今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』(論創社)

「伝説の」と形容される「今泉棚」を築いた今泉正光氏に対するインタビューが収録されています。インタビュアーは出版流通・書店論に造詣の深い小田光雄氏です。自ずと1970年頃から現在に至る出版や書店を取り巻く状況の変遷にも触れて話は進んでいきます。

カリスマ書店員としての一歩は、キディランド大宮店に配属された時から始まります。学習参考書の売場がスタートでした。今泉氏は参考書を店長の了解を得て自宅に持ち帰り研究したのです。「担当者として学参について、自分がお客さんに説明できなかったら、私には価値がない」と語っています。

辞書もよく売れる時期なので、お客さんから尋ねられた時に自信をもって推薦できるように辞書の良し悪しも勉強します。「学参売場担当者として、店頭に立ったら、学参、辞書に関して、お客さんに説明できるだけの商品知識を自分で身につけなければ、プロじゃないと思い、そういうことをずっとやってきましたね」ということです。ここに書店員としてのプロ意識が集約されています。

次の転機はキディランドを退職し西友前橋店に入社した時に訪れます。前橋では、みづの書店(古書店)の店主である水野氏と知り合い、古書店の倉庫に出入りさせてもらったり水野氏から色々なことを教わることになります。水野氏は「膨大に本を読んでいて、学者でも勝てないぐらい」の知識人だったそうです。

今泉氏も浪人時代の2年間と大学生での4年間に本の虫となって乱読したと述べています。親交を深め様々なことを教授したのは今泉氏に若かりし水野氏を見出し見込みのある人物だと認められたからでしょう。

さらにみづの書店の人脈とも交流を持ち古書店と新刊書店を結びつけていきます。今泉氏の個人客が二、三百人に達し毎月二、三万円ぐらい本を購入してくれたそうです。シンポジウムや講演会も企画します。読書サークルにも顔を出して人脈を広げていきます。

この段階で「今泉棚」の素地は形成されていたのでしょう。次の飛躍は西武池袋店への異動によってもたらされます。「新しい知のパラダイムを求めて」という大きなフェアに挑戦して大成功を収めます。そして浅田彰氏の『構造と力』や中沢新一氏の『チベットモーツァルト』の刊行があり現代思想が幅広く認知され市民権を獲得するのと歩調を合わせて「今泉棚」も情報発信の場として有名になっていくのです。

池袋でも様々なフェアを行ない講演会も企画します。著者・編集者と親交を深める中で西武百貨店池袋店11階から地下1、2階に売場が移動しセゾン文化の爛熟と相まって「今泉棚」の集大成が加速されていきます。

参考サイト
http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/
インタビュアーの小田光雄氏のブログです。はてなダイアリーを使っている古書店主・評論家・読書家はかなり多いです。


今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』(論創社)

書店風雲録 (ちくま文庫)
書店風雲録 (ちくま文庫)
本書でも度々参照されています。同時代を描いた作品です。