narkoの日記

2004-05-09 それでも「すき」は残るのだろうか?

[] オタクはなぜキモいのか?

もしくはオタク=キモい

という意見は何故流通するのか?

この文章を書こうと思ったのはFSのid:fs_gohhoさんへのコメントで、この文章はそれを発展させたものです。

まず先にその内容を転載

『世界の中心〜は別に読まないでもいいと思うけど(笑)あれが好きな人って別にああいう恋愛したいと思ってないと思うんですよ。あくまで虚構として楽しんで泣いてる。ただKANONとかからオタク的絵柄の美意識をとっぱらったら世界の中心〜とかDEEPLOVEと対して変わらんと思うんですけどね。怒られるかなそんなこと書くと(笑)単純にパッケージが違うだけで。▼だからオタクキモいみたいな意見がある時って多分二つだと思うんですよ。一つはオタクがもつ美意識への反発で特にギャルゲーの絵柄に対する反発で、イノセンスとかキルビル方面のオタクに対しては一般の人も抵抗ないと思うし。▼もう一つは一般の人が無意識にもつ恋愛至上主義を冒涜してる、つまりこっちは恋愛というフィールドに参加するために必死こいてファッションやら何やらに気を使って投資して社交性身につけようとしてるのにオタクは虚構で恋愛への欲望を処理してる許せん!みたいな。と同時にゲームで恋愛の欲望が処理できるなら私たちの努力って何?っていう恐怖ですよね。多分これは別のフィールドでも起きてたんですけど、それがいよいよ「恋愛」という聖域にまで及んでるのかなぁと思います。▼ただ恋愛至上主義みたいのに乗れない人も男女かまわずいて、そういう人が勘違いして(笑)オタクに何らかの希望を見出してしまうこともあってそれが「蹴りたい背中」のハツとにな川みたいな関係だと思うんですけど。▼そういう無意識恋愛をめぐる価値観の情報戦がオタクとギャルゲーいう文脈を通した時に私には透けて見えます。でもギャルゲーってあの絵柄じゃなくて例えば安野モヨコとかの絵柄で本気で作ればそうとう一般化すると思うんですけどね。そしたらまた別の局面があるのかも◆ちょっとこの辺は自分のトコで展開するかもしれません。今キャシャーンの文句とどっち書くか迷ってるんですけど(笑)』

先日(4月23日放送)、真剣10代しゃべり場で「オタクの何がいけないの」の回が放送されてはてな内でも話題になってた。

参考リンク

http://www.susono.com/~tomoti/t_chiba.htm

私は見逃したんだけど見なくてもだいたい予想がつくからいいかなぁと思ってたけどFSのid:fs_gohho さんの日記でその提言者の男の子の何と彼女がいて、彼女がいても、ギャルゲーの方がいいと彼が思ってる*1と書いてあってショック!

しゃべり場では以前にも「オタクで悪いか?」みたいな回はあって

参考リンク

http://www.susono.com/~tomoti/t_nagamine.htm

その時の彼には彼女はいなかったし彼自身がイジメにあったとかのトラウマ話に落ち着いたので見てる側も逃避もしくは緊急避難でいづれ醒めて終わるんだろうなぁという感じで終わっ*2て、この彼女がいてもギャルゲーがいいっていうオタクの子が出てきてって話は後にするとして、おたく=キモいが流通する理由について考えてみたいと思う。

まず注目すべきはしゃべり場に登場したオタクの代表の男の子が二人ともギャルゲーおたくだということだ。

個人的に思うんだけど実は世間は昔ほどオタクバッシングはひどくなく、むしろ一部ではリスペクトすらされている。

例えばロードオブザリングマトリックスキルビルあるいはイノセンスキャシャーン

公開を控えてるキューティーハニービッグフィッシュは十年前ならオタクの間でリスペクトされていたオタク映画を作ってた人たちで見る人もほとんどオタクだったと思うんだけど、今これらの映画は(一部勘違いの人もいるだろうけど)一般の人にも見られてるだろうしデートムービーとしても機能する(ただし見に行った後どうなるかは別だけど)

ただこれらの映画がオサレなデートムービーとして見られること薄く消費されることに対する反発がオタク層(例えば映画秘宝)から上がっててスタジオボイスで書かれた大塚ギチさんのイノセンスの宣伝に対する違和感の表明もその流れだと思う。

自分の愛好するものを一般の人にもその良さがわかってほしい、いっしょに共有したいと思ってて、今のオタク映画三昧の状況はそれが実現したかに見えるけど何かが違う?それは何だ?

一般層に受け入れられたけどそれはうわべだけでオタク的美意識、オタクオタクコンプレックスは捨てられてるんじゃないか?そして一般層の方もオタク表現によるオシャレ圏への文化的侵略(笑)を無条件に受け入れてきたけど、こっから先はマズイちょっとまてよ!っていう摩擦がギャルゲー

を巡る状況に現れてるんじゃないか?と思う。

・ではギャルゲーおたくは何故キモいと思われるのか?

多分一般の人がギャルゲー*3なるものと触れた時に感じるキモい理由は二つで

一つは恋愛をゲーム内でしてることと、もう一つはあの絵柄だ。

あの絵柄と言った時に「あの絵柄」をすぐ思い浮かべられる人には説明不要だと思うけど、簡単に言うと新現実3号の表紙だったりKANONとかAIRのキャラクターデザインの人の絵やでじこの絵で萌え〜とかつい言っちゃうタイプの絵。はっきり言っておくとあの絵がキモい*4

例えば押井守さんはパトレイバー2を作る際にどっちかというと萌え寄りのキャラクターデザインを捨てて今のIGタツノコ系のリアルタッチに転向して、それ以降の攻殻機動隊から商業的にはともかく海外的、社会的評価を獲得した。エヴァンゲリオンのテレビシリーズも作画が後半くらいから萌えより骨格がしっかりして目もそんなに大きくないシンプルな絵に落ち着いた。

逆に似たようなテーマと質を獲得していた(と私は思う)機動戦艦ナデシコ少女革命ウテナ(これはまた別か)やアキハバラ電脳組が結局一般層に届かなかったのはそれが理由だと思う*5

具体的に「あの絵柄」とは目が異常にでかく顎が尖ってて口が小さくて髪型と色がヘンな絵ということなんだけど。

じゃあそれは昔の少女漫画、例えば大島弓子さんや陸奥A子とどう違うの?って問われたらそれらの少女漫画キャラクターって紙細工みたいで肉体性が希薄なんですよね。それがギャルゲーだと男性視点が入るからなのか?身体性がある。少女漫画の絵柄をリアルにした気持ち悪さ。そういう本来紙細工だったものに性欲を感じていることへの気持ち悪さ。

それを「あの絵柄」に触れると感じてしまう。

例えばこれがプレイボーイ*6のグラビアみたいな絵柄だったら

そこまでキモい!ってイメージはなかったと思う。

もしくは実写とか。

でもオタクに受けるにはあの絵柄じゃないといけないんですよね多分。

例えば私は安野モヨコさんとか岡崎京子さんの絵柄とかでキューティーコミック世界観でギャルゲーを作ったらそれなりに流通すると私は思う。

例えばギャルゲーおたくの方がよく使う反論で「自分はゲームのキャラ萌えてるんじゃなくてシステムがいいから評価してるんだ」みたいな意見をよくネットで見るんだけど、多分*7そうなんだと思う。

でもそういう例えばハッピーマニアをギャルゲー化したようなものが出てきた時にオタクの人は反発か無視するんだろうなぁと思う。

そしてより深いトコに潜ってくんだろうなぁというのが予測される流れかなぁと思う。

恋愛ゲームはタブーに触れた?

もう一つ恋愛をゲーム化してゲーム内で恋愛への欲求を満たしてしまえることに対する無意識の反発が一般層からのギャルゲーオタクへの反発なんだと思う。確か村上龍さんの本で「誰にでもできる恋愛」ってタイトルがあったと思うけど、今の時代普通に生きてると恋愛というものは万人に開かれたものでみんな恋愛=幸せという価値観を無意識に受け入れてしまっている。もっというとモテる=偉いみたいな

私は恋愛資本主義と密かに呼んでるんだけど、恋愛資本主義は密接に絡んでて、ファッション誌や東京ウォーカーなんか見てると毎回お勧めデートスポットの特集はあるし、彼の心をゲットするファッションとかアイテムとかの特集もあるしトレンディドラマやJ・POPなんかも恋愛は素晴らしい!って価値観を推進する恋愛至上主義のプロパガンダみたいなもんだ。

多分オタクとそうでない人の分離は中高生の時にその恋愛という舞台に乗るか乗らないかで大方決まると思うんだけど、昔、私の頃くらいまでは「乗れる、乗れない」の差である種オタク恋愛資本主義社会からの脱落者だった。

それが今回のしゃべり場で彼女よりギャルゲーっていう人が出てて、「おぉ新世紀」と思ったんですけど。

ただ彼女とは電話と文通のみとあったので、そうなってくると現実の彼女より毎日モニターに向かい会ってるゲームの少女の方が、その人にとっては身近ってことはあるのかなぁと思う。

もしかしたらこの人(もしくはしゃべり場世代の人)にとってはどっちが優位というのはなくて、たまたま現実の女の子よりもギャルゲーのヒロインが魅力的で、もっと魅力的なかわいい女の子が目の前に現れたらそっちに行くよ。今はたまたまこっちの方が魅力的で。って考えなのかもしれない。

どちらにせよ、この人の中では同じ恋愛対象としてゲームのキャラと現実の女の子が並んでるのではないだろうか?

そして現実の彼女はゲームのキャラに負けている(泣笑)

余談だけど、このオタクの彼は彼女がこの番組を見るという想像力がないのだろうか?それとも見ても平気なのだろうか?

しゃべり場を見てて時々不思議なのはそういうトコでこの彼の無頓着さには少し腹が立つ。正直さ=やさしさでは少なくともないなぁと思う。

でも実はこういう思考は男女かまわず当たり前にあるのかなぁ。

本当の理想はあややだけど、側にあややはいないから、とりあえず付きまとってくるこの女と付き合うか、セックスもできるしみたいな。

女の子もとりあえず「彼氏がいない状況よりマシ、だって恋愛という舞台に立てるし」みたいな

乱暴に言ってしまうとテレビや映画が当たり前のメディア社会になってしまうと近くの普通の子と遠くの美少女という構図があたり前になってしまい、しかもその遠くの美少女情報は常に供給される。

どこか遠くから配給される映像の美少女とのドラマこそ理想で今の私はとりあえず

みたいな

町山智浩さんはそういう社会、現実をシュミレーション社会と表現している。

シミュレーション社会というのは、オイラ流に説明すると…。

本当のSEXはAVの中にしかない。

すべての人間は現実のセックスのとき、いかにAVに近づけるか努力する。

AVのようにできないと、そのセックスは不完全だと感じる。

理想の女性(男性)はアニメ漫画、CG、人形にしかいない。

すべての現実の女性は代替物である。

だからいつも不完全さを感じる。

完全な恋愛小説やドラマや映画のなかにしかない。

現実の恋愛でもそれをなぞってそれに近づこうとする。

でも、それは決して完璧に再現できない。

常に恋愛は不完全だ。

本当の人生は映画アニメやドラマや小説の中にしかない。

ドラマチックでエキサイティングで感動的な人生は。

現実はそれに近づこうとしても…。



現実を写した模倣であったはずの、小説やドラマや漫画映画アニメやAVの中の

異性や恋愛セックスや、いや、人生は、

いつのまにか現実よりも優位に立ち、現実は常にそれに勝てない。

シミュレーションが現実を圧倒し、

これはもう逆転しそうにない。



普通の、というか、ピノキオやアトム時代の感覚では人形永遠に人間になれない、

人間のマネゴトだったが、

シミュレーション社会と押井監督の感覚では、人形は人間の模倣ではなく、人間の理想像であり、人間はどんなに頑張っても人形みたいに完璧にはなれない。



イノセンス」の中に再三登場する「人形」「鏡」に関する問答はそういう逆転した絶望を感じさせる。



バトーがそれほど絶望して、トグサのように家庭や子孫を残すことによるアイデンテ

ィティにも依拠できないのは、少佐という理想の異性がネットを通じて世界に遍在す

る、意思だけの存在になってしまっているからだ。

あ、さっき「イノセンス」には人格を持った女性は鑑識医しか出てないと書いたけど

草薙もそうだな。ていうか人格だけの存在か。

でも、草薙はすでにバトーにとって異性や他者ではなく、

「神」であり、彼を取り巻く世界の母性であって、

生きる意志のないバトーの唯一の支えになっている。



最初に原作で少佐がネットの海に消える場面を読んだ時、筒井康隆の「エディプスの恋人」を思い出した。

「エディプスの恋人」は「神」についての物語で、「神」は交代制で、何千年だかに一回、誰か人間が一人選ばれて「神」になる。神というのはこの世界に遍在する意思として描かれている。そして筒井は、70年代終わりに「神」は女性に交代した、と書いた。 だから世界は80年代から母性的になり、男は幼稚になるだろう。

「エディプスの恋人」はキャンディーズのコンサートに熱狂する少年たちの姿で幕を閉じるが、

あれは80年代以降の社会のオタク化を見事に予言していた。

本当の異性は決して触れることのできない象徴的存在であり、代わりに偶像への空しい愛を注ぎ続けるしかない。

その一方でネットという母性的環境に常に包まれてぬくぬくと現実と直面せずに生きるのだ。          http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040402


ただこの場合は現実の側がなんとかシュミレーションの側に近づこう、あるいはシュミレーションの外にでようと意思がある。

例えば上の文は町山さんのイノセンス感想からなのだけど、このシュミレーション社会にもっとも自覚的でなんとか格闘しようとしてた作家こそ押井守さんだった*8

実際トレンディドラマだったり少女漫画ってのはそうやってバブル期の女姓を煽ったし、たいていの女性はその煽りにのって社会に出ていき恋愛をしたんだしどっかでそれでも現実の優位性は肯定するにも批判するにも前提だったんだと思う。

多分ギャルゲーが出た時の反応って二つだったと思う。

一つは「あぁオタク恋愛に関心をもつようになったのか〜」という少女漫画の男の子版という解釈。例えば新現実2号でのササキバラ・ゴウさんの論考なんかそういう流れだ。

もう一つは「あれは実際に恋愛できない奴らがゲームの恋愛に逃避してるんだ」という意見。

どっちも現実の恋愛=異性に優位を持つ考えだった。

それが今回のしゃべり場の意見はつまりギャルゲーの方が上という意見、つまり現実よりゲームの方が面白いし萌えるという意見だ。

今はこの男の子だけの意見だからアレだけど、これをもしキムタクとかガクトとかのイケメンタレントが言ったら世の中パニックになると思うな。

特に女性誌関係は、「いろいろ女と付き合ったけど、やっぱギャルゲーが一番だね」とか言われたら、どうします女性諸君(笑)

いや結構ありえんじゃないかなぁって思うんだけど。

まぁ今はまだそこまで行ってないけど、例えばコレが高性能メイドボットとかなら。

多分考えられる展開としてはananとかが[ギャルゲーヒロインに学ぶいい男ゲット術]とかのつまりギャルゲーの模倣ですね。

まぁそれはあと半世紀は先かなぁと思うけど、これが第一歩では?と私の妄想は少し広がりました。

さて、ここでもう一つ考えないといけないのは一般の人はどうして恋愛をしたいのか?もしくは恋愛に絶対の価値を置いたのか。

しゃべり場ではオタク=キモいという意見がすぐに出たけど

何故私たちはオタクをキモいと思うのか?という考察は出なかった。

普通そんなことは考えない、私もこういう文章を書かなかったら考えなかったと思う。つまりそれくらい恋愛至上主義は今だに強いのだと思う。

私が思うに恋愛というのは広い意味での社会参加のためのチケットなんだと思う。

街を歩いたりアミューズメント施設へ行くとカップルが入ることを前提に作られたものがこんなに多いのかと時々思う。

気にしない人は気にしないんだろうけど恋愛映画を一人で見てる時にとなりがカップルだったりする時の屈辱感たるやたまらんもんがある(泣)

庵野監督デートで見れない映画は儲からないという感じのことを言ってて、今回のキューティハニーはまさにデートムービーとして機能するように作られている。

キルビルの宣伝があぁだったのもカップルを取り込むための戦略だ*9

これが広がると結婚とか家族という枠になる。

実はギャルゲーにも恋愛至上主義は流れてる。いやオタク表現が恋愛至上主義に毒された結果がギャルゲーだったというのが大方の意見かもしれない。

ただギャルゲーの場合はゲームの中で恋愛感情もしくは恋愛への欲求を果たそうという発想から出ている。現実の女が相手してくれないなら俺達の理想の恋愛、理想の舞台を作ろうという発想だ。

いうなれば恋愛至上主義を貫いた結果、自分の恋愛への欲求、理想の恋愛は現実の女とはできない、だったらバーチャルな世界で満たそうという発想だ。

現実の女子は自分の存在が無視されたことと恋愛への欲求をゲームの中で解消するその態度*10に腹を立てて、それがオタク=キモい、「神聖な恋愛を冒涜するな」となるのだと思う。

そう考えるとオタクキモいという時に真っ先にダサいとか不潔という見た目=ファッションの意見が出るのはもっとわかりやすい。

何故人はおしゃれをするのか?何故清潔にするのか?

モテるためである。電気グルーヴ風に言うと「モテたくて」だ。

いや私は違う私は自分が輝きたいから魅力的になりたいからファッションセンスを磨くのだという眠たい意見もあるかもしれないけど、実はそういう人こそファッションオタクでつまり動機の目的化で、世間的には「モテたくて」オシャレなのだ。

オタク無意識にその恋愛至上主義という舞台から降りた。

つまり「私たちが恋愛という舞台に上がるためファッションやメイクに気を使ってダイエットして勉強してるしそのためにお金と時間を費やしてるのに、あんたたち何ラクしてんのよ!」ってことで、つまりギャルゲーを巡るオタクキモい論争は恋愛という価値観を巡る宗教戦争なのだ・・・・・と思う*11


そして一方でオタクのそういう行為は一般の人の恋愛至上主義を揺さぶり不安にさせる。

ゲームで恋愛欲求が解消できるなら私たちの努力って何?って感じで。

もしそこで得られる快楽が現実と=なら、もしそれ以上なら。

実は現実で恋愛をちゃんとしてる彼彼女らも常にシュミレーション社会で不全感を感じてるのは上の町山さんの引用でも明らかだ。

そこであるのはシュミレーションに近づくためのたゆまぬ努力

それに実は男女問わず疲れてるような気も少しする。

一方でギャルゲー以外の分野からもギャルゲーのパッケージを外したギャルゲー的な恋愛モノ例えば「世界の中心で愛を叫ぶ」とか「deeplove」とか出てきた。

簡単に言うと難病モノだけど、ああいうモノを見て「私もあんな恋愛をしたい」とはあんまり思わないと思う。ドラマッチックな恋愛への欲求はフィクションで処理して

自分はまったりとした恋愛、もしくは別にしなくてもいい。みたいな。

よくも悪くもフィクション=虚構が強まることで現実の恋愛至上主義が弱まってきているのが現実かなぁと思う。

乱暴な結論だろうか。

最後に引用

★"僕達の青春"はどこに行ってしまったのだろうか?とゆうのは
高橋源一郎さんの〈ジョン・レノン対火星人〉の表3のオビのことばですが、
ワタシモソウオモウ。

★今やわたし達のつたない青春はすっかりTVのブラウン管や雑誌の
グラビアに吸収され、つまらない再放送をくりかえしています。

★そしてわたし達の出来ることときたらその再放送の再現かまねっこ程度です。

★とうぜんしらけます。

★でも”すき”のきもちはしつこくしぶとくあります。

★パンドラの箱の残りもののように。

★のこりものには福がある。

岡崎京子「ジオラマボーイパノラマガール」あとがきより


困った時の岡崎京子(笑)

つまり恋愛至上主義が耐用年数が尽きて、あらゆる欲望がバーチャルなもので満たせるようになった時私たちはどうなるのだろう?ということだ。

岡崎さんはそれでも「すき」という気持ちは残るという。

この「すき」は多分今流通してる恋愛とは少し違うと思う。

いや恋愛=「すき」の幸福な人もいるしそれがやがて結婚→家族という流れに向かう人もいると思う。

でもみんながそこに無事たどり着けるかと言うと、今の世の中だとそうとう難しい気がする。

ジオラマボーイパノラマガールでもそうだし愛の生活でもリバーズエッジでもそうなんだけど、岡崎さんの作品には恋愛をしてても何かその行為をなぞってるだけでピンとこなくて、破綻してやがてもっとゆるやかな擬似家族としか形容できないようなものを形成する作品が結構ある。あるいは人間より子猫とかの方がすきだと言ってみたりする。

岡崎さんならそれを

「愛」というのだろうか?

私はどうも愛という言葉は苦手でいつも別の形容がないかと思ってしまう。

多分簡単には恋愛至上主義も結婚制度も壊れないで現状維持のままぐずぐずと続いて行くと思う、もしかしたら私が生きている間にはそんなに大きな変化はおきないのかもしれないけど、そういう枠に乗れないなぁ外れてるなぁと思った時、大事になるのはその最後に残る「すき」なんだろうなぁとは思う。

残念ながらまだそれは見つかんないしわかんないけど。

*1:7対3でゲームらしい

*2:たしかゲストのオーケンもそういうことを言っていた

*3:18禁エロゲーや泣きゲーも含む

*4:と世間は思ってる。私がじゃないよ

*5:多分貞本義行さんがオタク系の絵柄ではギリギリなんではないかと思う。後藤圭ニさんだとちょっと辛くてでじこだとOUTかなぁ

*6:海外の

*7:日常を描くという意味

*8:エディプスの恋人のくだりなんかビューティフルドリーマーみたいだ。紅い眼鏡でもそうだけど押井さんは全治全能の監視者たる神の位置に少女を配置する。天使の卵も卵という少女の夢に閉じ込められた男の子が脱出しようとして卵を破壊する話に私は思える

*9:ちなみにここでカップルという言い方をしてるけど実際には女性でも見れるという言い方をされる。男性はついていくって形で本当に見たいのは一人で見るだろうし、つまり恋愛至上主義ってのは女性をマーケットに取り込むための罠(笑)なのだ

*10:これはギャルゲーが性欲解消のために生まれたエロゲーから派生したことも連動する。つまり性欲を満たすように恋愛欲求もオタクは満たしてるのだ、これはある種、恋愛も性欲も似たいようなものだと言われてるようにすら感じてしまう

*11:反論プリーズ

headofgarciaheadofgarcia 2004/05/11 13:29 「恋愛資本主義」の疲弊の一つは、やっぱりバブル崩壊以降の経済状況の悪化があると思います。女性ファッション誌のナナメ読みだけで申し訳ないんですけど、あそこに載ってるような情報って、到底若い人にゃ無理だと思うんですよ。男の子が恋愛に絶望する(=ギャルゲーに流れるってことではないですが)のって、そういう部分が露骨に見えてきちゃうからじゃないかなぁ。

headofgarciaheadofgarcia 2004/05/11 13:37 で、ギャルゲーやってる=オタクっていう図式も、徐々に当てはまらなくなってくるように思うんですね。例えば、10年ぐらい前までは、いい大人が「昨日ファミコンで徹夜しちゃってさぁ」なんて言ったらコドモ扱いされたけど、今は社会人がプレステに夢中になっててもまったく許容範囲だったりする。それを考えると、オタクじゃない男が「ギャルゲーの方がいいよ」っていう事態は十分にあり得ます。何かそうすると我々クソオタの階層がさらに下位へ押し下げられてゆるやかに悪夢ですが。

headofgarciaheadofgarcia 2004/05/11 13:45 何か、10代ぐらいまでは「恋愛=カネの絡まない、何か純粋なもの」みたいな信仰が自分の中にありましたけど、トシをとるごとに容赦ない経済の搾取システムが目に見えてきて激しく鬱ですよ。あと「世界の〜」みたいな悲恋難病ものは、周期的に流行るジャンル何じゃないかって感じはしますが。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/05/11 16:23 こんにちは。ファッションの話でいうと、ディープなお洒落っ子っていうのは「もてたくて」お洒落してる感じじゃないよね。男の古着マニアなんかには特に顕著だし、女子の場合そこまでモノマニアックじゃないけれど、かわいく、カッコヨクいるのが楽しいからお洒落するって子も多いよ。唯幻論とか、人間って厳密な意味で「性欲」って本能が無い、あるいは壊れてるってことは前々から言われていて、僕はそこを強調するような言い方っていうのがあまり好きじゃないんだけど、例えば性欲じゃなくても、目の前の友達よりメディア上の作家やミュージシャンをより親しく感じることって普通にあるし、人間関係よりも映画や本との付き合いの方が濃いって感じもよくわかる。ただ、やっぱり自分の場合は、直に人に触れたいって気持ちは、一方でどうしようもなくあるんだけど、ディティールや情報の整理、採集がひたすらループになってくうちに、内面がフリーズドライされちゃったような人もよく見かける。で、はっきり言ってそうした人に、今更「もっと人の気持ちに目を向けてくれ」っていうのは無茶な話だし、人を求めて得られない、寂しさや神経質なプライドに苦しんでいる人が彼等を羨んでも、しかたがないと思う。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/05/11 16:24 で、「語るオタク」っていうのは、内面ひからびさせてまでそこまでいくことはできないし、かといってアイデンティティを恋愛で補完しようとするような「ベタで寂しい」ヤツは嫌だって軽蔑しがち。飢えが無く自己完結できていて、しかも快楽に対してフラットでいられるって人間像に憧れちゃうけれど、現に寂しいことをどうにもできなくて、儚さ、切なさ、厭世に篭ってしまいがちだよね。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/05/11 16:25 恋愛信仰、恋愛でアイデンティティ補完って感じじゃなく、「好き」に忠実に遍歴を重ねている女子っていうのも確実にいて、保身やステイタス第一ってタイプじゃない、快楽原則に忠実なタイプって、そうなってるよね。ようやるわ、とは思うけど、せっぱ詰まった感じじゃないから、見ていて痛々しくはない。関係性流動的だけど、ちっとも「好き」が擦り減るどころか、惚れっぽすぎて凄く忙しそう...「恋愛に絶望」ってポーズは、現に神経質で自意識過剰でプライドが高くって、近親憎悪しながらもそれを擦りぬける高い自己像を求める故というか、自分の正当性が傷つかない形で恋愛が成り立たない事実を認識するための建て前って気がする。で、僭越ながらそういう人に僕が思うことは、そんなに難しくならないで、自己肯定しようよ。他者に受け入れ、認めてもらいたがってる自分達を肯定して、仲良くする努力、受け入れあう努力をしてみようよってことだよね。どんなに自己嫌悪(同族嫌悪)したって、別の人間にはなれないんだからさって。どうしても本当にギャルゲーの方が良いってことなら、それはそれだと思うし。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/05/11 16:32 あと、「彼女がいるのにギャルゲー?」っていうのは、これは性のファンタジーってのは、また別腹って話だから、「お節もいいけどカレーもね」ってなもんで、いいんじゃないでしょうか。自分の話をちょっとすると、僕の世代の場合、子供の頃に観たヒーローものや梶原一騎なんかの刷り込みが凄くて、思春期の頃、「ストイックな正義のヒーローに憧れたはずなのに、へらへらと人の顔色ばかり見てる自分が恥ずかしい」って、真剣に悩んじゃってた(もしかしたら今も...)。勿論、それは実際の世相とも有機的にリンクしてるんだけど、確実に世代の刻印としてあると思う。だから「キャシャーン」、なんだか俺には懐かしい感じで、不器用な熱さとマジのからまわりっぷり悪い気しなかったよ。

narkonarko 2004/05/11 20:16 headofgarcia さんはじめまして。headofgarcia さんの日記に書かれてた安野モヨコ的価値観、それについて言いたかったんですよ。恋愛地獄とでもいいましょうか(笑)岡崎京子さんの場合そこに乗っかりながらも別の道があるんじゃないか?でも出られない!って感じがあって読めるんですけど、安野さんの場合そこらへんがわかんなくていつかちゃんと読もうと思ってるんですけどね。その安野モヨコ的価値観が揺らいでるのか?現状維持なのかが気になります。あとオタク領域が一般化するほどオタクの人の居場所がコアで暗いトコに追い込まれるんじゃないか?ってことも読み取られて嬉しいです。あれは結構深刻な問題だと思うんですけどね。

narkonarko 2004/05/11 20:23 bakuhatugoro さんこんばんわ。「モテ」抜きでおしゃれする人は多分心理的には「おたく」と同じように見えるんですよね私はだからオシャレおたくって書いたんですけど、目的あっての行為が行為自体が目的化してるというか、そういう人は東浩紀さんが言うトコの動物化で、それはそれで幸せならOKです。というか、私はジャッジ自体は基本的にしないんで人に迷惑かけないで本人が幸せならOKって考えです。何でも

narkonarko 2004/05/11 20:31 ただ、そういう目的のない反復、一見、動物化してるように見える人が本当にそうなのか?って最近疑問なんですよね。まぁ人によると言えばそうなんだけど。少なくない人が結構ダルくなるような気がします。というか私が反復してるなぁと思うとダルくなってしまうので、多分人生を円環でとらえるか直線でとらえるかの違いなんだけど、オタク対恋愛至上主義者の対立があるとすれば実はココなんじゃないですかね?あと恋愛に絶望のくだりは肝に命じておきます。痛かった<笑>

narkonarko 2004/05/11 20:41 あとギャルゲーと彼女は別腹とのことですけど、しゃべり場の彼の場合七対三でゲームらしいですよ(笑)、私が言いたかったのは現実の優位性っていつまでもつのかな?って疑問なんですよ。あらゆることがバーチャルで満たせるようになった時、それでも現実がいいって言える根拠はあるのかな?って岡崎京子さんはそれでも「すき」は残ると書きましたけど、どうなんだろうか?って。まぁ今は思考実験のレベルですけど十年前と較べると偉い代わりようですからね。攻殻機動隊の世界までそう遠くないかも(笑)

headofgarciaheadofgarcia 2004/05/11 21:16 >narkoさん あ、読んで頂いてありがとうございます。「安野モヨコ的価値観」を、男の側に裏返すと「村上龍的イデオロギー」になりますな、自分の中では。ああいう、恋愛強者=社会強者みたいな位置づけが、底辺ルーザーな自分にはタイトル読むだけでうぇぇぇぇとなります。何が『2日間で4人の女とセックスする方法』だこの野郎。あとbakuhatugoroさんの指摘はホントに耳に痛いです。ひぃーっとなります。

headofgarciaheadofgarcia 2004/05/11 21:24 あと現実に対してヴァーチャルと置いたとき、一番気持ち悪い状態になるのって、その過渡期ですよね、たぶん。中途半端にそれら二つが混在してしまう価値観、既存と新参が受容/対立しながらじゅくじゅくと混ざっていく時期が一番コワイ。で、おそらくそうした混乱は、遠くないうちにやってくるんじゃないかと。

narkonarko 2004/05/11 23:16 その混乱はもうはじまってる気しますけどね。ギャルゲーとは違うけどネットやメールが身近になった状況もソレだと思うんだけど、テクノロジーが発達すると時間と距離の概念が変わりますからね。近くの知人より遠くのメル友の方が身近になるとか。その恩恵を受けてるから一概に批判できないんですけど。でも若い世代になるほど当たり前になるし慣れるのかなぁ。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/05/11 23:30 例えば、趣味(虚構の消費)と彼女を天秤にかければ、それは刺激は趣味が勝っちゃうってことは普通にあると思う。ギャルゲーに限らず。ある種毎度新鮮なアバンチュールを楽しんでるようなもんだから、瞬間瞬間は「ギャルゲーがいい」ってことになるでしょう(笑)だけど、それと持続的な人間関係や確かな日常を大切にしたい、普段は空気のようなそれを実は必要としているってことは、実は別に考えなきゃいけないんじゃないか。空気のようになっているから「なし崩し」になってしまいがちな、自分の成り立ちを支えてるディティールっていうのもをあまり疎かにしたり、取り替え可能と考えたりしないようにした方がいい、とは思います。その為に、あえて快楽を律するってことを含めてね。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/05/11 23:45 痛い指摘については、ゴメンナサイ。個人的な自信の無さや寂しさって、最終的には他者からの全面的な肯定や受容って助けって幸運を必要とすることだとも思うから、自分で解決しようと意識すればするほど大変なことだとも思うんです。だから、孤独な人の問題ばかりを指摘するのはアンフェアだとも思うし、完璧にオタクやれるもんならそれも悪いと思わない(それこそ、僕が偉そうにジャッジするようなことじゃない)。で、本当に内面乾いて擦り減ってる、僕たちのような形では他者を必要としなくなっちゃった人っていうのも確かにいるんだけど(本当に「情報のやりとり」って形でしか会話できなくなっちゃってる。生の心理的な動きとか感情の表出ができななくなってる人っているんだよ)、「動物化」とか、理屈を欲しがってる人っていうのは、本当のところでは揺れていると思う。だから、過剰防衛気味にもなるし。そういう人には、自己肯定して欲しい、必ずしも恋愛って形じゃなくても、例えば大島弓子が辿ったようなソフトランディングもあるんだよってことは、僭越覚悟でちょっと言ってみたい気がします。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/05/12 00:36 度々ゴメン。しゃべり場のギャルゲー好きの子のことでちょっと思い当たったんだけど、例えばこれ、りぼんや別マにはまってる女の子が、少女マンガの恋愛の方が純粋で本当の恋愛だ、って思うこととそんなに違わないと思う。ただ、野郎は性衝動のあり方が直接的で、だからってエロって方だけにはなかなか開き直れないから、エロ入りの別マを読んじゃうってことなんだよ、きっと。ただ、エロゲーっていうのははじめから大人にむけて作られてるってことだけが別マとは違って、逆にいえば、いい歳して別マにはまり続けてる女子っていうのも、男から見たらキモイっていうのはあるはず(同様に、俺の場合は正義のヒーロー達の刷り込みによって、「人間はもっといいものであるはず。もっと、強く、優しくあらねばならない!」っていまだに刷り込みを引きずっているってこと)。非オタクから見て、オタクが自足できていて羨ましいから反発っているよりも、その妄想のしかたををキモイって見下してるって方が、まだまだ正確だと思う。で、おそらくnarkoさんは、自身がオタクに振り切れたいのか、それとも面倒くさい自意識とつきあっていきたいのかで揺れていて、その揺れが彼に投影されてるって感じじゃないかな? で、例えば大人になると、なかなかがっちり細かく掘り下げた心理小説みたいなものって読むのが面倒くさくなって、割り切った虚構に傾斜していきがちだし、思春期的に全力でひとつひとつの人間関係にあたることにも疲れて、「流す」ようになっていくよね。それで、無理して人に会ったり、恋愛したりするよりも、ギャルゲーでもしてた方がいいよ、面倒くさい、ってなることはあると思う。それと、はじめっから人間が面倒くさくって、他者に触れるプロセスを拒み、踏み損ねるってことは全然また意味が違う。そのことの良し悪しってことを言えば、みんなが一律にマトリックス化するわけでもない限り、グラデーションの変化はあれ、常に落差はあるわけだから、人間関係への意識や構えは当然大事に考えられる「べき」だと思う。

narkonarko 2004/05/12 01:29 私に関していうと自足してる人に対しては「あこがれ」と「本当か?」って気持ちですね。そっち側へは行きたくてもしばらくは無理なんで、メンドクサイ自意識とはしばらく付き合います(断言)▼で、一般の人が妄想の仕方をキモイと見下してるってのは私は違うかなぁと思います。見下せるほど立派な恋愛や恋愛感(もっというと物語)をもってる人ってどんくらいいるんだろう?ギャルゲーと「世界の中心で愛を叫ぶ」や「DEEPLOVE」とどう違うの?って感じで、もしギャルゲーがキモイなら冬のソナタもタイタニックもキモイですから(笑)フィクションに置ける恋愛妄想のあり方って似たりよったりでパッケージが違うだけなんじゃないでしょうか?どっちかというとオタク絵の美意識へのキモイはあるとは思うんですけど。何か昔ほど一般の人ってカッコとした価値観(文中でいえば恋愛至上主義が最後の砦で)ない気します。もしあったらキルビルとかロードオブザリング見ないですから。まぁ一般の人って考え方、事態が危ういんですけど。▼大島弓子さんのソフトランディングのトコはもうちょっと読みたいです。私は完全に後追いなんで、完全にはわかんないですね。多分猫と大島さんの話のことなんだとは思うんですけど。是非bakuhatugoroさんの日記で展開して欲しいです。 あとキャシャーンの良いトコも(笑)僭越はどんどんしていいと思いますよ。というかそういうのが読みたいです。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/05/12 03:06 たとえば、普通の人のオタクに対する蔑みや反発は、ホームレスに対するものに近いと思う。「働かない怠け者め!」っていう反発と、「汚ねえなあ」っていう蔑みが交じりあっているけど、羨ましいとまでは思ってないんじゃないか。あそこまで諦められればなって時に思う人もいるとは思うけど、まだまだしょせんその程度というか。そこを強く感じるのは、むしろ僕たちのようにある意味オタクでありながらより内面を強く抱えた「あいのこ」であって、「恋愛至上主義」対「オタク」の戦争は、むしろ僕たちの内部で起こってるんだと思う(笑)いずれにせよ、こういう問題っていうのは、「本当のところ、自分がどうしたいのか」ってところで考えて態度決めないと仕方ないと思うんだよね。ファッションとか恋愛については、要は偶然とか未知、新鮮さへの欲求みたいなもんだと思う。ファッション誌を眺める女子にしても、例えばレコードや古本あさりが日常化しちゃってる僕のようなヤツにしても、オタク的に体系をくみ上げたりなぞったりっていうよりは、旅行や散歩が好きって感覚に近いように思う。日常の中に、ちょっと落差や変化を呼びこんでリフレッシュする楽しさというか。大島弓子については、ああいう本当に繊細な世界から意識が離れちゃって久しいんで、ちゃんと語れるかどうか難しそうだけれど、心にとめておきます。基本的には「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」での橋本治の論旨とかぶると思う。彼女にとってはすべての動物がサバであるってことと同時に、生きる上では自分の不自由さを受け入れ、さまざまな現実に距離を取りながらも、自分を世界の広がりへの敬謙な憧れや、理不尽の直視を、彼女は決して手放していない。それが、世界を安全な風景として括ってしまう、凡百の作家との違いだと思う。「キャシャーン」については、そんなに展開するほどの話じゃないんだけど、少なくとも僕はキリヤさんのことを誤解してた。彼はシラカバ派的いい人だと思う。お詫びを兼ねて、近々日記で取り上げたいと思います。

kagamikagami 2004/05/13 21:08 kagamiと申します。とても興味深い内容でしたので、自サイトで取り上げさせて頂きました。→http://www4.ocn.ne.jp/~temp/index.html私は、恋愛イデオロギーは既に緩やかな衰退に向かっていると思いますね。恋愛イデオロギーに取って代るのは『家族の絆』だと思います。クラナドは極めて象徴的ですね。

kentakenta 2004/05/14 21:19 「サカキバラ・コウ」ではなくて「ササキバラ・ゴウ」では?

narkonarko 2004/05/15 01:24 kentaさん指摘サンクスです。コソッと直しときます▼kagamiさんはじめまして。実は隠れ読者しておりましたので取り上げていただいて驚きです。ギャルゲーオタクの方からしたらかなりカチンと来ること書いたと思って内心ビクビクしてたんですけど(笑)▼今回コメント、リファーとたくさん頂いて嬉しい悲鳴ですムキャー。日を改めて、またこの話題書かせていただきます.

gong01gong01 2004/05/15 03:02 narkoさんはじめまして、gong01と申します。知人に言わせると、オタクが排斥されるのは学生闘争を思い出させるからだそうです。そもそもオタクという言葉はセクト間での論争のときの相手方の呼び方が基になっているみたいです。

narkonarko 2004/05/15 21:12 はじめまして。オタク史的にいうと広くなりすぎるのですが、私が書いてるのは主にギャルゲーオタクです。学生運動の記憶自体が今のコ(しゃべり場世代)にはないと思います。あと上の文でも書いたんですけどその他のアニメやマンガの場合はそんなに世間からの外圧は強くないんじゃないですかね。多分今はオタク内での内ゲバ状態でその最下層でオタクからも差別されてるのがギャルゲー+ロリコンオタクって状態で。でもこの状態もギャルゲーがオシャレ化(もっというとロリの要素としてのあの絵柄の切り捨て)していくことで解決されるんじゃないかと睨んでるんですけど。まぁそうなったらなったでオタクの黒い部分は別の狭くて深い場所に潜ってくと思うんですけど。

gong01gong01 2004/05/17 01:06 narkoさん、ご返答いただきありがとうございます。こちらにコメントしたおかげで私の日記もアクセス数が凄いことになりました(w。内容に戻りますと、学生運動の直接の記憶は無くても、小学校でのいじめとかと同様に「人とは違うこと」が日本人の感性に反するので、排斥されるのではないかというのが知人の意見です。私もこれには納得しています。またご指摘の通り、ギャルゲーオタクのヒエラルキーはオタク界でも相当に低いと私も思います。しかし現在までのアニメや漫画の(オタク以外の人の)受容の仕方を考えてみると、今ギャルゲーを消費している人たちがある程度の権力(企画を通す立場に立つ)を持ったときに解決されるのではないでしょうか?もしくは感動できるギャルゲー原作の劇場公開アニメ(もちろん宮崎駿監督)がヒットするとか(w。

algosalgos 2005/04/22 10:46 この時期にえらい場違いかもしれませんがコメントします。
ギャルゲーはAIRしかやってない(しかも感動してる)んですがあれだけを見る限り恋愛願望うんぬんというよりもっと根の深いコミュニケーション願望、家族、共同体願望をみたさんがためのゲームじゃないかな、と思います。恋愛というよりは家族やら過去の呪縛の清算やらなんやらという壮大なドラマw重視でそういう意味ではねじれたヒーロー、物語願望もからんできたり。
そしてとどめに深読みを誘ういかにもな設定ですよ。下級インテリであるオタクは世界観と萌えのダブルパンチに極端によわいのです。

asitakiasitaki 2006/06/16 00:56 つレディコミ

愛 2006/06/18 01:11 愛という言葉そのものが、明治時代に文学者によって「発明」された。と聞いたことがあります。日本古来の概念に、惚れはあっても、愛はなかった?ってこと?

grillgrill 2006/06/18 10:20 それこそギャルゲーの一つ、未来にキスをみたいな思想が一般化する時期が来るかもしれませんね
現実の相手を愛するのではなく、脳内にいる相手のイメージを愛する時代が
……もう来てるのかな?

risugarisuga 2006/06/19 00:36  こんにちは。面白く読ませて頂きました。
 神聖なる「モテ」に対して努力を注ごうとしない不埒な異端者オタクども(笑)への苛立ちが「オタクキモい」発言を呼ぶという宗教戦争的構図はご指摘の通りだと思います。
 しかし「岡崎の絵柄でギャルゲー作れば流通」というのは無いと思いますよ。
 「オタク絵には常に正解がある」の某言説を持ち出すまでもなく、今、岡崎絵のギャルゲーを買う者は「いわゆるオタク」では無い訳ですから。というより「岡崎絵のギャルゲー」をOKとする者がNGとする者を叩くために発明したのが「おたく」という言葉なのでは?
 参考:「岡崎京子・桜沢エリカはなぜ『ブリッコ』でウケないのか」
(http://www.burikko.net/people/otaku05.html)
 この内ゲバは20年前から変わってない気がします(笑)

nknknknk 2013/01/06 09:24 こんにちは、かなりタイムラグがありますが、興味深く読ませていただきました。今Twitterで10代20代の若い子達とやり取りすることがあるけど、まさにコレ(安野絵の…)が具現化してきてますね。なんともうらやましい。持て(モテ)るものから追いやられた者達が造り上げた楽園は、最終的にはまた持てる者達に奪われ、そこからすら排斥された持たざる者達はいったいどこへ行く(逝く)のか…