小沢派が陰謀説に感染しやすいのは

小沢一郎が“歩くオカルト”だからだ。
小沢一郎幻想というのは「小沢にやらせてみるとぜったいにすごいはずだ」というものだ。これまでの実績がすごいからというのではない。未だ隠されたままのスゴいもの、という点で、彼はオカルトである。政治家としてこれからの展望を語るといつも抽象的なことしかいわず、しかしそこがマスコミ文化人と似ていて、結果としてマスコミ文化人の一部が小沢と親和性が高くなる。オカルトに魅かれやすい体質は陰謀説とも親和しやすいだろう。
小沢は何か事があると身を隠す。居場所がわからなくなる。彼がかんじんなときに何をしていたのかは見えず、幻想だけが膨らむ。べつにたいしたことはしていないですよというのが週刊文春に載った奥さんからの証言だったのだが、低級なゴシップだとして小沢派はまともに取り合わなかった。
次の選挙でオカルトのまま政界から消えるのが、小沢一郎伝説が信者の間で後の世まで語り伝えられるためにはいちばんいいのではなかろうか。オカルトが蠱惑的なのは、隠されているからなのだ。すごいままでいたいなら、もう隠遁したほうがいい。