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冥王星日記

2012-11-16

フランシス・ベイコンにおける神話解釈と第一哲学

19:37

※間違って消してしまったので再アップしました。

Anna-Maria Hartmann, “Light from Darkness: The Relationship between Francis Bacon’s Prima Philosophia and His Concept of the Greek Fable,” The Seventeenth Century 26 (2011): 203–220.

まとめました。

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 フランシス・ベイコンは,学問の「大革新」を成し遂げれば,人類はアダムが楽園において有していた知識を回復することができると考えていました.ベイコンによればその知識は,堕落によってすぐに失われたわけではなく,時間をかけて次第に失われていきました.つまり,堕落以降の最も初期の時代には,その知識はまだ知られていたということになります.しかし彼は,この事実は重要ではないとも考えていました.なぜなら,その時代についての記録は失われてしまっているし,そもそも真理というのは,「古代の暗黒から回復されるべきではなく,自然の光によって発見されるべき」だと彼は考えていたからです.しかしこの彼の基準には一つの例外があります.それはギリシア神話の解釈でした.彼は『学問の尊厳と進歩』(1623年)のなかで,今後取り組まれるべきものの一つとして神話解釈を挙げています.なぜ彼がギリシア神話の解釈を例外的に重要視したのかと言えば,彼はそれらの神話のなかに第一哲学の原理を見つけるという希望を持っていたからでした.

 ベイコンの考えによれば,知識は木のようなもので,木の枝として表現される知識の様々な分野は共通の幹を持っています.彼はこの幹の部分である普遍的な学問を「第一哲学」 philosophia prima という言葉で呼んでいます.彼によればこの第一哲学は,神と自然と人間についての知識を結びつけるものです.彼は,この分野の探究がなされてこなかったことで人間の知識の状態が悪いものになっていると述べます.それは単に諸学の背後にある結びつきが見えなくなってしまっているということではありません.第一哲学公理は,複数の分野における真理の発見をもたらす近道のような役割を果たすものでもあるからです.彼の「大革新」の一つの目的は,この知識を再発見することでした.

 ベイコンは神話と第一哲学を「知恵」 sapientia と呼んでいます.これはすでに見たように(木の幹なので),知の階梯の低い段に位置しています.一方(木の枝である)それぞれの学問 scientia は知の高い段にあります.ベイコンはこの第一哲学に属する公理として,しばしば聖書ギリシア神話からの引用を用いました.(たとえば,オウィディウス『変身物語』に含まれる,「すべては移り変わるが,何ものも滅びない」という章句は,自然哲学における質料の不滅の原理を示しているとともに,神学における,神による以外には何ものも消し去ることができないという命題と結び付けられる.「わたしは知った/すべて神の業は永遠に不変であり/付け加えることも除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。」(「コヘレトの言葉」3:14))ではベイコンにとって,聖書ギリシア神話は,古い時代のものであるという以上の何らかの共通点を持っているのでしょうか?

 それは,ベイコンが神話を「寓意詩」 parabolic poetry という区分に含めていたことと関係しています.当時,詩が最も古い知識の形態だというのは典型的な考えでした.ベイコンは,この最も古い知識の形態というのは,詩全体に当てはまるものではなく,寓意詩の,二つあるサブカテゴリーの一つにのみ当てはまると考えていました.彼によれば二種類の寓意詩があります.一つは物事を伝えるためのものであり,もう一つは,それを覆い隠すためのものです.ギリシア神話と神的な詩(旧約聖書に含まれる)は,ベイコンの考えでは後者の寓意詩に属します.彼はこの種類の寓意詩を,最も古い知識の形態だと考えました.このような種類の寓意詩は,ベイコンの言う第一哲学が有するべきだとされるような,幅広い分野の知にかかわる普遍性を持っているとされます.彼によればギリシア神話は,それより古い時代に由来する知を含んでいました.それは,神的な詩と並んで,アダムの普遍的な知識に近い時期の唯一の記録なのです.

 『古人の知恵について』(1609年)でベイコンは,31の神話を解釈しています.彼の解釈の最も大きな特徴は,それぞれの神話を一つの分野に関連付けたことです.たとえばクピドは原子を表しているし,スフィンクスは学問を表しているとされます.これは,当時の多くの神話学者たちが,一つの神話のなかにできるだけ多くの意味を見出そうとしていたのとは対照的です.しかしベイコンが解釈する神話のうち,二つの神話だけは,他と違う広がりを持っています.それは,『古人の知恵について』のなかで他に比べてかなり長い,「パーン,あるいは自然」と,「プロメテウス,あるいは人間の状態」という二つです.これらの二つの神話は,知識の複数の分野間のつながりを示しています.そこで,『古人の知恵について』には二つの仕方で第一哲学公理が現れていると言えます.個別のトピックに関する神話においては,公理のうちの一つの分野に関する部分が含まれています.たとえばプロテウスの神話には,「すべては移り変わるが,何ものも滅びない」という内容が含まれています〔これはすでに見たように,何かを取り除くには神の全能が必要だという神学の命題と結びついているのですが,プロテウスの神話解釈のなかでは神学のほうは出てきません〕.一方パーンとプロメテウス神話の場合には,一つの神話のなかに分野間のつながりを含む第一哲学公理全体が現れています.

 ベイコンは晩年の著作のなかで,寓意詩により高い地位を与えるようになりました.前述のように彼は『学問の尊厳と進歩』(1623年)のなかで神話解釈を,今後なされることが望まれるものの一つに数えています.この著作には,『古人の知恵について』のパーンの神話解釈が拡張されたものが掲載されています.そこで拡充されているのは,世界の統一性と,すべてがその根本において相互に結合しているということのさらなる強調でした.

 このように,ベイコンは次第に神話解釈を高く評価するようになっていったのですが,その理由は第一哲学公理がそこに発見されうるということでした.第一哲学公理は,普遍的な知識である点と,木のような形に広がっている知識の中心に位置しているという点を,神話と共有しています.アダムの普遍的な知識がいまだ失われていない時代のことを伝える,残存するテクストは聖書ギリシア神話だけなのであって,それは適切に解釈されれば,ベイコンの学問革新のプログラムに役に立つと考えられたのです.