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砂鉄フィクション

Satetsu-Fiction
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20161202 - Fri

ハンバートハンバート - むかしぼくはみじめだった - 小舟


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 はなみずとまらん

20161201 - Thu


ぼくはことばが
うまく言えない
はじめの音で
つっかえてしまう

だいじなことを
書おうとすると
こ こ こ ことばが
の の のどにつまる

こみあげる気持ちで
ぼくの胸はもうつぶれそう
きらいなときはノーと
好きなら好きと言えたら

あたまにきても
ことばがでない
く く く くたばれ
これじゃ勝てないね

家に帰れば
ロックがぼくを
待っててくれる
ボリュームあげるよ

20160910 - Sat

栗コーダーカルテット - 遠くの友達 - 夏から秋へ渡る橋


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20160909 - Fri

これこそはと信じれるものが
この世にあるだろうか
信じるものがあったとしても
信じないそぶり
悲しい涙を流している人は
きれいなものでしょうネ
涙をこらえて笑っている人は
きれいなものでしょうネ

男はどうして女を求めて
さまよっているんだろう
女はどうして男を求めて
着飾っているんだろう
いいかげんな奴らと口をあわせて
おれは歩いていたい
いいかげんな奴らも口をあわせて
おれと歩くだろう

たたかい続ける人の心を
誰もがわかってるなら
たたかい続ける人の心は
あんなには 燃えないだろう
傷つけあうのがこわかった昔は
遠い過去のこと
人には人を傷つける力があったんだろう

吹きぬける風のような
おれの住む世界へ
一度はおいでョ
荒れ果てた大地にチッポケな花を一つ
咲かせておこう
おれもきっと君のいる太陽のあるところへ
行ってみるョ
そして きっと言うだろう
来てみて良かった 君がいるから

長い長い坂を登って
後ろを見てごらん 誰もいないだろう 長い長い坂をおりて
後を見てごらん
皆が上で 手を振るサ
きどったしぐさがしたかったアンタ
鏡を見てごらん
きどったアンタが映ってるじゃないか
アンタは立派な人サ

古い船には新しい水夫が
乗り込んで行くだろう
古い船をいま 動かせるのは
古い水夫じゃないだろう
なぜなら古い船も 新しい船のように
新しい海へ出る
古い水夫は知っているのサ
新しい海のこわさを

いったい
おれ達の魂のふるさとってのは
どこにあるんだろうか
自然に帰れっていうことは
どういうことなんだろうか
誰かが言ってたぜ
おれは人間として 自然に生きてるんだと
自然に生きてるって
わかるなんて
何て不自然なんだろう

孤独をいつの間にか
淋しがり屋と かんちがいして
キザなセリフをならべたてる
そんな自分を見た
悲しい男と 悲しい女の
いつものひとりごと
それでも いつかは
いつものように 慰めあっている

20160409 - Sat

薬師丸ひろ子 - 大貫妙子トリビュートアルバム - Tribute to Taeko Onuki- - 色彩都市


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 遊びながら/きれいになるのよ/私だけの秘密

20160408 - Fri

pomodorosa - 桜前線*1


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 まだけっこう肌寒いけど、桜いったいどこいった

20160405 - Tue

i am robot and proud - light and waves - A Way of Organizing Time


猫に時間の流れる (中公文庫)
保坂和志猫に時間の流れる

 ぼくには恋愛をプログラミングにちかい拘束と思う気持ちがだんだんと強くなってきていたのだが、外を歩いている猫を見て、その猫のことが気にかかったり、猫のからだつきや仕草をかわいいと思ったりするのは恋愛や性の感情とはずいぶん違っている。それは恋愛や性のように激しい心の動きではなくて、特に昂揚感を伴うわけでもなくて、強いて説明しようとするなら、猫を見ているときの気持ちはたとえば海を眺めている時間と似ているのかもしれない。あるいは海という例をあげることで、ぼくは昂揚感を伴わないでそれをいいと感じる感情が特殊ではないことを説明できたかもしれないと思う。
 どちらもあまり長い時間見ていると飽きるところも同じだけれど、海は猫を見るときと違っていちいち細かく見ないで漫然と見る。ぼくは植物や昆虫を採集したり観察したりしたことがないが、猫を見るのは海を見るのよりそれに近いかもしれなくて、海ほどの普遍性を持っていないところも似ている。海にはまったく内面性がなくて海に内面性を見ようとすればすべてが比喩になるか見ている人間の内面の投射になってしまうかのどちらかだが、きっと昆虫にはいくらかの内面性もある。内面性とは西風が吹いたときに木なら東になびくが、それと違って西風が吹いているときに蜂が風の動きと別の動きをするその原因とでもいうようなもので、ぼくは内面性あるいは内面の領域のことを必ずしも“心理”や“精神”とは限定していない。


 チイチイもパキもピルルもサスケも屋上に出ると入れ替わりで降りていってそこの臭いを嗅ぐ。猫たちの態度は注意深いようなそうでもないような、何かがわかっているような何もわかっていないような、こっちの気持ちによってどうとでもとれる態度で、それは二匹で飼われていた猫の一匹が死んでいなくなったあとに、残された一匹がもう一匹を毎日探しているという話を聞くとかわいそうだと思い、残された一匹が死んだ一匹のことを次の日からすっかり忘れてしまって何事もなかったようにしているという話を聞いても同じだけかわいそうだと思うのときっと同じで、人は結局のところ猫とのコミュニケーションは肝心のところで絶たれているのだし、猫は猫に向けて自分の記憶を残すことがないということでもあって、記憶を伝えるというのは人間だけにかぎられた特殊な作用で、それがいいのか悪いのかわからないがとにかくそうするようにできている。