Hatena::ブログ(Diary)

negative_dialektik はてな村出張所 このページをアンテナに追加

2009-03-09

「正論原理主義」などという醜悪な表現が卑しくも小説家の口から

22:26 | 「正論原理主義」などという醜悪な表現が卑しくも小説家の口からを含むブックマーク

 朝日新聞2009.3.9朝刊。

 村上春樹は、自分がエルサレム賞を受賞した行動を、

「有意義」な問題提起だった
という表現で、正当化すると共に自画自賛している。たしかに、パレスチナへの関心を呼び起こしたという意義は認めることが出来るだろう。自画自賛は恥知らずもいいところだが、それはさておくとしても、「正論原理主義」などという醜悪な表現が、卑しくも小説家の口から出るとは、まったく呆れ果てる。
「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」

 「正論」の反対語が誤論なのか、邪論なのか知らんが、芸のない正論が芸術的観点から面白くないと批判されることは十分ありえるとしても、正論が正論であることを主張するという当たり前の態度を、あろうことか原理主義と呼んで恥じないその精神構造はどうなっているのだろうか?

 わたしとしては、「正論原理主義」という醜悪な表現は容認できない。

 正論も邪論も言説として、その多様な存在を認めるべきだ、などというのは、聞こえはいいが、所詮悪しき相対主義にすぎないだろう。正論も邪論もみんな壊れやすい卵なんだから、その存在を認め合おうよ、などという生ぬるい風土に、まっとうな言論など育つわけがなかろう。

 そもそも、「正論」というものは「はびこる」ものなのか。

 「正論」を「怖い」と感じるのは、自分にやましいところがあるからに違いないと、私は邪推(というか心理分析というか)する。

 おそらく発言者の意図は、「正論」を述べるブロガーがネットに「はびこって」いて「怖い」と言い募ることで、まるで、正論を主張する者を、危険なテロリストのごとき存在として印象付けようとする点にあると思われる。

 しかも、例によって、この「正論」というのが、村上の行動を批判する側の見解なのか、逆に擁護する側の見解なのか、判別することはできないという周到に曖昧模糊とした表現だ。決して言質を取られないように。

 ともあれ、村上を批判するネット言説が、彼を怖がらせたのであれば、それは端的に、人の役に立ったということであり、それなりの社会的貢献であったと評価できるだろう。

 3.10追記

 上記文章では、「有意義な問題提起」を一応評価したように書いている。

 しかし、考えてみれば(みるまでもなく)、かのアドルフ・ヒトラーは、独裁政治というものの恐ろしさを世界中に知らしめ、議会制民主主義や法の支配の重要性に人々の関心を向けさせたという点で、極めて有意義な問題提起をしたのだった。そのポジティブな政治的行動を通じて。もちろん、その世界史的「有意義」度合いは、ハルキの比ではないが。

 3.12追記

 いろいろ反応があった(感謝)中に、「ハルキがはびこっていると言ったのは『正論原理主義』であって『正論』ではない、ちゃんと読め」的な、予想通りのものがあった。

 当方は、『正論原理主義』なる、ハルキの表現自体を認めないので、ムラカミが「はびこっている」と考え、それに『原理主義』というレッテルをつけて印象操作しようとしている対象は、単に『正論』と呼ぶべきだ、と考えている。

 ネット上には、ムラカミの行動や発言を盲目的に擁護するエントリから、批判するエントリまで、きちんと揃っている。仮に、大新聞が一斉に小沢一郎潰しの印象操作を行うような「偏向ぶり」を『正論原理主義』と呼ぶのなら、そもそもネット上にはそのような『正論原理主義』は存在しないと、私には思えるが。

 存在しないものに『正論原理主義』と名前を与えてハルキが恐れたものは、結局のところ、「自分に批判的な正論」だけだったのだろうと感じる。自分を持ち上げてくれる正論なら恐れる必要はないからねー。

 つまり、彼は、自分を批判する言論をこそ『原理主義』と名指したのであろう。自分にとって邪魔な言説、害をなすと恐れる言説をこそ『原理主義』と呼んだのであろう。その『原理主義』という言葉の利用目的は、「イスラム原理主義」とか「イスラム過激派」とか言う表現を、アメリカ政府やその筋のメディアが用いる用い方とまったく等しいものであって、その意味では、ハルキは『原理主義』という醜悪な表現を『原理主義』という言葉に相応しいやりかたで使用したのだ、と言えるだろう。



 3.13追記

 さて、当エントリをコテンパンにやっつけようという意図を持った記事からのTBがあった訳だが、それを読んで深く感じることは、やはり、「正論原理主義」などという薄気味の悪い表現に違和感を感じない人間は、《まともに取り合っても仕方ない》のだろうか、という疑念だ。(馬齢を重ねたお陰で、そういう人間が数多いることはよく存じ上げているので、いちいち悲しくなったりはしないが)

 情報学ブログ: 正論原理主義という病というのが件のエントリだが、なかなかに振るった表現のオンパレードである。

以下のような教養のかけらもない批判

 具体性を一切欠いた総論的切捨てぶり(まー、教養がないことは認めてもよろしいが)(←「無知の知」自慢ですかね?)

この人は、内田樹氏による「壁と卵」の解説も全く理解できていないようなので

 と書きながら、私の内田批判のどこがおかしいと考えるのかは一切明言せず、論拠を示そうとしていない。だが、

まともに取り合っても仕方ないかもしれません

 と、お考えなのであれば、それも当然なのかも知れぬ。

それにしても、この無自覚さには悲しくなります。

 「悲しくなる」という表現で、明確な根拠を示すこともなく否定的な断言を繰り返し、「上から目線」的で、高圧的な足場を確保しようとしているように見受けられるが、それはまあいいとする。

 「正論原理主義」などという愚かしい表現を、一切批判的に検討することもなく援用してしまうような無批判な態度(それが「情報学」なのだということであるが。嗚呼)。その態度がよく表れているのが以下の引用。

「正論原理主義」を克服するとは、「正論原理主義者」のように、「現実逃避」をしたり、「現実の自分を否定して、殻に閉じこもる」ことを止めて、「絶対的な自己肯定」をすること。

 「絶対的な自己肯定」を目的とするというのは、恐るべき自己ファシズムだろう(それをこそ「自己肯定原理主義」である、と皮肉のひとつでも言うべきでしょうか知らん?)(それに「正論原理主義者」と「現実逃避」や「殻に閉じこもる」が、どのような理路を通って結びつくのか、まったく不明である)。

 そんなことが本気で可能だと、この人は思うのだろうか。「絶対的」などという言葉は軽々しく口には出来ないものだ。むしろ、絶え間ない自己批判こそ知性の取るべき態度だと、私は理解している。「絶対」などに辿り着くことのない永遠の弁証法的自己批判こそ、わたしがアドルノから学び取ろうとしていることだ。

 想像力というものがあるなら、人は当然想像することができるであろう、世界中のすべての人間が「絶対的な自己肯定」に辿り着いて、自己の正当性を主張する様のおぞましさを。それは地獄絵図以外のなんだというのだろうか。

 「絶対的な自己肯定」などという一見威勢のいい、それでいて現実味のないお題目を掲げる言説は、情報学の皮を被った宗教的迷妄に他なるまい。

 もう一箇所引用。

私たちはある固定したコミュニケーションの中で事実を理解しようとすると、しばしば一つの見方にとらわれたものになり、「原理主義的」、さらに言えば、「偏向的」なものになっていきます。マスメディアが「偏向」しているように見えるのは、まさにこうした「正論原理主義」の結果にほかならないのです。

 マスメディアが偏向報道をする理由は様々あろう。政府筋や検察筋などの大本営発表を無批判に記事にしてしまう批判精神=ジャーナリズム精神の欠落、国家権力からの水面下での要請、アメリカ筋からの有形無形の圧力、放送免許取り上げをちらつかせての実質的事前抑制、それらに迎合しようとする自主規制的態度、マスメディア自身の利権体質、談合体質、などなど。それらの現実的具体的諸要因を一切捨象して「正論原理主義」などという幽霊のように曖昧模糊とした原因に一切を押し付ける態度は、端的に幼稚でおめでたいというべきであり、我々のメディアリテラシーの向上を阻害しかねないという危惧を呈するべきかと愚考する。

 「正論原理主義という病」というタイトルで、「正論原理主義」という愚かな表現を批判している当人を「正論原理主義者」と決め付けて怪しまないような態度(そこのところは曖昧にボカしているが)こそ、「病」として(ある種の徴候として)考察すべきではないのだろうか。

 が、かかる迷妄にこれ以上《まともに取り合っても仕方ない》ので、TBへの対応は、これにて終了させていただく。

 以下は、上記引用元からは離れた(さりとてまったく無縁ではないが)、一般的な話をしたい。

tete 2009/03/13 10:27 意図してることを汲んでやれないのかな
わかって、あえて正論っぽいことで反論してるのかな

infoblogainfobloga 2009/03/14 01:25 トラックバックも付けたのでご存じと思いますが、反論を書いておきました。
「家」のアイコンをクリックすれば閲覧できると思います。

お暇な時にでも応答いただけると幸いです。

negative_dialektiknegative_dialektik 2009/03/14 15:38 >お暇な時にでも応答いただけると幸いです。
TBへの対応は、これにて終了させていただきたく存じます。あしからず。

ika18ika18 2009/03/20 19:03 村上のいう「正論原理主義」というのは、要するに自分を批判しているひとたちのことなんです。(笑)
自分を非難したり批判している人を、まるで竹中平蔵や小泉純一郎のように「抵抗勢力」とレベルを作って貼ったのと同じ。
あなたのいうように非常に低劣なやり口です。
まさしく「卑しい」手口。
作家ならもっとしなやかで強靭な精神でもって、謙虚にネット上の言論に対するべきでしょう。
わたしは昔からコイツは竹中平蔵と同じメンタリティをもっていると睨んでいます。
春樹ファンが村上の自己愛満載の幼稚なファンタジー小説を愛好するのは勝手だけど
低脳じいさんまでが「遠方から」やってきてあなたに毒づいているのをみて、思わず「わらっちゃい」ました。
こういう有象無象は相手にしても、そもそもあなたの言っていることが理解できないのですから、
適当にからかってやるのが一番ですよ。

mumu 2009/03/31 00:28 >TBへの対応は、これにて終了させていただきたく存じます。あしからず。
正気か!?言いたい事言って打ち切る貴方の態度こそ
正論原理主義批判を「一切批判的に検討することもなく援用してしまうような無批判な態度」
じゃないのか?

傍観者傍観者 2009/08/02 04:11 最終更新の部分から一気に論点がずれたのだろうか、説得力が一気に褪せたように感じました。
そう「直感」しました。
○○教原理主義を持ち出したのはずいぶん痛く感じます・・・。
宗教が問題じゃなくて原理主義が問題なんですよ。
「邪論」か否かに限らず、議論においては「立場」にこだわる人、「固執」する人も少なからずいますよ。
ただ自分の誤りを認めたくないというのは人間によく見られるものじゃないですか。
理論、理屈の正しさだけで生きているほど人間は単純ではないでしょう。
「自分の正しさを論証する、したい」が「目的・正義」なっているんじゃないですか?
村上春樹への批判と正論原理主義への批判、一度分離させてみてはどうですか?

うろぼろすうろぼろす 2011/11/28 12:51 TBの文章は酷いですね。あからさまにハルキストっぽくて気持ち悪いと感じました。正論言語主義っていう言葉に対する認識も間違っているように思うし。
で、こちらの文章・・・言語学的というか、数学的というか?な考え方に寄り過ぎてるかなと感じました。
数学的に考えて、『正論』という言葉は正しいわけですから、それに批判的な言葉をつける事に違和感を感じるという意味はわかります。
でもハルキクンの発言の原文を見るに、対人関係の中で『セイロン』(言語学的な意味での正論とは区別した方がいいと思います、対人関係の中では、声の大きい人、説得力のある人、多数派の意見などが本当の『正論』でなくても、その場の『セイロン』として扱われる事が多々有るので)を言っているのであって、negathiveさんが仰ってる意味での『正論』を非難しているわけでは無いように見受けられます。
というか、原文は読まれましたか?まずそこからちょっと疑問に思ったので。
ハルキクンは、言語学的に違和感のある造語でショッキングに演出するのが仕事なパフォーマーだと思うので、この記事の批判の仕方だとまぁいくらでもツッコむ所はあると思いますが、第三者から見た時にちょっとズレた攻撃の仕方をしてるな、って思われてしまうように思いますよ。
私なりの三者の正論という言葉の意味のまとめ
negativeさんの『正論』・・・言語学的にまっとうな意味の正論。辞書に書いてあったり、漢字そのままの意味での言葉。ゆえにそれに『原理主義』をつけると、正論を迫害するような、間違っていて危険な言葉であるように認識される。
ハルキクンの『セイロン』・・・対人関係の中で発生する正論。対人の実生活の中で本当に言葉通りの『正論』が発生する事は極めて稀であり、声が大きな人や説得力のある人が語る『セイロン』が、世の中にほんとうの『正論』であるかのように扱われる事に恐怖を感じている。
TBの人の言葉・・・ちょっと私には理解出来なかったです。
という認識ですが、いかがでしょうか。お返事お待ちしております。
※ろくでもないブログですが、私のブログも貼り付けておきます。全くテーマが違うのでアレですが・・・

うろぼろすうろぼろす 2011/11/28 13:13 negativeさんの記事の中にとてもいい例を出せるものがあったので拝借します。
小沢弾圧の件。あれに関しては、私もnegativeさんと全く同じ考えで、検察の権力の濫用とマスコミの偏向報道により小沢が弾圧されたと思っています。そしてこれが正論だと思います。
しかし、世の中の大多数の人たちは逆で、小沢が悪者、というマスコミが作り上げた『セイロン』を正論だと信じています。
っていう簡単な話を、ハルキクンはパフォーマンスとしてああいう言い方(言語として間違った言葉を創り出してさも普通の言葉であるかのように使用)をするので、反論を生むんだろうと思います。
ただ、小沢の件に関しては正論を言っているのはネットの中の人だけです。TVや新聞ではほとんどまともなことを言っていない。我々のようにわかっている世代からすると、比較的に、ネットの方がきちんとした正論が語られている。でも、ハルキクンのような世代からすると、ネットで目に付きやすいのは(2ちゃんでも見たんですかね?それかヤフーニュースのコメとかかも。)間違った『セイロン』であり、それについて恐怖を感じている、と。
negativeさんがハルキクンの事を嫌いである事は理解出来ましたが、この記事だとやっぱり元の発言を読んでいないor理解出来ていない、というふうに中立者からは取られるように思います。