着想

岩波文庫の『幕末維新パリ見聞記』(井田進也校注、2009年)です。
1867年にパリを訪れた栗本鋤雲の「暁窓追録」と、1873年に西欧を観た成島柳北の「航西日乗」とをあわせて1冊にしたものです。
柳北のほうは、日録で、日本を出てからパリ、ローマやヴェネツィア、ロンドンなどを訪れています。鋤雲のほうは、いわばテーマ別に、自分の見聞を記録しています。そういう点では、好対照の2作といえるでしょう。その中で、パリには、身体障害のある人が街に見かけられるのは、医学が進歩して、そうした人たちが、家に籠もっていないからだという指摘があります。逆に、当時の日本を評して、盲目の人が仕事をもって市中を歩いていることを書いたものもあったように記憶していますから(オールコックイザベラ・バードかはっきりとは覚えていないのですが)、そういうところへの着目は、けっこう大切なことでしょう。前に、雨宮処凛さんがピョンヤンの街にはそうした人を見かけなかったことを書いているのを紹介したおぼえがありますが、それも、比較の一つにはなりますね。

まったくの別件ですが、柳北は、旅中の見聞や感慨を、漢詩にして残しています。ただ、やはりそれは、当時の「日本人の漢詩」というものだという印象があります。富士川英郎さんの『江戸後期の詩人たち』の中に紹介される詩のふんいきと、似ているのです。詠物・叙景となると、どうしても、似るのでしょうか。