どんな時代が来ても絶対に困らない人
渡部昇一先生の『幸田露伴『努力論』を読む 人生、報われる生き方』に、
このように教えてくださっています(結論的に、内容が凝縮されたところで、分かりにくければ、すみません)。
〜
今われわれは、古代に比べ、原人に比べてはるかに大きな幸福を得ている。
これはすべて祖先の『植福』のたまものである。
祖先のおかげをこうむっているわれわれは、同じように『植福』して子孫に残してやらなければならない。
文明というものは、すべて先人が福を植えてくれた結果である。
そして災禍はすべて先人の徳を破壊した結果である。
真の徳と知識の蓄積こそ幸福の源泉であり、これがすなわち『植福』そのものなのである。
〜
『植福』こそ人間の最重要課題といえよう。
『有福』は祖先のおかげであって評価すべきところはない。
『惜福』の工夫のある人は少し尊敬してもよい。
『分福』の心のある人はさらに尊敬してよろしい。
『植福』できる人こそ最も敬愛しなければならない。
『有福』の人は、あるいは福を失うこともあろう。
『惜福』の人は福を保持できるかもしれない。
『分福』の人はさらに福を招くことができるであろう。
そして、『植福』の人こそ福を創造することができるのである。
(以上、引用です。)
植福とは、福を植えることで、一粒の種であっても、将来、多くの果実を生んでゆくように、
より大きな福をもたらします。
福を植えることは、一見、まわりくどくて、すぐにはその福を享受はできないのですが、
将来、多くの福をもたらすのです。
また、植福は、植林にもなぞらえられます。
今は、一本の小さな苗木であっても、三十年後、四十年後は、大きな木となり、
家の材料にできたりするのです。
いまの日本の繁栄があるのも、先人の皆様、諸先輩の皆様の植えられた福が実っているからです。
戦後の荒廃から、勤勉と高い技術、そして、創造性を発揮された努力のたまものであるのです。
テレビ、ラジオ、自動車、高速道路、新幹線など、戦後の日本の繁栄をつくったものは、すべて、先人の植えられた福が、
大きく実っているのです。
しかし、1990年代以降、日本の経済繁栄は、止まっています。
一人当たりの国内総生産は、1990年・世界8位から、2008年・世界19位と大きく落ちているのです。
もちろん、この間、新しいものが生み出され、発展したところもあるでしょうが、
トータルでこれだけ落ち込んでいるということは、
これは、政治家や役所の官僚たちの基本的政策に大きな問題があったのではないかと思われます。
つまり、福を植え続けて、福を大きくすることができなかった。
福を植えて、福を大きくすることができた面もあるでしょうが、
それよりも、福をすり減らして、福を食いつくしてしまった面のほうが、かなり大きかったことを意味するのではないかと考えます。
先人の方々が植福してくださっていたように、植福をしていれば、
福が創造され、その福を享受することができたはずですが、
実際に、貧しくなっているということ、福がすり減っているという事実があるのですから、
この意味を、国民一人ひとりが疑問を持ち、なぜかを考えてみる必要があります。
それは、簡単にいえば、福を植えることができなかったということ。
先人の皆様がしてくださっていたようには、福を植えることができなかったということでしょう。
福を植えることは、難しいことで、未来産業を育てたり、いまは利益を生まなくても、
将来、利益を生むもの、または、将来にわたり、国の財産を守るものなどにお金を回すことなので、
いま必要なものをがまんしてまでも、そういうことに充てる胆力もいれば、高い見識も要ります。
松下幸之助先生は、お金は稼ぐことより、使う方が3倍難しいと言われましたが、
国民の皆さまから集めさせていただいた血税である税金を、将来、福が大きくなるところに投資するのは、
絶えざる勉強、そして、未来を切り拓く高い見識が必要で、難しいことであるのでしょう。
ここで、私が何をいいたいか?
やはり、バラマキは、最善手ではなく、最悪手に近いということです。
もちろん、生活自体が大変な方には、保護や、手当が必要ですし、
それを担うのも政治の一側面です。
しかし、がんばれる人にもばらまくのは、福をすり減らし、福を破壊してゆくことになります。
また、もし、こども手当などが、国民に対する真なる愛の思いでなされるのか、
それとも、それによって、ある意味、国民を買収し、票を買うような、さもしい根性でなられるならば、
それは、本当に最悪手でしょう。
税金は、集めるにもコストがかかり、また、ばらまくにもコストがかかります。
だったら、その分、税金を安くしたほうがいいのです。
せっかく集めた税金は、大きな金額となったわけですので、
個人や、私企業でできないような、より大きなことに投資というか、植福されるべきです。
そういう国家としての投資、国家としての植福が、成功していれば、
国民は繁栄し、
失敗してきたら、
衰退していくのでありましょう。
これは、1年という期間であっても、みごとに結果がでるものであると思います。
1年あれば、赤字の会社を立て直すこともできます。赤字そのものは、1年では克服できなくても、
増益に転じて、借金を減らす流れをつくることはできます。
日産のゴーン社長の再建の逸話などは、その典型でありましょう。
政治は厳しく結果責任が問われます。
民主党が、政権をとって、はたして、税収が増えたか?
NOです。2009年度は、1985年以来の40兆円割れを起こしました。
福を植えて、将来の見通しを明るくし、景気を回復させれば、税収も上がるはずです。
しかし、福を植えられず、過去の福をすり減らし、ひいては福を破壊し、景気を下げれば、
税収は上がるはずはありません。
民主党が、いすわる理由もほとんどありませんが、
日本の経済を繁栄させるということに失敗している以上、
それは、民主党が福を植えることができず、過去の福をすりつぶしているだけであり、
このことだけも、即刻退場、一発レッド・カードものであると、
私が言いたかっただけです。
どんな時代が来ても絶対に困らない人とは、植福できる人のことであり、
どんな時代が来ても絶対に困らない国家とは、国家としての植福をし続けられる国家であると言えるのです。
長々とした話となりましたが、
民主党政権が、福を植えて、明るい未来を国民に提示できていれば、
景気はよくなり、税収も上がってゆくはずなのですが、
ただ、それこそ、真の政治家に求められる、難しい仕事の一つであると考えます。
私自身、植福をし続け、国家レベルでも植福ができる人になってまいります。
植福修行を積み重ね、どんな時代が来ても絶対に困らない人となり、
そして、どんな時代が来ても絶対に困らない日本をつくる!、その福を植えられる人になるぞ!と決意いたしております。
幸福実現党
ほそかわ幸宏
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