森美術館問題から思い出した小説

星新一「解放の時代」(新潮文庫『天国からの道』所収)

天国からの道 (新潮文庫)

天国からの道 (新潮文庫)

星新一作品としてはめずらしくセックスが主題となっているが、これまで文庫未収録だったショートショートだということで、書かれたのは相当昔、おそらく性解放が目新しいトピックとしてニュースになっていた頃(1960年代か70年代)なのではないだろうか。主人公の一人称が「おれ」で、ちょっと筒井康隆の初期短編と似たノリなのだが、全体としてはやはり星新一ショートショートである。笑ってクールダウンしたい人にお勧めしたいところだが、想像力を賦活させられるとひんやりし過ぎてこわくなってくる。でも、こわいって感じていいんだって、それがいいね、こうなってくるとね。

笙野頼子のだいにっほん三部作

だいにっほん、おんたこめいわく史

だいにっほん、おんたこめいわく史

だいにっほん、ろんちくおげれつ記

だいにっほん、ろんちくおげれつ記

だいにっほん、ろりりべしんでけ録

だいにっほん、ろりりべしんでけ録

森美術館問題をめぐるネット情景から、この笙野頼子の描いたおんたこ地獄を連想するのは、連想としてあまりにもベタな気もするのだが、日本のだいにっほん化が着々と進行しているようでちょっと本気で心配になってきたので、あらためて紹介しておく。
だいにっほん三部作とは、近未来の日本を舞台にしたディストピアものだ。前世紀末から論壇にまじめな議論を成り立たなくするために導入された論畜(偽右翼の右畜と偽左翼の左畜)のうち、ネオリベの濁流の中でまともな左翼が死滅し結果として無用となった右畜も消え去り、後に残った左畜だけが増殖して主流となり、左畜から成り上がったおんたこが独裁体制を布いた日本、それがだいにっほん。だいにっほんでは「アート」はすべてロリコンでこれがだいにっほんの輸出産業でもある。独裁者なのに自分は反権力闘争をしていると決め込んでいるおんたこの世では、ロリコン行為はすべて反権力行為として認められている。
おんたことは、初期のおたくなら持っていた筈の社会性や他者への配慮を完全に欠落させ、責任を引き受ける自我を空洞化させたまま権力を握ってなお自分の行いをすべて反権力行為であるとして正当化させてしまうもの。
笙野頼子にこのディストピアを想像させたのは、大塚英志との間で起きた純文学論争中の経験が大きな要因となっているそうなのだが、その大塚英志が自分の文庫本のカバーに会田誠の絵を採用しているのも何かの因縁なのだろうか。


いずれも、森美術館問題とそれをめぐるネット情景から思い出した、または引き起こされた自分の感想からつながって出てきた作品で、美術館問題と直接関係があるものではありませんが、私個人にとってはすごく関連性が深い、おんたこ化が加速する中で生き延びる力を分けてもらえるような読書体験が味わえる小説です。