忘れ物はするものだ、という視点に立ってみる。
「どうして忘れないように努力しないのか?!」と
忘れてしまった人に対して言っても
何も効果がない。

忘れた場合の対処法を身につけさせる、のが一番現実的。
ただ、「謝ればいい」と教えてはいけない。
もちろん謝れないのは論外だけど。

具体的な解答を見つけなければ。


忘れて困るものはなるべく身に着けないとか
無理な予定は組まないとか
どうにだってする方法はあるはずなのだ。


絶望。
早すぎる。
諦念。
早すぎる。


環境が必要だ。
治していく環境が。忘れにくい環境が。
苦しませない素地が。

二人でいないといられないというのは
良くない事かもしれないけど
私にとって、上手く距離を取れているということだ。そういうことにしよう。


研究室。
何だか楽しみだ。
だいぶ英語に慣れてきたし。


一人ひとり


久しぶりにNobの検索をしてみた。
何で思い当たったのだろう。
彼は相変わらずだ。こつこつ、こつこつ。
会いにいったら会えるのだろうか。会いたくないけれど。

いや、顔は見てみたいけれど
あったら何かが壊れそうな気がする。


私は、平穏を選んだのだと思う。
どうにか、上がらなくてはいけないとも思う。


空想してみる。
偶然を装ってまた会いに行く姿を。


そこで止まってしまう。
綺麗な部分はそこだけで
そこから二人、何を築いていけるというのか?


暴れていく。暴れている。体の中。

自身が

特別な存在であるという幻想はどこから来るのだろう。
何故そう思うのだろう。
そう思うことで自身のアイデンティティでも保とうとするのだろうか。

特別でないこと、イコール、自分という個体が他と区別できないということか。
実際部分部分は何かしらのコピーであり、
その部分が積み重なって出来ているだろうに。
その組み合わせが膨大すぎて、なかなか一致しないというだけだ。


最初からオリジナルというものを信じているのだ。
「自分にしか出来ないことをやりなさい。考えなさい。想像しなさい。」
そんなの、最初からできるのは一握の人間だけなのに。
そのままほとんどが大人になっていくというのに。