2012-01-16
1.17
明日は1.17。阪神淡路大震災の日。
今からもう17年前。
僕はあの時、中学二年生だった。
ぶっ倒れている高速道路をテレビで見て、
やはり同じように、自分の中の何かがひしゃげてしまったように思った。
自分で作りあげた〈世界観〉のようなものが。
365日。
なんの思い入れもなく過ぎていく日もあれば、
誰かの・何かの記念日もあれば、
思い出したくもない日もある。
けれども、今は何もわからなくても、意味など何も見いだせなくても、
刻まれた傷のようなものが、その形が、
何かを物語ってくるということは、きっとある。
17年という月日は、きっとそのことを僕たちに静かに指し示しているだろう。
そのことを想起する一日でありたい。
2011-12-29
御用納め
昨日で御用納め、要するに今年最後の業務日。
一年間、ほんとーに早かった。
何というか、仕事の枠組みも、位置づけも、ポーンと変わった気がする。
要求されるレベルも高くなったし、
その意味付けも別のものになった。
そして、その前提として、
何のために、誰のために、なぜ今、これをしているのかを、
〈自分のアタマで考える〉
ということがひじょーに重要になった。
当たり前のことなんだけどね。
聖書通読表で、本当はもっと前に読んでいないといけない箇所を、
今、一気に読んでいるけど(毎年繰り返してるなあ)、
神様が託してくださっている恵み、
与えてくださっている奉仕、
そのことを全う出来るように準備されている状況、
そのどれもを、
本当に感謝しつつ、驚きつつ、畏れつつ、
真正面から受け止めていくこと。
そのことが、今の僕に本当に問われている。
2011-12-18
ドラマ『坂の上の雲』
いやぁ、涙もろいね、何だか最近。
この涙は一体何なんだろうって、思う。
何かのために、命を使い果たす。
それを当然のこととして生まれ、育ち(育て)、死んでいく。
抗うことも出来ず、いわば虫けらのように殺されていく。
そういう時代。
その「物語」に、胸がかきむしられる僕は、一体何なんだろうって。
感動、なんだろうか。
憤り、なんだろうか。
悔しさ、なんだろうか。
んー、そのどれでも無いような気がするなあ。
登場人物では、もう途中で死んでしまった正岡子規が好きなんだけどね。
一つのことを突き詰めて、向こう側へ突き抜けてしまうような人に、
激しく僕は憧れる。
きっと、そういう生き方に憧れつつ、
未だ煮え切らなさを抱えているからこそ、
あの「物語」に、激しく心揺さぶられるんだろうな。
次回が最終回か。
正座しつつ、見る。
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2011-12-11
赤黒い月
月蝕。
僕たちがそこで見たのは、光を失って赤黒く映し出された月。
それはきっと、月の実際の姿に近いのだろう。
水もなく、空気もなく、
ましてや、うさぎやかぐや姫が住むはずもない、生命の無い荒地。
光を失って、かえって明らかになるということがある。
光を失ったキリスト者。
そこにあらわれてくるものは、一体なんだろう。
あの月が真っ暗な空中に浮かんでいたように、
虚無の中で、どこか宙吊りにされたように取り残された、がらんどうの肉体と精神。
茫漠たる地の面が姿をあらわす。
神はそこに上から光を当てる。
赤黒く不気味に浮かんでいたあの月のような、
僕たちの地の面を、容赦なく照らす。
しかし、それは単に僕たちの〈現実〉を暴き立てるものではない。
いびつに歪んでしまった僕たちの〈現実〉を照らし出すことを越えて、
それを神の光で染め抜く。
そんな〈現実〉など、まるで存在しないかのように、
思いつきもしなかった姿に、不思議に、僕たちを変えてしまう。
今夜も、黄金色に輝いて、月は空に浮かぶ。
あの赤黒く映し出されたものが月の〈真の姿〉なのだと、僕らは思う。
輝きを放つ光は虚偽でしかなく、
ただ渇き切った月面こそが真実なのだ、と。
そしてその虚構に酔いしれることで十分ではないか、と。
けれども、果たしてほんとうにそうなのだろうか。
ことさらに自らの陰をのみ見つめ、
それをもって自らの現実と断ずるのは、正しいか。
今夜も、黄金色に輝いて、月は空に浮かぶ。
月は自らを照らさない。照らす力を何一つ持っていない。
ただ、光に向かって、自らの赤黒い姿を晒しているだけだ。
なぜ、今夜も月は輝くのか。
理由など、こちら側には何一つ無いのだ。
