夏の空をつなぐ

気まぐれ(にしたくない)日記。

8月310日(6月6日)

日曜日。完全に引きこもっている。まあ昨日は金曜日からずっと仕事をしたのだから許されるだろう。

先週は結局non-DC modeを入れたICの修正のバグつぶしで終わってしまった。IC generatorの細かいところまで理解が深まったのでよしとしよう。。。 glassの謎は解けず。

初めて宅配ピザを頼んでみたら、予想以上にデカくてびびる。

熱帯魚は雪に焦がれる完結するっていうので8巻まで改めて読む。理由のなさがよい。

天ノ少女コンプリート。true end後(でending listもすべて埋まった後)にもまだ埋まっていないCGがあるので3周目をやったら、どうも3周目での追加シーンがあったようで、めでたくCGもコンプリート。 true endは完全に「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」だった。個人的には正直true endよりもそれぞれの天国や窪井千絵が帰ってくるunsolved caseが好みかな。とはいえ、true endみたいなものがなくて、それぞれの天国/unsolved caseしかendingがなかったとしたら流石にそれはないでしょとゆー気分になっていただろうから、true endやgrand endを通過した上で、とゆー話なのだが。黒矢尚織にしても窪井千絵にしても健全さに包摂されえない異常者なわけだけれど、特に窪井千絵のケースは(仮に一時的にであれ)「赦されていないけれど救われた」のではないか。六識命のラストもそういう趣はあったけれど、しかし六識は一方で自分が異常なことをやっていることに自覚的だったとゆー点で純度が落ちている気がする。黒矢尚織もちょっと消化不良感はあるが、まああんまりベラベラ語らせるよりはよかったのではないか。(今作初登場の治療されえない異常者枠は鳴子愛美なのかもしれないが、深みがなさすぎる。)

アインシュタインより愛を込めてが止まっていたので、次はぼちぼちそれを終わらせるかな。

メリトクラシー自体は批判されるべきものではなく、ベターな選択肢だとゆーのを認めるにしても、しかし(自らがコントロールしうるとゆー厳密な意味での)「行為」がそもそも存在しないとなった場合、少なくともメリトクラシーの実質的帰結とくじ引きのそれは全くかわらないのではないか。その場合、(厳密な意味での)メリトクラシーをシステムとして実装する場合のコストを鑑みれば、結局くじ引きした方がよい、とゆーことにならないだろうか。

8月301日(5月28日)

金曜日。朝からずっと雨で、どうやら日曜日までこの雨が続くらしくて少し憂鬱。この土日はfully vacctinatedになってからはじめての休みだったのでちょっとダウンタウンの方へ足を伸ばそうかなと思っていたのだが、引きこもることになりそう。

昨日は+さんとテレコンをして、計算の最終的なチェックや図の確認まですんで、論文投稿直前というゆーところまで。結局1年くらいかかってしまった。

今日はnon-DC SUのIC modificationのimplementationとglass makingがうまくいっていないことの原因探り。前者は結局IC generatorの細かいところまで理解しないとダメぽいことが判明して、結局ほとんど一日中それに費やすことになった。後者は試しにglassのpower spectrumを測ってみたらminimal powerのk^ 4ではなくk^ 2くらいのスケーリングになっていたので何かおかしいなと沼に入ってしまった感。Leanだとうまくいかないのかもしれないのでfullで試そうとジョブを投げてとりあえず終了。

来週からcoffeeなどは対面に戻るらしいけど、どんな感じなのかわからないので少しこわさもある。通常営業に戻るに際してback to the old summer daysなんて言われたものだから完全に頭が智代アフターになってしまって、懐かしのKey曲をループしながら作業して完徹してしまった。

ホモソ話の記事をチラッと読んで、"The black woman stole my job."の分析については男性の隠れた特権意識とゆーことでいいのかもしれんが、しかしこの辺りの話は財の再分配の話でもあり、そもそも撤退戦になってしまっている中でやらないといけないとゆーのが厳しすぎるんだよなと最近はとみに感じる。全体のパイ自体が小さくなっている中で多様性の確保しようとするのが無理筋な気がしてしまうのだが、こういった問題系をとりまく全体的な流れや世代間の格差といったものを傍に避けて、ジェンダー意識の問題とゆーことで片付けられてしまうとなんだかなあとなる(むろんアカデミアにおけるアファーマティヴアクションを横目に自分にとっても他人事ではないなと思われはじめたからこんなことを考えてしまうようになったわけだが)。つまるところ多様性を確保したかったら、そもそも全体の数自体を増やさないと(多様性の「多」を確保しないと)どうしようもないとゆー認識がどの程度あるのか。 まあそもそも一人の人間の人生の問題は全体的な統計の問題ではない(し無関係な)のだ、とゆー話なのだが。

8月299日(5月26日)

水曜日。めちゃめちゃ風が強いなと思っていたら夕方くらいから大雨強風。雨が収まってから帰路についたら、月夜の明るさに驚かされた。

純粋理性批判の試みと論考の目指すところが大変似ているなとゆーことを改めて感じているが、しかしアプリオリな総合判断はいかにして可能かとゆー問いの論考での対応物はなんだったろうか。物理ディシプリンに頭を破壊されてしまった今となっては、アプリオリな総合判断に自然科学(物理学)の命題を入れるのは妄言に聞こえてしまうが。。。

某怪しい本にザっと目を通して、しかしまあこの著者は昔から「普通に考えれば(一般には)xxと思われる(思われている)だろうが、しかし実際は全くその逆なのだ」的な論法が好きだなあと。食傷気味ではあり、読んでてああこれはあれに似ているななどと思っていたらそれが直後に言及されるとか、まあ予想を裏切らないとゆーかなんとゆーか。 個人的な収穫はミメーシス冒頭の分析が言及されていたあたりで、(空間的・時間的)遠近法的印象は描写される事柄の取捨選択によって生み出されており(『オデュッセイア』のようにすべてのことが均等に描写されると「前景/後景」がなくなってしまう)、それはつまるところ終末論的な感覚に支えられているとゆーやつ。極度に描写の密度が濃いところと、それに比して全く描写がなされていない部分とが存在することによって、遡及的な眼差しによって遠近が感じられる(ところでこの遠近の感覚と、この叙述において出来事の(過去の)様相が必然に見えることはどう関係づくだろうか?)。セカイ系もまあこのカテゴリだろうし、ここにベンヤミン的な歴史概念を足せば、遡及的な視点の起点になっているゴールが変わることによる物語の再解釈(の可能性)による救済とゆーことになろう。アウエルバッハはえらい。B1のころに授業でおそれとおののきを扱った関係でイサク奉献の物語の(僕にとっての)もつ普遍性とゆーか、問題設定とゆーかにだいぶ取りつかれていたけれど、結局今でもその問題圏から脱出できていない気がする。

思い出しついでに書けば、天ノ少女(とゆーか殻ノ少女シリーズ)のテーマでもある瑠璃の鳥-青い鳥の話も(僕にとっては)この問題系の射程なんだよな。

8月298日(5月25日)

火曜日。晴れ。 お昼にお菓子自販機でキットカットを買ったら、チョコが溶けてぐにょぐにょのものが出てきて激萎え。とても開けられたものではないので、一旦部屋に戻って冷凍庫につっこんでおいた。ともかく糖分を補給したかったので、となりの自販機でコーラを買ったのだが、やっぱり同じコカ・コーラでも明らかに日本のものとは味が違って、いまだに慣れない。

non-DC SUのfactor合わせで結局初めからdiscrete FTとcontinuous FTの関係を導出しなおして、FFTWとの関係も考え直した結果、ちゃんと合った。あとはimplementionするだけなのだが、いかんせん研究所のクラスタは使えるノード数が少ないし遅くてどうしたものか。 tidal SUがらみでpre-ICとかinitial redshiftが気になって色々調べる。glass以外にcvttなる方法があるらしく、試してみようとしたのだが並列化されておらず断念。研究所のクラスタでglassからICを作ろうとすると、どうもglass filesを読んでいるときにsegfaultで落ちてしまって走らない。同じコードで他の場所のクラスタではちゃんと走るので原因がわからず苦しんでいる。最悪gridからでもいい気はするのだが、なんかamplified modeのpreferred directionと相互作用して悪さをしそうなのが心配。特にtidal biasについては。

天ノ少女はちゃんとgrand end前の選択肢から分岐がまだあるようでよかったよかった。

8月297日(5月24日)

月曜日。晴れ。家の周りが蝉の抜け殻ですごいことになっている。 現状洗濯がやはり面倒なのは、洗濯籠が一つしかないからではないかとゆー気がしてきたので、もう一つ買おうかななどと考える。

non-DC SUはdensity fieldをimplementationするときのfactorが合わないせいで離散/連続フーリエ変換のfactorまで戻る羽目になってしまった。とりあえずテストでfiducialなsimulationを走らせてみているが、研究所のクラスタはどうも計算が遅いようでちょっと困った。

先週末にpiano roomを訪れて久々にピアノを弾くかと思ったのだが、もっているIDカードではpiano roomの鍵が開かず泣く泣く部屋に戻った。時間の問題なのかもしれないし、もしかするとわざわざ事務に許可をとらなかればならないのかもしれないが面倒だし、とはいえ流石に数年ピアノに触れないのは苦しいので、いっそ電子ピアノを買ってしまおうかなと考える。

カント哲学の本を斜め読みしていたら、原子論が二重存在論になっている(つまり、運動学的な性質しかもたない粒子(原子)の存在する「本当の(空虚な)世界」と、その組み合わせ/そこからの触発で生ずる「色のある世界」)とゆー話が書かれており、確かに言われてみればまったくもってその通りだったなと思うのだが、物理のディシプリンに頭が破壊されてしまっているので、完全に忘却してしまっていた。まあしかし確かにこの二重存在論構造が現代まで尾を引く問題になってるのだった。

天ノ少女Grand End到達。なんといえばいいか、不思議(?)なことにGrand Endのファーストインプレッションはシンエヴァと似ている気がする。物語・エンタメ、というか感情的な盛り上がりとしては前作(ラスト)の引きがやっぱり抜けていたなと思うし、そういう意味での起伏は少し乏しかったと思う。考えてみれば1作目から十数年経てからの完結作なわけで、ちゃんと終わってくれたんだなとゆー感慨にまず浸ってしまう。ある意味では収まるべきところに収まった感じで、今作は前二作からの直接的な過去のつながりを除けば世代を超えた遠い過去からの因縁みたいな話も出てこないし、最後の誘拐監禁事件(の異常性)もちょっとあっけなさすぎるとゆーか、真相がショボすぎではとゆーのは気になった。僕が今作(シリーズ)に何を期待してここまで作品を追ってきたのかとゆーのを反省してみると、やっぱり「狂人/異常者」がどのように救われうるのか、とゆー点だったのかなあ。そういう意味ではこのままではちょっと物足りなさがある。 しかし、一応Grand Endまで終わったはずだけど黒矢尚織の話はどこいったんだ???とゆーのは謎として残っているので、これが解明される別ENDがあるハズであり、Ending listをみてもまだ2つ残っているぽいのでそれに期待しよう。

ところで「 由記子」と「雪子」がかかっていたことに最後の最後の紫の呼びかけで気づいた。おそい。

8月293日(5月20日)

晴れ。深夜に帰路につくとやっぱり外はまだ寒い。

*さんとやってる話の計算合わせで夜にテレコン。やっぱりzoomごしだとお互いの計算チェックはやりにくくて黒板を使っての対面議論が懐かしくなってしまうが、なんとか主要なところはあわせられて一安心。

8月292日(5月19日)

晴れ。ちょっと暑い。最近再び生活リズムが崩壊してきたのでやばい。

今日は無事AHFが走ったところまで。そっちにかまけていたら完全にcosmology group (zoom) meetingをすっぽかしてしまった。反省。 non-DC SUの話はcontinuum limitで考えてたのを実際の実装に合わせてdiscreteにする計算の途中。higher orderの効果を無視すればとりあえずsecond orderまでは測れそう。

天ノ少女は実は本物/偽物(贋作)とゆーテーマがこうも積極的に提示されてくる点が実は個人的な好みをついている気がしていたのだが、ちょっと思い出してみるとそもそも一作目からして「本当の自分を探して欲しい」とゆー話だったな。。。