私が、小沢一郎について思い出した、二、三のことがら

小沢一郎日本改造計画』(講談社 ISBN:4062064820)。当時の自民党ではこの「改造計画」が実行不可能であるから小沢は離党した。
規制緩和」「自己責任」「普通の国」などのキーワードは、この本が話題になることで世間に広く知られるようになったのだ。
小沢は小選挙区制の導入も言い出し、一時は小選挙区制に変えることこそが改革であるような風潮が広まった。汚職防止のための選挙制度改革を進めていた議員たちがいたが、彼らの努力は無視され、小選挙区制の導入という選挙改革のための手段のひとつが目的化されていく。小選挙区制の弊害は当時から何人もの識者が指摘していたにも関わらず、小選挙区制にすることこそ改革だ、ということになってしまった。
小沢は政権交代が容易になるだろうと考えて小選挙区制にしてしまったのだろう。当時の自民党はその後小泉から「抵抗勢力」と呼ばれるようになる人々が主流派だったからだ。
同時に、英米のような二大政党制になることこそが進歩だ、ということも喧伝された。イギリスやアメリカと日本の歴史的背景や社会や文化のちがいなどまるで無視したまま。
とにかくアメリカみたいにしてしまえばそれでええんじゃい、ということで、これもネオリベウイルス感染患者の発症例のひとつだったのかもしれない。
テリー伊藤『お笑い大蔵省極秘情報』(飛鳥新社 ISBN:487031293X)では、テリー伊藤と対談している某大蔵官僚が「小沢一郎の『日本改造計画』ですが、あれはぼくらが言ったことを小沢さんが鵜呑みにしてそのまま書いてるんですよね(笑)」という趣旨の発言をしていた。
『世界』2007年10月号に掲載されている「21世紀、日本の大企業のビヘイビアは変わったのか 伊東光晴ロナルド・ドーア往復書簡(3)」では、日本ではアメリカに留学した「洗脳世代」のエリートがネオリベ化の推進力となったと説明されている。経済学の分野では、80年代からアメリカの新古典派経済学の影響が大きくなりだし、市場原理主義も勢力を増していったという。

政策に影響した「洗脳世代」はむしろ官庁エコノミスト、企業のシンクタンクエコノミストたちです。自由市場への信奉、規制緩和、民営化等、かれらのほとんどはその推進者たちでした。かれらの特徴は、先輩たちが築いた業績も遺産もかえりみることなく、留学で得たアメリカのテキストブック知識からこうした市場原理主義的政策を広めました。私の知るかぎり、委員会に入っていた学者は、少なくとも80年代までこうした人たちではありません。
それ以後も例えば、労働者派遣法の成立に関係した学者は、労働問題、社会政策の専門家でアメリカ留学組とは関係は全くありません。その意図は専門家的技能・技術者に限りこれを認めるというものでした。これで規制緩和を行わせ、ついでその意図を改変し、拡大解釈させて、政治と財界の圧力と要請に屈した官僚です。金融の自由化も同じでした。
日本の銀行の90年代の経営危機をつくりだしたものは、従来のドイツ、日本的間接金融方式を、アメリカ、イギリス的直接金融方式に変えた政策であったとする私の本(『日本経済を問う』第二章)を読んだ大蔵省の元高官が、それをもたらした株式の時価発行、無担保社債の発行等が、そうした大きな構造変化をもたらすとは知らなかった、ただ規制緩和は時代の流れと考えただけだった、と語ったのは正直な言葉だと思います。
(引用元:伊東光晴「21世紀、日本の大企業のビヘイビアは変わったのか 伊東光晴ロナルド・ドーア往復書簡(3)」『世界』2007年10月号)

こんなことを思い出してしまう私は、小泉によって「改革」されてしまった現在の自民党になら、小沢的には戻ってもいいかもになるのはべつにおかしくはないと思うし、もともと民主党って、二大保守政党だけで政権時々変えてれば、民主主義やってます、と体裁保ったままネオリベでずーっとやってけるよね、ということで造られた政党だったような気もするんですね。
現在の民主党は、造り出したものの思惑を超えて、自身の意志で進化していっていいわけだから、これからどうなるかはまだわからない。
でも、小沢、追放したほうがよくないですか?彼はもう進化しないんじゃないでしょうかね???