よい手がほしい―20年遅れのペン習字― このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011年08月06日 第46回 ひとまずさらば、ペン習字

[][] 08:20 を含むブックマーク のブックマークコメント

 このブログを始めたときから、予防線を張るように何度も書いてきたこと。それが「おれは飽きっぱいからいつまで続くことやら」だった。

 で、その時がやってきた。いちおう最後ということで、「飽きた」の内についておれらしく、ぐちぐちと説明して中締めとさせていただこう。


 ペン習字、とくにパイロットの講座で上達するためには「自分が選んだ系統の講師の字に惚れ、近づこうと努力する」ことが必要だ。 最初のころこそ、おれは「この"え"の形には納得できん」とか、「"感"のしたごころが小さすぎるんじゃねーの?」などと文句ばかり垂れていた。しかしある時期、両手を挙げて降参することに決め、お手本にすこしでも近づくための練習に切り替えた。

 するとそれまで昇級せずにくすぶっていたのが、堰を切ったようと言ったら大げさだが、順調に級を進めることができた。最終的には今年の2月の時点で、7級Bまで昇級させてもらった。

 「パイロットでペン習字を学んだことがあります」と言うには最低でも7級にはならなくちゃな、と思っていたので、ぎりぎりの線には辿りつけたと思っている。


 困ったのは、ある時期からお手本の字が美しいと感じられなくなっちまったことだ。

 生意気を承知で書けば、もともとおれ自信がペン集字的な美しさを求めていなかったのだと気づいてしまったのだ。どうやら自分が求めていたのは"万年筆で書かれた味のある癖字"だったようだ。そして、おれにとっての"よい手"の代表が亡父の字であることは、いまも変わっていない。そうだ、父の筆跡はまったくペン習字っぽくなかったもんな。


 姉から聞いた話では、父はもともと字が上手で、字を書く行為そのものも好きだったようだ。

 おれの父親だけあって、すぐいろんなものに手を出す。あるとき、ペン習字の通信講座を始めようとしたらしい。おそらくおれが生まれるまえだろう。それがどこの通信教育なのかは知るべくもないが、父は教材を前に一日だけ練習すると「この字は好きじゃない」とやめてしまったそうだ。おれより決断が早い。


 ひとつ、はっきり書き残しておきたいことがある。「パイロットでペン習字を学んだことは無駄ではなかった」という感謝の念。

 無駄どころか、字や、それを構成する点画、そして字によって姿を表す言葉や文章。こういった、おれにとって大切なものに対して、ペン習字はおれの目から薄皮を一枚また一枚と剥ぎとってくれた。

 それまで意味の側からしか捉えていなかった言葉に対して、形の面からアプローチすること。その形の背後には心があること。ペン習字のおかげで気づけたことは、とても大きい。


 ありがとうございます。


 ついでに書くと、この自己満足のブログに背を押されてペン習字を始めた人も何人かはいるようで、ちょっとはパイロットに恩返しができたかな、と思っている。


 ペン習字や万年筆の本、B5原稿用紙など、始めたままで放り出してしまうものが多いのは、申し訳なく思っている。ごめんな。そして、もう一度、ありがとう。

hinoworldhinoworld 2011/08/08 15:42 お疲れ様でした。
1年間パイロットペン習字講座をご一緒出来てとても楽しかったです。
ナゾベームさんのお名前がわかくさ通信から消えて寂しかったですが、ツイッターもパイロットも何かのご縁だと思うので、これからもよろしくお願いします。

bekunaibekunai 2011/08/08 18:03 >hinoworld
 こちらこそお世話になりました。ぴのさんのような先輩がいる講座をやめてしまうのはもったいないなあと思います。もっといろいろ教えてもらえばよかったなあ、とも。
 おれが始めたとき、ぴのさんはたしか4級だったんですよね。信じらないはやさで上っていかれましたね。

 たぶん、おれは字を文へ、ぴのさんは字を書にする方向へ歩んでるんだろうな、とも思います。

 今後もよろしくお願いします。

一筆箋一筆箋 2011/08/17 16:34 はじめまして
パイロットペン習字に興味を持って検索しておりましたら、ここへたどり着きました。
全くの初心者なので、自分に出来るのか不安もありました。(硬筆検定準拠の講座と聞いていたので)
今、一通り読ませていただき、その不安も少しは
解消されたような気でいます。
でも通常、4月開講の講座なのかな?
9月からでは、テキストが途中からになってしまうのかなぁ。
まだまだ不安材料もあります。

bekunaibekunai 2011/08/17 16:49 >一筆箋
 いらっしゃい。アカウントが違ってますが、このブログのナゾベームです。
 このページにコメントをくださっているhinoworldだんはパイロットの(そしてペン習字の)大先輩ですので、彼女のブログを参考にされてみるのもよいかと思います。
 パイロットの講座は、基本的には何月に始めてもよいようになっていますが、いまだと「途中」の感じは否めないかもしれません。
 1月、または4月に始めると「ひらがな」からのスタートになるのでキリがよいと思います。でも、思い立ったが……ということもありますので、なんとも言えない部分があります。

一筆箋一筆箋 2011/08/26 23:15 先日は、アドバイスありがとうございました。
パイロットペン習字講座を9月入会で始める事にしました。
また、ぴのさんのブログへもお邪魔してみました。
極めていらっしゃるのですね。
あのぅ
ナゾベームさんは、このブログ以外はブログをされていらっしゃいませんか。
引き込まれてしまう文なので、ブログがあれば読ませて頂きたいと思っておりました。

bekunaibekunai 2011/08/27 16:25 >一筆箋
 お、パイロットのペン習字講座と始められたんですね。「やりたいときが始め時」だと思います。楽しんでください。

 もしTwitterをされているようなら、#penji(ペン字ハッシュタグ)でペン習字についての情報がおだやかに交換されているので、検索されてみるとよいと思います。

 おれのブログは、ここでの更新はいちとうおしまいで、以下のところで気のむいたときに書いてます。

喫茶ナゾベーム http://d.hatena.ne.jp/bekunai/

 古いのなら以下の場所にほっぽってあります。

月の砂漠をホーリーボルト http://nasobema.jugem.jp/

 暇つぶしのお役に立てれば。

2011年01月10日

[][][][] 第45回 ただの落書きでごんす。 21:01  第45回 ただの落書きでごんす。を含むブックマーク  第45回 ただの落書きでごんす。のブックマークコメント

B5サイズの原稿用紙が好きだ。


 持ち運びに適しているし、1枚がすぐに文字で埋まるので枚数がどんどん進む。なんだか自分の書く速さが上がったような錯覚が気持ちいい。


 しかししょせんは200文字。「完結したなにか」を1枚で書くのは難しい。ツイッターの140文字とたいして変わらないもんね。


 去年のM-1で大笑いさせてもらったスリムクラブのネタを書いてみた。

 正確に文字に起こしたわけではなく、真栄田のセリフを抜粋し、接続詞などを切り捨てて1枚に押しこんでみた。


 しかしこれだけのネタで4分を埋めたんだから、すごいもんだ。


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2010年12月26日 級外編 最後のM1で見た夢

[][] ペン習字にも万年筆にも無関係なテレビの話。でも書きたかったんだ。許せ。 22:32  ペン習字にも万年筆にも無関係なテレビの話。でも書きたかったんだ。許せ。を含むブックマーク  ペン習字にも万年筆にも無関係なテレビの話。でも書きたかったんだ。許せ。のブックマークコメント


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 決勝戦で競う8組が紹介された時点から「ちがう匂い」を放っていたスリムクラブ。その匂いは「終わらせる力」に思えてならない。


 お笑いの流行を追いかけることに興味のないおれがスリムクラブを初めて見た『エンタの神様』だった。そう、フランチェンネタだ。真栄田がフランケンシュタインの扮装をし、内間はナレーションだけ。笑うようなネタではなかったが、存在感だけが光っていた。はやくも登場2周目で、フランチェンが一回転するアクションに、客席から手拍子が入った。まちがいなくスタッフの指導による手拍子だ。この瞬間に『エンタの神様』が終わったとおれは見ている。

 「自分たちがいちばん笑いを理解している。だから芸人のネタに手を加えるし、キャラすらも塗り替える。自分たちスタッフが扱いやすいように客も選ぶ」。そんな宣言が聞こえた気がした。なんだ、神様ってのはスタッフの一人称だったのか。おれにとってこの番組の終わりは、スリムクラブによって告げられた。

 当のスリムクラブは、スタッフの計算も、無邪気に手拍子する従順な客もおかまいなしで、楽しそうにフランチェンを演じていた。太いな、この人たちは。そんな印象だけが残った。


 さて、最後のM-1だ。

 今回の主役はまちがいなくスリムクラブだった。登場しなかった第1回を含め、放送間隔の長い帯番組としてのM-1の主役はまちがいなく笑い飯なのだが、最終回でスリムクラブがすべてをさらった。そしてスリムクラブはM-1を終わらせた。


 スリムクラブは、この10年のM-1のなかでも「異色度」が突出していた。これまでにキワモノ扱いされてきた千鳥やポイズンガールバンド、ジャルジャルが「異色マンザイ」という一ジャンルのなかに安住しているように見えてしまうほど、今日のスリムクラブは異色さは際立っていた。


 おれはテレビ画面の左下にポストイットを貼って審査員の表情が見えないようにしていたので、7人の審査員がどんな反応を見せたのかは知らない。

 しかし観客の反応からだけでも、スリムクラブが異質な波を起こしたのは明らかだった。笑い声の半分が、どよもしなのだ。人は、理解を超える凄味に触れたとき、笑うかわりにざわめくのである。無意識に息を吐くだけで、声帯を動かすことすら忘れてしまうのだ。今日のスリムクラブの最初のネタに対する客席の反応は、まさにそれであった。


 今回のM-1で興味深かったのは、最終決戦に勝ち進んだ3組が3組とも、1席目と同じネタをかけ点だ。

 去年までは、裏で規則があるんじゃないかと思えるほどに、どのコンビも1席目と2席目のネタの色合いを変えていた。ところが今回にかぎり、どのコンビも1席目と同じ色合い、同じ構成のネタを最終決戦に持ち込んだ。芸の幅を問うのではなく、今日の時点でいちばんおもしろいと信じる武器を「おれたちはこれだ!」と両手でぐいと押しつけてみせたように感じた。

 最終決戦のネタがただの反復にしか見えなかったパンクブーブーに一票も投じられなかったのには、腐ってもM-1審査員と思った。


 マンザイというジャンルに対する明確なイメージができていて、それを疑うことなく、ジャンルのなかで点数を稼ぐことに力を注ぐパンクブーブー。マンザイの枠をはみだす運動を続けているうちに、それがまたひとつのマンザイの型になってしまうという矛盾と向き合い続ける笑い飯。ジャンルなんてはなから感じていないかのように見えるスリムクラブ。マンザイに対するスタンスがはっきりと色分けされている3組が、それぞれの信じる型にすがり、ぶつけてきた。この意味で、じつに見応えのある最終回だった。


 「今日いちばんおもしろい奴を決める」というお題目に従うなら、優勝はスリムクラブであるべきだった。

 しかし、連続ドラマの主役への功労賞のぶんだけ、票は笑い飯に寄った。この結果について、浪花節的であると批判する気はまったくない。おれだって笑い飯に優勝してほしかったのだから。そもそも、明らかに制限時間をオーバーしたネタに対して主催者が満点を与えた去年の時点で、厳正な審査などないということは明らかになっている。それ以前に、笑いに点をつけることじたいが無理な試みであることを、審査員たちは熟知している。


 今日いちばんおもしろかったのは、まちがいなくスリムクラブだ。そのことを日本でもっとも強く感じているのは、おそらく笑い飯のふたりだろう。

 笑い飯は、9大会連続で負け続けてきたように言われるが、じつはいちども負けていないと思う。9年にわたって期待の糸車が回り続けたことを思えば、笑い飯はつねに勝者だった。

 ところが念願と言われるタイトルを手にした今回、笑い飯は初めて負けた。人生ってのは、よくできてる。


 来年、スリムクラブへの仕事のオファーは爆発的に増えるだろう。

 しかし、おれは他の芸人に混ざって賑やかしの雑音の一部になるスリムクラブを見たくない。転がし上手の仕切り屋のおもちゃにもなってほしくない。また、あのふたりはマスコミへの露出が増えることで光を増すタイプとも思えない。


 あえて言うなら、バラエティーよりは芝居に出るふたりが見たい。

 さらに勝手で無責任なことを言えば、ふたりには今日かぎりで消えてほしいとすら思う。「あの日、おれを大笑いさせてくれたスリムクラブって、ほんとは夢だったんじゃないか」。

 M-1の最終回。そんな幻の夜。

SHO_GONSHO_GON 2010/12/30 13:38 今年のM1は、きちんと最初から最後まで見ることができました。
個人的にちゃんと笑えたのは(ちゃんと、なんて表現もヘンですが…)1回目の笑い飯と、1回目&決勝のスリムクラブだけです。
決勝の笑い飯とパンクブーブーのネタはまったく笑うことができなかった。消去法でも、純粋に笑えたという意味でも 実質的な優勝はスリムクラブしかなかったと今でも思っています。
でも、優勝が笑い飯と決まったときは…うれしかったんだよなぁ。
「おめでとう!」なんて連呼しちゃいました。

しかし、優勝決定後の松本人志のコメントなんて、「ほんとの優勝はスリムクラブなんだけど、温情で笑い飯にあげる」と言っているも同然のコメントでしたからね…笑い飯も、優勝したのは嬉しかっただろうけど ものっスゴイ屈辱だったろうなあ。

スリムクラブ、来年はメディアに出まくる年となるんでしょう。少なくともその前半は。
彼らはとてもじゃないけど フリートークを上手く回せていけるようなテクはもってないような気もするんですが…M1最期に現れたカイブツ、みたいな感じで期待しちゃいます。

このM1をやってきた10年間ってのは、ひょっとすると笑い飯が優勝するまでのストーリーだったのかも、なんて。

nasobemanasobema 2010/12/30 18:38 >SHO_GON
 コメントありがとうございます。

 いろいろあったけど「ひとつの時代が終わったな」って感じがあります。1年に1度、3時間ほどの番組なのに、時間では測れない大きな存在だったなあ、と。

 おれにとってのM1は、A面は勝てない笑い飯の物語、B面は伸介の増長物語でした。B面は見たくないけど、どうしても見えちゃうんで困ったもんでした。

 スリムクラブは最高でしたね。毎日見直して笑っております。

 なにはともあれ、おめでとう笑い飯。

2010年11月15日 8級編(7)万年筆の本 -1-

[][]第43回 万年筆に関する本を買い集めるうちに、けっこうな数になった。備忘録の役目も兼ねて、1冊ずつまとめておこう。 18:42 第43回 万年筆に関する本を買い集めるうちに、けっこうな数になった。備忘録の役目も兼ねて、1冊ずつまとめておこう。を含むブックマーク 第43回 万年筆に関する本を買い集めるうちに、けっこうな数になった。備忘録の役目も兼ねて、1冊ずつまとめておこう。のブックマークコメント



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『復刻版 萬年筆の印象と図解カタログ』

発行:丸善株式会社 1989年2月10日

編者: 丸善株式会社

定価:2000円



 万年筆の本を一冊ずつ紹介するなら、『世界の万年筆ブランド』か『趣味の文具箱』、あるいは『万年筆の達人』あたりから始めるのがわかりやすいし、ふつうの感覚だろうと思う。


 しかしおれのへそは曲がっているからこれを選んだ。

 『復刻版 萬年筆の印象と図解カタログ』である。

 復刻された版、すなわちオリジナルは明治45年6月30日発行としてある。西暦に直せば1912年。いまから98年前のことで、当時の定価は30銭だったようだ。


 復刻版は1989年2月発行……このふたつの発行日を並べてみて、ピンと来る人がどのくらいいるだろう。おれなどは「じつにおもしろい符合があったものだ」とほくそ笑んでしまった。


 種を明かすと、どちらの発行日も改元にきわめて近いのである。

 オリジナルが発行された明治45年は大正元年でもあり、6月30日は改元のちょうど1ヵ月前だ。

 かたや復刻版が出た1989年は、昭和64年が平成元年に名を変えた年であり、発行日の2月10日は改元の1ヵ月と3日後にあたる。


 ひとつの時代が幕を閉じようとするときに出版された本が、玄孫にあたる時代の産声が響くなかで復刻された。

 両脚をおもいきり広げ、左右のつま先をひっかけてようやっと4代をまたいだ本。こう考えるだけでも楽しいじゃないか。



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 おれはこの本を100円で落札した。肉まんより安い。どんなにつまらない本が届いても怒ってはいけない金額だ。なもんで、本が届いたときにも「そういや落札したんだっけ」程度の気持ちだったのだが、実物を見て唸ってしまった。


 まず、本のコンディションがたいへんよかった。ケースにかけられた腰巻にわずかなたわみがあるほかは、新品として新刊書店の棚に並んでいても通用する状態だった。

 「こりゃ得したね」とページを開き、100円で落札したことが申し訳なくなった。これなら5000円出しても惜しくない。

 



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 この本は、万、いや、萬年筆文化を盛りたてようとする丸善によって企画・編集・発行されたものだ。

 約100年後のいまでさえ、万年筆は趣味としてマイナーな部類に属していると思うが、当時にあってはなおさらのことで、道楽以外のなにものでもなかったはずだ。そんな状況は、収録されている文章にも表れている。


 『萬年筆!?。フン、絹のハンケチで洟をかむのは、一寸、田舎漢を驚かすには足ろうが、幾度も洗っては、又使ふといふやうな根性は、憚りながら、宵越しの金を使はないといふ吾々江戸ッ子には、持合せがない、』と、エラク江戸がッた男もあつたが、一應は多とすべき申分なれど、再應の吟味を遂げるに於ては、蓋し、宵越しの金と共に、朝出来の銭も無かつたに相違なきなり。

高島米峰『洟紙とペン』より抜粋)


 「!?」のあとに「。」が来るあたりに時代を感じるが、この和洋折衷の匂いこそが、当時の萬年筆そのものから発せられているように感じる。

 この本に寄稿しているような"西洋かぶれの新しもの好き"がいてくれなかったら、今日のおれは万年筆で字を書くことができていなかったかもしれない。


 これは、まごうことなき"万年筆本"であるが、つい笑ってしまうのが、現代の"万年筆本"の作りが、1世紀前にを完成しちまっている点だ。


 『萬年筆の印象と図解』。書名が無駄なく表しているように、本の内容は2つの部分から成っている。万年筆を嗜む人の文章と、万年筆についての解説である。


 解説のパートでは、図版をふんだんに使って万年筆の構造を説明し、当時にあって主要とされていたであろうブランドの品がカタログ的に並べられている。

 筆頭はオノトで、オリオン、ウォーターマンペリカン、ゼニス、カウスと続く。モンブランの設立は1906年だから、載っていないのは当然のことだ。




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 "印象"の部分には、夏目漱石の随筆(『余と萬年筆』)や北原白秋の詩("Onoto")も載っているが、おれなどが名前を知らないような筆者の文章がおもしろい。



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 万年筆の構造とカタログ、そして愛好家の意見。これは21世紀の万年筆本のほとんどに踏襲されている構成である。

 意地悪な見かたをすれば、100年かけて布教を続けてきた万年筆は、いまだに道楽の池から身を上げきることができていない、ってことだ。




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 ま、そのへんも含めて万年筆が好きなんだけどね。


 ちょっと高いコーヒーを飲ませるような、落ちついた喫茶店で読むには、万年筆本の枠を外し、全ジャンルを対象としても最適な一冊だと思う。

hinoworldhinoworld 2010/11/15 19:37 すごい本を落札したんですね。ネットオークションはよく探すと掘り出し物があったりして、面白いんですよね。
だけど、その本どこを探してももうその値段では手に入らないんだろうなぁ。
私は、同じネットオークションで、鷹見芝香先生の本を3冊落札しました。和とじの高級感漂う本がなんと1円。届いたその日は、浮かれ、喜びに浸ってました。
明治45年にそんなおしゃれな本が出ていたなんて驚きました。

nasobemanasobema 2010/11/15 20:04 >hinoworld
 こういう大当たりがあるからネットオークションはやめられないんですよね。
 と言いつつ、ほしかった本はほとんど揃えることができたので、これからは万年筆貯金を切り崩すことが少なくなりそうです。あと一冊、どうしてもほしい本があるので出品を待っている状態です。

 本だけじゃないけど、価値を決めるのは人なんですよね。価値を最大限に感じられる人の手にわたって、鷹見先生も喜んでらっしゃると思います。

SHO_GONSHO_GON 2010/11/16 07:19 これはまた、素晴らしい本を手に入れましたね〜!
しかも、トンでもない本を トンでもない値段で。

ネットオークションってのは、ほんとうに偉大ですね。ここまで、売る側と買う側が幸せになるシステム(一部例外もあるとは思いますが)ってのは あまりないんじゃないかなあ。
これがあったお陰で、本来 普通の一生を送るだけでは決して出会えたなったであろう逸品を何度入手してこられたことか。

この『萬年筆の印象と図解カタログ』は、ナゾさんの元へ来ることができて幸せだと思います。
品物は、それがどんなものであっても 自分を心から愛してくれる人の元へもらわれていくのが一番の幸せなはず。

ネットオークションで自分がず〜っと狙い続けていたものが出品された瞬間って、たまらないですよね。
そしてそれに入札し、無事落札できた時の喜びようったら…言葉にならないです。

早くその ナゾさんの狙っているブツが出品され、そして 無事落札できる日がくることを祈ってます。
無事入手できたら、またこのブログで取り上げてくださいネ。

nasobemanasobema 2010/11/16 16:50 >SHO_GON
 コメントありがとうございます。
 たしかにネットオークションは偉大ですね。このシステムのおかげで、物が抱きうる「役割」がぐんと広がったと思います。
 目についた物をばんばん買う快感を味わう季節は、おれにとってはもう終わりました。あとはじっくりひっそり、たまの偶然も含めて、静かに楽しませてもらおうと思ってます。

2010年11月08日 8級編(5)上達の割合

[][]第42回 字のうまさを数字で表すことには無理がある。その無理を承知であれこれ考えてみた。 17:49 第42回 字のうまさを数字で表すことには無理がある。その無理を承知であれこれ考えてみた。を含むブックマーク 第42回 字のうまさを数字で表すことには無理がある。その無理を承知であれこれ考えてみた。のブックマークコメント


 パイロットのペン習字通信講座の受講を決めたとき、つまり7ヵ月まえのおれはこんなふうに考えていた。

 「ペン習字を学ぶことで、毎月1割くらい上達できれば御の字だ」と。

 当時のおれが、深く考えることなく、なんとなく感じたことだ。でも、甘いね。大甘だぞ、4月のおれ。毎月1割なんて、いま思えばとんでもない高望みであった。


 スタート時点の字のうまさ(へたさ)を1.00とした場合、毎月1割ずつ上達すると、1年後には……という計算結果を表にしてみよう。



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 なんと、1年後には3倍以上も字がうまくなることになる。

 こりゃいくらなんでも欲張り過ぎていた。と思うと同時に、字のうまさを数字で量ることの無理も感じた。


 身長や体重であれば、数字を基準に「奴は俺の1.5倍でかい」ということはできる。陸上競技の記録であれば、数字は信頼すべき指標となる。ホームランを40本打つバッターを「20本の選手の倍打つ」と言ったとしても嘘にはならない。


 しかし字のうまさを数字で表そうとすると、どうもしっくりこない。

「あの人はおれより3倍は字がうまい」と言えば、なんとなくの雰囲気は伝わるだろうが、「じゃあ3倍ってどのくらい?」と聞かれて答えられる人はいないだろう。

 文字と数字の相性がいまいちなのは、字のうまさを物理的に計測することが難しいからだ。

 たとえば、手本となる字と自分の字をサイズを合わせて重ね、その差の面積を計算し、数値が小さければ字がうまいことになるかといえば、答えはノーだろう。字で大事なのはバランスであり、手本との物理的な面積差だけでは判断できないのだ。


 そもそも手本の字のなにをもって"うまい"とするのか? すでにこの時点で、数字が入り込む余地はそうとう狭い。

 「うまく見える字は横線が6度の右上がり」とか、「漢字とひらがなとカタカナの大きさは10:8:7」といった、数字を用いたコツならいくつかある。しかしそれはあくまで「統計的なコツ」を数字で表しただけで、文字そのものを数字で評価することは、じつに難しい。

 たとえばパイロットの講座では、月々の添削課題が100点満点で採点される。パイロットは点数について「絶対評価である」こと以外の詳細を明らかにしていないが、そもそも詳細などあってないようなものだろうな、とおれは見ている。

 ではこの点数を信用していないかといえば、そんなこともない。70点よりは80点、80点よりは85点のほうがいいに決まってる。でも採点する講師だって人間だから、82点と83点の差は感覚でしかないだろうし、見る人によって順位が逆になることだってあるだろうと思っている。

 講師の経験と目を愚直に信じ、「前月より1点でもよい点のつく字が書けますように」と願いながら練習すればよい。ただそれだけのものだと思っている。


 つまり、文字の評価に数字を用いることじたいには、たいした意味はないのだ。と、いったんは承知しながら、あとにつく単位が点であれ円であれ、長年にわたって数字で評価されることに慣れてしまった身としては、どうしても数字にすがりたくなる気持ちが残る。そして数字を使った説明に安心感や信頼感をおぼえてしまうのも事実なのだ。


 そんなことを考えながら日々の練習を続けているなかで、twitterでこんな言葉に出会った。


「人は、一日0.2%ずつ毎日成長していけば

1年後には約2倍に成長している計算となる。

毎日5%成長していけと言われれば無理を

感じても、0.2%でいいと言われれば

なんだか出来る気がしてこないだろうか

もし、毎日1%成長し続けた場合は

その5倍も、だ」


 0.2%といえば1000分の2である。約分すれば500分の1だ。1日という時間が1年のなかで占める長さよりも小さな数字。10分間における1秒の重みとたいして変わらない。

 そんなちっぽけな数字だから、昨日よりも0.2%成長できたところで、どこが成長できたのかを自覚するのは難しいだろう。

 それでも倦むことなく0.2%を積み重ねてゆくなら、1年後には2倍になるなんてすごいじゃないか。好きな落語家の言葉に「努力とは馬鹿に与えた夢である」ってのがあるが、この夢、捨てたものでもないぞ。

 ひょっとして計算が間違っているのかと勘繰り、自分でも試してみた。ついでに、1日0.1%ずつ成長した場合についても計算した。結果はこうだ。



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 本当だった。

 様々な諺を持ち出すまでもなく、ほんのすこしの歩みを重ねれば遠くに届く。おれのような自分の成長に不安を感じる者にとって、これはうれしい。数字のトリック、いやレトリックだったとしても、うれしい。

 同時に、大きな戒めも孕んでいる。「積み重ねることをやめれば結果は変わらん」ってことだ。

 おれはペン習字に関する本をすこしずつ買い揃えているが、どの本にもかならず書いてあることがある。表現は違っても、こんなことだ。

 「週に一度、10日に一度まとめて練習するのではなく、たとえ10分でも5分でも、毎日練習を続けてください」。

 この言葉が書かれている意味がようやくわかった気がする。毎日続けること。それだけが、昨日の0.1%を明日につなぐ唯一の方法なんだ。言いかたを変えれば、「継続のみが今日の積を明日の被乗数とする」ってとこか。かっこいー。


 さ、練習しよっと。

はぁちはぁち 2010/11/10 18:08 字や絵は好みがあるので数字で表せませんね。
ただ目安はあって、それは自分の目だと思っています。
目が養われる方が早くてなかなかどうしてなのですが、0.2%の努力が埋めてくれるんですね。

nasobemanasobema 2010/11/10 20:42 >はぁち
 コメントありがとうございます。10日にして今月の初コメント。コメントだけが生き甲斐なので、これでまた生きていけます。すこしおおげさ。
 ペン習字をすると、妙に目が育っちゃって困ることがあります。先日、30年まえにいただいた手紙を読んだんですよ。あの人の字が下手に見えちゃったらどうしよう、と思いながら。結果、みごとに「その人らしい」みごとな字で、うれしかったです。
 ペン字的によい字と、そうではないけどよい字。どちらかといえば後者を大事にしたいですが、しばらくは前者を目指します。今日の0.2%はまだだけど。

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