そいとごえすの退避ブログ

2019-02-21 はてダから移転。

2004年4月30日の「朝まで生テレビ!」での武見敬三氏と橋田信介氏の件

2004年4月30日の「朝まで生テレビ!」での武見敬三氏と橋田信介氏のやりとりの件。

X(旧Twitter)に書いたが、あそこのはすぐ流れてしまうので備忘としてここにも書き留めておく。

 

外交官殺害事件@イラク
https://navix.nobody.jp/b/diplomats_killed.html#2004-05-02

 

のリンク修正、FTP引っ張り出してページ上げ直すのは面倒なので、とりあえずここにメモっておく。

当時張ったリンクは切れているが、ブログは移転先で今も健在。

日本の論客達のお粗末 http://u33.sakura.ne.jp/ithink040502ronkyaku%20osomatu.htm

雑談サイトのリンク修正、他

Wikipedia第二次アキャブ作戦 - Wikipediaの記事を読んでいたら参考文献として『戦死―インパール牽制作戦』(高木俊朗、朝日新聞社)が挙げられていた。以前、雑談サイト(@Geocities)でちょっと言及したことあり。

シャン高原について。 『CAT SHIT ONE』 /シャン高原:雑談の過去ログ25(2001-07)

これ書いたの、もう20年近く前か。何もかもどんどん忘れていくが、メモ書きでも残してあればこうやって思い出す手がかりになるのだな。
自分の雑談サイトの中からこのメモを探す過程でいくつかリンク切れを見つけたが、面倒なので放置する。ただし、このはてなブログ毒蛇(山崎行太郎)カテゴリーへのリンクは直しておく。
ついでに、このブログも、サイドバーに「カテゴリー」と「コメント」を表示するように設定変更した。

「タグをつける」機能が追加されていたので、試しに入れてみた。

 

HTML編集でうまくいかんので手作業でリンク貼り直し。

ブログデザイン変更

老眼が進んで自分のブログさえ読めない。とりあえずブログデザインを slim から Simpler Light に変えてみる。ついでにブログアイコンも設定(老師ポーを流用)。

 

特に書くこともない。Twitterもメモ代わりの「いいね」が大半でたまにRT、自分のつぶやきはほぼしてない。言うべきことはどこかで誰かがすでに言っている。

 

ということで、これで更新終わり。

「そいとごえすのB」をジオシティーズから忍者に移転

今月末でYahoo!ジオシティーズがサービス終了となるので、ホームページを「忍者ホームページ」に移転した。

 

新URL→ <a href="http://navix.nobody.jp/index.html">そいとごえすのB</a>

 

ずっと更新せずほぼ放置状態だったわけで、移転したからといって心機一転ばりばり更新したりはしない。そんな元気はない。

だいぶ前にFTPでファイル転送しようとしたらFTPの設定ファイルが現行PCに無くて、旧PCからコピーしようとしたらPC起動しなくて、あれこれやってみた結果、マザボかCPUどっちか死んでてPC起動当分無理と諦めてHDD抜いて新PCにUSB接続しようと四苦八苦したがうまくいかず仕方なくWindowsの認証要求覚悟で内部増設してコピーしてついでに繋いだHDDの中身をあれこれ見てたらあまりの懐かしさに何日も過ぎてしまって、まあその後またあれこれして、

あとなんだっけ? まあ色々あった。

ともあれ移転完了。もう疲れ果ててしまったのでこれで終わり。

 

プレビューで見ると新urlのリンクがうまく書けていないが実用上は問題ないよなこれで?

あとで元気回復したら修正するかも。

はてなダイアリーからはてなブログに移転

期日を過ぎるとはてな運営による強制移転でいろいろ不自由な事が生じるらしいので、とりあえず自主的に移転措置した。

リダイレクトにすると前のはてなダイアリーは読めなくなる(0秒で遷移する)のだなあ。移転だけしてリダイレクトは後日にすればよかったか。まあ、いい。

 

↑ 読めないといっても記事はこのブログに全部インポートしてあるのだが。cssを弄って調整したはてダ時代の外観を参照できないのがちょっと残念だったり。

「超越論的賃金」(Wikipediaの「ニューディール政策」)

Wikipediaの「ニューディール政策」に「超越論的賃金」という言葉がある。

NIRA(全国産業復興法)による労働時間の短縮や超越論的賃金の確保


ニューディール政策

履歴を見ると、2008年にIPユーザーが「最低賃金」を「超越論的賃金」に書き換えている。→ 「ニューディール政策」の版間の差分 - Wikipedia


違和感がある。備忘のためブログにも呟きを自家引用しておく。

※訂正。「ざっと見たところどれも出典無し」と呟いたが、Wikipediaからの引用であることを明示しているページもあった。

三宅由佳莉氏の防衛記念章 @Wikipedia


Wikipediaの記事「三宅由佳莉」の「防衛記念章」の項には「第7号防衛記念章 第16号防衛記念章 第18号防衛記念章 第37号防衛記念章」というテキストと4つの画像が掲示してある。4つ目の画像のファイル名は「Japan_Self-Defense_Forces_Service_Ribbon_36.svg」。

4つ目(右下)の画像は中央に青線、左右に白と幅広の薄緑、両端が赤紫の帯で、三宅氏が実際に着用している物と一致している。*1

ファイル名が36で名称が第37号。36か37なのか?


2013年のインタビュー記事ではこの右下の防衛記念章を第36号として紹介している。胸元の写真あり。(この記事の写真では防衛記念章は3つで、第7号は着けていない。)


次に胸に輝くバッヂだが、これは「防衛記念章」。自衛官が職務遂行上の功績によって表彰されたり、経歴や補職を記念して制服に着用できるもの。


まずは赤のラインが両端に入っているのもは「第16号防衛記念章」。防災、安全功労者表彰に係る業務従事者に贈られるもの。次に向かって左下の緑のラインのものは「第18号防衛記念章」。第1級賞状受賞に係る業務従事者に贈られるもの。最後に右下の両端に紫のラインが入っているものが「第36号防衛記念章」。国内における大規模災害派遣活動従事者に贈られるもの。


【インタビュー】三宅由佳莉、海上自衛隊東京音楽隊所属の女性自衛官が透明感あふれるソプラノで人々の心を癒やす(2ページ目) | 三宅由佳莉 | BARKS音楽ニュース
 (強調は引用者による。)


現時点のWikipediaの「防衛記念章」では第36号は海賊対策派遣関係になっており、第37号が大規模災害派遣関係。


第36号 ソマリア沖海賊の対策部隊派遣に関する業務従事者:2009年3月に発令された海上警備行動及び海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律(平成21年6月24日法律第55号)に基づく対応措置に従事した者。2009年12月制定。


第37号 大規模災害派遣(災統合任務部隊)従事者(2011年12月に防衛記念章の制式等に関する訓令を改正し制定、同年10月の入札公告で告知された記念章)


防衛記念章 - Wikipedia

それで三宅氏の記事も第37号になっているのか。(編集履歴によると、「三宅由佳莉」記事中の第36号が第37号に書き換えられたのは今年1月18日。)
なお、この防衛記念章の記事には「防衛記念章の紹介」という参考画像が添付されているが、ちょっと古いものらしく第40号までしか載っていない。第35号が「海賊対処行動等従事者」、第36号が「外国において行う国際貢献従事者」、第37号が「テロ特別措置法に係る業務従事者」で、2011年の大規模災害(東北大震災)に関係する物はない。
ちょっと古い(?)参考画像→ファイル:Boueikinen.jpg - Wikipedia

防衛記念章の制式等に関する訓令(PDF) の最新更新は平成28年4月22日。第43号防衛記念章まで定められている。「国内における大規模な災害に対処するための派遣の命令に伴う活動に従事した者のうち防衛大臣が別に定めるもの」は第38号になっている。
ということは、三宅氏が着用している記念章(右下のもの)は、現時点では36でも37でもなく、第38号ということか。
訓令によれば第38号は赤紫・白・若草色・白・中央に青・白・若草色・白・赤紫で、配色・形状も一致する。

なお、自衛隊公式サイトの防衛記念章の記述はWikipediaよりも更新が遅れている。ざっと見たところ、どれも第41号防衛記念章までしか掲示していない(大規模災害関連は第36号のまま)。

*1:2014年9月の動画だが、1:12辺りで記念章がはっきり映っている。→ 海上自衛隊東京音楽隊ランチタイムコンサート 三宅由佳莉 Let It Go 自衛隊歌姫による熱唱 - YouTube