ページが残っていた!

はてなのページが残っていることに驚いた。
さるさる日記は消えたけど。
正直、このページの存在すら忘れていた。
ログインできないかと思ったが
覚えているもんだ。
この数年で自分の勤務環境が激変、
時代はツイッターであるが、まとまった文章をかくことが
ないので、またボチボチ書いてみようかと思う。

女性自身〜〜雑誌です〜〜

なかなか書き込めない。これも電子カルテのせいだ。
診察室のパソコンはネットから遮断されており、いちいち遠くの自分の
机にあるパソコンまで行かないとネットにつなぐことができない。
たった、数十メートルの、そのちょっとの距離が私をネットから遠ざけている。

某サイトで推薦されていた、女性自身を早速購入。
K医師が7ページも特集されていた。
これまでの報道と比べると、公平な、比較的客観的な書き方に好感。
タイトルやいくつかの細かな言葉遣いはまだ?だが、
知り合いの医師に、この部分をコピーして配ろうと思う。

あの逮捕の衝撃から日がたつにつれ、関心が薄れているのは間違いない。
8月には結審があるという。
今一度、あの事件を思い起こし、これから自分に何ができるかを
問いかけてみたい。

久しぶりの書き込み

この日だけは忘れてはならない。http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/comment?date=20080218#c
臨床医にとって、9.11に匹敵するくらいの事件が起こった日だった。
あの事件のあと、全国で盛りあがったK医師への支援の声は
世間的はほとんど注目されず、理不尽な訴訟やモンスターペイシェント
加速度的に増えている。
なんら有効な策をうちだせない厚労省
自己の誤りを認めない検察庁
現場をしってか知らずか無能な医師会、
そしてさらに悪策を押し付けようとしている厚労省
それらに対する嘆きは医師の良心をも凌駕しようとしている。
確実にかつ急速に医療者の心が砕けてきているのは間違いない。


自分の責任に眼をつぶり、人に罪を押し付ける今の風潮は、
老いもわかきも、教育レベルの高低も関係なく増えてきている。


蛇足だが・・・
実は私自身も家族を医療事故で亡くしている。
あの悲しみと不信を、医師になることで昇華できた自分は
とっても偉かったのではないかと、褒めてあげたい位だ。
でも医師になったおかげで、あの苦しみから解放されたのだろうと思う。

再開したが、存在価値は地に落ちたかもしれない。

■2007/05/30 (水)

首を長くしてM3の再開を待っていた。しかし、再開の場にはもはや言論の自由は失われていた。削除の山。履歴の読みは不能。新たなスレッドが立っても意向に沿わない場合はすぐに削除。意向がどういう方向なのかすらも意味不明だ。私は戦争を記録で知る世代だが、なんだか戦時中の検閲のようだ。そういえば、大本営の遠い展望のない、行き当たりばったりの作戦と、僻地医師派遣やら実際の臨床現場とかけ離れた諸政策は似ているように思えてならない。そしてさしずめ医師は特攻隊のような存在なのか?

どのような職業もそれぞれ大変だと思うが、医療業界ほど国の妙な政策に振り回されることはないだろうと思うと悔しくてたまらない。

今、受験生人気は医学部>>東大なのだと聞く。でもこの記号の向きは、底辺医者の身分では逆向きだ。そしてその差は今後急速に広がるような気がする。残念だけど。医学部を目指す受験生は、現実はとても厳しいこと、そしてそれはこのところ急速に心の病気に陥る医者が増えていることに現れている実情を知ってほしい。かっこいい正義感だけでは医者はやってられないということを覚悟してほしい。

年金証明、半年だけできず。

■2007/05/28 (月) 新研修医制度がはじまるまで医者の世界は医局が医師派遣を受け持っていた。私が医者になったころは、半年ごとに関連病院へ派遣されるのが慣わしだった。だから、多くの勤務先で常勤医を経験している。
半年ごとに回るので、ボーナスが出なかったことを後で知り、悔しく思うのだが、それでもいろいろな病院で勤務し、多くの人脈を得たことはお金に変えられない貴重なものだったので、満足している。
ところが、勤務先病院は、私立やら公立やら、それ以外の独立保険のところ(今では統一されているようだが)やら各種の保険が入り乱れ、しかもその間には、大学院研究生活と出産があったため、国民年金と、第三号(夫の扶養家族となった時期がわずかにあるため)までもが混入する、すさまじい履歴となっている。年金不明が話題になる中、どうなっているか確認するのが怖くて、社会保険事務所に行っていなかった。もともと最後の公的病院を退職したときにこれまでの共済部分の通知があったが、残りの病院と国民年金、および第三号の部分はきちんと証明できた。しかし、独立保険であった某病院での半年間が不明になっていることが判明した。この病院の保険は今は共済に統合されているが、統合前の証明がオンラインでは出てこなかった。社会保険事務所で要精査扱いとなってしまった。(給料明細を捨てていないので、個人的に証明可能。取っておいてよかった〜)
それにしても国民年金への切り替えをした覚えが全くない。しかし、切り替えがあったおかげで、途切れることなくなんらかの保険に入り続けることができたのだ。昔は医局の秘書の方が、こういった雑用をしてくれていたので、秘書さんが知らないうちに手続きしてくれていた可能性が高い。今は医者と結婚して家庭に入ってしまった当時の秘書さん、ありがとう!

変更報道は相変わらず?

■2007/05/26 (土)
光市の事件。あまりに荒唐無稽な弁護人の論弁にあきれ果ててしまう。死刑廃止の材料に事件を利用しているにしても、お笑いにもならない情けない弁論だ。あの人たちは恥ずかしくないのだろうか?
あのような冷静に第三者が常識的にみても、ほとんどの人が「狂っている」と思ってしまう弁論をする弁護士たちをなんとかできないものだろうか?大部分の弁護士は良心的であると信じているが(信じたいが)、他の弁護士たちも彼らをあのままにしておいてよいと思っているのだろうか。
夫はどこの世界も同じだ。変な医者がいるのと同じように、どんな職種でも一定の割合で変な人がいるのだと達観していた。でも私はあの弁護士の言い分を聞くたびに、怒りで体が震えてしまう。許せない。



■2007/05/27 (日)
雑用が多くてなかなか更新できないが、相変わらず日々頭にくることが多い。今日、早朝のスーパー激安セールから帰ってきてテレビをつけたら、徳光さんのワイドショーで大淀病院事件を報道していた。途中からみたが、完全に医療側のミス、心無い医師という結論に達していた。ゲストの芸能人たちからは、医師は職業になってしまって、(ちょっと言葉は違うが)昔の赤ひげ精神を忘れてしまったと断じていた。
え〜〜〜〜〜!医師の心が残っているからこそ、耐えているんじゃないか?しかも患者が亡くなった=医師のミスのまま。子供が助かったことだけでも容易なことではなかったと思うが、そのことについてよくやったという言葉は全く聴かれない。・・・あれからいろいろな資料から、やむを得ない病態であったことは、大方の医師の一致した意見だった。そしておそらくメディアは責任をすべて医師の側に向けたが、細かく調べ、医療の知識を加えると、報道が間違いであったことが明らかになってきたと、私は思っていたのに、いまだに同じ論調で話をしている姿を見て吐き気がしそうになった。
私たち医師は程度の差はあれ、病気の方をよくしたいという思いは誰もがもっているはずだ。でも過酷な勤務で余裕がなくなったり、過大な欲求をする患者さんに絶えられなくなったりしていることは事実だ。それに理不尽な訴訟やメディア報道があり、さらに国の医療費削減のターゲットとなり、収益追求をせねばならぬというジレンマに日々追いまくられているのに。
せっかくの休日のスタートに意欲が萎えてしまいそうだ。

追記
ワイドショーではあの光市の事件を担当した弁護士の報道もされていた。そして、そして・・・驚くべきことに、司会者は、この弁護士も奈良の医師も、心を失ったのでしょうかと結論付けていた。
え〜〜〜〜〜〜!あの弁護士と同等にするのか?ますますやり切れない。せめて一般の人が、この理解不十分の司会者と同じ考えをしないように願いたい。

流れはとめられない。

■2007/05/11 (金)

扇議員が今季限りでの政界引退を発表された。芸能人が政治家になるのは少々違和感をもっているが、この方は政治家として花のある方だったと思う。若い頃はそれこそ絶世の美女であったが、今でも本当に美しい。
最近よく考えるのは、できるだけ美しく老いたいということ。容姿は必ず劣化するけど、それを補うような年のとり方をしたいと思う。それにはストレスをためない生活を送らねばならない。たまったストレスを発散する場所が必要で、最近はM3が受け皿になっていたのに、機能午後から突如停止してしまった。いったい何がおきたのかとても不安だ。
m3は匿名であるがために、本音をぶつけあうことができる。横のつながりのなかった医者たちにとっては、貴重な情報交換の場である。なくされてはタマラナイ。でも万が一閉鎖されても、別の場所を誰かが作ってくれるだろう。この数年で私たち医者は自分たちの待遇に目覚めることができた。大げさだが、東欧の社会主義崩壊が止められなかったように、医者の意識改革の流れはとまらないと思う。