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2017-09-10

オタクとコミュ障と差別と多数者による侵略

| 23:01 | オタクとコミュ障と差別と多数者による侵略を含むブックマーク オタクとコミュ障と差別と多数者による侵略のブックマークコメント

統計も取ってなければ歴史的経緯の裏を取ったわけでもない個人的観測と憶測記事です。

昔からもやっと抱えてきていた問題に、ここ数年で自分としては整理ができてきました。

飲みやtwitterで少し垂れ流すこともあるけど、どうしてもとりとめがなくなるのでここでまとめます。


まず論旨だけ簡潔に。わかりにくい部分は後ほど補完。


  1. オタク」という定義不明の単語が使われる源流には排除の意識がある。本質的にはコミュ障の排除。オタクという言葉が変遷する中で見えにくくなっている。
  2. コミュ障は基本的に少数者で、人間の多数派はコミュ障を無意識的に迫害する本質を持つ。
  3. コミュ障は治らない。コミュ障を明確な障害者として社会的に位置づけたほうが良い。
  4. コミュ障の救済として、対人スキルが不要もしく最小化できる娯楽・コミュニティがある。
  5. それが何かは社会と時代と変わる。現代日本では小説、漫画、アニメ、ゲーム等だった。
  6. 娯楽が醸成され、エンターテイメントとして質が向上してくると、多数者がそれを消費し始める。
  7. コミュニティで標準的なコミュニケーション力が要求され始め、コミュ障は排除される。

概要は以上。


以降はこう考えるにいたった個人体験とか観測とか見解。

長いです。




オタクと括りたがる属性の本質

オタク関連のニュースとかtwitterタイムラインを見るたびに、

そもそもオタクの定義って何?それを定義してから話したら?」と苛立ちます。


苛立ちの主因は、「オタク」と括りたがっている多数者は無意識的に排除を目的にしているから。

「自分たちとは違う=普通じゃない」

という図式が透けて見える。

そしてそれに括られるのがイヤなんじゃなくて、多数者が排除したい本当の属性を包み隠す形でオタクという括りが使われるから。


オタクを自称する側もなんで自分をオタクと括るんですかね。

オタクって括り、いりますかね。


括りはいる。ただ、本当に括るべきはオタクという言葉じゃないんじゃないかなー、って。




俺はオタク自認がありません。

もしかしたら差別用語として出て来たとか、そういう経緯を見て来た忌避感もあるかもしれませんが、漫画が好きだのアニメを見るだの、そういう行動様式で括っても意味ないだろ?と思うからです。


俺の一番特徴的な気質は、「何か作りたい。俺が作ったもので人に驚いて欲しい。俺が一番だ。俺が正しい。」かなと思ってます。

(もちろんそれなりの年齢なので、自分が一番でないことも、正しくないことも知ってます。気質の問題です。)


とにかく常に何か作らずにはいられない。

小説、ソフトウェアTRPGのルール、動画、こういう記事。


自らオタクだと自称している人たちを見ていても、コンテンツを消費してるだけでもオタクだという人も多いです。

まったく行動様式が違う。


アニメやマンガを好きならオタクなの?

時間をたくさんつぎ込んだらオタクなの?

一つのことにとにかくこだわったらオタクなの?


小説は?映画は?鉄道は?将棋は?プログラミングは?

自転車は?武道は?肉体改造は?日曜大工は?車は?


実は用語としてのオタクは若干定義されていたりもしますが、世間様がそれに従ってくれるわけでもない。

オタクって、すごい便利な、「何を根拠差別しているのか」を包み隠す言葉として機能してませんかね?


マニア、ネクラオタク、コミュ障、陰キャ。

時代変遷で領域を変えつついろいろありますけど、一番正解に近い「言葉」はコミュ障でしょう。


この文ではコミュ障の定義を

他者との交流に対する欲求が少ないもしくは能力が低いことによって、社会集団の多数側に所属しにくい、排除されやすいという障害を持つ」

としておきます。

「人と話そうとするとどもるとか緊張して話せない」だけではなく、「話そうと思えば話せるけど社交的な会話が嫌い」「話すのは得意だけど人の感情を受け取れない」というのもコミュ障だっていうことですね。


世間コミュニケーション障害がある人間、つまり世間コミットしない/できない人間を排除したい。

これを明確に意識してから、俺はすごく生きやすくなった。

はっきり排除の原理が示された社会のほうが、世のコミュ障にとって幸せなんじゃないかなー。


俺がいまになってやっと理解したように、コミュ障はそもそもこの暗黙の了解に気付くことができない人が多いので、まだ気づいてないけどもやもやしているコミュ障の人の理解の一助になればと思ってこの記事を書いてます。


健常者の暗黙の趣味「人付き合い」

何年か前に人間の第一の趣味は「人付き合い」で、あまりにも普通すぎるからそれは趣味として認識されない、という言説を見て、目からボロボロと鱗が落ちました。


その瞬間に、

なんで学校でも会社で何人か連れだって食事するのか、

なんでずっと人のうわさ話をしているのか、

これまでの人生で理解できなかったいろいろなことがつながりました。


そうか。みんな仕方なく人付き合いをしてるんじゃなくて、

人付き合いが「したい」のか。


2010年頃に、人間の欲求生存、性、所属、尊敬、独立、消費、成長の7つに分けて心の動きをシミュレートするTRPGのルールを作っていました。

ルールとして作ってはいたんですけど、理解していなかった。

その瞬間やっと「あ、所属欲求が高いってそういうことか」と理解できた。


もちろん俺にも所属欲求はあるんですけど、そのレベルが違う。

そもそもみんなにとって人付き合いが一番大事なんだ、ということに、40いくつまで年齢を重ねてはじめて気付いた。


俺はTRPGのルールを作って、数字の挙動が現実と一致するのを見るまで理解できなかったわけです。

ひどいコミュ障ですね。


社会的動物の特徴

で、人付き合いが好きな人々っていうのは、そもそも多数者です。


生産力の低い社会では人間はそうでなくては生きていけなかった。

そしてつながる人間こそが子を為すわけだから、仮説としては淘汰もそちら側に有利に働く。


つながらないことは社会にとって「悪」ですよね。

だから人間の持つ様々な性質の中でもコミュ障っていうのは忌避すべき、忌避しなくても自動的に排除される特性ということになります。


意識するかしないかは別として、健常者はコミュ障に生理的嫌悪感を感じるでしょう。

私も言葉の通じない相手に対しては、害がないとわかってても嫌悪感を感じるので。

(もちろんそれを表に出すかどうかは別です。)


無意識の嫌悪の積み上げは対象に不利な社会的ルールとして現れます。

暗黙のルールこそが健常者、コミュニケーション強者の強味です。

健常者は暗黙の基準に従わない人に、「あの人は常識を知らない。私たちはあの人とは違うよね」と実に楽しそうに噂話をします。

自分たちが普通であること、「世間様」の一員であることの確認にもってこいですよね。




コミュ障という障害者

私の家族にも友人にも、鬱で適切な社会的対応がとれなくなった人が何人もいます。

深くその状況と向き合わなきゃいけないことも何度かありました。


会社でどう注意しても、人に言われると、やってはいけないことをやってしまう人がいます。

人から苦情を言われると、頭が真っ白になって、反論することができず、言われた通りのことをしてしまう。


会社でとてもコミュニケーションの苦手な人がいました。いなくなっちゃったけど。

俺とはそこそこ話せたので、コミュ障を馬鹿にする健常者との軋轢で捻じ曲がった部分は多いです。


俺のいまの結論は「知的な能力、社会的な能力は向上しない」です。


もちろん、骨折が治るように、治る心の病もあります。

ただ腕が切れれば生えてこないように、治らない心の病もある。

生まれつき目が見えない人のように、生まれつきあいさつのできない人間もいる。


手や足がなかったり、目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりは、みんな「治らない」ものとして認識します。

生きやすいとは言えない社会ですが、「サポートしようよ」という合意も取りやすい。


知的な能力は学力テストがあるので認識されないわけではないけれど、社会的な能力はまだそうした共有される評価軸や体系化された教育がない。

「誰でも人付き合いはできるはず。直せるのに直さない人はおかしい。」と認識される。

目に見えず、計測されず、みんなはできるのが当たり前だから、できないのは本人の努力だと思ってしまう。


目が見えない障害者を社会が障害者としてサポートするなら、あいさつができない障害者も社会がサポートしないと辻褄が合わない。


肉体的トレーニングがそうであるように、知的・社会的トレーニングは無意味ではありません。

でも脚のない人に這ってマラソンしろ、とは言わないでしょう?


鍛えられること、改善できることはあるし、できないところもある。

改善できる素体能力のない人の社会的対応が悪い、常識がない、ってバカにするのは差別ですよね。


オタクキモイ」っていっても世間様的には笑って流されますけど、「障害者キモイ」っていったら大炎上ですよ。



コミュ障と相性のいい趣味や職業

小説・漫画・アニメ空想上の物語で社会や人間関係を取り扱う趣味はコミュ障と相性がいい。

ひとりで過ごせる時間、空想上での感情移入による所属欲求や尊敬欲求の充足。

現実と比較した時の情報量の少なさ。単純化と強調。


そして、特定の趣味に傾倒した場合、同じ趣味の相手とは話のすり合わせが少ない。

健常者は天気、相手の近況、芸能・スポーツと「多数とコミュニケーションするための社会的最大公約数の話題」を駆使しながら距離感を作っていきます。

コミュ障はこれができない。俺は必要性さえ認識できなかった。

他者が「自分とは違う」ことが理解できない。

だけど、特定の領域に強く興味を持つ相手であれば、いきなりリビドーの制御をせずに、好き(=自分)を話し始めても受け入れられる可能性が高い。


コミュニケーションに割く脳の情報処理が圧倒的に少なくて済みます。


また、ゲームというのもひとつの回答で、できることが決まっている=現実と比べて扱う情報量が少ない。

選択が相手に影響を与えるのであれば、それは簡略化された言語によるコミュニケーションです。

相手の応答の意味を考えなくてはいけない現実よりも少ないコストで明確な反応が得られ、コミュニケーション欲求、所属欲求が充足できる。


さらにTRPGは現実の人間を自分の前に長時間拘束して話を聞いてもらうという特性を持っています。

人に向けて口を動かして言葉を話す、というのはコミュ障が精神的には苦手でありながら、肉体的には快楽という行動です。


私の観測では、自分も含めて、昔のTRPG界隈にこうした人物は多かったと思います。

いわゆる困ったちゃん問題の本質はここにあるんじゃないですかね。




従って、オタクという言葉が差別的に成立したというのも、アニメ・漫画好きだからオタクなのではなく、いまで言うリア充的集団から排除されたコミュ障が多く集まり、集団としての社会的適合性が低いことへの嫌悪感から差別的な認識がされるという相互作用の結果じゃないの、と思うわけです。


コミュ障は自らを被差別者として自認するという傾向も見えますが、雑駁になるので割愛。


そしてクリエイター研究者という仕事もコミュ障と相性がいい。

なので、多数者が興味を持たない場所で、迫害されて鬱積されたエネルギーが技術やコンテンツを育てるという構造もあります。


オタク=コミュ障なんじゃなくて、コミュ障が多く集まる場所や職業がある。

別に全員がコミュ障なわけでもないし、コミュ障の程度も現れ方もいろいろある。




無自覚な侵略と排除

昔の漫画やアニメを見ると、結構目を覆わんばかりの荒い話も多いです。

その時代に作られていた映画はもっと質がいいし、小説はさらに。


ひとつひとつの作品の話ではないです。

時代の変遷でエンターテイメントは質が向上し、情報量が増え、快感の費用対効果があがる、という話。


そしてコンテンツがブラッシュアップされ、泥臭さ、コミュ障臭さが薄れた先に、人付き合いが趣味の健常者が、人付き合いのための話題としてそれらを使う時代がやってきます。


インターネットもそうなりましたし、アニメではジブリがわかりやすかったですね。


ライトオタクという言葉ができたり、オタク差別用語じゃないと言われ始めたり、人付き合いを普通にするけどオタクなんですと言ってみたり。

これ、「健常者がオタクになった」とか「オタクが増えた」んじゃないですよね。

コミュ障が逃げ出した先で、差別された情念を煮詰めて作り上げてきたエンターテイメントを、健常者が「オタクなんです」って名乗って消費するようになったってことです。


そして、ゆっくりと、あるいは急速にコミュニティに健常者が増えます。

すると、コミュニティでの人付き合いのルールがコミュ障のルールから健常者のルールに変わります。

これに逆らうことはできません。

なぜなら健常者はコミュニケーションすること、つながりあう専門家であり、コミュ障はその能力を持たないからです。


こうしてコミュ障は安息の地を追われます。

健常者は「なんで?いていいんだよ?」と言います。

無自覚に高い社会的応答を求めつつ。


いまのTRPGシーンとか、アイマス界隈とか、ソシャゲとかみてて、パイが大きくなって人付き合いを「したい」人が増え、一定の常識とか社交性を求められたりしてるのを見ながら、「んーw」と半目になっちゃうわけですw




ちょっと未来の話

ようするに何が言いたいかというと、

「コミュ障は差別されるし治らない。

 俺は自分がなぜ差別されるのかを理解するのにすごい時間がかかった。

 早く教えてくれよ。もっと生きやすかったかもしれないのに!

 あと、コミュ障の生きやすい社会(矛盾)にならないかな!」

ってことですね。


恨み言ばかり言ってても仕方ないので、前向きなほうを。


心の病というのはあるんだよ、というのがやっと社会に受け入れられるようになった昨今、もっと人間の心の仕組みがわかる時代が来ますよね。

目が見えない、腕がないと同じように、他人の話を聞く能力がない、共感する能力がないみたいに、欠損している機能が明確になって、誰でも見えるようになると世界が変わるのかもしれません。


この数年、VR、AIと来て、このあと人間社会を変えていく技術がバーッと出てきて楽しみで仕方がないです。


ただ、TRPG欲求値とか社会的関係性とかのルールを組んでいると、多様性の維持という錦の御旗こそあれ、人の生産性社会貢献度が数値化される世界はどうなるんだろうなぁ、と考えます。

正直、根拠のある差別という着地点もあるのかもなぁ。生物的にはそうだよねー。とか。

ただ数値化を煮詰めてると、これ個人の数値じゃなくて集団の数値じゃないのということもよくあって、人間とロボット境界があいまいになる未来には、アイデンティティーの解体からスタートかねぇ、とか思ったりもします。


まとまらないけど、書きたいことは書いたのでどっとはらい

2016-08-14

シン・ゴジラ「Who will know」が輪唱なのを足場に和訳と解釈をしてみる

| 19:13 | シン・ゴジラ「Who will know」が輪唱なのを足場に和訳と解釈をしてみるを含むブックマーク シン・ゴジラ「Who will know」が輪唱なのを足場に和訳と解釈をしてみるのブックマークコメント

シン・ゴジラを見た


凄かった。ただただ凄かった。


映画の途中で口を押さえてしまうぐらい。

映画が終わったときに拍手してしまうぐらい。

同じ映画を2度見ることがない俺が2回目を見に行こうと思うぐらい。


20年、いや、40年に1度の映画なんじゃないの、と思う。


中身については書くより「観て」という感じなので割愛。


ただ、最大の見せ場である放射熱線シーンで流れる『Who will know』

http://youtube.com/watch?v=uirF6FDKxSU:embed

聞くたびに涙が出るようになってしまったんだけど

映画を見てるときは歌詞なんて理解できるわけもないから関係なかったんだけど

後から歌詞を見てもっと泣けてきたので

その解釈だけ書いておこうと思う。


以下ネタバレなので、未見の方は必ず見てから。

シン・ゴジラは事前情報がないほうが10倍は面白いです。



続きを読む

nayuta77nayuta77 2016/08/15 21:08 原爆関係でこの「忘れられる」歌か詩か絵本かがあった気がするんだけど、探しても見つからない。
気のせいか。

nayuta77nayuta77 2016/08/19 22:09 2回目見たら、原爆のことを直接「叡知の炎」っていってますね。
原爆で排除する科学の叡智、原爆を使わない人心の叡智、そのままの対比ですね。
放射能を無効化する力と作り出す力も表裏一体、破滅と救いは表裏一体。
そんなところかな?

nyaanyaa 2016/08/25 15:56 興味深い解釈ですね
おもしろく拝読させて頂きました
末尾の行は不定詞でkilling以降は現在分詞の修飾なのでちょっと強引な訳かと思いますがどうでしょうか

kotetukotetu 2017/05/11 10:37 これ翻訳明らかにおかしいですよ?
こちらの方がやったものを参考にしてはいかがでしょう
http://00tn2.blogspot.jp/2016/08/who-will-know-24bigslow.html

@@ 2017/06/27 19:26 とても興味深い解釈で、正にストンと腑に落ちる内容でした。

memo77memo77 2017/11/12 22:15 鷲巣詩郎さんによると脚本を読む前にこの曲を書いて渡してるっぽいので、実際にはストーリーへのあてがきではないようですね。
だとすればそこがさらに凄い。

2015-05-24

オフセでプロジェクターとRoll20を使ってみた

| 13:11 | オフセでプロジェクターとRoll20を使ってみたを含むブックマーク オフセでプロジェクターとRoll20を使ってみたのブックマークコメント

ヘクスシートと紙のチットでやっていた戦闘をデジタル化したくてプロジェクターを導入しました。

プレイヤー6人+マスター、30×30スクエア以上の戦闘エリア(1スクエア1m)、10vs10ぐらいの戦闘をやると、正直ヘクスシートではきつい。

どどんとふが使えればいいんですが、携帯電話タブレットでフラッシュが使えないので断念。

探しまくった結果、Roll20というTRPG支援システムを使って見ることに。


俯瞰図はプロジェクターで壁に映し、プレイヤー個々に自分のキャラクターの周囲の閲覧と移動を操作してもらう計画です。

f:id:nayuta77:20150524130851j:image

結果、3つの領域でさまざまな問題がありました。

プロジェクターと電子機器が多い問題、Roll20の問題、人間の問題。


プロジェクターと電子機器が多い問題

プロジェクターはQUMI Q5を使用。

重量・サイズ的には厚み4cmの新書程度でカバンに入り、性能も申し分ない。

ところが6人で常時機器操作するため、テーブル中央に電源確保が必須。

4口の3m電源タップ+4ポートUSB充電器、2mHDMIケーブル。

ケーブルのほうがはるかにかさばり、重く、カバンを追加するしかなかった。


ゲーム効率を考えるならディティールをつけた雰囲気のあるマップやトークンはダメ。

PCではくっきり見えていい雰囲気も出るが、プロジェクターだと効率が落ちる。

床は白、壁は黒。

トークンの絵は邪魔。円か四角でいい。コントラストの高い色。

番号か名前を中央に大きく。補色でくっきり。


(ルーンクエスト限定で言うなら、転倒、主武器喪失、気絶以上の3状態はマーカー画像の変更でやれるとよい。)


今回の会場は遮光にもひと手間必要だった。

自宅などで電源と遮光の環境がよければプロジェクターは非常に有効。


Roll20の問題

最初は複数人で同時操作するため、速度を一番懸念していたが、速度は実用に十分。


しかしPCではなくタブレットでプレイに使おうとすると多数問題が出ました。

  1. パンが不安定で思った位置に動かせない
  2. ピンチで画面サイズが変更できない
  3. トークンの向きの変更が困難

この3つが改善されないと快適ではない。


結局マスターがPCも移動させることになって処理が遅くなりました。

PCを2台使ってマスター側に1台、プレイヤー側に1台でいけるかもしれません。

しかし一人1台じゃないならどどんとふでもいいのよな。


人間の問題

プレイヤーが初めてで混乱するのは織り込み済みで今回は評価対象外です。

もしかしたら操作系が改善されれば快適なのかも。

ただタブレットプロジェクタを見てしまうので、人の顔や声への集中度は下がっているかな?


マスターのほうがはるかに問題がありました。

  1. 座る位置に慣れなくて集中できない
  2. 視界に移るプロジェクタの画面に意識を持っていかれて集中できない
  3. 「Roll20の操作」と「ダメージなどのメモ」を同じPCでやるとメモがおろそかになった。

aとbは20年作り上げてきたスタイルなので、慣れれば平気かも。

cは実はRoll20で記録すれば逆に精度が上がりそうだけど、普段の戦闘メモのような時系列での記録ができないため、戦闘を流れで捕らえているNPCの思考はトレースしにくい。


敵を準備するのに時間がかかるのとプレイヤーが手でダイスを振りたいのであればその部分は残したいため、戦闘の数値記録をRoll20に移せるのか否かについては煮詰める必要がある。

まあ研究する価値はありそうなので研究しますけど。

しかしPC2台体制ならどどんとふの使用も研究すべきだなあ。


とにかくRoll20も「PCで」「オンラインセッション」に重点を置いた作りになっています。

オフラインセッションを重視した支援ツールというのはなかなか存在しにくいですね。

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この作業のついでに日本語情報の少なかったRoll20用のWiki作ってます。

公式ドキュメントのWikiで和訳ページも作り始めました。

よろしければ参加してやってください。

http://www8.atwiki.jp/roll20/

2015-03-23

牽制地域(ZOC)を使用した戦闘

| 22:09 | 牽制地域(ZOC)を使用した戦闘を含むブックマーク 牽制地域(ZOC)を使用した戦闘のブックマークコメント

以前ルーンクエスト3版におけるZOCルールを上げましたが、久しぶりにハウスルール全体を整える中で整理したので記事にしてみる。

http://www30.atwiki.jp/hazama/pages/1401.html

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牽制地域(ZOC)を使用した戦闘

 ルーンクエストの戦闘は一瞬の攻撃・受け・回避ではなく「牽制を含む一連の連続した行動」です。攻撃ロールで戦闘行動が終わるのではなく、1ラウンドを通して警戒し、ステップを踏み、間合いを調整していると考えます。

 この、間合いを調整する意思のある状態が「牽制状態」です。呪文の投射、応急手当、宣言に戦闘行動を含まない移動中は牽制状態ではないと考えます。投式武器と発射レートがSRの射出武器の使用中は牽制状態ですが、発射レートがMR以上の射出武器の使用中は牽制状態ではありません。行動変更の間の3SRは、変更後の行動と同じ状態です。

 牽制状態でないキャラクターへの近接攻撃には+25のボーナスがつきます。受けや回避に回す戦闘行動が残っていなくても、牽制状態で間合いの調整を行うのであれば、このボーナスはつきません。

 牽制状態にある人間サイズのキャラクターは、1へクス1mのマップ上で自分の正面とその左右の3へクス(3スクエア)の「牽制地域(ZOC)」を持ちます。ZOCを使用した戦闘ではキャラクターの攻撃と受けはZOCに対して行います。

 ZOCを用いた戦闘では「XにYで攻撃」という対象を明示した宣言だけでなく、ZOCを目標として「最初に入ってきた相手にYで」「Xが入ってきたらYで」のような宣言ができます。

 「最初に入ってきた相手にYとZで」「最初に入ってきた相手にY、次に入ってきた相手にZ」「Xが入ってきたらYとZで」「X1が入ってきたらYで、X2が入ってきたらZで」は認められますが、「攻撃SRまでに倒れていない方をYで」といった戦闘中のダイスロールの結果に左右される宣言はできません。

 キャラクターは牽制状態を保ったまま、1SRに120度(スクエアの場合は90度)ターンできます。180度のターンは牽制状態を解除します。

 右手に剣、左手に盾を持っている場合、感覚的には右斜め後ろは攻撃できそうですし、左斜め後ろは受けられそうですが、ZOCルールではこれは体を回転させていると考えます。相手はまっすぐ武器を振るわけではなくフェイントを織り交ぜます。120度しか視覚範囲のない人間は、挟み撃ちの同時攻撃に対して攻撃と受けを同時に行うことはできません。

機会攻撃

 敵陣営ZOCに入っていないキャラクターはDEXSRM+武器SRMで近接攻撃を行えます。ZOCから相手が離脱しようとした場合、戦闘行動が残っている牽制状態のキャラクターは、離脱するSRに攻撃を行えます。これらを機会攻撃と呼びます。

 複数人で戦列を組んだ場合、各キャラクターのZOCが重なり合います。敵味方のZOCが重なっているへクスから離脱する場合、そのへクスに敵の牽制と同数の味方の牽制が残せるなら、離脱するキャラクターへの機会攻撃は発生しません。

 1ラウンドを防御に専念したキャラクターは、SR10に機会攻撃を受けることなく移動力分離れたへクスに移動できます。移動できる場所がなければ、ZOCを抜けることはできません。

ZOCを通り抜ける

 ZOC内では牽制者の許可なしに、牽制者側に通り抜けることはできません。牽制者を振り切ってZOCを通り抜けるには3つの方法があります。

 ひとつめは牽制者の攻撃を回避でかわしてすり抜ける方法です。回避の成功度が牽制者の攻撃の成功度より高ければ場合(ex.攻撃失敗に対する回避成功)、キャラクターはZOCを通り抜けることができます。

 ふたつめは牽制者に攻撃を回避させる方法です。攻撃が成功し、かつ成功度が牽制者の回避の成功度と同等以上であれば(ex.攻撃成功に対する回避成功)、キャラクターはZOCを通り抜けることができます。

 みっつめはなんの対策もせず、牽制者の攻撃に+25をつけた機会攻撃を甘んじて受けながら前進することです。このときも牽制者が移動方向のへクスに立ちふさがるなら、別途体当たりなどで相手を押しのける必要があります。

空間の制限された状態での戦闘

 上級ルールp9の「せまい通路」を置き換えます。

 近接武器を使った戦闘に支障をきたさないためには、本人の周囲にスペースが必要です。

 1へクス(スクエア)1mのマップでは1へクスを1エリア、天井の高さを1エリアと数えます。

 SR1の武器は自分の周囲1エリアに障害がなく、天井が身長の1.5倍必要です。SR2の武器は攻撃対象の左右いずれかのエリアに障害がなく天井が身長の1.2倍必要です。この条件に満たない場合、足りない1エリアにつき成功率に20%のペナルティーを受けます。

 刺突武器は受けの成功率にペナルティーを受けますが、攻撃の成功率にはペナルティーを受けません。

 目標以外に命中することに目をつぶって、ぺナルティーを無視して攻撃することも可能です。不足するエリアに1から番号をつけ、攻撃判定の後に1D6をロールします。不足するエリア番号の目が出たなら、そのエリアの障害に命中したことになります。

 ダメージをロールし、障害のAPを超えた分を半分にして障害に適用します。また、障害に阻まれたダメージが武器のAPを超えたなら、超過分を武器のAPから減らします。

 回避は周囲に障害物のない3エリアを必要とします。壁や大きな家具などの障害物があって必要なエリアが満たせない場合、回避の成功率は1エリアにつき20%低下します。

へクスマップでの事例

◎自分/★目標/■障害/□空間

  □★
 □◎■
  □□
SR1 -20
SR2
回避
  ★□
 □◎□
  ■■
SR1 -40
SR2
回避
  ★■
 □◎□
  ■■
SR1 -60
SR2
回避-20
  ★■
 ■◎■
  □□
SR1 -60
SR2 -20
回避-20
  ★□
 ■◎■
  ■■
SR1 -80
SR2
回避-40
  ★■
 ■◎■
  ■■
SR1 -100
SR2 -20
回避-60

2015-01-01 あけまして77は神の目と場の量子論と箱庭 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

あけましておめでとうございます。

本年も楽しくTRPGできたらいいですね。


 「侵月」キャンペーン参加プレイヤー以外はわかりにくい話ですが、正月早々から寝言を呟いてみる。


 侵月では「77は神の目」ルールを停止し、「77はPCにストックしてその場では神の目ルールの適用はしない」ということにしたわけですが、前回のセッションでその真の挙動が見えました。


 セッションの中で明らかになった「ストックを消費することで任意のロールに77が出たものとして再ロール」「ストックはキャラクターの能力・技能から変換可能」という2点から、ストックは世界の分岐可能性の蓄積で、そしてWILLでもあると推測できます。


 プレイヤーが77をロールする確率が増えすぎているので「77頼り」をブロックしてみようと思いつき、ブロックされているのはいったい何かと考え詰めた結果、77は世界の選択可能性の分岐点ヒーロークエストにおける瘤だというところに辿り着いたわけですね。


 ならば「意図した時と場所に分岐点を置けたら?」というのが基本アイデアです。しかしこれだけだと分岐点を置いても一方の結果しか観測できない。複数の結果の観測をするにはループものグローランサ的には再演を繰り返すことになるのは必然。


 ここから先はプレイアビリティの問題も含めて、管理可能な情報量にするためにはループする時間と距離を小さくする必要があるが1戦闘や小規模ダンジョンでは選択ダイナミックさがなくなるということで夜の山の中、8時間程度という舞台設定になった、と。


 タイムリープと世界線というのは非常にグローランサにマッチした考え方なので、シュタインズゲートをやってからぼんやりとどこかで適用しようかなー、と煮詰めてたのが今回ガッチリはまった感じですね。


 私がマスターをするときは、ご都合主義に流れそうになるのを世界の因果律で自分を縛る作業をします。プレイヤーのダイスロールは世界改変であるという認識に辿り着いていたので、昔から世界をハンドリングするときに意識していた場の量子論と照応させてダイスロールと世界の関係性を構築しています。


 再演についてもエネルギー保存の法則が働いていて、大きな改変には大きなエネルギーが必要。プレイヤーのダイスロールというのはこのエネルギーそのもので、真空から湧き出してくる量子の対生成。77という偏った閾値が対象性の破れ。


 うちのWILLルールの「キャラクターの能力・技能はWILLと交換可能」「WILLは世界を変更する力」という定義から、セッションの結果キャラクターが成長していくということは、特定のアイデンティティに世界を改変するエネルギーが蓄積されていく過程ということになります。


 まあそんな風にいろいろと妄想を煮詰めてありますが、神様はなんでも自由にできるわけではないよ、というのは大事なルールです。


 なぜ77が通常の処理がされずストックされたのか。なぜ特定の時間までしか戻れないのか。何が改変できて何ができないのか。などルールを探っていくと、また世界の性質が露になっていって面白いと思うので、いろいろ遊んでみてください。




 今回の思考実験はマスターとしてもいろいろ発見があって、特に箱庭世界とPCという存在の特異性、箱庭といわれるマスタリングスタイルで自分が何をやっているのかについてはいろいろ考えさせられました。


 俺はダイスロールとその結果をすべて世界の改変として処理しています。マスターの用意した世界はPC達とは無関係に存在しているような顔をしながら、実際はPC達が観測しなければ何も起こらない確率の雲


 テーブルトーク的にはキャラクター達に行動する機会があり、ダイスロールが赦されているということがいかに特別なことか。


 「77は神の目」も、長年運用する中で、このルールには箱庭型とシーン型を繋ぐ効能があることがわかってきています。


 世界への没入の代償に物語の駆動に弱点のある箱庭型。物語の保障の代償にメタ視点を要求されるシーン型。しかし実は箱庭を求めているプレイヤーなど存在しない。用意された物語ではなく自分の物語、メタ視点を要求されない物語を求めるプレイヤーがいるだけ。


 箱庭は必須ではなく物語は必須。日本のナラティブ型のTRPGの隆盛はこの本質をよく見極めた発展だなー、と。もちろん自分の物語を提供できるわけではないし、メタ視点を排除するまでには至っていないわけですけど。


 で、ベーシックロールプレイでは技能ロールは世界の物理法則(魔法も含む)に対する処理と説明されますが、視点を変えて、物語法則に対する処理と看做すこともできます。しかしルールブックにはそう書いているわけではないので、マスターが実際にそう処理していたとしても無批判適用は疑義のあるところ。「77は神の目」は、追加効果としてドラマが発生すること明記することで、ダイスロールというルールの根幹の部分に物語ジェネレーターを導入しているるわけですね。



そんなことをつれづれ妄想しながら年越しをしたわけですが、本年もよろしくお願いいたします。