成、原作・竹熊健太郎(ただし途中で原案となる)の『チャイルド・プラネット』だ。

 原作の竹熊健太郎は90〜92年に『サルでも描けるまんが教室』(通称サルまん)を相原コージと共に連載していた。

 基本の内容はタイトルにあるように
 漫画の描き方教室のパロディ
 一巻はペンネームのつけ方から始まり
 ストーリーの作り方、キャラクターの描き方等をギャグにしながらも説明し、その後、「うける少年漫画の描き方」から漫画界そのもののパロディを展開する。
 簡単に言うと当時流行っていた漫画のパターンを分析し「こうすればサルでもできるよ」と漫画の設計図(骨組)を見せること自体をギャグとしたのだ。
 そして二巻からは実践編として漫画内マンガとして
 『とんち番長』を連載。
 今度は漫画家と編集者の構造をギャグにしてイジリ出す。
 そして三巻はその連載とマンガ家のダメになってく様が描かれ、ラストは「マンガの描き方」についての本を出したがために本当にネタが尽きて落ちぶれている二人とマンガ界自体が不況となり、同じく落ちぶれた編集長が描写される。

 つまり、この作品は『AKIRA』とは違う形でマンガ業界等も含めた広い意味でマンガを総決算してしまったのだ。



 ■サルまん以後
 

 『サルまん』一巻の最後に「これを描いた後二人はどうするのですか」という読者からの手紙が載っている。
 回答はギャグだから大丈夫と笑いにしていたが
 これを二人が描いたばかりに、本人達はもちろん
 後に描くマンガ家がいかに苦悩したかを考えると
 頭が痛くなる。

 少なくとも意識的な作家は
 ここでネタにしたパターンは
 安易に使えなくなったはずだ。

 直接の影響かどうかは不明だが
 様々なジャンルでお約束の放棄が起き
 漫画のみならず日本のフィクション
 リアル志向になっていったように当時は思えた。

 例えば一話で仲間同士が殺し会う小山ゆうの『あずみ』。
 人気絶頂の中突然終わったと言われる冨樫義博の『幽遊白書』や井上雄彦の『スラムダンク』。
 後に竹熊健太郎が入れ込む『新世紀エヴァンゲリオン』。
 そして、望月峯太郎の『ドラゴンヘッド』。
 つまり『AKIRA』が「引用」を
 『サルまん』が「お約束」を完璧に描き切ったのだ。



 ■チャイルド・プラネット



 さて問題はこの二人がこのあと、何を描いたかだ。
 相原コージは『サルまん』でも言及していた
 忍者マンガ、おそらく白土三平の『ワタリ』を下敷きに
 『ムジナ』というマンガを描く。
 
 これは個人的には好きな作品なのだが
 世間的に成功したかというと評価が難しい。
 一方の竹熊健太郎クイックジャパン
 インタビュー等をしながら
 95年『チャイルド・プラネット』を
 原作という形で始める。

 『チャイルド・プラネット』のストーリーは
 ある街がウィルスのせいで大人が死んでしまい
 感染した子供達
 (ただし体が大人になれば発病する)が
 閉鎖された街で生き残るために
 共同生活をするという内容で
 今の視点で見ればこちらの方がより
 『漂流教室』を自覚的にリメイクしているように見える。
 
 この時期、相原、竹熊が何故
 リメイクという形で物語を描こうとし
 失敗したのだろうか? 
 竹熊健太郎は『チャイルド・プラネット』から降りた理由を、クイックジャパン等で『新世紀エヴァンゲリオン』と
 庵野秀明の影響だと当時語っていたが
 実際の所はよくわからない。

 ただ、『漂流教室』を下敷きにした
 『チャイルド・プラネット』と
 『ドラゴンヘッド』には、設定面だけでなく
 根本のところで、大人のいない世界で
 どう子供が成熟するのか? 
 という課題があったように当時は思えた。
 
 そしてその成長物語の挫折がある種
 変な言い方だが、魅力的な失敗に
 繋がったのではないか?
 と今は考えている。

 もっとも、それはあくまで当時の感覚で
 今現在、その種の成長課題
 大人になれない私達というモチーフが
 多くの人に共有されているとはとても思えない。

 その意味で彼等の大人になれないという葛藤は
 思ったより射程の狭い
 せいぜい80〜90年代にのみ有効だった
 モチーフだったのだろうと今では思う。
 
 その意味でエンタメ性とは別に
 文脈がわかりずらくなってきている作品だ。 

 尚、竹熊健太郎の手を離れた
 『チャイルドプラネット』のラストは
 感染した子供達の街に
 核爆弾が落とされるのを
 主人公とその父親等が手を尽くして
 何とか阻止し、彼等の存在が全世界に知られることで
 延命を図るが
 自分達はウィルスを世界にばら撒いてしまった。
 このまま死んだ方が人類のためになったのではないか?
 と主人公が葛藤しながら
 生まれて来る自分の子供に希望を繋ぐという
 終わり方だった。
 
 もし、竹熊氏が残って入れば
 どういう終わり方になっていたのだろうか? 
 おそらく『エヴァ』やオウムのような
 破壊衝動をぶちまける要素がもう少し
 あったのではないか? と思う。
 
 成長物語というのは
 ある種の作家には簡単で
 逆にある種の作家にはこれ以上ない
 難しいモチーフだ。
 言ってしまえば、先行する共同体の価値感を
 引き継げば大人には慣れるし
 世間も認めてくれる。
 だが、先行する共同体(つまりは大人)を
 否定した上で大人になろうとするならば
 まず闘いを挑み、次に
 新たな価値感を作らねばならない。
 
 それが『チャイルド・プラネット』では
 中途半端に終わってしまったというのが
 当時の印象だ。
 もっともそれを成し得た作品は残念ながら
 『ドラゴンヘッド』も含めて
 一作も無かったのだが。
 
 話がやや脱線した。
 次は正規のルートに戻り
 『漂流教室』と『ドラゴンヘッド』の
 関連について書きたいと思う。 



 (3)漂流教室に続く