やる気なし

先日、群馬方面へ出かけたときのこと。久々に185系OM03編成を目撃しました。

以前にもネタにした通り、個人的にはこの湘南色塗りもどちらかというと否定的ではあるのですが、それはさておき、よく見てみると、なんか変……

湘南色の緑色部分は「緑2号」なわけですが、部分的に塗り直したらしい箇所が緑2号とは微妙に異なる色合いでパッチワーク状態に。塗色変更から2年が経過したOM03編成、全面的な塗り直しはともかく部分的なレタッチが入っても不思議ではありませんが、この程度の塗色の整合も取れないようではやる気を疑われますぜ。もしかして、湘南色にしたのも「単なる思い付き」ですか?やる気が無いなら、とっとと止めればいいのに。

どうにかならんか、この手の枕詞

ドクターイエローなんて、鉄道趣味業界ならともかく、ごく一般のマスコミにとっては典型的な「暇ネタ」でしかないと思いますが、今回の記事は一味違う。私も長年鉄道趣味やってきましたが、「見れば幸せになれる」とは初めて知りました。

ダイヤは非公開で、めったに遭遇する機会がなく、いつしか、見ると「幸せになる」「いいことが起きる」という都市伝説が生まれた。

確かにレア性は高いですし、記事中にもあるように「四つ葉のクローバー」的なものではあるでしょうが、同時に「その程度のものでしかない」ことでもあります。よくもまあこの程度のことで都市伝説などと恥ずかしげもなく記事にできるものですな。今度はぜひ「茶柱が立つと縁起が良い」という都市伝説を大々的に取り上げていただきたい。

いやだから、遭遇する機会が少ないというだけで「幸せの青い電車」などと(ある意味イタい)呼称する利用者が何人いるというんですかねえ。むしろ、このように活字化されることで「利用者からそう呼ばれていることになっている」とされてしまい、それまで誰も使わなかった呼称を出自に疑問を持たないまま皆が使い始めるという頭の痛いパターンではないかと。マッチポンプというか、予言の自己成就というか。


希少性が高いというだけで「見ると幸せになる」というなら、先日山手線から姿を消したワキE230サハE230も、運用末期には「幸せの6扉車」とか呼ばれていたはずですよねえ? なにせ前身であるサハ204の登場時には「乗客を貨物扱いか」と散々話題になったことだし、それが消えるとなると逆の方向に話題性抜群、利用者もマスコミも挙ってそう呼んだに違いありません……って、ねーよ!

本当の塗色と向き合えますか

2010年12月、JR東日本烏山線で運用しているキハ40 1003をかつての国鉄一般形気動車標準色である朱色4号+クリーム色4号の二色塗色に変更、運用を開始しました。翌2011年にはキハ40 1007も同じく一般形色に変更、運用によっては2両編成の両方とも国鉄色という光景が見られます。


もっとも、キハ40系は落成当初から朱色5号一色のいわゆる「首都圏色」、俗に言う「タラコ色」で登場しており、二色塗りの国鉄一般形色をまとった事は過去にありません*1。このため、鉄道趣味系Webサイトでは「国鉄一般形気動車標準色ふう」といった微妙な表現をする羽目に。


これがキハ40の「本当の塗色」。2010年11月、会津若松にて。

まあ、キハ40自体は一般的な国鉄気動車の車体形状を踏襲しているので、過去にこだわらなければ二色塗りもそれほど違和感はないのですが、2010年9月に185系OM03編成に対して「湘南色」を施した際には、前面の塗り分け線が前照灯のケーシングにまともに被るなど、相当に無茶な感が拭えませんでした。

それにしても、キハ40といい185系といい、こうまでして「なつかしの国鉄色」を再現することの意図は何なのでしょうか。国鉄色に懐かしさを感じる世代であれば、これらの車輌が過去にそのような塗色をまとった事がないことも当然知っているわけで……「こんなの絶対おかしいよ」と突っ込んで欲しいのでしょうか? 若い世代にはかえって新鮮に見えるかも知れませんが、新鮮さを国鉄の遺産に求めるというのも何とも後ろ向きなお話。

いずれにせよ、いろいろな意味で話題には事欠かないことだし、「ネタ」と割り切って突っ込み入れつつ生暖かく見守るのが精神衛生的にも良いのかもしれません。実際、筆者が烏山線を訪れたのもそのネタ性故のことだったわけですし。

ちなみに、2011年に入ってからJR東海までもキハ40・48に国鉄一般形色を施す始末……わけがわからないよ。

*1:キハ40系と同様の前面形状をしたキユニ28は、登場当時二色塗りの一般形色で落成している。

列車内ACコンセントの周波数

先日、山形新幹線「つばさ」のE3系2000番台に乗車したときのこと。普通車窓側座席下にACコンセントが設けられているのですが、よく見ると「50Hz」と書かれていて「おや?」と思ってしまった次第。

「東日本なんだから50Hzなのは当たり前じゃないの?」というのは普通の人の感覚。「列車内なのに60Hzじゃないの?」というのがよく訓練された鉄ヲタの反応。

電車には、モーターを駆動して車輌を物理的に走行させるための「主回路」の他にも、ブレーキ用圧縮空気を生み出す空気圧縮機や信号保安装置等「運転」に必要となる各種機器、車内照明や空調装置といったサービス機器等、各種の電装品を動作させるための「補助回路」が存在します。これらの電装品のなかでも比較的大電力を必要とするものは三相交流を電源とするため、多くの場合、架線からの直流電流や単相交流電流を直接用いるのではなく、車上で電動発電機や静止型インバータにより三相交流を発生させ補助回路用電源とする方法が採られます。車上で「自家発電」するわけですから、地上の電源周波数とは関係なく、一般には60Hzの交流が出力されます。気動車や客車に搭載されているディーゼル発電セットから得られる電力も、同様に60Hzが一般的です。

一方、交流電化用車輌の場合、主変圧器に三次巻線を設けて補助回路用の交流を取り出す手法が採られることもあります。この場合、得られる交流は架線電流と同じ周波数の単相交流となり、各種電装品も単相用のものが用いられます(三相交流が必要な場合は、単相交流をいったん直流化しインバータを介して取り出す)。前述のE3系2000番台もこの手法が採られているわけで、決して「東日本だから50Hz」という単純な理由ではありません。補助回路の電源の取り方次第では「東日本なのに60Hz」となっていた可能性もあります。

ところで、主変圧器三次巻線から補助電源を得る手法は、JRグループ発足直後、冷房化率向上のためにJR九州が421・423系に対して冷房改造を行った際にも採用されましたが、交直両用車でこれを行った結果、直流区間では冷房が使用できない事態となってしまいました。実際には当該車輌は下関までの運用に限定していたようですが、それでも「関門トンネルは非冷房」とは何とも割り切ったものですな。

でんてつ!

タイトルは本文の内容とあまり関係ありません(ぇ)

「電鉄」という言葉は言うまでもなく「電気鉄道」の略であるわけですが、「○○電鉄」と通称される鉄道会社であっても、正式社名は「○○電気鉄道」「○○電鉄」の双方のパターンが存在します。2010年11月現在、日本で旅客鉄道を運営している鉄道事業者の社名を「電気鉄道」「電鉄」の別にグルーピングしてみたのが以下の通り。

社名が「電気鉄道」である鉄道事業者:12社

一畑電気鉄道持株会社であり鉄道事業者ではないので除外。一畑の鉄道事業運営会社名は電気鉄道でも電鉄でもなく「一畑電車

社名が「電鉄」である鉄道事業者:21社

というわけで、今日では「電気鉄道」よりも「電鉄」の社名が優勢という結果に。当初は「電気鉄道」であっても社名変更の際に「電鉄」を採用する例(小田原急行電気鉄道→小田急電鉄など)もあるので、時が経つにつれて「電鉄」が優勢となるのは当然でしょう。社名変更時に「電気鉄道」へと先祖帰りというか逆噴射する例もないではないですが、どちらかというと少数派。「電鉄」の略称が一般化した現在、今後「電気鉄道」と名乗る鉄道事業者が新規に現れる可能性は非常に低いかと。

ところで、東急の場合、電鉄はともかく正式社名では「東急」ではなくいまだ「東京急行」だというのがある意味凄い。航空自衛隊スクランブル出撃してきそうです(ぉぃ)。世間的には既に東急の略称が一般化し、英語社名もTokyu Corporationだというのにねえ。そこで社名変更して「東急電気鉄道」になったら、もっと凄い。

そんなあだ名は嫌だ

205系に座席格納構造を有する6扉車サハ204が登場したとき、「乗客を貨物扱いか」との揶揄で「ワキ204」とあだ名されたことは有名です。後に209系やE231系に同様の6扉車が登場した際には、当然のごとく「ワキ208」「ワキE230」と呼ばれました。

山手線用E231系500番台に連結された6扉車、ワキE230サハE230。もっとも、2010年10月現在、4扉車への置き換えが進行中。

それはそうと、仙台地区で運用されている701系1000番台には「サハ700」が存在します。


もしこの車輌が座席格納式6扉車だったら「ワキ700」と呼ばれることとなったのでしょうか……それは嫌過ぎる。

実をいうと、ワキ700という貨車は過去に実在しました。1942(昭和17)年〜1943(昭和18)年にかけて、大井工場および大宮工場で計30両が新製された、自重20t、荷重30t、車長14,750mmという当時最大級の有蓋貨車ワキ700、その正体は大日本帝国海軍所有の私有貨車、積載物は空爆弾および魚雷横須賀線の逗子や田浦等、弾薬庫所在駅の常備とされ、海軍航空作戦を影で支えました。戦後は紆余曲折を経て国鉄所有となり、晩年は各地の車輌基地の片隅で救援車代用としてひっそり余生を送り、昭和50年代に形式消滅しています。

通過!?

写真は、東武伊勢崎線太田駅で撮影したもの。


赤城行の特急「りょうもう」が10番線を通過……って、「りょうもう」は太田駅停車のはずですが。だいたい「10番線」って何よ?伊勢崎線小泉線・赤城線が集うとはいえ、太田ってそんな大駅だったっけ?


伊勢崎線列車の運転系統は、伊勢崎発着となる「りょうもう」1往復を除き太田で分断されています。太田〜伊勢崎間の普通列車は3両編成のワンマン運転で、太田ではホーム伊勢崎寄りに停車します。おそらくは旅客案内上、乗り場を明確に分ける目的で、同じホームの館林方面の乗り場とは異なる番線番号を割り当てているのでしょう。


3・4番線側から9・10番線側を見たところ。左上に「3番線」の文字が見えます。

普通列車等の系統は分断されていますが、「りょうもう」は太田をまたいで浅草方面と赤城・伊勢崎方面を直通します。このため、「りょうもう」太田発着時には伊勢崎方面乗り場を「通過」する光景が見られるというわけ。ただ走り抜けるだけでなく、旅客案内表示装置にまで「通過」と表示されるのが芸の細かいところ。