コメント禁止(笑)! につっこみ その2

>書いてて恥ずかしくならない?これって、「南京事件」やら「従軍慰安婦問題」やら「沖縄集団自決」で喚いているバカ共と同じ主張だよ。だって、動機は何なの?無理矢理な動機付けのために「レイシズム」とか言ってんでしょ。
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080111/1200043013


突っ込み

レイシストはともかく、オーストラリア人の頭の中はおそらくこうでしょう


土地が狭い日本が豊かになれたなんて変。


土地がなきゃ牧畜できないじゃないのさ。


牧畜しなきゃ豊かになれないじゃないのさ。


=もしかして日本人ってすごくまずしいの?

1 貧しいと思ったら・・・


==だからあんなまずいくじら肉で妥協してるのかな?
かわいそう、はやくわが国のつくったおいしいビーフたべさせて救ってやりたい。
(同情的な日本たたき、帝国主義的、啓蒙主義的差別)



2 いや、実は豊かだ。。。。とおもったら


=豊かになれないはずなのに、どうして?



==アンフェアな手をつかって豊かになったにちがいない

==アンフェアというと??もしかして(俺たちが虐殺したんだから、同じように)原住民を虐殺して肥え太ったんだろう(、と、自分を基準にしか考えない)





日本人の反論

日本は平地が狭いのに豊か(多神教適地)なぜ?

●いくら土地が広大でも水がなければ狭い水田適地にさえ劣る。
温暖気候でいくら土地が広くても山地がそびえてないと上昇気流ができず風はふきぬけ、雲が作られず、雨が降らずそこは砂漠。水がないと不毛の荒野で、稲のような、食感のいい作物がつくられず、家畜にくわせてやっとカロリー的に帳尻の合う牧畜がせいぜい


●山脈は広大な平地の中にぽつんとできない。たとえ広大な平地でも海からとおざかっていくにつれ、しだいに雲ができにくくなり乾燥がちになる。
島は海の中にある山脈。山脈(急勾配)がないと島は海面から上に顔をだせないのでそこは海にままのはず

つまり島や半島や海岸じゃないと水が海からやってこなく

山脈上に海から突き出ないと構造的に島や半島にならなく、

島や半島は必ず山がちだ(、海かと思ったら内陸にいくとすぐにやまがそびえている形)、

島や半島や海岸部でなければ水がなく(雨降らず)、
水がなければ農林水産業が発展しないので人は豊かになれない。



というわけだ





人口やGNPはその場所の降水量に正比例しているともいえる。内陸に一千万住んでいて、その隣では、その何十分の一の面積の島嶼部や海岸部で二億人も住んでいることも地球上ではざらだ。データをしらべれば前者と後者で降水量が二十倍違うことがわかる。歴史的に見て多種の民族が移入してくるので後者のほうが民族の多様性があったり多言語だったりする。



1 平野にとぼしい湿潤海岸部=文化言語多様地、多神教適地(だが遮断された完全な島嶼だと単一志向になる)


2 土地に恵まれた乾燥内陸部=小種文化地、一神教適地(だが古来からの交通の要所だと多様になる)




1は当然多神教であることが多く一神教は浸透しにくい。一神教が前者の不毛な土地に発祥したり普及しやすいのは多様性が乏しいから。一神教適地が多神教適地へ心理侵攻するさい、この不便さを地ならししたくおもってユダヤバベルの塔神話をつくりマホメット初等教育の軸であるコーラン解釈をアラブ語以外認めなくさせた




。オーストラリアの都市の分布をみればわかるとおり、人間なんて所詮海岸線にへばりついて生きている生き物。国土面積なんて2次元は関係なく海岸線総延長という1次元の存在が国富を左右する。どんなに内陸部が広大でも山地と海岸部が離れていれば雨が降らず乾燥し、どんなに広大な土地があっても宝持ち腐れになる。



だがオージーはこのへんの地理や物理が感覚的に全く理解ができない。自分たちと違って平野面積が全くない国民が、どうやって自分たちにように栄養分を摂取していけるのだろうといぶかしがる。


実は陸地にろくなものがない北方民族も、海産物をたべている。海賊行為のあがりも大きい。海産業は”牧場”が海上であるため国土そのものは、


●10平米程度の、妻子の居る、”帰る家”があるところ。
●海へながれる栄養分の源”


程度の扱いしかなく、たいした面積はひつようない

結局、内陸牧畜国のオージーは、人間というものが海産で結構食っていけることが感覚として理解が出来ないのだ。


だから前述したように、”日本人は国土に乏しく牛が食えない(水銀だらけのクジラ程度しか食べるものがない)貧しいので救ってあげたい”だの””あんな土地で豊かに生きていけるわけがない。俺たちがやったようにアイヌを虐殺しまくって豊かになったにちがいないのだ”とカン違いしてるわけだ。これが極端になって”無知で哀れな東洋人よ、いるかを食ってはいけないということを知らないのね。聖書のことばをおしえてあげたいわ、早速大学を中退して、●●会(カルトプロテスタントの一派)が募集している,ナントカの戦士”に応募して日本にイエスの教えをひろめたいわー”みたく、宗教的なおせっかい心になるわけだ。

もうひとつ、内陸国は国土に勾配がないので川はウンコを流している同然で、よどみやすくそこで取れる魚がマズイのだ。

だから連中は”さかななんてあんなマズイものを毎日食ってるなんてなんて貧しいのだろう。。”と海産国の国民に対して思ってしまうわけ。

連中の感覚では魚肉は相対的に畜産肉の新鮮さに負ける。だが海産国で作られる畜産物だって、内陸国でとれた畜産物と程度は同じである。海産国の海産物のほうがもっとうまいか、畜産に必要な土地を転用してつくった野菜や穀物のほうがもっと効率よく栄養がとれるから彼らは肉を食さないというだけで、海産国が貧しいから肉を食っていないわけではないのだ。この感覚が全く理解できぬというのは前述した。所詮人間なんて自分の感覚でしか他人を評価するすべを持たないのだ。



それに、内陸国は不毛だといったが、天然資源の産地や、軍事的な緩衝地帯としての価値はおおきい。