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2014年-08月-18日

9月13日に東京でメディア総研公開シンポジウム「安倍政権とメディア」

 案内をいただいたイベントの紹介です。

 ※メディア総合研究所トップ  http://www.mediasoken.org/

 ※チラシ・PDFファイル 20140913メディア総研「安倍政権とメディア」.pdf 直

メディア総研公開シンポジウム

安倍政権とメディア

2014年09月13日 in東京都新宿区


秘密保護法の成立から今年中の全面施行、また集団的自衛権行使容認の閣議決定など、このところ安倍政権は重大な政治問題を次々と投げかけています。

これに対してマスメディアはどのように対応してきたのか、またこなかったのかを検証します。

●日時 2014年9月13日(土)午後1時30分〜4時30分

●会場 四谷保健センター 多目的室(新宿区三栄町25番地)

 http://www.city.shinjuku.lg.jp/soshiki/341500yotsuya-hc_00013.html

●基調講演 岸井成格毎日新聞特別編集委員)  (敬称略)

パネリスト 青木 理(ジャーナリスト白石 草(OurPlanetTV代表)三木由希子(NPO法人情報公開クリアリングハウス理事長)

コーディネーター 砂川浩慶(立教大学准教授・メディア総研所長)

資料代 1000円(メディア総研維持会員・学生は無料)

主催・問い合わせ メディア総研

2014年-08月-14日

1945年8月14日の大阪大空襲

 69年前、1945年の8月14日は、大阪で最後の大空襲があった日です。翌15日の終戦まで、あと1日を生き延びることを許されなかった人々のことを、3年前に大阪に赴任して知りました。大阪で2年前に書いたブログ記事が検索で読まれているようで、今日(14日)はいつもよりブログのアクセスが伸びています。

※「『あと1日』を許さなかった8月14日の大阪大空襲(再び)」2012年8月15日

http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20120815/1344985658

 この記事でわたしは、空襲で市民が犠牲になったJR京橋駅を訪ねた時のことを以下のように書きました。

 1945年当時、ここは砲兵工廠の北端に隣接していました。現地に立ってみて「あと1日生き延びていれば」と思わずにはいられませんでした。そして、その「あと1日」を許さなかった戦争のむごさをあらためて感じました。犠牲になった人たちの多くは、あの日あの時刻、この場所にいたのは偶然だったのでしょう。個人の意志や力ではどうしようもできないまま、一方的に命が奪われていく。だから戦争は人権侵害の最たるものだと考えています。

 「個人の意志や力ではどうしようもできないまま、一方的に命が奪われていく。だから戦争は人権侵害の最たるもの」との考えは、今も変わっていません。

 1945年8月14日の大阪大空襲に遭遇した方に、作家の故小田実さんがいます。わたしは新聞労連委員長当時の2006年5月、朝日新聞労組主催の集会で、小田さんのこの空襲の経験談を聞く機会がありました。当時、わたしが運営していたブログ「ニュース・ワーカー」のエントリーから、小田さんの発言を記録した関連部分を引用します。

▽戦争体験を継承するためには、あの戦争をもっと調べる必要がある。わたしは1945年8月14日の大阪大空襲を体験した。200メートル先に1トン爆弾が落ちた。米軍は日本語のビラも撒いた。それには「戦争は終わった」と書かれていた。翌日、本当に戦争は終わった。終戦について通説はこうだ。8月6日広島、8月9日長崎原爆が投下され、ソ連も参戦した。ようやく日本はポツダム宣言受諾の用意に乗り出す。一点だけ「国体護持」の条件をつけたが、連合国から返事はない。最後に聖断がくだった、と、通説になっている。しかし真っ赤なウソだ。米国へ行って調べたら、米国では8月11日の新聞に「戦争は終わった」と出ている。「天皇制は維持されるだろう」と書いてある。翌日の新聞では「維持する」となっている。新聞報道はスイス経由で日本に届く。米国は日本に通告していたのだ。しかし、日本政府は(終戦に)腰を上げず、業を煮やして米国は8月14日に空襲を再開した。政府がグズグズしている間に、死ぬのはわれわれだったのだ。戦争の真実はまだ隠されている。ヤマとある。

※ブログ「ニュース・ワーカー」2006年5月4日:「小田実さんは『憲法9条は今こそ旬』と繰り返し指摘した〜朝日新聞労組『5・3集会』より」

http://newsworker.exblog.jp/3865011

 この小田さんの講演のことは、3年前にもこのブログで紹介しました。そのときに書いた以下のことも、今もわたしの考えとして変わっていません。

※「『あと1日』を許さなかった8月14日の大阪大空襲」2011年8月14日

http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110814/1313282333

 大阪での少年時の空襲体験をもとに、戦争の悲惨さ、愚かしさの本質を突いた小田さんの指摘でした。66年前に日本の敗戦で終結した戦争は、アジア各地におびただしい犠牲を強いた上、沖縄の地上戦、広島、長崎への原爆投下のほか、日本中の主だった都市が空襲を受けて多くの住民が犠牲になりました。それぞれの地に、それぞれに戦争の記録と記憶があります。その体験が継承されていくことで、戦争を認めるわけにはいかないとの不変の意思も受け継がれていくのだと、小田さんの言葉を今読み返して思います。

【写真説明】大阪市・JR京橋駅そばにある1945年8月14日の大空襲犠牲者の慰霊碑(2012年8月撮影)

f:id:news-worker:20120811141938j:image

2014年-08月-10日

備忘:広島、長崎での安倍首相あいさつから「憲法遵守」が消えている

 1945年の原爆投下から69年。今年の8月6日、9日の広島、長崎の原爆の日は、安倍晋三政権が7月1日に閣議決定集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を行ってから、さほど日がたたないうちに迎えました。広島、長崎両市長は平和宣言で、直接「集団的自衛権」に言及したかどうかの違いはあれ、ともに憲法に基づく「不戦」の堅持を求めました。一方の安倍首相は式典でのあいさつでは、核廃絶への取り組みを強調したものの、集団的自衛権の行使容認には触れませんでした。首相のあいさつでは、広島でも長崎でも、冒頭と結びの文言が昨年とほぼ同じだったことが話題になり、被爆者から批判の声が上がったことも報じられています。

※47news=共同通信「昨年と酷似、長崎も『コピペ』? 首相あいさつに批判続出」2014年8月9日

http://www.47news.jp/CN/201408/CN2014080901001691.html

 原爆投下69年の6日に広島市で開かれた平和記念式典でのあいさつが「昨年のコピペ(文章の切り貼り)」と指摘された安倍晋三首相は9日、長崎市の平和祈念式典でも昨年と酷似した文章を読み上げ、被爆者から「がっかり」「使い回しだ」と批判の声が上がった。

 長崎市の式典で安倍首相はあいさつの冒頭、「被爆の辛酸をなめた私たちは、にもかかわらず、苦しみ、悲しみに耐え立ち上がり、祖国を再建し、長崎を美しい街としてよみがえらせた」と昨年と同じ言い回しを使った。「被爆68周年」「68年前の本日」の数字部分がそれぞれ「69」に変わっただけだった。

 首相自身がどう考えているのかは分かりませんが、長崎でのあいさつは、広島でのあいさつが昨年と酷似していると報じられた後ですので、文面はスピーチライターの作成だとしても、首相自身も昨年と同じ文言であることは承知の上だったと考えるほかないようです。

 過去の安倍首相の原爆の日のあいさつとの比較では、もう一つ書き留めておきたい点があります。1回目の首相在任時の2007年の広島の式典では、安倍氏は「憲法」に触れて、以下のように述べていました。

 私は、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの決意をより一層強固なものとしました。今後とも、憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げます。

 長崎でも「長崎市民の皆様の前で」として、同じ文言を口にしていました。

 昨年も今年も、この「憲法の規定を遵守」の文言は見当たりません。かつては口にしていた「憲法遵守」を今は口にしないとは、ある意味、とても正直だという気がします。


※参考 首相官邸ホームページ安倍総理の演説・記者会見等」

▼2007年8月6日・広島

http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/08/06aisatu.html

▼2007年8月9日・長崎

http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/08/09aisatu.html


▼広島2014年

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0806hiroshima_aisatsu.html

▼広島2013年

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/0806hiroshima_aisatsu.html


▼長崎2014年

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0809nagasaki_aisatsu.html

▼長崎2013年

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/0809nagasaki_aisatsu.html

2014年-08月-03日

民間船と船員の戦争犠牲の歴史〜毎日新聞「民間船員も戦地に」に感じたこと

 8月になりました。6日、9日の広島長崎原爆の日、15日の終戦の日を控えて例年この時期、新聞各紙には戦争と平和に関連した記事が目につくようになります。8月に顕著な傾向であることに対して、時に「8月ジャーナリズム」などの揶揄もありますが、それでも戦争と平和の問題を社会全体で考えていくうえで、とりわけ戦争体験の継承マスメディアにとっても大きなテーマだと考えています。

 そんな中で、3日付の毎日新聞朝刊(東京本社発行の最終版)1面トップに掲載された「民間船員も戦地に」「有事の隊員輸送」「防衛省検討 予備自衛官として」などの見出しが並んだ記事に目が留まりました。南西諸島有事の際に民間フェリーで自衛隊員を戦闘地域に運ぶために、フェリーの船員を予備自衛官にすることを防衛省が検討している、との記事です。社会面にも関連記事が「戦地へ 誰が行くのか」などの見出しとともに掲載されています。いずれもネットの同紙サイトにも記事がアップされています。本記のリード部を引用して書き留めておきます。

▽民間船:有事の隊員輸送 船員を予備自衛官として戦地に

 http://mainichi.jp/select/news/20140803k0000e040096000c.html

 尖閣諸島を含む南西諸島の有事の際、自衛隊員を戦闘地域まで運ぶために民間フェリーの船員を予備自衛官とし、現地まで運航させる方向で防衛省が検討を始めた。すでに先月、2社から高速のフェリー2隻を借りる契約を結んだ。太平洋戦争では軍に徴用された民間船約2500隻が沈められ、6万人以上の船員が犠牲となった歴史があり、議論を呼びそうだ。

▽民間船:有事輸送 戦地へ誰が…船長「何も聞いてない」

 http://mainichi.jp/select/news/20140803k0000e040097000c.html

▽民間船:戦時中、徴用2500隻沈没 船員6万人死亡

 http://mainichi.jp/select/news/20140803k0000e040098000c.html

 毎日新聞が社会面の記事で伝えているように、日本は第2次大戦で商船と船員を大量に軍に徴用し、おびただしい犠牲を生みました。わたし自身がその歴史を知ったのは10年近く前、新聞労連の専従役員の時でした。新聞労連は憲法改悪に反対する取り組みの中で、他の産業の産別労組とも共闘していました。そうした組合の一つに、船員で作る全日本海員組合がありました。当時、海員組合は直接的に憲法の問題に取り組むというよりは、第2次大戦の悲惨な歴史を踏まえて、民間の船員を有事体制に組み込むことに反対する運動に力を入れていました。そうしたことを海員組合の方々に教えていただきました。海員組合のホームページから、関係部分を引用します。

※全日本海員組合:主要な政策活動

 http://www.jsu.or.jp/general/about/seisaku.html

※全日本海員組合トップ http://www.jsu.or.jp/

平和な海を希求する活動、有事法制の制定に反対する

 かつての太平洋戦争では、民間船員は根こそぎ戦時動員され、記録されているだけでも6万2000人の先輩船員たちが過酷極まる戦場の海で戦没しました。死亡率は陸軍海軍軍人のそれを大きく上回るという痛ましいものでした。

 当時、有無を言わさず民間船員を駆り出したものが、国家総動員法にもとづく「船員徴用令」をはじめとする有事法制です。「有事法制」には、罰則付きの「従事命令」が含まれると言われており、船員や海運業者もこの命令の対象です。

 従事命令は、船員や港湾関係者、航空・鉄道・自動車などの輸送関係者、医師・看護婦といった医療関係者、土木・建設関係者など広範な国民を戦争に強制動員できる仕組みをつくるもので、憲法が第18条で禁止する「苦役労働の強制」そのものです。 「有事関連3法案」は、5月15日衆議院本会議で可決後、6月6日の参議院本会議で可決、成立しました。

 今後、関連する個別法が審議されていくことになりますが、海上を職場とする私たちは、海の平和と安寧を求めて、引き続き有事関連3法、個別法の制定と有事法制の発動を許さない運動をいっそう推進していきます。

引用者注:有事関連3法の成立は2003年のことです

 海員組合は、第2次大戦で犠牲になった船と船員を記録にとどめ継承するために、ネット上にも「戦没した船と海員の資料館」を開設しています。戦没した船の位置を記した地図もアップされています。

※「戦没した船と海員の資料館」 http://www.jsu.or.jp/siryo/

 毎日新聞が報じた防衛省の方針には賛否双方の意見や考え方があるだろうと思いますが、まずは海運や船員の分野で過去にどういうことが起きたのか、その歴史を踏まえておくことの意味は小さくないと思います。海員組合の取り組みは参考になるのではないかと思い、紹介することにしました。

2014年-07月-16日

琉球新報「闇から闇に葬るつもりか」〜備忘・沖縄密約訴訟の最高裁判決

 1972年の沖縄返還をめぐる日米間の密約文書の開示を元毎日新聞記者の西山太吉さんらが求めた訴訟で最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)が7月14日、判決を言い渡しました。一審の開示命令を取り消した二審東京高裁判決を支持する内容で、西山さんらの敗訴が確定です。その中で第2小法廷は、行政機関が「存在しない」としている文書の開示を求めるには、開示を求める側がその存在を証明しなければならないとする判断を示しました。あまりにも行政機関=公権力に寄った判断です。

※47news=共同通信「沖縄『密約文書』不開示が確定 西山元記者らの上告棄却」2014年7月14日

http://www.47news.jp/CN/201407/CN2014071401001593.html

 1972年の沖縄返還をめぐる日米間の密約文書の開示を元毎日新聞記者西山太吉さん(82)らが求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は14日、一審の開示命令を取り消した二審東京高裁判決を支持し、原告側の上告を棄却した。西山さんらの敗訴が確定した。

 最高裁は、密約文書が破棄された可能性を認めた二審の判断を維持した上で、行政機関が「存在しない」とする文書は、開示を請求する側がその存在を証明しない限り公にできない、との初判断を示した。

 文書公開を求める市民の側に重い立証責任を課し、情報を管理する行政側の裁量を広く認める判断。

【写真説明】最高裁判決を1面トップで報じた15日付の琉球新報紙面

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 判決を耳にしてすぐに思ったのは、特定秘密保護法との関連です。同法をめぐって指摘され続けていることの一つは、何が特定秘密か、それ自体が秘密にされる恐れです。公文書の開示を求めようとすれば、その存在をまず立証しなければならないとする今回の最高裁の判断は、国家による秘密の壁を一層厚くする方向にしか作用しなくなるのではないかとの危惧を覚えます。

 すでに多くの新聞が社説などでこの最高裁の判断を批判しています。ここでは、密約の舞台となった沖縄の沖縄タイムスと琉球新報の社説の一部を引用して書き留めておきます。

※沖縄タイムス社説「[密約『不開示』確定]文書破棄を認めるのか」2014年7月15日

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=76614

 一、二審では「開示請求する側が過去の文書作成を証明した場合は、行政側が廃棄を立証しない限り、文書は保管されていたと考えられる」としていた。最高裁の判断は、行政が文書を破棄することを容認したものである。

 都合の悪い情報を伏せる政府の不当性を追及し、責任の所在を明らかにするのが、筋ではないか。公開を求める市民の側に重い立証責任を課すことは本末転倒と言わざるを得ない。

(中略)

 そもそもこれらの密約文書は、琉球大学我部政明教授が米国立公文書館で発見し存在が証明されている。加えて密約を認めた吉野文六元外務省アメリカ局長が法廷で証言もしている。

 一審では、これらの事実を基に国が1969〜71年に文書を作成し保有していたと認定し「探したが見つからなかった」とする国側主張に対し、調査の不十分さを指摘。「国民の知る権利をないがしろにする対応は不誠実」とし、保有が失われた事実は認められないと結論づけていた。正論である。

 一、二審ともに密約文書が「第一級の歴史的価値を有する極めて重要なもの」との認識を示している。公文書管理法は「公文書が健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」とうたっている。

 これに逆行するのが年内にも施行される特定秘密保護法である。「外交上、不利益を及ぼす恐れがある機密」などとされ、秘密指定されれば半永久的に公開されない可能性もある。

 最高裁が無責任きわまる理屈で、外交文書を闇に葬るつもりなら、歴史に対する冒涜(ぼうとく)である。

※琉球新報社説「密約文書不開示 闇から闇に葬るつもりか」2014年7月16日

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-228605-storytopic-11.html

 判決は、密約文書の存在を立証する責任を、機密文書に自由に接することができない原告側に負わせた。全く理解できない。本来なら文書の存在を容易に確認できる国側が明らかにすべきだ。国にとって都合の悪い文書を闇から闇に葬ることに司法が手を貸したに等しい。

(中略)

 今回の訴訟で情報公開請求の対象となったような外交文書は、年内にも施行予定の特定秘密保護法で秘密指定されるとみられる。この法律は組織的な情報隠しを禁じる条項がないから、秘密がますます拡大する可能性がある。

 秘密指定すれば永久に解除されないような事態を招いてはならない。今後、重要な外交文書の保全と公開のルールを厳密に定めなければならない。

 民主主義が機能不全を起こすとき、最初に犠牲になるのは真実だ。知る権利や言論の自由を狭めてはならない。国は国民の知る権利にきちんと応じる責務があることを肝に銘じるべきだ。