Hatena::ブログ(Diary)

冥王星日記

2012-11-18

神話を解釈して実践的な知恵を得る?ルイス「フランシス・ベイコン、寓喩、そして神話の使用」

19:25

Rhodri Lewis, "Francis Bacon, Allegory and the Uses of Myth," The Review of English Studies, New Series 61 (2010): 360–389.

 フランシス・ベイコンにおける神話解釈の意味を探った論文を読みました。前回紹介した Hartmann の論文はこの Lewis 論文をさらに発展させたもの(だと本人が明言している)です。ベイコンの神話解釈が、ナタリス・コメスをはじめとする先行者の解釈に多くを負っていたこと、また、彼の神話解釈にレトリカルな意味(が含まれていたことは先行研究のなかで論じられてきました。Lewis はそういう側面を認めたうえで、さらにそれだけではない意味が存在したのだということを論証しようとしています。中心的な論点が述べられる箇所をまとめました。

ーーーーーー

 ベイコンの神話についての考えの要は,『古人の知恵について』(1609年)の序文に現れている.その冒頭部は次のように始まっている.

聖書に書かれていることをのぞいては,忘却と静寂が最も初期の古代をおおっている.古代の静寂のあとに詩人たちの神話が続いた.最後に我々が手にしている諸文書が神話にとってかわった.そして古代の奥深い部分は,引き続いた時代の記録や証拠から,いわば神話という幕によって隔てられ分離されている.その幕はすでに滅びたものと現存するもののあいだに位置し,立ちはだかっている.

紀元前ローマのウァッロは,過去の時代を三つに区分した.すなわち,原初の知られていない時代,それに引き続く神話的な時代,そしてその後の歴史的な時代である.ベイコンはこの区分に従い,初期の忘却の時代の次に来るのが神話なのだと言う.しかし,彼によれば神話詩人たちによって生み出されたのではない.彼によれば神話は,「...よりよい時代の神聖な遺物や澄んだ空気のようなものであり,より過去の民族の伝承からギリシア人のラッパや葦笛に流れ込んだのである」.この考えは,初期近代の支配的解釈に反するものであった.新プラトン主義とヘルメス主義の影響下で構築されたこの支配的解釈においては,神話を残したホメロス預言者であって,神的なインスピレーションに基づいて著述を行ったとされるからである.ベイコンはこの考えを否定する.彼にとって神話は,より以前の時代にあった元々の神話的・詩的寓喩の不完全なコピーでしかない.そのため彼の考えでは,神話学者の真の仕事は,神話に含まれるのではなく,神話の背後に存在する叡智を見つけ出すことになる.

 ベイコンが神話に与えているこのような(原初の時代と,歴史的な時代の)中間的な地位は,ヒエログリフ神話の関連付けという考えにさらにはっきり現れている.彼は神話が,ものごとを明らかに示す力を有しているのだと指摘しつつ,次のように言う.

それゆえ古代においては,人間の理性による発見や推論は,たとえそれらが今ではありふれて広く知られたものであっても,その時には新奇で見慣れないものだったので,それらはみなあらゆる種類の神話や神秘や寓話や類比で満ちていた.そしてこれらによって,隠すための技術ではなく教えるための理論が探求されたのであった.というのもその当時,明らかに人間の知力は未熟であり,精密なことがらについては,それが感覚に入らない限り感じることができず,ほとんど受け入れることができなかったからである.というのも,ヒエログリフが文字よりも古いものであるように,寓話は推論よりも古いものだから.

ヒエログリフ神話を結びつけるという考えも,当時良く知られたものであった.ヒエログリフは寓意的なもので,何らかの秘密を隠しているとみなされていたのである.しかしベイコンはこの考えを退け,ヒエログリフを単なる絵文字の一種だとみなした.ベイコンにとってアルファベットの発明は優れたものであり,それ以前のヒエログリフは,アルファベットに至る前の未熟な段階なのである.同様に,ベイコンにとって明らかに,神話は,推論が存在する前の時代の残物にすぎない.ではそれでも神話を解釈することにどのような意味があるのだろうか.それは神話が,楽園的な状態を,後の歴史的な時代に残されていたよりは完全な形で表しているからである.すると,神話的な時代と後の時代を比べると,寓話という形式から推論という形式へ伝達の方法が発展した一方で,知の内容というのは劣化したことになる.

 知恵 sapientia という言葉は,もともとギリシア語の sophía に近い超越的な知識を表すものだったのだが,16世紀を通じて,次第に賢慮 prudentia に近い,道徳的に有用な知恵,つまり実践的な知恵を表すように変化した.ベイコンの知恵 sapientia 概念も同様の流れのなかで解釈できる.彼は知恵を,知的ヒエラルキーのなかで低い地位にあるものとして理解していた.ベイコンは神話に,学知 scientia ではなく,この知恵 sapientia を探そうとしたのである.ベイコンにとって知識というのは自然の探究から得られるべきものであって,書物の探究から得られるべきものではなかった.しかし神話は,適切に解釈されれば,楽園における知識を回復するという彼のプロジェクトに役立つ実践的知恵を得ることができると彼は考えたのである.

ーーーーーー

 この最後の知恵=実践的知識という解釈はどうなのでしょう。これは次のような箇所でのこの言葉の用法と明らかに相容れないような気がします。

それゆえ,最初に,知識のとうとさを,その原型またはもとのひな型のなかに,すなわち,神の性質とみわざのなかに,それらが人間に啓示されていて,観察しても不穏当でないかぎり,さがし求めることにしよう.この場合,われわれはこの原型を学問 Learning という名でさがし求めてはいけないのであって,それというのは,学問はみな習得した知識であるのに,神の知識はみな本源的なものであるからである.それゆえ,われわれは,これを別の名,聖書のいわゆる〔聖書がそう呼んでいるように〕知恵 wisdome または英知 sapience という名でさがし求めなければならない.

(『学問の進歩,ノヴム・オルガヌム,ニュー・アトランチス』服部英次郎ほか訳,河出書房新社1966年,37ページ)

議論の余地はありそうですが、 scientia と比べて sapientia が知の階梯の低い段階にあるという理解は怪しい気がします。そしてこの議論に乗っかって書かれた Hartmann 論文(前回の記事)も、知恵と結び付けられた第一哲学(木の幹に例えられる)を、知識の個別の分野(枝に例えられる)に比べて低い地位にあるというふうに理解しているわけですが、このように学問の木の比喩に程度の高低の差を入れるのも危険な気がします。

  • 関連記事

フランシス・ベイコンの神話解釈と第一哲学 - 冥王星日記

  • 関連文献
Language, Mind and Nature: Artificial Languages in England from Bacon to Locke (Ideas in Context)

Language, Mind and Nature: Artificial Languages in England from Bacon to Locke (Ideas in Context)

The Renaissance Idea of Wisdom,

The Renaissance Idea of Wisdom,

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/neo_master/20121118/1353234356