「アニメージュ」の古いバックナンバーと、ささやかな思い出など

 
アニメージュ」の1990年4月号と、1993年3月号。「風の谷のナウシカ」の長期休載後の再開号で、表紙イラストが宮崎駿自身によるもの。それぞれ5.6巻の巻頭に収録されている。これだけは取っておいていて、物入れから出てきた。もう22年にもなるのか。特に90年の絵は素晴らしくて、本屋でも周りの空気が変わって見えるくらいのインパクトがあったのを記憶している。


90年4月号には奇しくも庵野秀明さんの「ふしぎの海のナディア」開始前のインタビューが。ちなみに当時庵野監督は全くの無名。「トップをねらえ!」など知る人ぞ知るといった感じだった。私も誌面を見て「誰このむさいおっさん」としか思わなかったが、その後始まったナディアにはけっこうハマっていた。
その後「エヴァ」の頃にはアニメに興味をなくしていて、庵野さんについては「あの人は今」状態。リアルタイムでは見なかった。
海がきこえる」の連載が3回目。氷室さんももう亡くなったんだっけ。


この二冊以外はもうだいぶ前に処分してしまった。原稿は単行本化の時にかなり手が入っている。6巻のヴ王の道化の「ヒヒヒもともと腐ってる」は「ヒヒヒマンネリマンネリ」だったかな。元のほうがよかったような。


もうね、これを読むのをどんだけ待ったかって、最近の人にはわからないでしょう。今、普通なら全編読むのに二・三日で済むんだけど、私がこの漫画を完結まで読むのに、かれこれ7年かかりましたよ(連載期間はだいたい13年間)。「ナウシカ」が完結する日が来るなんて、私の高校生時代にはもう、想像もつかなかった。ノストラダムスとどっちが後だよ、という感覚である。


90年の再開は特に嬉しかった。「魔女の宅急便」が完成して暇になっての再開。宮崎駿がオタク(という言葉がボチボチ使われるようになった頃でもある)以外の一般人にもよく知られるようになったのは、宅急便以降だった。
当時、単行本は4巻までしか刊行されておらず、しかも4巻以降も連載がだいぶ進んでいた(1987年2月号から6月号。今でいうと5巻の後半、丘の上で「こんなに世界は輝いているのに」というところまで。このページも単行本刊行時に描き直されている。90年の表紙はこの場面。この絵のほんとの意味は、長期に渡り連載が止まっていたことを知らないと解らなかったりする。そういえばアニメージュの投書欄でもこのカットが盛んにパロディにされていた)。

そのためその間を、「アニメージュ」を買っていなかった私は読み逃していた。漫画古書店もあまりない時代、これらを読むのは実質無理だった。そういう読者のために、単行本未刊部分のあらすじが掲載されている。
待ちきれなくて、近所の書店で発売日前にこっそり売ってくれる店に行って、一日早く手に入れた思い出がある。その書店も数年前、道路拡張で更地になってしまった。


それにしても、相変わらず原作はあまり読まれていない。まあ漫画全般からすれば相当なロングセラー、おそらく総計数百万部だろうけど、映画を観た人(おそらく数千万人、日本人に限れば50歳以下なら、観ていない人はかなり珍しかろう)に比べたら微々たるもの。私の印象では、映画を観た人で原作を読んだ人は十人に一人いるかどうかといった感じ。
残念な傑作である。
まあこれを映画のように誰もかれも読んでいたら、それはそれで嫌ではあるが。