ちょっと待って、神様  原作・大島弓子 脚本・浅野妙子

で最後にこちらの感想を
基本的には以前書いた印象とは変わらないです。
参照⇒http://d.hatena.ne.jp/narko/20040111
参照⇒http://d.hatena.ne.jp/narko/20040110
当たり前のことを当たり前に描きその当たり前のことのかけがえのなさを実感させてくれる作品だと思う。

見ていてちょっとスゴイなぁと思ったのは第三週
家出したリサちゃんを連れ戻しに東京に来た秋日子(=おばさん)
が「お母さんみたいにならなくてもいいから」という所
この台詞を聞いた時ちょっと原作を超えたかもとすら思った
まぁ単純な比較はできないんですけど。

簡単に言うならこれは、おばさんが「人生を終わらすための物語」であり、また人生に入り口でたたずんでる秋日子が「人生をはじめるための物語」だ。
始まろうという意思と終わらせようという意思が交わり様々な視線が乱反射することで他者の存在を理解し受け止めることができる。

例えば私はあなたでなくあなたは私ではない、それゆえお互いを理解できない。
でももし私があなたになりあなたが私になれたなら。
これだけだと若干オカルトっぽいのだが、ここに大島さん独自の生活感が入ることでうまい具合に中和される。
その意味で泉ピン子が大島作品に出るというのは絶妙の組み合わせだと思う。
中宮崎あおいがエプロンして料理を作ったり雑巾で机を拭いたりするシーンや春夫やクラスの不良に説教したりするんだけど、それが恐ろしくかわいい。
彼女は作中、おばさんくさい女子高生であり女子高生の姿をした母だ。
だから竜子の旦那さんと宮崎あおいが抱きあったりすると予期せぬセクシャリティが発露されてそれも面白かったと思う。
あと料理作ったり家事するのが楽しくなるね。これは大島作品全般に言えるのだけど。宮崎あおいユリイカとか暗い役*1が多かったけど、これでいい意味で幅が広がったなぁと思う。
「今の君も好きだよ」って感じで。

それにしてもこういうドラマを観ると人一人の命というものは重いなぁと思う。
いや生命活動としての命そのものは軽くあっけない。ただ、その人が体験したことや、その人と関わった人達とに記憶の密度はとてつもなく重く、簡単には比較できない。
その身体活動としての生命と記憶としての生命がおりなすドラマだなぁと思う。

そしてエンディングテーマは島谷ひとみが歌う竹内まりやの「元気を出して」なのだけど「人生はあなたが思うほどわるくない」というフレーズがとても頭に残り、まさにドラマにぴったりだと思った。

*1:どっちかというと本来の秋日子のような

というわけで、こちらの日記は一端休止します。
今まで読んでくださった方、コメントくださった方、そしてこれから読まれる方
ありがとうございました。
もし何かありましたらコメントはしばらくできませんのでコチラに感想等いただけたら幸いです。
nss-narko@excite.co.jp
ではでは

コメントについて

http://d.hatena.ne.jp/narko/20041012の分
リンク外しときました。

私のトコは長文で書いてくださる方が多くてすぐにレスが返せるほど頭がよくないので
誰が最後に占めるとか別に決めてないし、特に意見がなければレスしません。
これについてはよく出入りしていた
ヘルシー女子大生日記さんのやり方を参考にして自然に出来上がっていったスタイルです。
お元気ですか(笑)
だから日記のコメント欄見ればほったらかしのものは結構あります。
だからと言って、それは別に何か感情があるわけでもないし。
もし大事な意見だと思えば、改めて引用して日記に書いてきましたし。
言葉にしなくても、そういうルールが流れてるってのは前提だと思ってました。
私の日記だし。

下弦の月と大島弓子

こちら参照⇒http://d.hatena.ne.jp/narko/20041012

私としては納得してたからコメントしなかっただけですけどね。
私は感情の流れを優先する。そちらは身体的なもの、例えば身体のぬくもりとかを優先する。
あぁそういう考えもあるんだって思って。
少女マンガを男性監督が映像化するとそういうアプローチになるのか。と関心しました。

とりあえず別の場所とはいえ再開されたのは嬉しいです。結構心配してたので。
まさか自分が原因とは思わなかったけど。
人は往々にして自分のこと以外は鈍感で知らない間に他人を傷つけてることは多々ありますので、今後は気をつけます。ただ基本的に以前書いたことはかわんないですし訂正もしないですけど。
例えばキャシャーンじゃないけど基本的に自分が思ってること感じたことを書いてるつもりなので、それで嫌われるなり否定されるのは仕方ないかなと思ってます。

一応リファーしたのは下弦の月はイマイチだったけど栗山千明はよかったってことを言いたかったからです。もっと言うと役者のよさを監督が生かしきれてないなぁって思って。
この辺り恋の門にも似てるかな。
なんかその時はリファーしないで書くとコソコソ影で悪口言ってるみたいで嫌だったので。
もリファーしない方が礼儀みたいなので、これからはしないし今回もしません。

まぁそれはともかく、「ちょっと待って神様」の感想書くために大島弓子の作品を読み直したりしてるんですけど、ちょっと圧倒されますね。
下弦の月、原作は読んでないんですけどそうとう大島弓子を意識したんではないでしょうか?
でも矢沢あい大島弓子はまったく合致しないなぁ。正反対というか。
四月怪談と下弦の月を比較すると面白いかも。

何か世間から弾かれてしまった女の子*1が「あっち側」に行きそうなのを何とか引きとめようとする話が多いですね*2
というかほとんどなんですけど。こういうモチーフを繰り返し書く根拠みたいのが気になってしまいます。何とかして現実を肯定したいってことなのか?でもたまにあっちの世界に行くこともあるけど。何か変なカタルシスがあるんですよね。
細かいコマと台詞をちくちく目で追ってくと同時に登場人物も追い詰められて。
見せ場で大ゴマいっぱいに黒ベタとか真っ白の中に女の子一人とか。
そこで気持ちが浄化されて、とりあえずやり過ごすみたいな。
ありゃ何だろ?結構あのコマ並びを目で追うだけで話が理に落ちてなくても納得してたりしますからね。リストカットしてすっきりするって感じはあんな風なのかもしれない。
一種の臨死体験というか(笑)
とりあえずドラマを見直して落ち着いたらゆっくり読み直そうと思います。
一生モノです。

*1:たまのオトコノコも

*2:そん時出てくるのはだいたい親友と恋人と家族なんだけど、下弦の月は全部壊れてるんですよね、その代わり出るのが幽霊で、あっでも大島さんにも妄想の恋人とか幽霊とか宇宙人が助けてくれるって話はよくあるなぁ。あとは子供と猫(笑)そう考えると共通項多いかも

BSアニメ夜話

第1夜 10月25日(月)
23:00〜 「機動警察パトレイバー(劇場版)」 監督: 押井守
 特別ゲスト: 出渕裕(企画・原作&メカデザイン)
 ゲスト論客: 大森望(SF評論家) 国生さゆり(女優) 宮台真司(社会学者)
第2夜 10月26日(火)
23:00〜 「アルプスの少女ハイジ」 監督: 高畑勲
 特別ゲスト: 杉山佳寿子(ハイジ役 声優)
 ゲスト論客: 大林宣彦(映画監督) 青木光恵(漫画家) 千秋(タレント) 唐沢俊一(評論家)
第3夜 10月27日(水)
23:00〜 「ふしぎの海のナディア」 監督: 庵野秀明
 特別ゲスト: 前田真宏(設定デザイン&演出 担当)
 ゲスト論客: 藤津亮太(アニメ評論家) 佐伯日菜子(女優) 唐沢俊一(評論家)
第4夜 10月28日(木)
23:00〜 「機動戦士ガンダム」 監督: 富野喜幸
 ゲスト論客: 北久保弘之(アニメ監督)、よゐこ有野晋哉(タレント) 福井晴敏(作家) 小谷真理(SFファンタジー評論家) 井上伸一郎(ガンダム専門誌発行人) 氷川竜介(アニメ評論家)http://www.nhk.or.jp/manga/anime.html

どひゃー宮台先生が出るじゃん。
でもパトレイバー国生さゆりってのはよくわかんないや。
特別ゲストってのはよくわかんないけど何?

恋の門は映画としてダメなんだけど酒井若菜の背後にいるであろう
恋の門大人計画の芝居を思いつめたような目で見てるようなサブカル少女(まぁ男もだけど)
の不安定な内面は肯定してあげたいと思う今日この頃。
でもその支持してあげたいってのは甘やかすってのとは違うと思う。
むしろ悪意こそが最大の愛情というか。
ああいう映画や芝居、私の頃だったら電気グルーヴとか伊集院のラジオとかを好む人ってのは程度の差はあれ表向き仲のいいふりしてるぬるま湯的な学校の人間関係が嫌で、もっと濃いものがある(と思う)サブカル空間へ避難してきたんですよ。だったら松尾さんがやるべきことは居心地いい場所を提供することじゃなくて徹底的に悪意をぶつけることだと思う。
少なくとも芝居の方はそういう需要のされ方だったと思うし(まぁ戯曲とかの印象だけど)
そこをごまかした結果生じたヌルさが嫌だったのかなぁと思う。
でもこういう苛立ちって下の世代にはないのかも?
私にとってサブカルチャーってのはそういう暗くて痛い場所なんですよね。
暗くて痛いけどぬるま湯よりマシっていうリストカッターみたいな心情というか。
ただ楽しいだけのぬるま湯がいいなら別でいいじゃんって思う。
そういう不満なのかもしれない。
この間はうまく言葉にならなかったけど、ずーと考えてて。
やっぱ自分はあっち側だと思うし。
この間のは何か他人事みたいな文章になったのが少し反省。