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2017-11-15

日本の検閲に関する本についてまとめ

 少し前から必要があって集中的に検閲とか言論統制に関わる本を読んでいたら、友人に検閲についてわかりやすくまとめた本は無いものかと聞かれ(なにやらtwitter言論統制の歴史がちょっと話題になったようでもあり)、まとまっているもの、となるとすぐに思いつかないのだが、万全でなくても、読んだことがあるもの、知っているものをまとめておけば後日の役に立つかもしれないとふと思いついた。

 検閲というと新聞や図書などの出版物にかけられた統制がまず思いつくだろうが、例えば郵便物の検閲という問題もあり、そう話は単純でない。

 

調べ方の前提

ネットで検索すると多数見つかって絞れないので、研究者の成果公表やレファレンスブックから抽出することにする。組み合わせるのがベターなのはいうまでもない。

まず、参考文献だが、早稲田大学の20世紀メディア研究所が提供する検閲研究ウェブサイト文献紹介のページに載っているものはかなり参考になりそう。

そのほか、出版、マスコミジャーナリズム関係ということで、以下の文献目録のなかにも、検閲、言論表現の自由、出版統制などのキーワードで引っかかるものがないか探してみると、論文は相当な数が存在していることがすぐわかる。

 以下も参照されたい。

 ふつう、印刷物の普及とほぼ同時に統制は始まるので(宮武外骨が書いた『筆禍史』増補版(1926年)のように、もっと遡って小野篁日蓮の『立正安国論』も登場するものもある)、便宜的には、江戸明治から昭和戦前期、占領期、その後、くらいに分けて考えた方がよさそうだ。占領期の検閲研究は江藤淳が先鞭を付けて以降、たいへん層が厚いが、最近は江戸明治以降についても新しい史料などが発掘されているといった印象。

 近代日本の思想史などでは、学問や言論弾圧した事件としては取り上げられるが、私の不勉強故か、いわゆる講座モノや概説書などでは、制度としての言論法規が対象になることは、これまであまり多くなかったように思う。

 そんななかで、筆禍とか舌禍に対する感覚を今日と同じようなものとして捉えてはいけないと注意を促していたのは鹿野政直先生の『近代日本思想案内』だった。

近代日本思想案内 (岩波文庫 (別冊14))

近代日本思想案内 (岩波文庫 (別冊14))

例えば以下の文献を紹介している。

 2000年以降に出た本だと、早稲田コロンビア大の合同シンポジウムを元にした、鈴木登美, 十重田裕一, 堀ひかり, 宗像和重 編『検閲・メディア文学』(新曜社 2012.3)が、江戸から戦後までを対象にしている。

 論文集なのでテーマにばらつきがあるという感想はあるかもしれないが、扱っている時期の長さだけでいうと一冊ではこれ以外のものは例があまりなく、序の研究史整理も有効であると思う。

検閲・メディア・文学―江戸から戦後まで

検閲・メディア・文学―江戸から戦後まで

検閲史研究の現状、論点整理に関しては、2013年に開かれた国際シンポジウムをまとめた『Intelligence』14号の対談も参照。

  • 山本 武利. 浅岡 邦雄. 土屋 礼子. 司会「対談 検閲研究の最前線 : 戦前と戦後をつなぐ」『Intelligence』(14):2014.3. p.4-28.

最近もいろいろ単行本が出ている。

伏字の文化史―検閲・文学・出版

伏字の文化史―検閲・文学・出版

検閲と発禁: 近代日本の言論統制

検閲と発禁: 近代日本の言論統制

国家による検閲に対する関心は、高まりつつある状況にあるようにも思える。


江戸

江戸の禁書や取締については、禁じられた本についての研究がある。近年増えつつあるともいえる。

江戸の禁書』

江戸の禁書 (歴史文化セレクション)

江戸の禁書 (歴史文化セレクション)

江戸発禁本』

江戸の出版統制』


明治から昭和戦前期

文芸の取締に関する本も多い。

明治以来の文芸作品の検閲を扱った『風俗壊乱』

明治文芸院始末記』は、明治後期文芸取締を目指した文芸院の構想の顛末をえがく。

明治文芸院始末記

明治文芸院始末記

出版史研究の第一人者である浅岡先生は「著者」という切り口から出版法規の特徴を

“著者”の出版史―権利と報酬をめぐる近代

“著者”の出版史―権利と報酬をめぐる近代

『新聞検閲制度運用論』は、一次史料を駆使し、戦前の新聞紙体制の下での「検閲の基準」の変遷を追う。

新聞検閲制度運用論

新聞検閲制度運用論

報道電報検閲秘史』は日露戦争の頃の検閲を

報道電報検閲秘史―丸亀郵便局の日露戦争 (朝日選書)

報道電報検閲秘史―丸亀郵便局の日露戦争 (朝日選書)

内川先生の『マス・メディア法政策史研究』は大著だが、新聞紙法改正運動や納本制度のことも。

マス・メディア法政策史研究

マス・メディア法政策史研究

原爆と検閲』は広島長崎に訪れたアメリカ人ジャーナリストが何を書けなかったかを、

原爆と検閲 (中公新書)

原爆と検閲 (中公新書)

『戦前日本の思想統制』は、森戸事件をきっかけにした思想取締の展開を論じる。なお、邦訳が無いが同著者にはCensorship in Imperial Japanというのがある。

発禁本の蒐集、研究家として知られる城市郎のコレクションなどは明治大学から最近目録も出た。

城市郎の発禁本人生 (別冊太陽)

城市郎の発禁本人生 (別冊太陽)


表現の自由に関しては

治安維持法小史 (岩波現代文庫)

治安維持法小史 (岩波現代文庫)

治安維持法 - なぜ政党政治は「悪法」を生んだか (中公新書)

治安維持法 - なぜ政党政治は「悪法」を生んだか (中公新書)

横浜事件のことなどについては、

覚書昭和出版弾圧小史 (1977年)

覚書昭和出版弾圧小史 (1977年)

戦前戦中を歩む―編集者として

戦前戦中を歩む―編集者として

個別の事件に関しては他にも研究蓄積が多くある。

明治から昭和戦前にかけては、近年、関係者の史料発掘が進んでいて、その成果が千代田図書館などで展示されていることも多い。

関連してこちらも。

言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)

言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)


占領期

先鞭を付けたのが江藤淳の研究

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)

『検閲』は戦中から戦後にかけての原爆報道をめぐる色々な状況を掘り起こしている。

『占領期メディア研究』

占領期メディア史研究―自由と統制・1945年 (ポテンティア叢書)

占領期メディア史研究―自由と統制・1945年 (ポテンティア叢書)

GHQ検閲官』は、生々しい検閲の具体像を

GHQ検閲官

GHQ検閲官

GHQの検閲・諜報・宣伝工作』は出版統制だけでなく郵便検閲も含めて、占領下で行なわれたことをまとめている。

GHQの検閲・諜報・宣伝工作 (岩波現代全書)

GHQの検閲・諜報・宣伝工作 (岩波現代全書)

そのほか、プランゲ文庫を使った研究も進められている。

海外や図書館の例

『政治的検閲』は、ヨーロッパの話が中心で、著者も言語習得の理由から限定しようとしているが、事前検閲や保証金など、ヨーロッパ各国でいつ廃止になったかの一覧があって便利

図書館史のなかの検閲も

グーテンベルク聖書が禁書になった背景について

また、ハプスブルク家の検閲については以下を

検閲帝国ハプスブルク (河出ブックス)

検閲帝国ハプスブルク (河出ブックス)



まだ追加すべき本はたくさんあると思うのですが、ざっくりとしたまとめですみません。最近聞かれることが多くて、読んだことある本を中心にまとめてみました。研究がないわけでなく、むしろ大量にあるので、漏れはあるはずですが、とりあえず。

良い本あったら教えてください。

2017-11-09

第19回 #図書館総合展 に行ってきた。

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図書館総合展とは、毎年秋に横浜で3日間にわたって開催されているもので、公共や大学、その他各種の図書館関係者が集まって様々なフォーラムが開かれ、図書館のこれからについて議論するとともに、図書館に関わりのある新商品、新たなサービス、新システムの展示紹介や、図書の販売なども行なっている、図書館関連最大のイベントである。


高齢社会の図書館を考える

今日は休みを取って以下のフォーラムに申し込んで参加した。

「利用者から学ぶ超高齢社会の図書館―平成28年度国立国会図書館調査研究より―」

このフォーラムのレポート、微妙に関係者なので、書こうかどうしようか迷ったのだが、内容的に、数年前からずっと考えていることともリンクするものであり、また、身内の問題とも直結するところでもあり、個人的には非常に得ることの多いものだったので、忘れないように書いておくことにする。

以下に述べるのはあくまでも個人として参加した筆者の私見であり、所属するいかなる団体の立場も代表するものではない点、予めご了承いただきたい。

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このフォーラムは平成28年NDLがまとめた『超高齢社会と図書館〜生きがいづくりから認知症支援まで〜』の報告書について、執筆を担当された先生方からの内容紹介と、実際に図書館を利用している利用者の声を聴くというものだった。

対談パートは事前打ち合わせなしとのことだったが、利用者の図書館への期待が直接聞けて、身が引きしまるような感じがした。

利用ニーズなど実態を踏まえた調査というのはまだまだ緒に就いたばかり。特に今回の調査で重視したのが「ポジティブ・エイジング」の視点であったという。高齢化によって例えば小さい字が読めなくなるとか、障害者サービスの一環として取り組むのでなく、生涯学習観点を踏まえて超高齢社会の課題を考察することが一つの目的に掲げられた。認知症も、従来あまり目配りが行きとどいていなかったということで取り組みを調査することになったという。

なお、このテーマについては、調査に参加された呑海先生が会長を務められている筑波大の「超高齢社会と図書館研究会」があり、「認知症にやさしい図書館ガイドライン」などを公表している。

九州保健福祉大の小川先生の話でちょっと驚いたのは、WHOの2015年の報告書によると、2015年現在、60歳以上の人口に占める割合が3割を超えている国は日本が世界唯一なのだそうで、今後の人口の推移でも、65歳以上の人口の数はそんなに減らないが、15〜64歳の人口がどんどん減っていき、高齢者の割合が増えて行くという話だった。

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報告書の調査結果概要を話された筑波大の溝上先生のお話は、考えさせられる論点が盛りだくさんだった。質問票の回答では、とにかく高齢者の行動が多様である、ということが浮き彫りになっていた。言い方を変えれば、高齢者ならばこういうサービスがいいだろう、というような組み立てだと偏るという話が印象に残った。

例えば、年を取って移動が億劫になる、アクセスのしやすいほうがいいという声に対して、図書館が来館できない人向けに宅配サービスを始めれば解決するかというとそう単純な話でない、ということだ。回答には、耳も聞こえなくなるからインターホンに気づかない、荷物の受け取りは大変だ、という意見があって、そこに思い至らない自分を反省したりした。

場所としての図書館に対する強いニーズがあることも、印象的であった。図書館がサービスを与えるというのではなくて(何かをしてもらうのではなくて)、自分たち高齢者が何か参加できるような機会が欲しい、そうでないと充実感が得られないという声があったことも、折に触れて思い返すことになりそうだ。

また、パソコンの機器に対する不安感のようなものが高齢者に強いというのは、例えば植村八潮・柳与志夫編『ポストデジタル時代の公共図書館』(勉誠出版)などでも指摘されていたが、電子書籍もあったら使ってみたい、みたいな声も一方であったというのも興味深かった。高齢者で括ることで見失うものがあるということであろう。

図書館史的に見た利用者の変化

後半戦。図書館を利用しているシニアの方を交えての対談。プライバシーに関わることもありそうなのであんまり長く書くことは控えるが、資料検索に辛抱強く付き合ってくれた図書館司書に感謝しているとの経験が語られたり、2人に1人が認知症を抱えて生きる時代が他人事でなくやってくるなかで、年を取っても行きやすい図書館が増えて行ってほしいというメッセージが発せられたことは、やはり重く受け止めるべきだと思った。

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以下、個人的に考えたことのまとめである。

図書館史的に見た場合、利用者の変遷というのはあって、日本に近代公共図書館が制度的にも思想的にも入ってきたときに、最初に利用者の中核を占めていたのは学生だったと言っていいと思う。

戦後の図書館運動の中で、子どもや主婦の利用が拡大していき、仕事をしている成人男性もさらに行けるようにしようということで、ビジネス支援サービスなどの取り組みがあった、と解することもできるかもしれない。

もちろん、高齢の利用者というのも昔からいるにはいたが、超高齢社会という状況は従来と違う新しい状況であって、認知症への対応まで視野にいれながら課題を整理するというのは、今こそ必要なのだと思う。

移動図書館ひまわり号

移動図書館ひまわり号

キーワードの一つになるのは、「尊厳」ということだと思う。

物忘れがひどくなったからといって、理性を失ったわけではない。認知症を患っている高齢者だって嫌なものは嫌だし、その意思表示もするということは夙に指摘されている。認知症についての理解を図書館員自身が深めて行くことだって求められるだろう。

認知症を知る (講談社現代新書)

認知症を知る (講談社現代新書)

こういったサービス展開を考えることは、これからの時代を切り開いていく若い人向きのサービス構築でないということでもあって、ひょっとするとそれ自体が後ろ向きに捉えられることもあるかもしれない。新しい価値が創造されたり、社会が変わったり、何かイノベーションが起きたり、みたいなことには直結しないかもしれない。

ただ、討論などでは、「尊厳」と並ぶキーワードがいくつか出ていた。その一つが「家族のケア」なんじゃないかとも思ったりしている。本人だけでなく、家族に役立つ情報を提供したりすることも大事な役割になる。

先進的な取り組みとして紹介されていた認知症関連のコーナーを作ったある図書館では、小学生の子供たちが立ちよって書いた感想文が紹介されていた。

そこでは、記憶をつかさどる海馬について学んだ感想や、おばあちゃんやおじいちゃんが「にんちしょう」になったときにどうしたいか、素直な言葉でつづられていた。

本人たちだけでなく、周りが正しい知識を得て行くことで、認知症に対するスティグマ・偏見が取り払われる。社会から偏見を除くことに寄与するというのは、おそらく図書館の根幹に関わるものであろう。

あらためて、私のささやかな「人文学」について

そういった興味深い討論が終わりに近づくにつれて考えていたのは、つくづく自分の思考の中では、人文学のこれからと図書館のこれからはセットなんだなあということだった。

よい世の中とは何かいうことについては、社会科学者が本気を出して、思考停止せず議論したり大人のための教科書を作ってくれたりする(この際、人文学社会科学は何が違うのかという議論には深入りしないことにする)。では人文学に何ができるか。

大人のための社会科 -- 未来を語るために

大人のための社会科 -- 未来を語るために

認知症の本人だけでなく、家族のケア、あるいは子どもたちにも正確な情報を教えるのと同時に、本人や家族のケアのなかではときに気分転換になるような本の情報を渡したりすることはあって、そういうときに力になるのが、人文学アートの持っている価値の、全部ではないにしろ一部を形作っているんじゃないか。

それが、最近ずっと考えていることの一つに関わる。

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例えば、日本の思想への関心の持ち方について、次のような本を読んで考えさせられた。

職業生活や家事や育児で手一杯になっているあいまに、ふと、幸福とは何だろう、とか、いい世の中とはどういうものなのだろうかという思いにとらわれる。一般の大人が哲学や思想に関心をもちはじめるのは、そうした瞬間だろう。そうして「哲学カフェ」でほかの人と話そうと思ったり、入門書や解説書を手にとったりする。そのときには、この分野についてこれまでほとんど知らなかったという、大げさにいえば飢えのような感覚が働いているのではないだろうか(苅部直『日本思想史への道案内』(2017、NTT出版)p.5)

日本思想史への道案内

日本思想史への道案内

恥ずかしながら最初にこの個所を読んだときには、正直、そんな風に思想に興味を持つことがもし自分ならあるだろうか…。などと思ってしまったのだが、ただ、ある程度年を重ねてから、しみじみと人文学の意義を噛み締めることは、確かにあるように思う(ここで例示されているのは、思想・哲学だが、それに限らず)。

その思いが強くなったのは、若い頃に国文が大好きだった伯母が、認知症を患うようになって以後も、百人一首の話をしたりすると妙に生き生きするのを数年前に見てからだった。

人文学は60歳くらいまで役に立たないという話ではないし、そんなに気の長い話でいいかはと言われると自信もないのだが、ただ、定年で仕事を退職して急に歴史に目覚めた人が、非学問的な危うい説に熱狂的にコミットしないように、予防接種的に人文学は大事だと語るのは、平均寿命が短くならず、60歳を超えてもアクティブに活動することが当たり前になっていく世の中ならなおのこと、比較的受け入れられるのではなかろうか。

もちろん、それ以外にも大切な意義があることは言うまでもないのだが。

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ちょっと見ると人文系の学問はつぶしがきかないかもしれない。

確かに社会に出てから毎日、「人は何のために生きるのか」と考えている余裕はないし、朝起きるたびに家族が「幸福とは何だろう」と言っていたら、そういうのはちょっと困る(というより深く自分を顧みる)。

ただ、毎日考えている必要は無くても、ふとしたときに、人生の意味を考えることも一切ない生き方というのは、よいものか、というと、それには割とハッキリと違うのではないかといえるように思うし、超高齢社会と図書館人文学を繋げてもっと考えてみたいという気持ちになっている。


※文章の推敲が行きとどいていませんが、ささくれより先に総合展ブログ書けたならちょっと満足です。

※2017/11/10ちょっと修正しました。

2017-06-13

ICT時代の日本史文献管理・再考

※以前の記事「ICT時代の日本史文献管理考」の続編?です。

※例によって、自分のやり方を書いてみて、もっといい方法が無いか考え直す作戦ですので、アイデアがあったらおよせください。

 日本史の研究について、少し前に出た『わかる・身につく歴史学の学び方』は、問題意識の持ち方、概説書と研究書の違いはもとより、レジュメのまとめ方まで書いてある至れり尽くせりの本で、既に歴史学を学んだ大人がこれからの歴史学を学ぼうとする人に向けてできることは何かを考え抜いたと感じる良書だった。

 研究史の整理に関しては、「自分のオリジナルの文献リストをつくり、自分の視点からの研究史の整理をしていってもらいたい」と書いてある(p.172)。

 文献の整理が大事なのは、だいたいどんな研究分野も共通だと思うが、全くその通りだなと思う。

 個人的にこの本の白眉は第8章で「読書ノート」の作り方が書いてあることで、せめてこれを卒論書くときとは言わないまでも、修士論文を書いた頃から継続していれば・・・・と思うことしきりであった。

 図書館に入ってからは歴史だけでなく図書館論文も読むようになって守備範囲が増えたので、むしろ就職してからより切実になったともいえる。

 

 この本では次のような表現で読書ノートの効用を3つあげている。何かというと

・備忘録

・比較するため

・後で必要な情報を引き出す

の3つである。これも良く分かる。何を読んだか忘れることは多いし、同じ著者の本ならどの本に書いてあったかわからなくなって混乱するから区別する必要があるし、記録を作っておくのは後で何らかのアウトプットに使いたいからである。

 私も以前は、ともかく読んだ本や論文のタイトルだけは控えておこうと思ったのだが、横着なせいもあり、手書きでノートを付けることに挫折したので、ウェブサービスで、後で読み終わった日付と簡単な書誌情報だけブログ形式に出力してくれるものを使ってまとめていた。

 だが、このとき侮っていたのが30代後半になってからの自分の記憶力の低下だった。もともと集中力がある方ではないけれど、こんなに忘れっぽくなると思っていなかった。

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 せつない話だが、確かに読んだ覚えがあり、読んだ本のリストを見ても確かに何月何日に読んだことが載っているのだが、印象に残った一部分だけが鮮明に残っていて、全体の結構や肝心の要点が思い出せない。精読をちゃんとしていないことのツケであろうが、読むものがいっぱいあるので、なかなかうまくいかない。

 

 「読みっぱなし」は読んでいないのと一緒と喝破したのは『読書は1冊のノートにまとめなさい』の著者である。この本が説いている手書きで完結させ、インデックスの機械でというやり方のの効用は私も良く分かっているのだが、切れ端のメモに書いてそれを後からノートに貼ることが多くて、だったらそれをカメラに撮ってevernoteに貼っても効果は似たようなものになるよな、と勝手に解釈しながら部分的に取り入れているのが現状だ。

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

 ノートに書くべき事柄など、大事なことがたくさん書いてあると思う。evernoteの日付を6ケタで入れる習慣があって、勝手に自分で思いついたのだと思っていたが、読みなおしてこの本からの影響だったことに気が付いた…。



 前回の記事で「図書・図書館史にまつわる本棚」などというのを作ってみたのも、結局ちゃんと文献を管理しておかないとマズイという、同じような動機による。


 学生時代に本を読んでいなかったことのコンプレックスがあり、その反動もあって、たくさん読まないといけない強迫観念にとらわれているところはあるのかもしれない。加藤周一がある程度早く読んだ本が、理解が深まるときがあると言っていたのをぼんやり信じつつ。

読書術 (岩波現代文庫)

読書術 (岩波現代文庫)

 もちろん、途中で大事だなと思う本はちゃんとメモなりを取ってevernoteに記録していたのだけれど、evernoteでノートを新規作成し、書誌事項を書いて、それから抜き書きのメモを載せるという工程も、一つ二つならいいが、増えてくると大変で、次の本も読みたいと思ってしまって復習する時間も取れないことがあった。とくにタイトルを無題で保存してしまうと、何だか後で絶対わからないのでそれは避けなければならない*1

 本の読み方も様々で、達人になると持ち歩くために解体し、あとでまた製本し直すというのもあるという。そこまで出来ないが。

 


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 それでもう少し試行錯誤を続けているうちに、図書と雑誌論文については以下のような形になった。


図書は―――

  • 紆余曲折・試行錯誤を繰り返しているが、最近はメディアマーカーに落ち着いている。
  • 本棚登録するときにevernoteの新規ノートを作成できるのがその理由。
  • 読み始めてから気になった箇所を途中で、スマホevernoteアプリからノートに入力しても良い*2
  • 最近の本は書影も入るので、後でノート整理していてちょっと楽しい。
  • Kindleハイライト機能と併用。読みながらマーカーをつけたところが、あとでそのままEvernoteにコピーして貼り付けられるので、便利だと思う。

雑誌論文については―――

  • 入手した本文に書きこむなりしてメモを作り、それをスキャンスナップでスキャン
  • そのままevernoteに登録し、タイトルに書誌事項を張り付けて保存。
  • その場で必要なメモはノート本文に入力してしまう。
  • 読みながら書いたメモも写真を撮って同じノートに貼ってしまう。
  • 引用関係の情報も書き込む。
富士通 ScanSnap iX500 (A4/両面)

富士通 ScanSnap iX500 (A4/両面)

 ある程度数が増えてくるとキーワードで検索してもいくつかの文献がヒットしてくるようになった。

 そこで、あまり自分の中で近いと思っていなかった著者同志の、あるいは文献同士の、妙な繋がりなどに気づくことも、まれにある。

 一つの文献が構成する関係性(relevancy)というのは、思った以上に大事なのかもしれない。これもちょっと前に出た『読んでいない本について堂々と語る方法』に、<共有図書館>という面白いアイデアが出てくるのを思い出す。この、一見奇を衒ったタイトルが意外と真面目に説いているのは、個々の本の単独の内容よりも大事なものの存在である。それはちょっと図書館的でもある。

ある本についての会話は、ほとんどの場合、見かけに反して、その本だけについてではなく、もっと広い範囲の一まとまりの本について交わされる。それは、ある時点で、ある文化の方向性を決定づけている一連の重要書の全体である。私はここでそれを<共有図書館>と呼びたいと思うが、ほんとうに大事なのはこれである。この<共有図書館>を把握しているということが、書物について語るときの決め手となるのである。ただし、これは<共有図書館>を構成している諸要素間の関係の把握であって、切り離されたしかじかの要素の把握ではない。そしてこの意味で、大部分の書物を読んでいないということはなんら障害にはならないのである(pp.35-36)。

もう何箇所か。

文学について考察しようとする真の読者にとって、大事なのはしかじかの本ではなく、他のすべての本の全体であり、もっぱら単一の本に注意を向けることは、この全体を見失う危険をともなう。あらゆる本には広範な意味の組織に与る部分があり、それを見逃すと、その本じたいを深層において捉えることもできない。(pp.64-65)

 この本の著者は、個々の本に対しても適度な距離をとって全体見極めるよう説く。それが「教養」だという。


教養とは、書物を<共有図書館>のなかに位置づける能力であると同時に、個々の書物の内部で自己の位置を知る能力である(p.66)。

 『読んでいない本について〜』は、文学テキストについての本だが、これはたぶん研究史の把握や文献管理に要請されているものとだいたい同じことかもしれない。私がちょっと思い出していたのはWeb of Scienceの引用・被引用関係のことだった。

 本と本をめぐる情報は常に変動し続けているが、なんとか全体を見渡せるように付いていけるようにしたいので、お勧めがあったらぜひ教えてください。

*1:一応、ノートブックの下層に置かれるノートのタイトル欄には、論文の書誌事項を入力する。このとき面倒なので、NDL-OPAC署名を検索して書誌情報を表示させた後、「引用形式」で表示しなおしたものをコピー&ペーストで貼ることが多い。さらに研究文献の場合は、発行年月を6ケタの数字で書いている。というやり方は継続してやっている。

*2:これについては、以前は読了の日付が自動で入るよう、読了後にevernote生成にしていたのだが、一冊読み終わらないと何にも出来ないのは意外に不便であることに気づいたので読んでいる途中で書きこめるように変えた。読了日は最後のメモを付けるときに自分でいれるので間に合う。

2017-06-03

「図書・図書館史にまつわる本棚」を作ってみた

 最近、図書館史ってどうやって勉強するんですか、と言われることが増え、また、人前でも話す機会が増えたので、その都度「独学です」と答えるのも心苦しく、言われたほうも困るだろうと思うので、ふと思いついて、ブクログのサービスを利用して、「図書図書館史にまつわる本棚」というものを作ってみた。

 縁あって大学で「図書図書館史」の講義を非常勤で受け持つようになったので、その準備のために読んだ本を中心にあげておくことにしたい。もしほかの人に活用してもらえるならありがたい。

 狭義には「図書館史」だが、図書館が収蔵しておくべき資料にも歴史的な変遷があり、文字による記録を伝えるという意味ではメディア史の研究書も無視できない。検閲や出版流通など、そもそも本が出版されるにいたる出版学の分野、また、文学や歴史、思想の研究についても、同様に対象として考えている。資料は随時追加する予定。


図書・図書館史にまつわる本棚

http://booklog.jp/users/library-daikon


 なお、一応自分がパラパラめくってでも最後まで読んだものに限定する(ただし性質上、参考図書類はこの限りではない。使ったことがあるものとする)。また、論文は省略するのでご了承いただきたい。

 できれば、形態別にカテゴリ分けし、国別・時代別など主題にそったタグを付けて「中国図書館史の記述がある「教科書」とか、アメリカ図書館について書かれた本、とか検索できるようにしたいが、すぐには無理かもしれない。

 慌てて作ったため、おそらくは過去に読んだもののすっかり内容を忘れてしまっている本というのも、絶対にあると思うが、とりあえず。

2017-02-21

図書館史ノートその4 印刷の歴史

 今日流通している本は紙に印刷されて複製、頒布されている。印刷という場合、紙などにインクを使って文字、図、写真を複製することを指すが、パソコンの普及や技術の発展などにより、昔の定義と今日の定義ではだいぶ様変わりしている。

 印刷の起源も、実は定かではない。紙とともに中国で始まったとされているが、かつてはインド起源の説もあり、日本発祥説もあった。出土遺物に大きく左右されるため、正確な起源ははっきりしていない。ただ、印刷術の発達には転写する紙とインクが不可欠なので、紙と墨、その条件がそろっていた中国で印刷が発達したという見解は首肯できるものである。

 印刷術については、蔡倫の紙と違い、文献上にも表れないようである。その理由としては、それだけ生活に密着した技術だったことが諸書では指摘されている。この分野の古典的な著作の一つといえるT・F・カーター『中国の印刷術』では、印刷の二つの源流を指摘している。

 一つは、印章。仏様の図像を彫ったハンコを捺して護符として所持する習慣が、やがて大きな仏画を刷ったりする行為となり、そこから木版印刷へ発達していったとする。もう一つは、石に掘られた碑文の拓本を取る摺拓(しゅうたく)から木版印刷への経路である。もっとも、ハンコの文化はシュメル文明にもあったとされている。


 書物研究家の庄司浅水は『印刷文化史』のなかで、上記に加えてさらにインドペルシャで発達した布地に模様を染める捺染(なっせん)も挙げているが、より重要なのは、例えばギリシアで何故印刷が発生しなかったのか、という問いを立てていることだ。庄司は印刷の発生を阻む条件として次の4つをあげている*1

  1. 印刷に適する、かつ経済的な材料のなかったこと
  2. 適当な印刷インキの得られなかったこと
  3. 文書・書籍の需要があまり多くなかったこと
  4. 書写することが今日ほど煩わしくなかったこと

 これを逆にすると、印刷誕生に有利な場所が見えてくる。蔡倫によって実用化された紙があり、墨もあった中国では、唐代以降、仏典などの複製に印刷が用いられ始めたとみられる。漢字を一文字一文字書くのが大変であり、科挙などによるテキストの必要が中国の印刷術の発達を促した。

 アジア最古の印刷物についても、色々意見が分かれ、論争となっている。こうした諸説の紹介は、鈴木敏夫『プレ・グーテンベルク時代』に詳しい。鈴木によると、現存するもののうち、印刷年代がはっきりしている最古の印刷物に、日本の「百万塔陀羅尼」がある。これは770年に刷られたものであると記録に登場する。印刷された日付(刊記)が本文に刷ってある最古の印刷物は、1907年にスタインが敦煌で発掘した「金剛般若波羅蜜経」。また、韓国慶州仏国寺で発見された「無垢浄光大陀羅尼経」は、751年より前の印刷物とする意見があるが、はっきりしていない。日本の「百万塔陀羅尼」についても長年、銅版で刷った説と木版説が対立してきた。

 中国では、宰相である馮道(ふうどう)の進言により932年、木版印刷により、儒教の「九経」を印刷させたとされる。宋代に「科挙」の登用制度が確立したことで、多くのテキストが必要とされるようになり、印刷も発達した。ただ、北宋時代の印刷物は、中国本土では金の侵入などもあってほとんど残っていない。仏典以外だと北京大や台湾、それから日本に伝来したものを合わせても10程度に過ぎないと言う*2

図説中国印刷史 (汲古選書)

図説中国印刷史 (汲古選書)

 中国の印刷はさらに明・清期に絶頂を迎えることとなり、この過程で、楷書を直線で彫りやすくするための書体として、明朝体は発明されてくる*312世紀頃には活字による印刷も行われ、朝鮮半島へも伝来していったと考えられる。

明朝体の歴史

明朝体の歴史

 

 木宮泰彦『日本古印刷文化史』(初版は1932年)などをもとに、日本の印刷を見てみよう。日本では、奈良時代の百万塔陀羅尼の印刷以降、300年間は大規模な印刷が行われなかったとされているが、平安時代末期から寺院等で、経典類の印刷が行われるようになった。これを寺院版という。有名なところでは、平安末期〜鎌倉時代にかけて、奈良興福寺を中心に印刷された春日版、鎌倉時代紀州高野山でつくられた高野版、さらに室町時代にかけて、五山の禅僧らによってつくられた五山版などがある。

日本古印刷文化史(新装版)

日本古印刷文化史(新装版)

 戦国時代になると豊臣秀吉の頃に、朝鮮半島から銅活字などがもたらされたほか、天正遣欧少年使節が持ち帰った西洋式活字印刷により、きりしたん版という、キリスト教の布教のためのテキストが印刷された。ただし、きりしたん版は後の禁制により途絶してしまう。

 活字印刷に非常に関心を寄せた大名に、徳川家康がいる。家康は、金地院崇伝や林羅山に銘じて銅活字を作成し、『群書治要』などを印刷した。これを駿河版という。駿河版の『群書治要』は国立公文書館が所蔵している*4。また、京都伏見でも木活字を作成させ、『貞観政要』などを印刷した。これを伏見版という。

古活字版之研究 (1937年)

古活字版之研究 (1937年)

 我が国の印刷史において特筆すべきは16世紀末から17世紀にかけての、嵯峨本の登場である。京都豪商・角倉素庵が、本阿弥光悦俵屋宗達の協力を経て『伊勢物語』などを出版したもので一文字一活字ではなく、縦書きで崩し字で書いた数文字を単位として活字を作るなどしていた。また、装丁意匠を凝らした大変豪華な本であった。

日本語活字印刷史

日本語活字印刷史

嵯峨野明月記 (中公文庫)

嵯峨野明月記 (中公文庫)

 ただし、江戸時代には、制作の手間がかかることから、活字による印刷技術はあまり広まらず、木版印刷が主流となっていった。

*1庄司浅水『印刷文化史』増補版(1973年印刷学会出版部)6頁

*2米山寅太郎『図説中国印刷史』(汲古書院, 2005)48頁

*3:竹村真一『明朝体の歴史』(1986年、思文閣出版)74頁

*4国立公文書館「将軍のアーカイブズhttp://www.archives.go.jp/exhibition/digital/shogunnoarchives/contents/10.html

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