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2008-10-22

[]環境化する悪意

 今の人が一番実感できる悪って何なのだろうか? って帰りの電車の中で考えてたんだけど、それはやっぱり匿名性の中に宿るのかなぁって思う。いわゆる「誰でもよかった」殺人って今も変わらず起きてるけど、あれに象徴される通り魔的なものっていわゆる明確な対象への憎悪とか怨恨みたいなものがすっぽり抜け落ちていて、刺した方も刺された方も、何だか良く分からない無根拠な状態にある。もちろん掘り返していけば刺す方には何らかの悪意や憎悪はあるんだけど、それは刺された人間には一切共有できなくて、結果的に残るのは刺された人間、あるいはその親類等の関係者に「何で?」っていう違和感だけを残すことになってしまう。

 そうやって考えると世界には見えない悪意の塊みたいなものが漂っていて、それがビリヤードの球みたいにぶつかりあって、いつの間にか自分にぶつかってしまった、あるいは自分が何の気なしに蹴った石ころがいつの間にか、誰かの悪意のトリガーになってたりして、そこでは貨幣のように負の感情が人間の間を行き来していて、そのぶつかりあって肥大化してしまった悪意が無関係な人に最終的に当たってしまうことを、どこかで自分達は了承している諦念としての運命論みたいなものも出てきたりしている。

 というか、そうやって本来見えない悪意を固定化して、暫定的に消去するために悪意に実体を与えて生贄にするのが刑法だったり宗教における悪魔祓いなのかも。

 

 みたいなことを最近の映画やアニメを見ると考えてしまう。

 その意味で『ダークナイト』の長所はジョーカーという究極の悪役を生み出したことであり、同時に限界はジョーカーという悪役を設定してしまったことなのかなぁ? と思う。

 映画を見る前に何となく思ってたのは、ジョーカーっていう存在は匿名性の象徴で、ゴッサムシティの犯罪者の総称がジョーカーで、プチジョーカーが街中で犯罪を起こしてて、そいつらはゴッサムシティの住人でもあって、だからバットマンが治安維持に努めようとすると市民を敵に回さなければならない。

 みたいな展開かなぁと思っていた。それでジョーカーの本体を探そうとするんだけど見付からないで本体はすでに死んでいたかはじめからいなかった(だったら押井守だけど)

 何かどんな行為であれ、正面から名乗り出て、自己を主張する存在ってのは、あまり悪に見えないんですよね。

 まぁ、悪なんて無くて、それぞれの立場の正義がぶつかりあっているだけだ。ってのも一つの解なんだけど、もうそれは前提になってるからなのか? 今の悪って何か? ってのを描こうとすると、もっと流れというか幽霊が憑依するような観念的なものになってくのかなぁとか思う。

 

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