発声練習

2012-02-10

[] やるべきことを自分が本当にやり遂げられるかを不安に感じる必要はない

なぜならば、不安に思っても何にもならないので。まさに「必要はない」ものです。抑え込むか注意をそらしてください。休憩時間中は存分に堪能していただいて結構です。「やるべきことは、やるしかない。やれないならばどうしようもない。」です。

「やるべきこと」って何?

「やるべきこと」というのは、何かしらの前提の下で誰かが必ずそれをやり遂げなければならないことのことを指して言う言葉です。前提が変わらない限り、それは「やらない」という選択はありえません。「やらない」という選択がありえないからこその「やるべきこと」です。

言葉遊びだけれども、この認識が重要です。

不安によって何が変わる?

不安は悪いものではありません。不安は慎重さや謙虚さにつながり、不安に思って前提ややり方を見直すことで「やるべきこと」自体を考慮したり、やるべきことの作業効率をあげたりできます。

ですが「自分が本当にやり遂げられるか」の不安には価値がありません。その不安の解消は「それをやるのを止めて良いという承認」「それをやり遂げたという事実」のどちらかでしか解消されません。良く検討された上で「やるべき」とされたことならば「それをやるのを止めて良いという承認」が降りるはずありません。よって、「自分が本当にやり遂げられるか」の不安には「それをやり遂げたという事実」を積むしかありません。

今の現実を良く進める手助けをかけらもしない「不安」は必要ありません。

「やるべきことを自分が本当にやり遂げられるか」の不安を自分で引き受ける

「やるべきこと」が理不尽に与えられたのではない限りは、あなたはそれをやるべきであると同意したはずです。同意したならばやらない選択肢はありません。もちろん、やらなくてもよいですがその場合はやるべきであると判断した前提を否定することになります。それによる不利益は粛々と受け取るべきです。

選択肢は「効率よくやり遂げるか」「非効率にやり遂げるか」の二択です。「やり遂げられないときはどうするんですか?」への答えは「どうしようもないので、不利益を受けとるしかない」です。やるべきであると判断した前提が崩れることによる不利益を受け取りたくない、かつ、やるべきことをやらない(一部やらない)ことを許してほしいという都合の良い話はありません。

友達、恋人や家族には「やるべきことを自分が本当にやり遂げられるか不安なんだ」と甘えてよいでしょう。でも、指導教員とか先輩は赤の他人ですから、甘えられても困ります。とはいえ、不安を覚えないのは我々の精神力では無理ですから、抑え込むか注意をそらすべきです。

作業目的と作業終わりを明確にし、己れを機械として扱う

「頭を動かすな、手を動かせ」が基本です。この原則で1週間〜1ヶ月ぐらいは「自分が本当にやり遂げられるか」の不安について注意をそらせることができます。作業自体が明確でなく、作業終わりが明確でないと「〜が終わるまでは考えるな」という自分への説得が効きません。必ず、作業目的と作業終わりを明確にしましょう。明確にした後はいつもの手法で乗りきります。「ヴァァァーーーー」でも、「WRYYYYYYYYーーッ」でもお好きな方をどうぞ。

おわりに

もし、「やるべきことを自分が本当にやり遂げられるかを不安」を抑え込むか注意をそらすことで不利益を被った場合はご一報ください。謝罪します。

また、このエントリーはブーメランエントリーです。「鏡を見ろ」とも言います。

追記:どうしてもしんどいときはタッチ泣き

アニメのタッチのどこかのシーンでなんでだか忘れましたが南ちゃんが橋の下で泣くシーンがあります。歌がかかっているので泣き声が聞こえません。

どうしても不安でしんどいときは不安を開放し、タッチ泣きしちゃいましょう。

  1. お風呂を沸かす(シャワーの場合は浴室を温めておく)
  2. お風呂に入る前に気持ちを盛り上げておきます。
    • 私は、中島みゆき「ファイト」、小田和正「言葉にできない」などを聞くと盛り上がります
    • 良く涙がでるように水分も補給しておきます。
    • 15分ぐらい暗い部屋の隅で体育座りしても良いかもしれません
  3. 浴室へ行きます。気持ちを盛り上げたい場合は服をきたままでも良いかもしれません
  4. シャワーを高い位置から出します
  5. シャワーにうたれながら、南ちゃんと同じ姿勢になります
  6. 「私はなんてかわいそうなんだ。こんなにがんばっているのに不合理だ。」など自己憐憫を200%稼働させます。
  7. 声を出さず泣きます。泣けない場合もシャワーのお湯が顔を伝いますので泣いている雰囲気はでます
  8. 自己憐憫に堪能するまで泣きます。頭の中でタッチのオープニングをかけても盛り上がるかもしれません
  9. 存分に泣いたら、ため息ひとつついて、普段のお風呂でのルーティングワークをこなします
  10. お好きな飲み物を飲んで、寝ます。

Tips

  • 誰かを罵ると、泣くというより怒りに我を忘れてしまいます。自己憐憫に浸りましょう
  • お風呂でやる理由は典型的なパーソナルスペースだからです。号泣しても汚れものでないですし

2012-02-09

[] 卒業研究が企業に軽視されている事実の一端かな?

この記事がニュースになるのがすごいなぁと思う。ニュースになる「当たり前でない」ということだし。

岐阜経済大学経済学部卒業論文発表会が7日、大垣市北方町の同大であり、今春に卒業予定の学生75人が4年間の集大成となる研究成果を発表した。

7教室に分かれて開始。学生一人一人が指導教員ら2人の教員と学生の前で「欧州と日本の経済危機」「日本の原発と電力問題」などの研究テーマに沿って10分の制限時間で、データを交えて発表した。その後、教員や学生たちの「ギリシャ問題がなぜEU(欧州連合)にまで拡大したのか」などの質問に答えていた。

発表会は審査会も兼ねており、指導教員ら2人の教員が、内容や論点などについて評価基準に基づいて審査。単位が認定された卒業論文は「演習論文集」として発刊、卒業式に手渡されるほか、大学図書館にも保管される。

発表会は、発表したり、質問に答えることで研究テーマをさらに深め、思考力や表現力を高めるのが狙い。社会科学系の大学では珍しい取り組みという。【子林光和】

世代別大学経験者、修士課程進学者のいる割合 with 投票率にまとめた世代別大学進学率からすれば、上記のような事柄がニュースになるのはありえる。世代があがるごとに身の回りの大学進学者がいない。また、学歴ごとにある程度、交友関係が固まるならば、50代以降は子供も含めて一切大学進学者がいない可能性もある。

世代 進学者率 子供の進学率(+20歳)
20代 10人中4、5人 ?
30代 10人中3、4人 ?
40代 10人中2、3人 10人中4、5人
50代 10人中2、3人 10人中3、4人
60代 10人中1、2人 10人中2、3人
70代以上 10人中0、1人 10人中2、3人

20代〜40代は自分自身や子供の影響で「大学行くのが当たり前」が強化されているかもしれないけど、人口のボリュームゾーンである50歳以上は「大学はエリートがいくところ」の認識が強いのだと思う。国会議員首長のボリュームゾーンは50歳以上だろうから、今の働く世代とギャップができるのは当たり前。ギャップが当たり前であることを認識した上で、教育政策や行政をやって欲しいのだけどなぁ。話がよじれた。

また、再:ポスドクや博士課程の就職の話をする場合には「博士課程=大学院」と呼ばないで欲しいでまとめた、分野別就職率をみると卒業生のうちざっくり3分の1が理系学部。大学卒業者の3分の2は卒業研究していない可能性があるので、自分のまわりと大学時代の思い出を話しても、「卒業研究たいへんだった」という話題はでない可能性が高い。

以上、新聞読者が大学から遠い可能性があること、大学卒業者であっても多くの人が卒業研究をやったことないことからすると、この毎日新聞の記事はニュースバリューがあるとみなしてもおかしくはない。でも、毎日新聞で理系白書連載していたでしょ?

2012-02-07

[] リンク:「2012年度未踏IT人材発掘・育成事業クリエータ委託契約」に係る企画競争

旧、未踏ユース(未踏ソフトウェア)の未踏IT人材発掘・育成事業の募集中。次の4/1時点で25歳未満の人はぜひ応募してみよう。

未踏IT人材発掘・育成事業(以下「本事業」という。)では、ソフトウェア関連分野においてイノベーションを創出することのできる独創的なアイディア、技術を有するとともに、これらを活用していく能力を有する優れた個人(クリエータ)を、優れた能力と実績を持つプロジェクトマネージャー(以下「PM」という。)のもとに発掘育成します。

クリエータは、自らが提案するテーマについて、PMからの指導・助言を受けて、開発プロジェクトを実施することにより、能力・技術の向上を図ります。このクリエータの中から、特に優れた能力を有するクリエータをスーパークリエータとして選出いたします。また、スーパークリエータとして認定された者が、新たなスーパークリエータの発掘を行う等の人材育成へ参画していく環境を整備いたします。

上記事業目的を達成するため、「独自性・革新性があり、将来社会的インパクトを与える可能性を秘めたテーマを実現しようとしている若い逸材(2012年4月1日時点で25歳未満の方)」からのテーマ提案を募集します。

[] 主張の妥当性を説明しているのに「説明がない」と言われるわけ。

当たり前じゃない主張をするときはちゃんとその主張の妥当性を説明することで述べたことを踏まえて、主張の妥当性を説明しようとしても、先輩や指導教員から「主張の妥当性についての説明がない」と言われてしまうのはなぜか?いろいろと理由があるとは思うが、一番の理由は書き方がへたくそだから。

特に、事実や性質の説明とそれらに対する価値判断(すなわち主張)を区別してかけないときに典型的に「主張の妥当性についての説明がない」と言われてしまう。これらを区別してかかないと書かれていることすべてが「主張」に見える。主張の正しさを判断するためにはそれを裏付ける事実や理論が必要なので、読者はそれを探そうと努力する。しかし、全部「主張」に見えるので「主張の妥当性についての説明がない」と判定を下すことになる。

事実や性質の説明とそれらに対する価値判断(主張)をどうやってかき分けるかについては、理系報告書作成のバイブル理科系の作文技術に詳しい。

[] 当たり前じゃない主張をするときはちゃんとその主張の妥当性を説明すること

自分の主張に説得力をもたせたいならば、理由が自明な事柄を除き、全て理由を説明しなければならない。

いきなり「君、帰りなさい。」と言われたら、多くの人は「なぜですか?」と聞き返す。なぜならば、理由がわからないから。理由がわからないと「君、帰りなさい」という指示にしたがうべきかどうかが判断できない。なので、多くの人は理由を明らかにしようとして反問する。しかし、文章によるコミュニケーションの場合は、「なぜですか?」と思っても聞き返すことができない。なので、非常にフラストレーションがたまる。フラストレーションがたまるとその後の文章を読んでもらえない可能性がある。それを防ぐためには、ちゃんと「なぜですか?」の回答を書いておく必要がある。

一方、マスクしてしんどそうにしている時に「君、帰りなさい。」と言われても、多くの人は「なぜですか?」とは聞き返さない。なぜなら、そう言われた理由は自分にとって自明であるから。このように、理由が自明なときは主張の妥当性の説明を省いても構わない。逆に、理由が自明なことを延々と説明されるのもきつい。想定読者が大学生なのに、主題とは別に延々と足し算や掛け算から説明したならば、ほとんどの読者は読むのを止めるか、その部分を読み飛ばしてしまう。読者や聞き手を想定して、理由の説明の詳しさを調整する必要がある。

続き→主張の妥当性を説明しているのに「説明がない」と言われるわけ。