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20070106Sat

ごはん擬人化に意義を唱えたいのである。 18:43 ごはんの擬人化に意義を唱えたいのである。を含むブックマーク

おおよそごはん擬人化においては、みながみなお茶碗に顔を描きやがりますけれども、いやそれ違うだろう。それは違うだろう。それじゃぁご飯の擬人化じゃない。お茶碗の擬人化である。

いや確かに擬人化絵師の言い分もわかる。ごはんてきな存在は、ハチやアリのような社会生物的扱いが妥当であり、であればこそ代表となる“顔”はお茶碗に描くべきなのだ、実際おれたちが接するときコメ一粒一粒と対話していないじゃないか? お茶碗一杯、二杯という接し方じゃないかという主張なのだろう。

言い分はわかるけれども。わかるけれども、それは人間側の都合だろう? あなたがごはんをそう“見たい”からそういうロンリ、米=お茶碗というロンリを振りかざしただけであり、ごはんつぶらにしてみれば十把一絡げではなく個人個人で見て欲しいと思っているのである。

お米たちは嘆いている。

そう。あなたがごはんつぶをごはんつぶたちとして見ずにお茶単位で扱うとき、お茶碗のなかの全てのコメたちは泣いているのだ。いってみれば、全米が泣いているのである。

afronawaafronawa 2007/01/07 02:07 はじめまして。afronawaと申します。
茶碗は茶碗で擬人化してほしいものですよね。
その気になれば何でもよそうことが出来ますから。
ちなみに私は洗い物が面倒臭いときはご飯食べた後に
味噌汁よそっちゃいます。

ところで「ごはん」を擬人化するときオーシマさんは
ご飯の塊を1つの人格として扱うのか、米粒一つ一つを
擬人化するのか非常に気になります(笑)
後者だったら全体図がエグイ絵になりそうで怖いです;

米粒1つには7人の神様がいると昔良く言われたのですが…
それを真に受けると米粒の擬人化は全員多重人格者になりそう(笑)
でもこうするとまた全米が泣きそうな…。難しい問題ですね。

matsunagamatsunaga 2007/01/08 00:38 最後の一文が言いたかったわけやね(´ー`)y-~~

nekoprotocolnekoprotocol 2007/01/09 09:45 >afronawaさん。微妙ですね。おにぎりや寿司を挙げるまでもなく米単体では人間は扱わない、という考え方もありますし。人間主体で言うならば、米ひとつぶひとつぶはミンスキー言うところのエージェント的な扱いが妥当なのかもしれません。もちろんアリの視点からすれば米ひとつぶで蔵が建つでしょうから、要は“認識のサイズ”の問題なのかもしれませんぱわーずおぶてん。うん適当です。

nekoprotocolnekoprotocol 2007/01/09 09:45 >matsunagaさん。いやいや、その最後だけあればいいという考えはいかんですそういう結果オーライな考え方では育つものも育ちません途中のプロセスも大切なんだ。うん適当です。

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