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発声練習

2015-04-23

[] リンク:炎上案件に突如ディレクターとして投入されたときにやってみたこと

なんという価値ある情報

一次対応を続けて、ディレクタがボトルネックになったり、死なないうちに寡頭制に移行するのがすごい。

[] これは良い資料:教職員のための障害学生修学支援ガイド

日本学生支援機構という名前に恥じない良い仕事。ありがたい。項目別にPDFをダウンロードできるのもありがたい。

厚労省にこういうサイトがあるのもありがたい。

精神科に過度な期待はしない方がいい〜ルーティンとしての通院のススメ〜

というタイトルの方が適切な内容が書いてある。

本当に「抗鬱剤を貰いに行くためのルーチンワーク」だと思わないと精神科通いはやってられない。だって、精神科医が病んでる時にむとんちゃくな発言をして、俺をげっそりさせるんだもん!!!

精神科の嫌な所は時間かかることよりも、カネがかかるよりも、何よりも「別にそいつに話したとて何か解決するわけじゃないし、なんかわかってもらえるわけじゃない」ってところよ!

〜中略〜

医者は現象面で「病んでるかどうかを診断して、薬を適量渡して、それが正しく飲まれてるか、薬の相性は大丈夫かチェックする」と言う立場であって、別にカウンセラーでもなんでもないんよ…。

ただ、薬は効果あるし、薬をもらっていることや治療を受けていることは自分が躁うつ病だと証明できることに繋がるため、医者に有用性がないとは言わない。が、通院自体で消耗する時も多い!こちらが過度な期待を捨てれば、有用性がないわけではなく、医者という役割をちゃんと把握する必要があることが悩ましいのだ。

かくいう私も青二才でね: 精神科通いなんてムダ!少なくとも期待はしない方がいいより)

一般的には、鬱病の症状が無くなり、元の状態に戻った後、半年から1年間薬を続けると再発を防ぐことができると言われています。

主治医に「子供が欲しいので、そろそろ減薬をしたいと思う。」と希望を伝え、先生のご意見を聞かれるのはいかがでしょうか?減薬の仕方は、先生によって違うと思いますが、離脱症状のこともありますので、焦らずにゆっくりと行った方が良いと思います。

2015-04-21

[] 送り手と受け手の間で「これはフィクションである」と共有する重要性

以下の話は先日参加した歴史コミュニケーション研究会 第20回(4月18日(土)、15:00〜): Show must go on, History is going on. 歴史、フィクション、物語(せんだい歴史学カフェとの共催企画)で、登壇者の方が繰り返し言われていた「送り手と受け手の間で『これはフィクションである』と共有するのが重要だ。フィクションを事実として受け止めてはまずいし、フィクションを事実として送り出してもまずい」という話の好事例だと思う。

もちろん、この大前提の先には、以下の場合どう取り扱うかという懸念事項がでてくる。

  • 送り手が意図的にフィクションを事実に混ぜている場合
  • 送り手が無意識にフィクションを事実に混ぜている場合
  • 送り手が他者が作ったフィクションを意図的に事実としている場合
  • 送り手が他者が作ったフィクションをフィクションと気づかずに事実としている場合
  • 送り手がフィクションを事実と主張しているがために、受け手がフィクションを事実と受け止めた場合
  • 送り手がフィクションと事実の区別をあいまいに/誤解しやすいようにしているため、受け手がフィクションを事実と受け止めた場合
  • 送り手がフィクションと主張しているにも関わらず、受け手がフィクションを事実と受け止めた場合

STAP細胞事件や研究不正のときにも出てきたのがミスと不正行為を区別するのは難しいという点。そして、送り手と受け手には知識の非対称があるという点。

基本的には、専門家は非専門家に比べて知識や規範を身に着けているからこそ「専門家」とされているわけなので、送り手が大前提を守るべきだし、そのときの己が行える最大限の注意と技術をもってフィクションと事実を分けて提示すべきである。その上で、やっぱりうまく分けて提示できておらず、かつ、他の専門家から見て「いや、いくらなんでもそれは」という部分に関しては責任を果たすとともに、ごめんなさいすべき。

今回の金八先生の例でいえば、そもそもフィクションたるドラマ内のセリフであり、かつ、間違っていることが分かった時点でごめんなさいしているので受け入れられるのではないかと。江戸しぐさは、フィクションを事実として世の中に送り出し、いろいろと批判されている点について対応していないので、まあ、アレ。

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