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Nash Bridgesの始末書 このページをアンテナに追加 RSSフィード

 

2010-01-30 真っ赤に護られた鱗粉の

明かり注す庭

「名前を言ってはいけないあの人」が、公理と定理の違いを理解していないのか、はたまた理解できないのか、僕としては理解ぐらいできるんじゃないかとも思うのだけれど、おそらくは、それ以前の問題として偽問題自体が立ちはだかっているだけのような。Looming Shadeってピタパンですか?


つまりは「偽問題というものが、それが偽問題であるがゆえに偽問題として処理できてしまうこと」が腹立たしいのではないか。筋を通すなら「嘘から始まる恋物語」なんか許容できないとなるはず。たとえそれが真に運命であり、「嘘から始まることでしか辿り着けない真実」であったのだとしてもね。

問題は理性に仕える一貫性の魔力以前に、それが真に偽問題であり、しかもそれが偽問題であると気づくことまでもが偽問題であってしまったとき、そんな馬鹿なことがありえるのか。そこで自律した判断力っす!定言命法と同じ普遍への意志っす!

なのかまぁそれはともかく、ウィトゲンシュタインカントについてはどう思ってたんだろうな。定言命法から普遍性が抜ければ私的言語なのか。むしろ私的言語の可能性は偽問題であることなのかもな。普遍性を得ようとせずに普遍性を得る方法。それが定言命法より定言命法を体現した真の定言命法だとは思いませんか。


いや、これはこれであやしいとこだ。私的言語が定言命法以上の定言命法になるには、「定言命法とは仮言命法ではない命法」という定義が必要じゃないか?じゃあ逆に「普遍性」ってどっから沸いてきたのよ。マインドならチョムスキー、ルールならウィトゲンシュタイン、パッションならデカルトですか?

その反省的な判断力とやらの源泉が「自由」なのだとして、僕にはその議論はよくわかりませんよ、カント先生。僕はテレジーナが好きです。


もし定言命法が存在しえないとしたら、世界は滅ぶしかなくなるのだろうか。むしろ世界以前に私が自死すべきとなるのか。世には悪が満ちているのだから。そんな世界に正義はありえない。ま、そこでサンクコストっすよっつー恐ろしい合理化の薫りがヒラヒラと!案外、埋没費用って定言命法でいう普遍性に拠ってるのか

そこでレッドガーデン!なんて腹立つ設定だ。水天宮寵児を召喚しろ!野郎は全員まるっとまとめて写撮爆殺の刑だ!って話ですか。僕はレッドガーデンよりフラワーガーデンの方が好きです。赤いバラより青いバラが好きです。群青色は好きだけど、群青色のバラはあまり好きじゃないです。

ああ、でも、結局、ぼくだって何も代わりはしない。ケイトともクレアともローズともレイチェルとも。結局は同じこと。始まりがなんであり。既に終わってしまったのだとしても。いずれ共にどうせいつかは終わるのだから。そう、義務はない、か。ルーラだって結局は、見限ってるだけじゃないか。

完全義務の世界はキラキラしてますか?灰色の世界でしか、世界は輝けないのでしょうか。みんなの笑顔を見ていると涙があふれそうです。ねぇ、文秀将軍、自分だけラッキーだなんて、やっぱり思っちゃいけないんでしょうか。どうして色のない世界しか彩ることができないんでしょうか。

忘却の旋律に条件付けられずに済む幸福なんて本当にありえるのでしょうか。だれもそんな不完全義務を奏でろなんて望んでいません。優しさに裏打ちされた強さなんてズルいです。どうして優しさに気づけてしまうんですか。その優しさは普遍性に裏打ちされているのですか。


どっちにしたって笑ってくれるくせに。どうやたって貴方はいつも笑ってくれる。それが真実だから。偽りなどではないのだから。だからズルい。真実しかないから。真実でしかないから。たとえそれが結果的に貴方の望みを叶えてしまう偽りだとしても。偽りであれるのはそれが貴方の真実がもつ価値だから。


過去から現在を守るために、過去を切り捨てる。なら、現在から過去を守るために、過去を切り捨てたときは。過去は生きたまま土に埋められるのだろうか。そしていつか原型も留めずに腐り行くのだろうか。そして悪の華を咲かせるときが来るのだろうか。

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