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2015年-01月-18日

ILOの思い出〜プロフィール写真変更

 このブログの「プロフィール」の写真を更新しました。2年前、2013年の1月に、京都ジャーナリスト9条の会にお招きいただき、2012年の衆院選報道について講演をさせていただいた際のものです。

 ※「衆院選報道とこれから〜久しぶりの市民集会参加」2013年1月28日

 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20130128/1359329592

 それまで使用していたのは、新聞労連委員長だった2004年10月、スイスジュネーブ国際労働機関(ILO)本部で開かれたメディア部門の政労使3者会議に、日本マスコミ文化情報労組会議略称MIC)の代表団の一人として参加した折、ILOで記念に撮った写真です。気に入ってツイッターにも使っていたのですが、10年以上がたち、さすがに実際の顔つきとの違いが目立つと感じるようになっていました。

 ILOで5日間(月曜日から金曜日)にわたった会議では、様々な刺激がありました。正直に言えば、会議の場では必ずしも本当には理解できていませんでしたが、各国の労組代表が何度も何度も強調していた「何よりも大切なのは団結する権利だ」という言葉は、その後の新聞労連やMICでの活動を通じて、わたし自身の確信にもなっていきました。このことは、労組に所属しない身の今も揺るぎはありません。管理職として働くようになり、企業内の労使関係によって労組を離脱することはあるとしても、働く者として団結権をもはや持ちえないというわけでは必ずしもありません。

 日本では、この「団結権」は憲法により保障されています。問題は、働く者であれば本来だれでもが手にできなければならないこの権利を、日本社会ではいまだ手にできていない人が大勢いることです。既にこの権利を享受し、この権利を具現化した「労働組合」に所属している労働者こそが、そうした無権利状態の解消に努めるべきです。そうでなければ、今手にしている権利もやがては失っていくことになりかねません。「権利は適切に行使してこそ権利として輝く」というのは、今でもわたしの確信ですし、この場合の「権利」は第一に団結権であり、労働組合を結成すること、労働組合に加入して、団体交渉などで労使対等の立場に立つことです。

 ILOでの経験から学んだもう一つのことは、労働運動は本来的に反戦運動であり、平和運動であるということです。これも、今もわたしの確信になっています。ILOは、協議の当事者が加盟各国の政府、各国の経営者団体、各国の労働者団体の3者となっていることが特長です。それだけ労働者の保護と労働条件の向上を重視しています。それはなぜかと言えば、労働者の労働条件を向上させることによって貧困をなくし、そうすることによって社会不安を解消し、究極的には戦争を防ぐためです。ILOの発足は1919年。国際連盟と同時です。国家と国家の総力戦となった第1次大戦の惨禍を経て後のことでした。このブログでも先日紹介しました(「2015年、永遠平和のために」)が、ILO憲章の前文は「世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができる」と宣言しています。社会正義の根幹の一つが労働者の地位と労働条件の向上です。

 日本で労働組合活動をめぐってよく耳にする物言いの一つに、労働組合は政治的な活動をするべきではない、ということがあります。わたし自身が経験した新聞産業の労働運動でも、そういう声はあり、反戦平和の活動や沖縄米軍基地をめぐる取り組みへも、疑問の声がありました。しかし、人類の歴史の観点から見れば、労働者の保護が重んじられるようになったのはまさに戦争を防ぎ「永続する平和」を実現するためにほかなりません。労働者の権利擁護の根幹として、団結権を具現化した労働組合こそは、生まれながらの平和勢力なのです。

 労働組合活動を通じて学んだことの核心は、つまるところは戦争を起こしてはいけない、ということです。これはジャーナリズムにも通じることだと考えています。

【写真説明】「プロフィール」旧写真。2004年10月、ジュネーブのILO本部で

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2015年-01月-07日

「生きている限り、戦争をなくすことに役立ちたい」むのたけじさん100歳

 日本の敗戦で第2次世界大戦が終結した1945年8月、新聞が戦争の実相を国民に伝えてこなかったことに責任を感じ、朝日新聞社を退社したことで知られるジャーナリストむのたけじさんが1月2日に誕生日を迎え、100歳になられました。東京新聞の7日付朝刊1面に、共同通信が6日に配信した記事が掲載されました。おそらく、各地の地方紙の紙面にも載っていることと思います。ネットでは「47news」の以下のページで配信記事の全文を読むことができます。

 「反戦の声、生きる限り ジャーナリスト・むのたけじさん100歳に」(47トピックス)=2015年1月5日

 http://www.47news.jp/47topics/e/260817.php

 一部を引用します。

 反戦を訴え続けてきたジャーナリスト、むのたけじさんが、2度のがん治療を乗り越え2日、100歳になった。足腰や目は弱くなったが鋭い 舌鋒 (ぜっぽう) は健在だ。「今の日本は戦争のにおいがぷんぷんする。生きている限り、戦争をなくすことに役立ちたい」。戦後70年を迎え、放つ言葉には一層の力がこもる。

 「負け戦を勝ち戦と報じ続けてきたけじめをつける」。1945年8月の終戦を受け朝日新聞社を退社。故郷の秋田県横手市ミニコミ誌「たいまつ新聞」を発刊し、30年間、反戦記事を書き続けた。今、さいたま市で暮らし、講演や執筆をする。

(中略)

 安倍政権が進めてきた特定秘密保護法制定や集団的自衛権行使容認に、戦争の影を感じるというむのさん。「安倍さん個人の話ではない。彼を前面に出し、日本を変えようとする政治、経済界の勢力がある。誰が何を求め、何をしようとしているのか。それを明らかにするのが記者の務めだ」

 47newsにはインタビューのもようの動画もアップされています。

 http://www.47news.jp/movie/general_national/post_8449/

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 埼玉新聞も1月4日付で独自のインタビュー記事を掲載しています。ネットでは以下で読めます。

 「『戦争は人類の大犯罪』 ジャーナリストむのたけじさん100歳に」

 http://www.saitama-np.co.jp/news/2015/01/04/04.html

 一部を引用します。

 むのさんは1915年生まれ。不況に苦しんだ秋田の小作農の出身。貧農と金持ちがいる矛盾を感じ、「社会の不平等をなくす役に立ちたい」とジャーナリストを志した。

 新聞記者になったのが二・二六事件の起きた36年の4月。従軍記者として中国ジャワ島などの戦地を取材した。

 「戦場は相手を殺さなければ自分が殺される場所。まともな人間でいられるのは3日まで。4日目から人間らしい感情が消える。国内も同じ。『命令に絶対服従』という軍の論理が全てを支配。その論理が社会にも家庭にも染み込む。親子、夫婦にもゆがみが生まれる。戦争は人類の大犯罪だ」

 79年間のジャーナリストの経験から「戦争はハッと気が付いた時には手遅れ。私も戦争の事実を書けなかった。だから戦争を絶対に始めさせてはならない」と力を込める。

 ことしは戦後70年の節目の年です。新聞にとっては「戦争と平和」がいつの年にもまして大きなテーマになります。70年前に日本の敗戦で終わったあの戦争を同時代の体験として経験された方々も、少なくなってきました。今や戦争体験の継承は社会的な課題だと思います。そういう中で、その当時の新聞の報道のありようをも身をもって経験したむのさんの話です。「生きている限り、戦争をなくすことに役立ちたい」とは、ジャーナリズムの目標が戦争を起こさせないこと、起こってしまった戦争は早期に終わらせることだと訴えているように、わたしは受け止めています。マスメディアで働く者みな、中でも若い記者に、いずれの記事も読んでほしいと思います。

 もう7年以上前になりますが、2007年10月に、直接むのさんの話を聞く機会がありました。むのさんは沖縄で開催されたマスメディア労組主催の集会で基調講演をしました。当時、わたしは労働組合専従から復職して1年余の時期で、自身の仕事の意味や働き方を再確認しなければならない、との思いが日増しに強まっていました。むのさんが集会に参加することを聞き、たまらず週末の休みを利用して沖縄に行きました。むのさんの話にとても興奮し、そして活力が出てきたことを覚えています。沖縄から戻って、わたしが当時所属していた労組の新聞研究活動の機関紙にレポートを投稿しました。このブログの以下の過去記事には、そのレポートを再掲しています。長文ですが、読んでいただければうれしいです。

※「『戦争はいらぬ、やれぬ』〜朝日新聞むのたけじさんインタビュー記事」=2008年8月24日

 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20080824/1261821267

2015年-01月-01日

2015年、永遠平和のために

 2015年になりました。昨年はこのブログにたくさんの方にご訪問いただきありがとうございました。本年もよろしくお願いいたします。


 ことしは1945年に第2次大戦が日本の敗戦で終結してから70年です。10年前の戦後60年、2005年当時は、わたしは新聞労連の専従役員で職場を休職していました。マスメディア労働組合運動に身を置き、争議支援や労働条件の維持・向上を日々の課題にしながら、「憲法が改悪されかねない」との危機感、焦燥感がいつも頭の中にありました。

 当時の自民党小泉純一郎政権は2003年のイラク戦争に際して、いち早く米国支持を表明。翌2004年には戦火の止まないイラク自衛隊を送りました。自民党は2005年11月には、9条を改変して「自衛軍」の保有を明記した改憲案を公表。同年9月11日の衆院選では、定数480議席のうち296議席を獲得して圧勝していました。

 派遣社員契約社員などの非正規雇用の問題点が徐々に社会に知られ始めたのもこのころ。賃金水準が生活保護よりも低く、いくら懸命に働いても貧困に陥る「ワーキング・プア」も社会問題化しました。しかしそれを社会構造の問題ととらえずに、「自己責任」でかたづけようとする風潮も根強かったように思います。

 当時、労働組合運動を通じて学び、実感したことの一つは「貧困がもたらす社会不安と戦争は親和性が高い」ということでした。逆に言えば、戦争を防ぐには貧困をなくす、そのためには労働者の地位や労働条件の向上が必要だということにつながります。このことは、戦争を繰り返してきた果てに人類が共有するに至った英知の一つとして、ILO(国際労働機関)憲章の前文に端的に言い表されています。

 あの当時から10年たって、一時は薄らいでいた「改憲の危機」が今また、かつてないほどに現実味を帯びてきているように感じる年明けです。

 安倍晋三氏の自民党は昨年12月の衆院選で獲得議席数で圧勝し、その後も安倍政権は50%前後の高い支持を維持しているとの世論調査結果が報じられています。その安倍氏の悲願は改憲であり、中でも9条の改変でしょう。安倍政権の高い支持の根源は改憲志向ではなく経済政策にあるとは思いますが、労働者の賃金アップを掲げながら、一方で戦争容認の社会システムづくりを目指すような政治は、わたしは人類史に照らして疑問を感じざるを得ません。

 戦後70年の年の始まりに当たって、2013年5月にこのブログに書き、その後もよく読まれている記事をあらためて紹介しておこうと思います。

 ※「伊丹万作『戦争責任者の問題』と憲法96条〜『だまされる罪』と立憲主義」=2013年5月7日

 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20130507/1367881891

 戦前に映画監督脚本家として活躍した伊丹万作が「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」との警句を残したのは、敗戦間もない1946年8月でした。今日、改憲志向をむき出しにし、しかし改憲への道のりは遠いと考えたのか、閣議決定で憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使容認に突き進んだ安倍氏とその内閣が高い支持を得ている中で、伊丹のこの警句は今日的な意味を持ち得ていると考えています。

 

 この1年は、まがりなりにも日本が戦後70年間、直接戦争をしなかったことの意味を考えながら、永遠平和のためにわたしの立場でできることを、小さなことでも実践していきたいと思います。本ブログも引き続き、よろしくお願いいたします。

永遠平和のために

永遠平和のために


 ※ILO憲章については、ILO駐日事務所のホームページに日本語訳があります。

 ・駐日事務所トップ

 http://www.ilo.org/tokyo/lang--ja/index.htm 

 ・「ILO憲章、フィラデルフィア宣言」

 http://www.ilo.org/tokyo/about-ilo/organization/WCMS_236600/lang--ja/index.htm

 数ある国連機関の中で、労働者の地位向上と権利の保護を大きな目的とするILOが生まれたのは、第一次世界大戦が終結した1919年でした。駐日事務所のサイトの「ILOについて―歴史」の項では「ILOは、『世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができる』という信念を実現するために、第一次世界大戦を終結させたベルサイユ条約に結実する動きの一部として1919年に創設されました」と説明しています。

 憲章前文は以下の通りです。

世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができるから、

そして、世界の平和及び協調が危くされるほど大きな社会不安を起こすような不正、困苦及び窮乏を多数の人民にもたらす労働条件が存在し、且つ、これらの労働条件を、たとえば、1日及び1週の最長労働時間の設定を含む労働時間の規制、労働力供給の調整、失業の防止、妥当な生活賃金の支給、雇用から生ずる疾病・疾患・負傷に対する労働者の保護、児童・年少者・婦人の保護、老年及び廃疾に対する給付、自国以外の国において使用される場合における労働者の利益の保護、同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認、結社の自由の原則の承認、職業的及び技術的教育の組織並びに他の措置によって改善することが急務であるから、

また、いずれかの国が人道的な労働条件を採用しないことは、自国における労働条件の改善を希望する他の国の障害となるから、

締約国は、正義及び人道の感情と世界の恒久平和を確保する希望とに促されて、且つ、この前文に掲げた目的を達成するために、次の国際労働機関憲章に同意する。

2014年-12月-29日

マスメディアと「不偏不党」「公正中立」〜備忘:京都新聞連載・根津朝彦さんの論考

 自民公明与党が獲得議席数で大勝した衆院選の結果を受けて、「戦後レジームからの脱却」を図る安倍晋三政権の今後などについて、京都新聞が5人の研究者の論考を連載で掲載。サイトにもアップしています。いずれも読みごたえのある内容ですが、ここでは直接的にマスメディアの課題に切り込んでいる根津朝彦・立命館大准教授の論考の一部を、備忘を兼ねて書き留め、紹介します。マスメディアで働く人にはぜひとも一読してほしい内容です。

※京都新聞「民意が示したもの 戦後70年体制の行方」

 (1)ジャーナリズム史 立命館大准教授 根津朝彦さん

 http://www.kyoto-np.co.jp/info/seiji/minni/20141216_7.html

 そこで想起したいのは「不偏不党」の歴史である。自由民権運動から、米騒動報道禁止に反発したうちの一社である『大阪朝日新聞』が筆禍で狙い撃ちされた白虹(はっこう)事件に至る過程で、新聞が掲げるようになったのが「不偏不党」である。つまり権力からの弾圧を回避するための「商業的イデオロギー」であり、近代日本の天皇制国家を支える偏った「不偏不党」の報道を重ねて権力に屈服してきたことを忘れてはなるまい。とかく「不偏不党」や「公平中立」は自明視されるが、新聞の戦争協力を含め、その概念を誇るに足る内実を備えていたわけではないのである。今回の自民党がテレビに要求したのも「公平中立」であった。

 時の政治権力への批判を鈍らすよりも、批判精神を発揮した言論の方が歴史的に評価されることは、宮武外骨桐生悠々を例に出せば明らかである。現実は複雑で多様である。その豊かな世界を捉えるためには、現状追認とは異なる視点、つまり現実を抉(えぐ)り出す批判を示すことで、権力者が導きたい方向性を相対化できる判断基準をもつことが大切である。

 ではどうすればいいのか。特効薬はないが、歴史に指針を求めることはできる。現在では論壇は実態を伴わない言葉になっているが、かつては知的共同体といえる言論空間は総合雑誌が代表していた。1950年代前半には『世界』『中央公論』『改造』が総計で約30万部発行されており、社会的な言論の場に活気があったことで、マスメディアの質を高めるクオリティー・ペーパーの役割を果たしていたのである。

 論壇は、ジャーナリスト、研究者、編集者、学生、市民ら広範な読者のネットワークがあって成立する。それが総合雑誌という形をとることはもはや考えにくいが、学生の街の京都にはその可能性がある。自由な感性をもつ若い読者層とジャーナリズムの連携を模索できるからである。最近では首都圏で、特定秘密保護法に反対する学生有志の会(SASPL・サスプル)の運動に注目が集まったが、いつの時代も新しい世代に社会の希望の芽が存在する。

 マスメディアにとって「不偏不党」や「公平中立」は実は自明のものではないこと、歴史に照らせば、「不偏不党」や「公正中立」が戦争協力、戦争遂行へも導きかねないことは、わたしも新聞産業の先人の経験を伝え聞いたりする中で感じてきたことです。根津さんが指摘するような「ジャーナリスト、研究者、編集者、学生、市民ら広範な読者のネットワーク」「自由な感性をもつ若い読者層とジャーナリズムの連携」は、マスメディアにとっても偏った「不偏不党」「公正中立」に陥らないための一助になるだろうと思います。ただし、そうしたネットワーク形成のためには、例えマスメディアが企業体であっても、所属する記者の一人一人が自律、自主を認められることが大前提でしょう。現実はその時点で高いハードルがあるように思えます。逆に言えば、課題ははっきりしています。

 京都新聞の「民意が示したもの 戦後70年体制の行方」のほかの4人は以下の方々です。以下のページからリンクをたどれます。

 http://www.kyoto-np.co.jp/info/seiji/minni/

(2)日本近現代史 福家崇洋・京都大大学文書館助教改憲、許容させるための果実」

(3)政治学・社会思想 白井聡文化学園大助教「戦争の危惧、新しい段階に」

(4)朝鮮近現代社会史 板垣竜太同志社大教授「構造的差別に立ち向かえた」

(5)歴史社会学 山下範久・立命館大教授「経済人質に右傾化を黙認」

2014年-12月-18日

琉球新報「犠牲強要を拒む意思表示 『見ぬふり』の壁に穴を」〜「『オール沖縄』全勝」の沖縄2紙社説

 少し時間がたってしまいましたが、12月14日の衆院選結果やその後についての沖縄の新聞2紙の社説を紹介し、一部を引用して書き留めておきます。

 この選挙で沖縄では、四つある小選挙区のすべてで非自民党の候補が当選を決めました。うち一つは共産党の公認候補です。自民党の公認候補もみな比例区復活当選するのですが、小選挙区での沖縄の民意の集約という観点から見れば、自民党が獲得議席数で圧勝した本土とは際立った違いがあります。要因としては、各小選挙区で非自民の有力候補が一本化したこと、米軍普天間飛行場の沖縄県内移設(名護市辺野古地区に代替基地を建設するとの日米両政府の合意)を是とするかどうかという明確な争点があったこと、11月16日の県知事選では県内移設に反対を掲げた翁長雄志氏が保革を超えた支援体制で圧勝していたこと、などが挙げられると思います。沖縄で今何が起きているのかを知るための一助として、沖縄のマスメディアを通じてこの選挙結果の意味を知ることには、本土に住む日本人にとっても大きな意義があると思います。沖縄から発せられている問いは、日本政府政権を成り立たしめている、日本国の主権者が受け止めるべき問題であると考えるからです。

沖縄タイムス

・12月15日付「[移設反対派全勝]揺るがぬ民意を示した」

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=94760

 2010年の知事選で仲井真弘多氏が「県外移設」の公約を掲げて再選を果たしたとき、作家の大城立裕さんは、選挙後に一文を草し、こう指摘している。

 「日米安全保障のための基地なら、全国で共同責任をもつべきなのに、なぜ沖縄だけの負担なのか、という単純素朴な不平が消えないのである」

 大城さんは、住民意識の変化に注目する。

 「(沖縄は)『祖国』に絶望しかけている。民族の危機とはいえまいか」

 この不公平感と政府への不信感、「自分たちの未来を自分たちで決める」という自己決定権への渇望が、知事選に次ぐ衆院選での圧勝をもたらしたのである。

 この期に及んで民意を無視し、辺野古移設を強行するようなことがあれば、嘉手納基地を含む米軍基地の一大撤去運動が起こり、政府と沖縄の関係は、大城さんが指摘するような危機的状況に陥るだろう。

 (中略)

 知事選で仲井真氏が約10万票の大差で敗れ、今回、衆院選の選挙区自民候補がそろって敗れたのは、端的に言えば、公約を翻し、辺野古移設を認めたからだ。

 「辺野古ノー」の沖縄の民意は、政府が考えるよりもはるかに根強い。見たい現実だけを見て、沖縄の滔々(とうとう)たる世論に目をつぶることは、もはや許されない。

・12月18日付「[『辺野古』新局面]確かに山が動き始めた」

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=95243

 翁長雄志新知事は、就任後初めての県議会で「辺野古に新基地を造らせないということを私の県政運営の柱にしていく」と語った。

 現行案に対してこれほど明確に拒否の姿勢を示した知事はいない。沖縄選挙区で当選した4人の議員国会で知事を支える。この構図ができたのも初めてだ。

 安倍晋三首相や沖縄基地負担軽減担当相を兼務する菅義偉官房長官は衆院選期間中、一度も沖縄に入らなかった。9月の所信表明で「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」といいながら、選挙応援にも入れなかったのである。

 共同通信社が衆院選後の15、16両日に実施した全国緊急電話世論調査によると、辺野古移設について「計画をいったん停止」と答えた人が35・0%、「白紙に戻す」が28・7%だった。

 移設賛成が反対を大きく上回っていた昨年12月の調査に比べ、世論に変化が生じていることがうかがえる。

 対日政策に影響力を持つジョセフ・ナイ米国次官補は今月初め、朝日新聞の取材に答え、次のように語っている。

 「沖縄の人々が辺野古への移設を支持するなら私も支持するが、支持しないなら我々は再考しなければならない」(8日付朝日新聞)。この踏み込んだ発言が、知事選後だという点に注目したい。

 米国は民意に敏感である。普段、民主主義の大切さを説いているだけでなく、敵意に囲まれた基地は機能しない、ということを経験で知っているからだ。

 ナイ氏は、中国弾道ミサイル能力が向上したことで沖縄の基地がぜい弱になり、基地を沖縄に集中させることがリスクになりつつある、との見方を示したという。

 東アジアの安全保障環境も沖縄の民意も全国世論も、大きく変わってきているのである。

 選挙で翁長陣営と争った県議会野党も、初心に帰ってこの変化に正面から向き合ってもらいたい。

 この期に及んで辺野古移設を強硬に進めようとすれば、民意の猛反発は避けられず、島ぐるみの反対運動に発展するのは確実だ。辺野古埋め立てを強行するよりも計画を見直すほうが、普天間の危険性除去は早まる。


▼琉球新報

・12月15日付「安倍政権に信任 平和憲法が危機に オール沖縄の民意尊重を」

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-235932-storytopic-11.html

 県民は「沖縄のことは沖縄が決める」と自己決定権を行使し、政府与党に辺野古移設拒否をあらためて突き付けたことになる。知事選に続き「オール沖縄」で反新基地の民意が示されたといえる。

 政権公約に地元が三度(みたび)反対を明確に打ち出したこと、さらには衆院選沖縄選挙区で自民党公認が全敗したという現実を安倍政権は重く受け止め、移設を断念すべきだ。地元の民意をこれ以上無視することは民主主義国家として許されない。

 選挙区で落選し、比例で復活した自民党の4氏は政府与党と歩調を合わせた辺野古移設の公約が有権者から支持を得られなかった事実を真摯(しんし)に受け止めてほしい。

 「普天間の危険性除去」の一方で、辺野古に新たな危険をもたらす移設を沖縄の政治家が推進していいのか。「一日も早い危険性除去」なら普天間飛行場の即時閉鎖しかない。

 沖縄の代表として、過重な米軍基地負担を沖縄だけに押し付ける差別政策を今後も認めていいのかを、いま一度考えてもらいたい。

・12月16日付「『オール沖縄』全勝 犠牲強要を拒む意思表示 『見ぬふり』の壁に穴を」

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-235975-storytopic-11.html

 安倍晋三首相は開票当日、「説明をしっかりしながら進めていきたい」と、なお新基地建設を強行する考えを示した。翌日には菅義偉官房長官も、沖縄の自民党候補全敗について「真摯(しんし)に受け止めるが、法令に基づき(移設を)淡々と進めていきたい」と述べた。

 まるで沖縄には彼らが相手にする民意など存在しないかのようだ。米軍基地を置く領土だけがあればいい、住民の意思など邪魔だとでも言うのだろうか。中国政府がウイグル自治区チベットでしてきたこと、最近の香港で行ったことと何が変わるのか。

 問題は、この沖縄への犠牲の強要が、安倍政権の体質に由来するだけではないという点だ。

 世論調査をすると、沖縄では辺野古移設への反対が常に7〜8割を占めるのに対し、全国では賛成が反対を上回ることもある。

 海兵隊の適地は沖縄のみ、という考えが背景にあるが、思い込みにすぎない。移動手段を考えれば北部九州に置く方が合理的だ。事実、沖縄の基地問題が浮上した1996年にも、2005年の米軍再編協議でも、当の米国が海兵隊の本土移転を打診している。だが日本側が拒んだというのが実態だ。

 尖閣問題を抱え、海兵隊が必要というのも誤りだ。日米の外務・防衛閣僚が交わした正式文書は島嶼(とうしょ)防衛を米軍でなく日本のみで対処する分野と定める。米軍が対処するなどあり得ないのだ。

 こうした事実は全国ではほとんど報じられない。報道機関の責任もあるが、結局のところ、国民は「見たくない真実」から目をそらしている。日本全体が、米軍が身近にあるのは困る、置くなら沖縄で、と無意識に考えていることの反映と言えば言い過ぎだろうか。

 だから政府の辺野古移設強行に国民の反発は少ない。沖縄への犠牲の強要は、安倍政権だけでなく日本全体の「見て見ぬふり」に由来すると考えられるのである。

【写真説明】琉球新報の15日付紙面1面(手前)と16日付社説

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