奇天烈名画座(不定期更新ブログ) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-02-12

[]『地球最後の男』  23:15

1964年 アメリカ/イタリア 監督:シドニー・サルコウ、ウバルド・ラゴーナ

地球最後の男/人類SOS!(2in1) [DVD]

地球最後の男/人類SOS!(2in1) [DVD]

とりあえず、2008年最初の更新。まあ、それがゾンビ吸血鬼?)映画ってのも何ですが、このブログらしいかと。原作はリチャード・マシスンのSF作品"I am Legend"。去年の12月に公開されたウイル・スミス主演の「アイ・アム・レジェンド」は原作のタイトルのままで三度目の映画化。今回紹介するのは1964年に最初に映画化されたやつです。主演はクラシック・ホラー作品の常連ヴィンセント・プライス。主役がヴィンセント・プライスだってこともありますが、かなーりダウナーな雰囲気の作品で全体的に終末感が漂いまくってます。「アイ・アム・レジェンド」は未見ですが、予告編を見ると主人公の日常生活をていねいに描写しているようでわりと原作に近いかも。

吸血鬼モノに分類される本作ですが、吸血鬼(というより吸血病に罹った病人たちなんだけど)の描写がほとんどゾンビなので本作をゾンビ映画の嚆矢とする見方もあります。それについてはまた後ほど。

あらすじ

医学研究所の研究員ロバートは孤独な毎日を送っていた。彼の日課は家の周りに吊るしたニンニクを新鮮なものに替え、無線で生存者がいないか確認し、家の周りの死体を車で焼却場まで運んで焼却し、無人のショッピングセンターで食料を調達し、太陽を避けて隠れている吸血鬼を探して先を鋭く尖らせた杭を打ち込んで殺すこと。夜になると活動を始めた吸血鬼たちが彼の家へと侵入しようと集まってくる。今や生きている人間は彼一人で、孤独な戦いを続けている。ある日、彼は日課の途中で墓地に立ち寄った。そこには彼の妻が埋葬されていた。かつて過ごした妻や娘との平和な日々は娘の発病で終わってしまった。世界的に流行している謎の疫病に感染したのだ。この疫病に感染すると目が見えなくなり間もなく死に至る。なぜか政府は患者の遺体を強制的に焼却処分していた。やがて妻も発病し彼は密かに妻の死体を空き地に埋めたのだが、ある晩、ドアの外から「ロバート、ロバート」と彼を呼ぶ声がした。彼はようやく死体を焼却している真の理由を知った。ドアの外には埋葬した妻が立っていたのだ...。

それまでの吸血鬼映画のパターン(=お約束)は、

1)伝説上の吸血鬼(一種のモンスター)が現れる

2)吸血鬼に血を吸われると吸われた方も吸血鬼になる

3)吸血鬼になると昼は活動できない

4)吸血鬼は十字架とニンニクに弱く、姿が鏡に映らない

5)心臓を杭で刺すと死ぬ

6)太陽にあたると死ぬ

といったものでした。この作品では、まず伝説上の吸血鬼というのが出て来ません。あらすじで紹介したように、伝染病にかかるといったん死んで、その後なぜか吸血鬼みたいな状態で死体が復活するのです。設定としては「バイオハザード」の元祖って感じでしょうか。それで復活した後で血を吸うようになるのか、というと実は映画を見てもはっきりしません。具体的に血を吸っているシーンがないのです。一方で復活した死体たちは吸血鬼としての属性は備えていて3)昼は活動できない(理由は説明されませんが発病後に失明することと関係あり?)、4)ニンニクと鏡に弱い(さすがに十字架がダメってのは世界規模で非キリスト教圏にも伝染病は流行してる訳で科学的に説明できないのでスルーされたんでしょう。鏡に映らないってのも科学的に無理があるので、鏡に弱いとしたのでは?これも理由は不明です)、5)心臓を杭で刺すと死ぬ、などは取り入れられています。

ゾンビ映画のパターンは次回にでもまとめてみますが、最初のゾンビ映画と言われるジョージ・A・ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」では、ゾンビ(ちなみにこの映画と次作の「ドーン・オブ・ザ・デッド(邦題「ゾンビ」)」では、作品中にまだゾンビという呼称が出て来ません)の属性に昼は活動しない、というのがあって、「地球最後の男」の設定に影響を受けていることがうかがわれます。何より復活した死体が徘徊するときの動きがぎくしゃくしていて、現在の感覚からするとどう見ても吸血鬼というよりはゾンビにしか見えません。この動きは死体の復活を科学的に検証した結果であろうと思います。いったん死んだ時に脳が酸欠状態になるので運動機能に障害が出る、ということでしょう。生きている人間が血を吸われて吸血鬼化する従来の吸血鬼映画とは完全に一線を画しています。ロバートが食料を調達に行く無人になっているショッピングセンターや道に死体がゴロゴロしている描写とかも後のゾンビ映画に大いに影響を与えているようです。

全編モノクロですが、用途不明の謎の白いタワーやロバートの勤務先の研究所、最後に出てくる「新人類」のファッションなどがちょっと近未来していてSF映画としてもそこそこ頑張っている感じ。

最低映画館「地球最後の男のレビュー」

http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/vamp/lastman.html

最低映画館はよく拝見しているサイトです。自分はトラッシュ・マウンテン・ビデオのDVD「人類SOS」とのツインパック買ったんですが、これが出る前に輸入版を購入してレビュー記事を書かれたようで頭が下がります。

2007-12-06

[]パンズ・ラビリンス  21:50

2007年 スペイン 監督:ギレルモ・デル・トロ

f:id:naritaya:20071206214530j:image

2007年のアカデミー賞3部門を受賞するなど前評判の高い作品でしたので劇場で観てきました。主役のオフェリア役の女の子イバナ・バケロちゃんの演技が凄くうまい。わりとスパニッシュ系の顔立ちで美少女とは言えないにしてもかわいいですし。タイトルを邦訳すると「牧神の迷宮」。もうこの頃のタイトルは何でもかんでもカタカナ英語にしてますが何で素直にこういう邦題にしないかなあ、「ブラックブック」とかも。

舞台は第二次世界大戦末期のスペイン。スペインは第二次世界大戦では中立国ですが、国内ではナチス・ドイツの援助を受けているフランコ軍事独裁政権とソ連の支援を受けている人民戦線がまだドンパチしている最中。中国のチャン・イーモウ監督の作品でやはり第二次世界大戦の中国を舞台にした「紅いコーリャン」みたいな印象をちょっと受けました。共通点は牧歌的でのどかな風景に対比される支配者の残虐さ。

あらすじ

第二次世界大戦末期のスペイン、物語の絵本ばかり読んでいて夢見がちな少女オフェリア(イバナ・バケロ)は妊娠中の母カルメン(アリアドナ・ヒル)と山岳地方のフランコ軍の駐屯地に向かっていた。母は再婚相手で駐屯地の指揮官であるビダル大尉(セルジ・ロペス)から駐屯地で彼の子供を出産するために呼ばれたのだ。母は大尉を愛していたが、オフェリアは現実主義者で冷酷非情な大尉になじめずにいた。

フランコ独裁政権に抵抗する人民戦線は駐屯地近くの山にこもってゲリラ戦を展開しており、大尉は躍起になってゲリラ狩りを行っていたが、無関係の農民が犠牲になるばかりだった。母は長旅の疲れで体調を崩し、オフェリアとメイドメルセデス(マリベル・ベルドゥ)が彼女の世話をすることになる。

駐屯地の近くには古代の迷宮の遺跡があり、ある夜、オフェリアはカマキリが変身した妖精に導かれて迷宮に入った。迷宮の中央には太古からパン(=牧神)によって守られている地下に続く階段があり、パンによるとオフェリアはかつて地下の王国から地上に逃げ出した王女の生まれ変わりで、再び王女として地下の王国に戻るには3つの試練をクリアしなければならないという。試練を果たすことを誓ったオフィリアだが、現実の世界ではゲリラとの戦闘が激しくなっていくのだった...。

大尉は普段は冷徹な指揮官ですが、時折見せる残忍さは常軌を逸しており、それはとてもオフェリアのような少女が許容できるものではありません。もちろんそうした残虐な行為がオフェリアの眼前で行われることはないのですが、少女の鋭い感覚は大尉の隠された残虐性を敏感に嗅ぎ取って恐れています。一方の大尉の方も連日の戦闘によって研ぎ澄まされた神経で、オフェリアが自分に敵意と恐怖を抱いていることを察しており、妻に対してはことさらに優しく振る舞いながらオフェリアには冷淡で、二人が会話を交わすことはほとんどありません。しかしどんなに嫌でもオフェリアには母親のいる駐屯地で大尉と暮らすという選択肢しかなく、その鬱屈した感情が3つの試練をクリアして地下王国に帰還するという夢想につながっていきます。そして、最初の試練(未見の方のために内容は伏せます)の結果、大尉が主催する晩餐会のために母親が用意してくれたドレスをドロドロに汚してしまうという結果になり、続く第2の試練の結果でも彼女は現実世界で窮地に陥っていくのです。また、母親の出産という女性であるが故の苦しみもまだ少女であるオフェリアには理解不能で厭わしいものでしかありません。そうした彼女の状況を理解してくれるただ一人の存在がメイドメルセデスなのですが、実は彼女も大尉にある秘密を持っていて、それをオフェリアが知ってしまったことから二人はある種共犯者のような関係になっていきます。

巨大な迷路が出てくるのもそうですが、凶暴性を隠し持った父親と夫に従うしかない母親とセンシティブな子供という関係は「シャイニング」のジャック・バランス一家に似ているように思います。「シャイニング」では母親のウェンディーと息子のダニーが共犯関係を持っていますが、「パンズ・ラビリンス」では実際の母親のカルメンではなく、メルセデスがオフィリアの保護者として共犯関係を持っています。またラストに至る迷宮のシーンが「シャイニング」っぽいのはたぶん確信犯でしょう。他にもパンの存在はオフェリア以外には見えないというところは「シャイニング」のバーテンっぽいですし、第二の試練の怪物は開かずの237号室の幽霊のようにも思えます。

このラストのオチ(?)をハッピーエンドと見るかどうかは評価が分かれるところだと思いますが、大抵のファンタジーが残酷な現実の上に成り立っている、あるいは、とても許容できないほどの悲惨さがファンタジーを生み出す原動力になっているというのがこの映画のテーマだとすれば、このラストこそがこの映画にはふさわしいいのかもしれません。一番最後に再生を象徴するシーンがあって陰惨なまま終わらないところがスペイン映画らしい感じがしました。途中の残虐なシーンは結構キツイのでカップルで観るのはおすすめしません(ホラー映画好きなら許容できるレベルです)が、また、CGの細かい作り込みは一見の価値ありです。口をナイフで裂かれた大尉が自分で鏡を見ながら針と糸で器用に縫うシーンはいったいどうやって合成したのかすごく謎です(鏡を見ながら自分で傷を縫合するとはブラックジャックもビックリという感じでした)。

lensmanialensmania 2008/01/25 22:51 うわ,これをお選びですか!去年6月シカゴに出張した時TVの無料映画予告編チャンネルで見て物凄く見たかったんです.果たして日本でやってくれるか危惧したけど公開されて喜んだのもつかの間,映画館ではあっという間に終わって鑑賞できず.
これは大画面で見たいですねえ.てなわけでハリポタとか指輪物語,フライボーイなどと一緒にいつかプロジェクタ買った時のためのお蔵入り...
が,無限に増えていきます(T-T) いつか,ってずっと来ないような気がする....

lensmanialensmania 2008/07/10 21:26 で,我慢出来ずに見ました.予想を上回る惨たらしさに感動.しかしスペインにあんな巨大なトビナナフシいるの?巨大ダンゴムシやヒキガエルにも動じないオフェリア凄っ.しかし仰るとおり現実編のほうが強烈に生理的恐怖.クローネンバーグ以上...

2007-08-04

[]『アコークロー』  12:12

2007年 日本 監督:岸本司

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ようやく梅雨も明けて暑さも本格的になってきたので怪談話でも。南国の楽園というだけではない日常と非日常が交錯するようなディープな沖縄の地域性を取り入れたオキナワンホラーの傑作。タイトルは沖縄方言(ウチナーグチ)で「明るく暗い」、光と闇の狭間の誰彼(たそがれ)時という意味。

あらすじ

美咲(田丸麻紀)は沖縄に移住した恋人の浩市(忍成修吾)と一緒に住むことを決め、沖縄にやってきた。浩市の友人で漁師の渡嘉敷仁成(尚玄)と小学生の息子の仁太、仁成の漁師仲間・喜屋武秀人(結城貴史)とオバア=おばあさん(吉田妙子)に歓迎された夜、美咲はオバアから沖縄各地に伝わるのキジムナーの伝説を聞かされる。なぜかキジムナーに興味を引かれる美咲は、仁成から紹介された小説家でユタ霊媒師のような巫女)もしているという比屋定影美/ひやじょうかげみ(エリカ)という女性を浩市とたずねた。キジムナーは伝説では赤い髪をした子供のような姿とされているが、亡霊とも妖怪とも妖精とも新種の生物とも言われ、その正体はわからないと影美はいう。

ある日、浩市と美咲の家の前を髪を真っ赤に染めた女性が通る。浩市はその女性は仁成と離婚した元妻の早苗(菜葉菜)だと言う。彼女は二度目の子供を不注意で死なせてしまってから情緒不安定になり異常な行動を起こすようになってしまったのだと言う。彼女は仁成の留守中に勝手に息子の仁太に会いに来ていた。それを知った仁成は激昂し、早苗をひどく殴りつけ今度来たら殺すとまで言い放つ。いつもとは人が変わったような仁成の態度に浩市は、きちんと早苗と話し合うべきだと説得した。次の休日、美咲、浩市、仁成、秀人が集まり、浩市と仁成が早苗の家に行こうとしていたところへ、なぜか早苗が現れるのだが...。

これは岸田監督の劇場初監督作品ということで、これ以前には沖縄のテレビで『オキナワの怖い話』というシリーズを監督していたそうです(未見)。ホラーと怪談の中間といった印象を受けるのはキジムナーの伝承をはじめ、沖縄的な要素をいろいろ盛り込んでいるせいもあるでしょう。

映画の冒頭に本筋とは直接関係なく、影美がユタとしてお祓いをするシーンがあり(彼女のプロフィールはまだそこでは明かされません)、そこで彼女は亡霊に取り憑かれたと訴える巨乳のおねーちゃんに亡霊はあなたが頭の中で作り出した幻影だと説明します。このシーンだけ見ると彼女は亡霊の存在を信じない単なる合理主義者のように見えるのですが、実際はそうでないことが映画の終盤に浩市と美咲の依頼を受けてお祓いをするシーンで明らかになり、冒頭のシーンはそのための伏線だったことがわかります。

影美のユタとしての活動はエクソシスト(悪魔祓い)のように見えますが(平凡な日常生活の中に少しずつ怪異が侵犯していく映画全体に漂う雰囲気にも映画『エクソシスト』に近いものが感じられました)、単純な神(=善)と悪霊(=悪)の対立で悪霊を祓うのではなく、亡霊や超自然な何かに対しても敬意を払い悲劇の原因を解き明かそうとする姿勢はカウンセラーやヒーラーのようなスタンスです。彼女のユタとしての行動原理は普通の人々には感知できない事象を読み解いて魂を救済するという点で、今年公開された『蟲師』の主人公ギンコに近いようにも思えます。

ホラー的な残酷描写という点ではこの作品はわりと控えめなのですが、仁成がハブに噛まれた仁太を車に乗せて病院に向かう途中で車が衝突してクラッシュするシーン(仁成役の尚玄さんがスタントなしCGなしでやってます)や、後半に美咲が外出中に浩市がうたた寝すると亡霊が出現してうなされていて、美咲が浩市を起こすとまた亡霊が出現して夢に戻るというループにハマるシーンなどは斬新で監督のセンスの非凡さを感じさせます。特に車のクラッシュシーンでは合流地点でサイドから車が突っ込んでくるのと、俳優さんが前しか見てない状態とが同時にカメラに写ってるので、一度でも車で事故ったかヒヤリとした経験がある人は凄く怖いはずです(経験者)。

後半に出現する亡霊と冒頭のお祓いのシーンの亡霊とが異なるのは、冒頭では亡霊がただ見えているだけなのに対して、後半の仁成や秀人や浩市が取り憑かれた(と彼らが思っている)亡霊は積極的に相手に干渉してくる(古い言い方だと「祟る」)という点です。このことは亡霊が現実世界に痕跡を残していくという手法で表現されていて、幻影なのかそうでないのかが次第に曖昧になっていくそういう「アコークロー」というタイトルが示すどっちつかずの境界的な恐怖感がこの映画のテーマかと思います。

登場人物たちのほとんどは酷い目に遭うのですが、その中で一人ヒロインの美咲だけが終始前向きで毅然としているのが印象的です。また比屋定影美は出番は少ないものの、ミステリアスな感じとちょっと投げやりな口調とかヘビースモーカーという設定とかのアンニュイな感じ(桃井かおり風?)が混然としたキャラで登場人物の中でも特に異彩を放っています。後半から終盤はほとんどこの二人の女性(亡霊も入れると三人)がメインにストーリーが進みます。沖縄の女性は強いということなのでそういう展開なのか、私も含め本土の人間は少し違和感を感じるかも知れません。ここで描かれるのは一般的なホラー映画に見られる「対決」ではなく、コミュニケーションによる対話と癒しです。影美が亡霊と対峙するシーンと、美咲と仁太に会いに行くシーンは心に染みるシーンでした。最近は全然救いのない残酷描写だけがウリみたいなホラーが多い中で、ちゃんと怖くて感動できる良質な作品ですので是非多くの人に観て欲しいと思います。余談ですが、三線(さんしん=沖縄の三味線)ファンとしては、劇中で照喜名朝一さんの三線演奏が聴けたのもポイント高かったです。

2007-07-31

[]『コンタクト』  16:03

1997年 アメリカ 監督:ロバート・ゼメキス

コンタクト 特別版 [DVD]

コンタクト 特別版 [DVD]

ハリウッドSF山田洋次ことSF人情喜劇の名手ロバート・ゼメキスとNASAの宣伝マン、カール・セーガンのドリームタッグ。未知との遭遇は夢か現実(うつつ)か幻か。SFに興味がない人が見たら自己中で世間知らずの宇宙ヲタの女性研究者と権力欲ギトギトのパワハラおやじとのバトルにしか見えんかも(苦笑。でも、さすがに御大セーガンの小説が原作だけあってSF考証が緻密だし、それを『フォレストガンプ 一期一会』の監督がリアルに映像化した圧倒的なヴィジュアルでオープニングから押しまくられの150分です。是非大画面でご堪能あれ。

あらすじ

電波天文学者(アブナイ脳内電波を発している天文学者ではなく宇宙から飛来する電波を研究する天文学者です。念のため)エリー・アロウェイ博士(ジョディ・フォスター)は南米の電波天文台基地で地球外の知的生命探査を続けていたが、上司のドラムリン博士(トム・スケリット)に邪魔されてばかり。ブーたれていた彼女に謎のイケメン、パーマー・ジョス(マシュー・マコノヒー)が急接近。勢いでベッドインした二人だが、彼は何と神父様で宗教と科学は融合可能だと言う。基地での調査もドラムリンに予算をカットされて頓挫してしまう。

ニューメキシコの電波基地で独自に調査を始めるためスポンサーを捜していた彼女は謎の大富豪ハデン(ジョン・ハート)から研究資金を引き出すことに成功。しかしドラムリンをはじめとした研究者たちからの圧力で電波基地を追い出されることに。立ち退きが3ヶ月後に迫ったある日、突然ヴェガ星の方角から規則的な電波を受信。発見の報告に国家安全顧問官マイケル・キッズジェームス・ウッズ)と科学顧問官になったドラムリンが乗り込んで来て調査の主導権を握ろうと画策する。一方、電波暗号が含まれていることを発見したエリーのチームだったが暗号の解読が進まない中、エリーは研究施設のネットワークにハッキングしたハデンから呼び出されるのだが...。


監督をはじめとした制作スタッフの多くが1994年の『フォレストガンプ 一期一会』とカブっているので、SF映画なのに作品全体として「ガンプ」に近い印象を受けます。アクションシーンもないし。『スターウォーズ』以降のSF映画は良くも悪くもアクションがメインになっちゃいますが、それ以前には『2001年宇宙の旅』や『惑星ソラリス』といった科学的な考証に比重を置いた哲学的な内容のアクションなしのSF映画も結構あったんです。もっとも、キューブリックタルコフスキーは他のSFでない作品も結構独特ですが。最近のハリウッドのSF映画でアクションシーンが皆無というのはもうないので、その意味ではこの作品が最後の純SF映画なのかもしれません。

ゼメキス監督は1995年の第67回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞(トム・ハンクス)、脚色賞、編集賞、視覚効果賞の主要6部門を総ナメにした「ガンプ」で見せた「架空の出来事を完璧なまでにリアルに作る」という姿勢を『コンタクト』でも踏襲しています。「ガンプ」では主人公ガンプ青年がベトナム戦争当時の大統領(ケネディとかニクソン)と会見するという合成ニュース映像が使われましたが、『コンタクト』では製作当時のクリントン大統領の会見映像を加工して使用しています。また状況を説明するのにCNNのニュース映像も使われていて、登場するキャスターは実際のCNNニュースキャスターだそうです。ハリウッド映画しか見ていないと、やっぱりハリウッド映画って凄いなと感心してしまうかもしれませんが、実はリアリティを出す演出として映画の中にニュース映像を入れるという手法はかつて日本の特撮映画でよく使われていたものなのです。『ゴジラ』(1954年)の中の「さようなら、みなさん、さようなら」の名台詞で有名なラジオ中継シーンとか。ちなみにこのアナウンサーを演じたのは役者さんではなく現役のTBSアナウンサー池谷三郎氏(惜しくも2002年亡くなられました)で、他にも『空の大怪獣ラドン』『宇宙大戦争』『モスラ』『世界大戦争』『妖星ゴラス』『怪獣大戦争』『怪獣総進撃』など1960年代の東宝の特撮映画でアナウンサー役で出演されているとのこと(出典はこちら 。それから記録映像に登場人物を合成するというのもウディ・アレンが監督、主演した『カメレオンマン』(1984年)がすでにやってます。こっちはわざわざ架空の人物のドキュメンタリー映画という凝った体裁にしていますけど。この映画も結構キテレツなので別の機会に詳しく紹介しましょう。

さて「特別版」のDVDには、特典でCGのメイキングも収録されているのですが、オープニングの地球から太陽系、銀河系、外宇宙への見事な移動シーンは6ヶ月もの期間をかけて作られたそうです。このブログではわりと最近の映画を貶すことが多いのですが、とにかくCGの使い方が安易すぎるのです。特にダメダメなのがジェリー・ブラッカイマーが製作にからんだ作品とマイケル・ベイ監督の作品(声を大にして)。だから科学的考証の片鱗もない『アルマゲドン』なんかは虚仮脅しだけで意味のないCGを濫用していて最悪です。たぶん最新作の『トランスフォーマー』でも同じようなことをしてるんでしょうね。

この映画はカテゴリーとしては「SF映画」ではあるのですが、主人公であるエリーが仕事で上司と対立したり挫折したり、突然恋に落ちたり、恋人とすれ違ったり、最後に愛を確認したりと人間的に成長して行く姿を描いたドラマ作品だとも言えます。SFが苦手という人はそういうドラマ作品として楽しんでもいいかと思いますよ。ジョディ・フォスターはもちろん巧いんですが、変人の大富豪ハデンがソ連のミールからわざわざエリーにオンラインで通信してきてドアップで「乗ってみるかい?」と誘うシーンとか、パイロットに選ばれたドラムリンが会いにきたエリーに言い訳半分で人生訓を垂れるシーンとか、調査委員になったマイケルが公聴会で「オッカムのカミソリ」を引用してエリーを問い詰めるシーンとか脇役のおっさん連中のキャラの立ち具合が絶妙で、純粋で情熱家だけど協調性にかけているキャラであるエリーとの対比でストーリーを盛り上げてくれてます。コメディ映画ではないですが、アリゾナの電波基地に集まった野次馬連中のお祭り騒ぎの様子なんかは思わずニヤリとさせられます(カスタムカーのオーナーの集まりが出てきますが、これはファセル・ヴェガという車で、電波がヴェガ星から来たということで、単なる語呂合わせで集まったというこの監督らしいユーモア)。

ちなみにこの映画で一躍有名になったSETI(セティ)プロジェクト(=Search for Extra-Terrestrial Intelligence)ですが、現在は映画の冒頭に登場するプエルトリコのアレシボ天文台によって収集された電波を解析し、人為的に発信されたと思われる信号を検出するために、BOINCという分散コンピューティングのためのソフトウェアを配布してこれをプラットフォームとしたSETI@home(セティアットホーム)プロジェクトを行っています。興味がある方はこちら 

究極映像研究所さんのレビュー

「細部に神が宿る」とは言い得て妙。画面ではほとんどわかりませんがエリーを乗せたハリアー戦闘機が管制船に着陸するシーンでは着陸甲板にちゃんと誘導員がいるのです。このこだわりがすばらしい!

2007-06-20

[]『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』  22:49

1975年 イギリス 監督:テリー・ギリアム、テリー・ジョーンズ

以前にテリー・ギリアム監督の『未来世紀ブラジル』を紹介しましたが、この人はモンティパイソンの時代にも映画を撮っていました。ジャンル的にはパロディ時代劇かな。元ネタはイギリス人なら誰でも知ってるアーサー王の聖杯伝説、のはずだけど、元のストーリーに関係ない人物がいっぱい出てくるわ、舞台が現代に飛ぶわ、とにかく低予算なんで苦労して撮ってますっていう自主制作映画っぽい雰囲気に満ち溢れてます。モンティパイソンのギャグは好き嫌いが分かれると思いますが、だまされたと思って是非!

あらすじ

で、いつもはあらすじを紹介するんだけど今回はなしです。アーサー王と円卓の騎士に扮したメンバーそれぞれが、聖杯探しの途中で遭遇する冒険談をスケッチ(いわゆるショートコントをモンティパイソンではこう呼ぶ)にしているというだけ。それぞれのスケッチの内容を文章で紹介しても面白さが伝わらないので変な映画やバカ映画が好きな人はとにかく見てみましょうと言うしかないですね(単に文章力がないだけとも)。

モンティパイソンのメンバー全員が出演する映画は3作あって、これはその1作目。2作目はキリストをネタにした『ライフ・オブ・ブライアン』、3作目は人間の一生の意味を探求するという『人生狂騒曲(原題:Meaning of Life=人生の意味)』。2作目と3作目は予算も増えてかなり豪華なセットのシーンが多いです。特に3作目では老若男女の登場人物全員が「全てのスペル○は神聖なり〜」と精子の歌を歌いながら踊り出す(!)というミュージカル「オリバー」風のシーンがあって結構有名(このシーンを見るとなぜか大林宣彦監督の『ねらわれた学園』がフラッシュバックします)。他のサイトでも良く紹介されてますね。というわけで、ヒネクレ者の自分としては、あまりに低予算でセットが組めないためスコットランドに残っていた古城を借りてロケしたり、ロンドン郊外のただの野っ原か公園にしか見えないところで撮影してたり、馬をレンタルする予算がないので、騎士なのに徒歩で移動したり(従者によるカッポカッポいうひずめの効果音入り)という本作に、「仮面ライダー」や「人造人間キカイダー」の頃の東映のショボイ特撮作品に通じるサムシングを感じたのであえて1作目を紹介します。

そういえば、この映画には、なぜか三つ頭の騎士って怪人(?)が出て来るんだけど、これなんて『イナズマン』のイツツバンバラみたいです(三つ頭騎士は実際に3人が1つの着ぐるみに入ってるから一人でやってるイツツバンバラと少し違いますが。あー、イツツバンバラってのは顔が縦に5つ並んで付いてる怪人です。)。この騎士の腕や足がスパスパ切り落とされて血がピューピュー(本当にピューピューという感じで)出るギミックとか、凶暴な殺人ウサギに襲われて血塗れになるシーンなんかも、役者さんがマジで演技してるだけにバカっぽさ倍増で素敵ですね。

最初に書いたようにストーリーはあってないようなモンですが、ある城に聖杯が保管されているという情報が入り、アーサー王一行が聖杯の引き渡しを求めると、城にいるフランス人の城兵から徹底的に馬鹿にされます(城兵がしゃべるのはフランス語なまりの英語)。そこで城に攻め込もうとすると突然邪魔が入って終わり。本当に終わり。たぶん初めてこの映画を見た人は間違いなく「何じゃこりゃあ、ふざけんな!」と突っ込むこと必至のラスト。いや、いっそ潔いですけどね、ここまでやってくれると。逆に言えば、いわゆるエンターテインメントとしての劇映画の約束事に囚われていない希有な作品だと言えるかもしれません。

「シネマギロテスク」さん(?)の映画評もなかなか的確ですね。つーか、やっぱ誰が見ても自主制作映画っぽいんだな、コレ。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/guillo/cnmgltsq/holygrail.htm