ミャンマー訪問記


2016年7月21日ミャンマーを訪問しました。

2009年ミャンマーを訪問して以来久しぶりのミャンマーです。

前回はミャンマー政府の招待でニームの状況をつぶさに見て廻りました。

今回は、友人から急の誘いがあり、理事の高橋君と行ってきました。

高橋理事には今後のニームミャンマーが鍵を握るので見て欲しかった。

今回は時間がなく短時間で廻ったので今までミャンマーでお世話になった

友人・知人に逢えないのが残念です。

又、ゆっくりお世話になった友人・知人を次回は訪ねます。

正にかけ足の旅でした。

今回は
1.FAO(国際連合食料農業開発機関)元ミャンマー代表 今井博士から紹介
 されたニャン・リンさんに会う事
2.ミャンマーで初の女子大学を創った土屋昭義氏と会う事
3.ミャンマーに有る日本語学校を見て廻る事
4.ミャンマー水耕栽培をやっている長谷川氏に会う事

主に4つの案件のため、かけ足で廻ってきました。

「NSM国際女学院」を2015年10月に開校、全寮制の学校です。

土屋昭義氏とは同じ静岡県人、私の御礼の言葉

静岡の大馬鹿者同士、今後もよろしくの返答も

静岡県人の大馬鹿者同士、今後共宜しく

同じ答えが返ってきました。

ミャンマーの為、アジアの為、是非成功して頂きたい

勝手な助言は続けて参ります。

4.の長谷川氏、赤字続きの中、決して理想を曲げず、良き水を使い

18人の雇用を作っている。

ミャンマーの貧しき地帯に工場を作り、一人頑張り続けている

こんなところに日本人の見本みたいな人だよ。

7年ぶりに行って驚いた事は7年前は車が少なかったが、車が

動かない状態が度々あった。

外国人が多くいる。

ヤンゴンにいると、日本とあまり変わらない。

美味の海鮮麺 街は活気がある

良かったことは大好きなドリアンを腹一杯食べられたこと

私の土産は戦争中使われた軍票です。

1945年(Currency Notes Used During Japanese Occupation)

大日本帝国政府が発行した軍票が7枚売られていました。

戦争の爪跡が今だ残っている。

戦後70年経て、この軍票を見ると不思議な気持ちにされる。

ニームを通して日本、ミャンマーの懸け橋になる。

以前ミャンマーの友人の言葉です。

私も必ずニームを通して、日本、ミャンマーの懸け橋になる

そう誓ったミャンマーの旅でした。