グッドモーニング・グッドバイ

始発が動き出す頃の新宿の街は清々しい空気に満ちていて、単に電光掲示板が示す21℃という温度のせいなのかもしれないけれど、繁華街が動き出す前の、あの時間帯はとても好きだ。


https://www.youtube.com/watch?v=TqThLDqSDBw


Incise のA New Day ft. Ajaxx がipodから流れる。新宿の、見せかけの爽やかさにはぴったりのいい曲だと思う。こんな気分になれるのなら、何度だって、朝を迎えたいな、なんて、心ないことを思って、泥のような体を引きずって。

 ダイレクトメールで、中目黒のテンガイギャラリーが閉廊することが告げられていて、少しびっくりした。というか、ちょうど俺が引っ越しをした、少し後に閉まってしまったらしい。マリアの心臓も閉まってしまったし、(てか、あの狭すぎるスペースで毎回店員の愛想最悪で(俺だけに?)千円とるって…とか思ったけど)中野のオメガの閉店もびっくりしたけど(不倫相手の名前を五人くらいネットにアップして赤裸々に語っていたのは閉店以上にびびったけどね!)

 こんな短期間で閉廊したというのは結構珍しいのではないだろうか? 運営する会社と天明屋尚との意見の相違ということだが、残念だなと思う。


 って、俺は天明屋の作品が好きか、そのギャラリーがどうか、と考えると、そうでもないというか、彼はクールジャパン、としてマーケットで値段がつくオタクカルチャーではなく、バサラ、カブキ者の系譜というもので日本美術の提唱をしたわけだけど、中を見てみれば、サイバー浮世絵ヤンキーサムライ、って、オタクカルチャーそのものじゃんか、ってがっかりした覚えがる。


 でもマーケットで値段がつくのは、結局のところ分かりやすいものだし(金を持っているのは「ビジュツマニア」や批評家ではない)日本で元気な人たちはお金だいすき村上さんとか奈良とか山口晃とか会田誠とか天明屋尚、って! 欧米人から見た「オリエンタリズム」ってかんじでげんなりする。未だに西欧至上主義が美術業界(に限らないけれど)では根強く残っている。

 でも、前述した人たちは俺の好みの作品を作っているのではないけれど、それぞれのやり方で、どうにか日本美術を変えようとしていたり、孤軍奮闘していたりしていて、そういう元気がいい人がいるっていうのは、やはり素敵なことだなと思う。それにもちろん、それ以外の実力者だっているのだから。

 それに会田誠は俺のドキを胸胸する名言を残しているしね!

いわく「スポンサーはATM(消費者金融)」

あと、俺の好きなアメリカ、インディアンの諺「若者は働いてはいけない 夢を見なくなるからだ」


 うわークズだなー俺も。でも基本的に、ちょこっと名前が何かに出ているような人でも、生活はかなり厳しかったり、制作で金がバンバン飛んで行ったり。安定なんて無縁の生活を送っている。

 俺も三十手前で、友人知人が自殺したり難病にかかってしまったり、制作を止めてしまったり。きちんと社会生活というか、きちんとした収入を確保して、それで制作、自分の活動をする、なんてほとんどいないと思う。それはそういう人自身の怠惰であったり、何らかの理由があったりもするけれど、でも、何か好きなことがあって、それを続けようとするのは、いいことなんだろうなと思う。

 このいい年してカードゲームの為に銀行を辞めた中村のことを書いたが、そういう人がいると「いい年」なんてないんだって分かる。好きなことを「本気で」続けるというのは、とても困難なことだ。でも、もし、したいなら、どうせ死んで終わりなんだし、好きなように生きたほうがいいなと思う。俺もどうにかなるまで、どうにかしていこうって、そう思う。そうじゃなきゃ、つまんないじゃんか。


 DVDの消費。クシシュトフ・キェシロフスキの『愛に関する短いフィルム』を見る、のだが、この監督の作品で期待していたのに、全然ぴんとこなくて、変な心持になった。監督お得意のくぐもった、霧のかかったような画面も、ちょっとほろにがメロドラマの中ではうまく生かし切れていないというか、あんまり「美しく撮る」つまり、ドラマチックには撮れてもメロドラマチックな「瞬間」をとらえるのには向いていないのでは、と思った。うーん、後で見たら感想は変わるのだろうか

 期待はずれ、といえば『少女ヘジャル』

 アパートが武装警官に襲撃され、たったひとり生き残った隣人のクルド人少女と生活を始めたトルコ人元判事のルファトが、民族的な問題に反発し合いながら交流していく。


 とかいって、結構期待していたのだ。でも、画面が、どっかのしょぼいテレビドラマみたいというか、とりあえず全体が分かるようにうつしていますよ人物は大きくうつしてますよーみたいな気の抜け切った構図にカメラワーク。状況説明に不都合はないかもしれないが、画面としての魅力は皆無に等しい。

 しかも内容がわがままで言葉も違う女の子相手におじいちゃんが困りながら少しずつなかよくなるよー、みたいなのでげんなり。いや、ちゃんとそれを撮るならそれでもいいけれど、なんかね、ヘジャルが全然可愛くないの! 俺、子供と動物には結構甘いし、ヘジャルの「顔」は整っている、かわいらしい顔だと思うし、可愛くない言動も、家族がいなくなって理不尽な仕打ちを受けたりして、ガキのわがままだったり素直な抵抗だったり、そういうのはいいのだが、あくまで被害者でかわいそうな子、みたいにしてしか撮れないし、じじいのとらえ方も偏屈だが実はやさしいよ、って、何これ。民族問題とかにも深く切り込んでいるわけでもなし、老人と少女の交流にしても悪い意味で現実的というか、ファミレスで喧嘩している親子をちょこちょこ見せつけられるようなげんなり。

 でも、なんかいろんな人の評価が高くてびっくりした。『バクダッドカフェ』を見た時のようなげんなり。こういう大人の為のよくできた童話みたいなの、みんな大好きなんだなと思う。結局のところ、オチが、カタルシスが用意されてるの。登場人物はいいひとばかりなの(引き立て役の分かりやすい悪役)作品の出来、というよりも嗜好が違いすぎるってことだ。『少女ヘジャル』だって、俺はげんなりしたが、そんなに悪い映画だと思っているわけではない(というかそういう映画ならわざわざ書いたりしたくない)。

 でも『ある子供』という映画は、全然期待していなかったのにかんり俺の好みだった。

盗みを働きながら暮らす20歳のブリュノは恋人との間に授かった子供を、まるで盗品を売りさばくのと同じように売ってしまう。希望を見出せない時代に生きる若者を厳しくも暖かく描く。

 って、全然暖かくないの。この紹介文なんだよって感じだ。無理やりヒューマンドラマっぽい宣伝してんの。

 主役はその恋人、というか母と子供ものかなーと漠然と思いながら視聴していたのだが、ブリュノ君、馬鹿なの。スゲー馬鹿、というか要領が悪くてお調子者で悪事に手を染める癖に小心者で、そういった彼のことをいちいちカメラが追って行って、大した意味なんてないのに、ブリュノが小さく助走をつけて壁を蹴るとか座って体をゆらゆらするとか、そういった意味のないカットを幾つも挿入しているのも良かった。どうしようもない、自分の行為を時間を持て余してしまう、あの居心地の悪い時間。

 本当の悪人、なんてほぼ存在しないといっていいだろう。だって、生活するのに不便だから。いくつかのコードの中で、社会性の中で暮らさざるを得ないのだから。動物だってそうしているのだから、きちんとした教育を受けていなくっても、(まあ、違う人もいるけど)みんなクソガキの、小市民のコードの中にもいやおうなく押し込まれているのだ。

 それに、ラストシーンが、すごく良かった。こういう、救いもあるし救いもない、みたいな温もりと情けなさがありながらもぶった切るやり方が好きなのは、感情移入していしまうのは、つまり、俺がそういう状況(だった)ということなんだろうなと思う。


 まだまだ知らないものもあるわけで、お金とかを言い訳にしないで、スポンサーのことを思って、これからもがんばっていきたいと思いました。また、爽やかな朝を迎えたいな疲れ切った体で。


 お口直しに、素敵なおはようを。


https://www.youtube.com/watch?v=hUQuSJ-OX_Q


 少しだけなまめかしくってそっけないモーマスカヒミ、でも、クソへたくそなラップが超好き!