『世界』 no.883 に田代まさしが!

世界 2016年 06 月号 [雑誌]

世界 2016年 06 月号 [雑誌]

目次はこちら http://www.iwanami.co.jp/sekai/

「クスリがやめられない」が言える社会を目指して
松本俊彦(精神科医)×近藤恒夫(日本ダルク)×田代まさし(元タレント)

シャネルズ/ラッツ&スターのファンだった人なら、今マーシー何してるのかな? になることがありますよね。『世界』の座談会で、現在日本ダルクの職員として活動していて、薬物依存症の人たちへの社会の理解と依存症克服のための環境作りに取り組んでいるそうです。座談会では自身の経験も語り、刑務所よりまず医療の救けが必要だと話しています。「実際には難しいのかもしれませんが、私は、有名人のためのダルクを作りたいと考えています」とも。
アメリカなどにくらべると、日本はいったん薬物依存になってしまうと、依存症から回復して社会復帰するのがむずかしい現状があり、そこを変えていきたいという座談会。
ぜひ、『世界』で読んでみてください。

以下は余計な事。

困っていると相談に来た人の力になった弁護士に、いろいろ言っている人がいますが、弁護士が言っていることをまともに聞いていないような声を多くネット上で目にして、どうしてこうなるのかな、と。
AVや風俗について何か語る(そこで実際に被害に遭った人を支援したという話をしているだけだったりするのだが)と、わらわらと「えーそんな人いるの? いないよぅwww」とかいうツイートが流れてきて、まあその人個人のつぶやきなわけだけれども、それがもとで語られていたことがぐちゃぐちゃにまるめて捨てられるような展開になるのを見ると、なんともいえない気持ちになってしまう。
日常、女性の発する言葉が、男性(ここでは社会と言い換えてもよい)に、どのように取捨選択されて社会の構成物として取り込まれていくか、その戯画というかイメクラ(もう死語か?)を見せつけられるようで、以前もこういう日記を書いたなあと思い出したり http://d.hatena.ne.jp/nessko/20141007/p2
ここでは男性:人間;女性:幽霊;という絵になるかな。ま、そのようにしか男性は外界を認識できないものらしいし、それはそれで仕方ないだろう。
女性の側もたぶん中高生くらいのときに、自分たちの発言はどう外に受け取られるかを察知できるようになっていて(ところで私はそれが他の人のようにできなかった欠陥物件の成れの果てだがw)、だから社会人としてうまくやっていける女性は、そのことを体質的に織り込み済みの上で発言できる人になるから、社会学などを勉強する女性が増えても、このあたりの世の有り様が言語化されることはたぶんないだろうくらいには思っている(それができない人は学問する場でも門前で排除されてしまうから)。
ただ、別の形で問題化することはできるのではというのもあってね。たとえば、1990年代頃からになるだろうが、風俗やAVがマスメディア上でのさばりだしたのは何故か? とか。ネオリベ思考浸透と関係ありそうでしょ? 新しい思想が流行りだしたとき、全身でそれにかぶれるのは若い女性からなのよ。そして、まるで体現するかのような存在になってその先の世の中を変えていく。世の流れに食われるともいえるかもしれないが、食われることで世の中を変質させる、死ぬことで生きるというのが日常でしかない、それが女なのかもしれませんね。