ブログ主の人の海です。遅ればせながら本年も当ブログをお願いいたしますm(_)m。
この数年で当ブログの来訪者の方も随分入れ替わったと思われますので今更なのですが、先日も英語圏の方から内容の質問があったり、web拍手でも未だに時折コメントを頂きますので、再度掲載してみようかと愚考しまして、どうせなら流行に乗っかろう、ということで。
数年前に当ブログで週刊連載していた「ラノベ風に明治文明開化事情を読もう−クララの明治日記 超訳版」――簡潔に説明すると、後に勝海舟の子供と結婚することになるアメリカ人少女の日記をラノベ風に翻訳し直した超訳版&解説編――を今流行のネット小説サイトに投稿してみることにしました。
ただとりあえず6回分アップしたのですが、あまりにお客様の反応がないので(涙)、明治の文明開化事情や明治の有名人(今のところ福沢諭吉勝海舟松平定敬などが登場)の素顔に興味のある方は
リンク先を是非訪問してみて下さい。
十代のアメリカ人少女の目を通して見る明治文明開化事情は、現代を生きる我々からすると「身近なんだけど遠い異世界」を覗き見ているようで非常に興味深いですし、日記に登場する「キャラクター」も立っておりますので是非。なんでしたら(寒い)掛け合い漫才している解説編だけでも呼んで頂けると幸いですm(_)m。
で、とりあえず今回はまだアップされていないシーンから、自分の一番好きなエピソードを当ブログにも掲載してみます。これで興味を持たれた方は是非リンク先をm(_)m。


ラノベ風に明治文明開化事情を読もう−クララの明治日記 超訳版 特別編


明治11年10月29日 火曜日
「おーい、クララ。今日は天気がいいからデートに行こうぜ」
 朝っぱらから家の銅鑼が鳴ったと思ったら、アーガイル侯爵家に連なるゴードン・カミングス嬢――ゴードンというより、ギリシャ神話に登場する怪物ゴルゴンと云った方が良いのだけれど――からのデートのお誘いだった。今日は特別に予定があったわけじゃないから、わたしに異論はない。いや、逆に歓迎したいくらいだ。デートといっても勿論色っぽい話じゃない。以前から骨董品の買い出しにお付き合いする約束をしていたのだ。
 どうせわたしを荷物持ちにさせる心づもりなんだろうけれど、カミングス嬢と楽しく過ごせる時間と天秤にかければ、その程度は苦じゃない。
「部屋で準備してきますから、少しだけ応接室でお待ち下さい」
 そう告げて二階に戻ろうとすると「お構いなくお構いなく」と二度も仰るので、何かと思ったら自室まで付いてこられてしまった。幸い部屋の整理をしたばかりだったし、見られて困るものもそれほどない。そもそもわたしが拒んだからといって聞いて下さる方でもないんだし。
 最善の対処は外出の準備を早々に整えてしまうことだ。そう割り切って、部屋に入るとなるべく手早く最低限必要な荷物を鞄に詰め込む。となにを思われたのか、わたしの傍らで、カミングス嬢は持ってきた手提げの鞄の中身をぶちまけ、詰め直し始めた。買い出しの途中で写生でもされるつもりなのか、スケッチブックと鉛筆入れが真っ先に目に映る。英字紙に包んだ角張った箱状のものあった。あれは……お弁当箱?
 そんなわたしの視線に気付いたのか、彼女はそのお弁当を掲げると「お手製なんだぜ。クララの分も作ってあるからお昼は一緒に食べよう」と、誇らしげな笑顔で仰る。叶わないなあと心の中で嘆息していると、カミングス嬢が小振りなワイン瓶まで鞄に詰めようとしているのに気付く。
「なんでワインまで持って行かれるんですか? どこのお店でもお茶くらい出してくれますよ」
 これは別段お店に限った話じゃない。郊外にピクニックに出かけたときなど、わたしたちが外国人だと分かると「是非お茶でも飲んでいって下さい」と誘われることがたびたびあった経験からだ。最初は何か下心があるんじゃないかと疑ってしまったのだけれど、それが恥ずかしい勘ぐりだって事は、すぐに理解できるようになった。一見警戒しているように映るけれど、この国の人たちは“客人”に興味津々なのだ。もっともそれが度を超しすぎて、鬱陶しいと感じる外国人が多いこともまた事実なのだけれど。
 だいたいこれから骨董品の買い出しに行くのだから手荷物は軽い方がいい。物によっては屋敷に届けるようお願いできるだろうけれど、ちょっとした小物なんかは無理だろう。
「あら、私はちょっとお酒が入っていないと、身体がしゃんとしないんだよ」
「……そうですか」。そっか、やっぱりこの方は普段からナチュラルに酔っぱらっていらしたんだ。そう半ば諦めの気持ちの中、受け入れる。
「でもそれでしたら、コップを用意しないと」
「コップ?」世にも不思議そうに問い返してから「あんた、私は瓶から呑むんだけど?」
 こういう会話をしている時の彼女の独特の抑揚は文字では再現できないので、彼女の云った通りに伝えられないのがもどかしい。ともあれ、あまりにも当然のように告げてくるので、わたしは抗弁することを早々に諦めることとなった。

 普段は外出には必ず愛車の自転車を利用されるカミングス嬢だけど、流石に骨董品の買い出しではそうはいかない。
 母とわたしに丁度よい大きさである我が家の人力車が、急に縮小したような気がした。しかし「二つの物体が同時に一つの空間を占領することはできない」という不可入性の法則により、わたしは押し潰された状態ながら「ご窮屈ではありませんか」と辛うじて云った。我ながら涙ぐましい気の遣いよう。この国に三年もいたせいで日本人の性質が染ってしまったのかもしれない。
 道で見かけた最初の骨董屋さん。わたしが車夫に止まるように云うよりも先に、彼女が叫んだ。
「ああ、ストップ! マッタマッタ!」
 英語日本語混じりのそれがあまりにも大きい声だったので、車夫と店の人のみならず、そのあたりの人みんなの注目が集まる。颯爽と人力車から飛び降りた彼女は、軒先に並べられている陶磁器や銅製らしい小物に目を走らせ、ついで薄暗い店の奥を、といっても奥行きは二フィートほどしかないのだけれど、探るように眺めると「よし、次!」と再び席に戻ってくる。
 この間、僅か一分足らず。唖然とするばかりのわたしたちを尻目に「ほらほら、時は金なり。次行こうぜ、次」とカミングス嬢は促した。
 結局通りすがりの道具屋では彼女を満足させる品は見つけられず、芝のいわゆる“泥棒横町”へと出向くこととなった。
カミングス嬢は、帽子を目深に被り、背が高いので前のめりに身体を曲げ、骨董品を探すのに目を細くしてのっしのっしと歩いていく。何か目に留まると、周りの人を驚かすような大きい声を出す。
 気に入った物を見つけると「オカミサン、コレイクラ?」と、愉快な行動を続ける彼女の姿を見るべく集まってきた群衆に対しては、時代がかった言葉遣いで「ミナノシュウ、ミチヲアケテクダサレヌカ」と。
 ちなみに、上流階級出身にもかかわらず、彼女の英語にはかなりスラングが混じっている。勿論、時と場合によっては、わたしのようなアメリカの田舎娘では到底真似出来ない綺麗な、まさに文字通りのクインーズ・イングリッシュで話されるのだけれど、ご本人はどうにも堅苦しい言葉がお好きじゃないらしい。
 彼女が前進する時には、わたしは小さい仔牛のように、ちょこちょことついて行くしかない。時折わたしの方を振り返っては「♪」と奇妙に哀愁の籠もった曲を口笛で吹く。とてもお上手なのだけど、何故だか聞いているこちらがとてつもなく不安に襲われる。一度も聴いたことがない曲なのに、本当に何故なんだろう? 首を捻っていると、突然声を掛けられる。
「お、珍品発見。おーい、クララ! これ、何だか分かる?」
 カミングス嬢が手にしている“それ”をわたしは凝視する。
 最初それがなんだか皆目見当がつかなかった。
 黒光りしていて、彼女が手にしている先端部分が節くれ立っている。どうやら黒檀のようだけど、だとしたら随分手が込んでいる。黒檀は非常に重く硬いので、加工は難しいからだ。そう、堅くて、太くて、逞しくて、でも先端部が歪な格好をしていて……って!?
「ななななななな何を持っていらっしゃるんです!?」
 わたしはその“正体”に気づき、はしたなく大声を上げてしまう。
「え、だから珍…」
「わー、わー、わー、ストップ」
 大声でその“正体”を暴露しようとするカミングス嬢の口を必死に塞ぐ。
「面白いよねー、露天でこんな物を売ってるなんて。ロンドンでもウエストエンドの場末の店にでも行きゃ売ってんだろうけど、まさか白昼堂々とは。ま、こっちの方が健全っていや健全なのかも知れないけどさ」
「お願いですから、そんな汚らわしいもの早く元に戻してください!」
 わたしは懇願する。なんだったら土下座してもいい。
「……買って帰っちゃ駄目?」
 カミングス嬢は何故だか子供のように上目遣いでわたしのことを見てくる。とはいっても当然わたしの方がずっと背が低いので全然似合ってない。というか、そもそも上目遣いに見えない。
「駄目です! 絶対に駄目!」
 わたしは一歩も退かなかった。きっぱりと言い切らないと、押し切られてしまう。
「ちぇー、つまんないのー」 
 子供みたいに唇を尖らせたカミングス嬢が本当に残念そうに云う。あまりの落胆ぶりに、なんだかこちらが何か悪いことをした気分になってしまうけれど、ここで“仏心”を出したら負けだ。その程度にはこの方のことを理解出来るようになっている。

 やがて太陽は中天にかかり、昼食を取るということになった。
 混雑を避けて、なるべく周りに普通の店のない茶屋を選んだのだけれど、ここでも彼女が日本の習慣を心得ていないために次々と滑稽なことをしでかしたお陰で、わたしはその尻拭いをする羽目になった。もっともその苦労は、彼女のお手製の弁当の美味しさで相殺されたのだけれど。
 だけど、ここからが本当の決戦だった。というのは、わたしたちは骨董屋のびっしり並んでいる中通りに入っていって、片っ端から細かく当たっていく羽目になったからだ。
 彼女は莫大なお金を使って、沢山の陶磁器、銅製の細工物、浮世絵、そして珍しいところでは日本の様々な風景を写した写真を買い揃えていった。そして再び男っぽい仕草で人々を驚かせ続けた。ある店では十銭を崩して貰って大きくて重い銅貨ばかり渡されると「軽いのがいい」と云って銭函をひっつかんで自分で好きな貨幣を選んでとったり、またある店の軒先では酔っぱらった老人が、悪意はないのだろうけれどわたしに向かって古い豆を差し出して「食べてごらん。身体にいいよ。歯が悪くても大丈夫」と絡んできた時は「この大馬鹿者!」と一喝して追い払ってくれたりもした。
 本当に面白かったのは七宝焼の店で、わたしたちは奥の部屋まで入っていって美しい伊万里焼のコレクションを見た。
 カミングス嬢は十四ドル分買ったのだけれど、店の陽気なお上さん相手に、休みなく大きな低音で喋っていた。言葉を切るたびに声の音階が一つずつ上がっていくのだ。前にも書いたけれど、こういう会話をしている時の彼女独特の抑制が文字では表現できないのがもどかしくて仕方ない。
 とにかく、この長い長い苦悩の旅もやがて終わった。太陽が傾きかけたので、彼女は更に向こう見ずの買い物をしてから、車夫の顔を家路に向けるように、と指令したのでほっとした。しかしあまり方々に止まったので、時間は相当遅かった。わたしたちの人力車は文字通り一杯で、足もいつもと違った高い位置にあった。カミングス嬢は両腕一杯に抱え込んでいて、粗末な包紙でくるんだ大きな包みがみんな見えていた。彼女は頑として膝掛けを拒み「みっともない包みは覆ったら如何ですか?」と云ったら「なんで隠す必要があるの? 見えて何か困るってもんじゃないでしょ」と本当に不思議そうに問い返されてしまったた。
 彼女が逗留しているダイアー先生宅に到着し、その玄関口で大切な乗客の「貨物」を車夫と一緒になんとか下ろし終えた時には、心底ほっとした。そんなわたしの背中をポンと叩いた彼女は「上出来だったわ、アンタ」と満面の笑顔で仰る。
 女性としての立ち居振る舞いをわたしが常に見習いたいと願っているアニー・ワシントンにも、こんな誰からも好かれるような笑顔は浮かべることが出来ないだろう。この笑顔だけで一日の苦労が吹き飛んでしまう。吹き飛んでしまったのだけれど。
「よし! それじゃあ、明日は写生に付き合いなさいな。ここへの迎えは朝の九時にね」