エコノミスト記者が見たチベット騒乱 (暴動時ラサに滞在。今までと感じが違うかも。)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080411-00000001-cou-int

3月10日に行われた僧侶たちのデモから、同14日の暴動、そして中国の治安部隊による鎮圧へと、その激しさが増していったラサに、英エコノミスト誌の北京特派員が取材で訪れていた。

暴動の始まりは、ラモチェ寺の外で、2人の僧侶が治安部隊に殴られたことだった(地元のチベット人はそう信じている。当局は、僧侶が先に警官に向けて石を投げたと発表している)」

最初、治安部隊はこの騒ぎを静観していたという。そのため暴動は続き、漢族が経営する店が次々と襲撃されていった。一方、チベット人経営の店の入口には“目印”がしてあったため、どれも無事だったという。時折、催涙ガスを浴びせていただけだった治安部隊は15日になってようやく強硬な作戦に踏み切ったようだ

今回の混乱について、同誌記者は当局の“読み違え”を指摘している。

(このタイミングで)外国人記者が市内に滞在していたこと自体が、当局が“ラサの怒り”を読み誤っていた証だろう。外国メディアがラサを取材する許可はめったに下りない。(中略)本誌の取材は、3月10日と11日の僧侶による抗議デモの発生前に許可されていたが、12日以降もスケジュール通りに取材を続けさせた当局は、明らかに状況を管理できると思っていたようだ

エコノミスト(UK)より。

今まで何気なく読んでいた記事と結構食い違う点があるような気がします。

この問題14日の暴動から注目を浴びたんじゃないかと思いますが、まぁまず3/13に
緊迫チベット、僧侶に公然暴力 PCメール届かず、携帯メールで「妨害されている」(記事は産経新聞からです)
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20080313/1205353687
という記事があったのですが、その後あまりこの記事との整合性を考えずに、がむしゃらに新聞記事を追っていたような気がします。ちょっと反省して、休日だし少し冷静になって、各記事をもう一度読み比べてみようかと。

上のリンク先によると10日のデモの様子は

 米短波放送・自由アジア放送などによれば、10日、ジョカン寺近くの土産物街バルコで僧侶や尼僧を含む10人あまりのチベット族チベットの旗をふり、ビラを配りながら抗議活動を行ったところ、武装警察が殴るなど暴力で抗議活動を鎮圧。聖職者への突然の暴力に、パニック状態になりバルコは一時封鎖された。またこの日、300人の僧侶が参加してデプン寺からジョカン寺までデモ行進する計画があったが、市中心10キロの地点で武装警察に鎮圧され50人以上が連行されたという。

との事です。これだけですでに、だいぶ大きな事件な気もしますが、エコノミストの記事ではこの件に関して目立った記述は無いですね。

次に行くとして、
「暴徒」に自首要求=処罰軽減、密告も奨励−ラサ騒乱でチベット当局
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20080315/1205579526

今回の騒乱では、短時間に多くの場所で投石、放火などが行われたため、容疑者の特定が難しく

とありましたが、エコノミストとその下の記事からみると、必ずしも『短時間』というイメージではないですよね。短時間というのは、暴動が計画的だったと印象付けるための中国当局の情報の可能性もありますね。

また暴動の原因というか始まりですが、
チベット暴動、中国はダライ・ラマ派との「人民戦争」を宣言+他(長文)
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20080316/1205655519
の中で書いたのは、
チベットデモ「10人死亡」 中国・新華社報道

衝突を目撃したという住民は「14日午後1時ごろ、デモ参加者が大昭寺近くの派出所に放火したのを機にあちこちで火の手が上がった」と証言

と(大昭寺とはジョカン寺と書かれることもあるようですね。てかジョカン寺の方が多いかも。朝日新聞だから中国表記か。まぁそれはいいとして。)、
「群衆に装甲車突入」…ラサ住民

チベット族男性によると、14日の暴動のきっかけとなったのは、当局の警備車両が群衆の中に突っ込んだこと

とありましたが、エコノミストの記事は、

「暴動の始まりは、ラモチェ寺の外で、2人の僧侶が治安部隊に殴られたことだった(地元のチベット人はそう信じている。当局は、僧侶が先に警官に向けて石を投げたと発表している)」

ですが、3/13日の産経新聞の記事からみると、この程度の事は10日の時点でもう起こっていたと考えて間違いないような気がします。さっきの『短時間』もますます怪しくなりますね。いやでも『ラモチェ寺の外で…』とありますね。産経新聞の記事ではラモチェ寺とは書いてないですね。

ラモチェを3/14前後で調べてみると、人民日報にはありました。
2008/03/18
西蔵自治区主席、拉薩の暴力犯罪事件について語る
http://www.asahi.com/international/jinmin/TKY200803180238.html

 西蔵チベット自治区の向巴平措(シャンパ・プンツォク)主席は17日、両会(全人代と全国政協)出席のため滞在中の北京で記者会見し、拉薩(ラサ)で発生した暴行・破壊・略奪・放火事件の状況について、次のように語った。新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。

 拉薩市で14日、暴行・破壊・略奪・放火の重大な暴力犯罪事件が発生した。これはダライ・ラマ集団が組織的、策謀的、入念に画策煽動し、内外の「西蔵独立」分裂勢力が互いに結託して引き起こしたものだ。

 14日午前11時頃、一部の僧侶が小昭(ラモチェ)寺で勤務中の人民警察を石で攻撃した。その後、一部の暴徒が八廓街(バルコル)に集結を始め、国家分裂のスローガンを叫び、暴行・破壊・略奪・放火活動を公然とはたらき、事態は急速に拡大していった。

 不法分子は拉薩市街の主要通りに面した商店、小中学校、病院、銀行、電力・通信施設、報道機関などに暴行・破壊・略奪・放火をはたらき、路上の車両を焼き払い、通行人を追って殴打し、デパート・通信拠点・政府機関を襲撃し、現地住民の生命と財産に重大な損失をもたらし、現地の社会秩序を深刻に破壊した。

 今回の事件の発生は、実際には3月10日に一部の不法分子が不法に集結して起こした騒動に遡る。これら不法分子は公安・人民警察の制止を聞かず、「西蔵独立」のスローガンを叫び、勤務中の人民警察を挑発し、罵り、棒・小石・匕首を用いて暴力的な攻撃を行った。

 わたしが現在把握している状況によると、今回拉薩で発生した暴行・破壊・略奪・放火暴力事件で、暴徒は車両計56台を破壊・放火し、無辜の市民13人を焼き殺し、あるいは切り殺し、公安・人民警察は数10人が負傷、うち4人が重傷を負った。武装警察は61人が負傷し、うち6人が重傷を負った。暴徒は300カ所余りに放火し、民家・商店計214棟を焼き払った。

 西蔵の各民族人民は、拉薩で発生したこの暴行・破壊・略奪・放火の暴力犯罪事件に、極めて大きな憤りと厳しい非難を表明している。西蔵自治区は迅速に公安・武装警察・その他関係方面を組織し、火災を鎮火し、負傷者を手当するとともに、学校・病院・銀行・政府機関の治安維持を強化し、暴行・破壊・略奪・放火の暴力犯罪活動を法に基づき取り締まった。私たちの取ったこれらの措置は、社会の安定を守り、国家の法制を守り、西蔵各民族人民の根本利益を守るためのものである。現在、拉薩情勢はすでに落ち着き始め、社会秩序は安定を取り戻している。

まぁ人民日報なので、あまり内容は気にしませんが、「当局は、僧侶が先に警官に向けて石を投げたと発表している」は、正しいわけですね。ともあれ14日のラモチェが始まりなのは間違いないようです。

ところで、
チベット政策は誤り! 中国知識人が声明、ネットに転載
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20080325/1206401128
では、

 劉氏らは、チベット自治区のラサで暴力事件が発生した当日(3月14日)、チベット自治区の責任者が「ダライ集団による犯行を証明する証拠をもっている」と発表したことに注目。地元当局が事前に騒乱を察知していた可能性があり、チベット人僧侶を弾圧するため、騒乱の発生をわざと阻止しなかったのではないかと示唆

とありました。まぁ『「ダライ集団による犯行を証明する証拠をもっている」と発表した』というのは、証拠を公開したという話も聞かないので、ほとんど信じていませんでしたが、『騒乱の発生をわざと阻止しなかったのではないか』というのは、エコノミストの記事では、10日のデモから、15日になって『ようやく強硬な作戦に踏み切ったようだ』(これもあくまでようだですけど)なので、『わざと阻止しなかった』可能性も捨てきれないのかな。

しかし逆にエコノミストの記事『(このタイミングで)外国人記者が市内に滞在していたこと自体が、当局が“ラサの怒り”を読み誤っていた証だろう。』というのも頷けます。なにせ、1959年のチベット動乱から49周年となる3/10と言う事でインドでも、
亡命チベット人団体、反五輪デモを計画
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20080108/1199800618

行進は、1959年のチベット動乱から49周年となる3月10日にチベット亡命政府のあるインドのダラムサラから開始。途中ニューデリーを経由し、チベットの首都ラサを目指す予定。

と、すでに1月には予告されてたわけですから。ラサのチベット人がこの事を知っていたのかは分かりませんが、3/10というのはやはり特別な日なんだと思います。

(いやそれより、
中国が「活仏転生」許可制 チベット族激怒
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20070808/1186521700
辺りを挙げといた方がいいのかな)

ともあれ
チベットイラクアフガニスタンより危険か?
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20080326/1206538166

「ラサは平静を取り戻したが、記者の安全確保」のため人数を制限したと説明した。

 これに対し、「多くの記者がアフガニスタンイラクで取材している。チベットはそんなに危険か」

と3/25の記者会見にあったように、その後はよっぽど外国人記者を入れたくなかったようですが、エコノミストの記事では、『12日以降もスケジュール通りに取材を続けさせた当局は、明らかに状況を管理できると思っていたようだ』ですから、当局が読み誤っていた可能性も捨て切れませんね。

チベット人僧侶を弾圧するため、騒乱の発生をわざと阻止しなかった』はさすがに考えすぎですかね。

まぁ
これが決定版?チベット僧海外メディアに直訴http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20080328/1206721567

 「政府は、僧侶に対する国民の見方を変えてしまった。この地では、われわれはまるで受刑者のようだ」

とありましたから、最初からチベット人僧侶は弾圧されてたんでしょうけど。

話を元に戻しますと、騒乱の発生をわざと阻止しなかったのか、単に状況を管理できると読み誤ったのかの問題ですけど、もし当局がわざと阻止しなかったとするなら、
チベット弾圧:チベット人に扮した警察官がデモ隊を扇動
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20080324/1206304109
や、
中国軍がチベット人に変装してた証拠?
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20080406/1207430393
あたりが一気に真実味をおびてきますね。エコノミストの記事からでは14日に暴動が発生して、15日になってようやく強硬な作戦に踏み切ったようだというちょっと頼りない情報しかないですけど。

しかし『暴力事件が発生した当日(3月14日)、チベット自治区の責任者が「ダライ集団による犯行を証明する証拠をもっている」と発表した』なんですよね。なんで翌日15日から強硬な作戦に踏み切ったのか。

まぁ思いつきですけど、14日の発表はチベット自治区の責任者、この時までは自治区の責任で何とかできると思ったが(無理にでもしようとしたが)、15日になって国家レベルの問題と認識されたと考えられなくも無いですね。

もう一度出しますけど
チベット暴動、中国はダライ・ラマ派との「人民戦争」を宣言+他(長文)
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20080316/1205655519
では、

中国政府当局者は15日の会合で「今回の乱闘や破壊、略奪、放火の憂慮すべき出来事は、国内外の反動的な分離派勢力が慎重に計画したもので、最終目的はチベットの独立だ」と指摘。「分離主義に反対し安定を守るため、人民戦争を戦う。

と15日の事を書いてますしね。15日になって国家介入という見方はあながち外れともいえないかも、なぜなら上と同じリンク先
チベットデモ「10人死亡」 中国・新華社報道

米政府系のニュース配信会社ラジオ・フリー・アジア(RFA)は「15日朝から複数の軍用車ラサ市内をパトロールしている」との住民の声を伝えた。

で、14日は
「群衆に装甲車突入」…ラサ住民

チベット族男性によると、14日の暴動のきっかけとなったのは、当局の警備車両が群衆の中に突っ込んだこと

まぁ14日は警備車両、15日朝からは軍用車ということのようですから。あ、でも中国人民解放軍って詳しく知らないや、国家介入という表現がまずおかしいか。国軍じゃないし。まぁ今日行くいつものネット飲み屋で、てんちょにでも聞いてみると何か分かるかもしれない。

あ、一応中国側の言い分も
チベット自治区管轄の成都軍区、「最高レベル」警戒態勢に
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20080319/1205878269

中国政府は暴動制圧に解放軍は関与していないと主張しているが、報道の映像などには解放軍の新型装甲兵員輸送車などが映っており、実際には解放軍が出動していたとの見方が強い。

 中国の軍事問題に詳しい軍事評論家の平可夫氏は、「装備などから、いずれも成都軍区最精鋭部隊の第149緊急展開師団と第52山岳歩兵旅団が出動したと見られる」と指摘している。