RYUTist 「ゆりり卒業ライブ20121118 ゆりりがやりたい曲 全部やります!」11/18@古町 LIVEHOUSE 新潟 SHOW!CASE!! /

11月28日に新潟の古町で開催されたRYUTistのライブに行った。メンバーのゆりりこと木村優里の卒業公演である。

RYUTistを初めて知ったのは今年の5月頃、きっかけはYouTubeの動画であり、地元新潟の牛乳をPRするために牛になって歌うというとてもコミカルな曲だった。

\みなさーん!牛になってください!/


笑いながら繰り返し見ていると、なかなかダンスがうまかったり、煽りが上手かったりと面白さだけでない意外な側面に気づき、YouTubeに上がっている曲を色々見ているうちにすっかりはまってしまった。
8月のTIFにRYUTistが参加すると知って、今年のTIFはRYUTistを見ることを目標に決めて、一日目の公演中止などのハプニングを乗り越え全3回のステージをすべて見ることができた。その頃にはRYUTistの評判もアイドルファンの間では徐々に上がっており、自分の周りの在京アイドルファンもTIFでRYUTistの素晴らしさにすっかり虜になっていた記憶がある。

その後10月9月に新潟で行われた「新潟旨さぎっしり博」という物産展イベントで行われたステージで初めて新潟でRYUTistを見に行く事ができ、古町で行われている定期公演に参加するタイミングを伺っていたところ、ゆりり卒業のアナウンスがちょうど2週間前に行われ、このところ毎回売り子として参加している文学フリマを蹴って18日は深夜バスに揺られ眠れないまま新潟に向かった。


RYUTistは何が素晴らしいのか。そう問われれば、幾つかの理由をすらすらと挙げることができるだろう。
ダンスが抜群に上手い。年上2人、年下3人というバランスが良い。代表曲「ラリリレル」がとにかく素晴らしい。歌のレパートリーが多い。カバー曲の選曲が個性的だ。雰囲気が温かい。スタッフの人望がある。牛になりたい。地元新潟の定期ライブの雰囲気も良い。地元以外のライブにあまり出演しないのでレア感がある。地方アイドルなのに色々しっかりしている・・・etc。

少々わざとらしいかもしれないが、後半の評価はRYUTistが「地方アイドル」であるということを前提としたものである。これらの物言いはどのように捉えられるだろうか。
アイドルの評価というのは難しい。最初に挙げたように「ダンスが上手い」と一口にいっても、普通のファンはダンスの細かい技術に精通しているわけではないし、アイドルが行うダンスとその他のジャンルのダンスは見せ方も方法論も全く異なるだろう。そしてダンスが上手ではなくとも、時にはダンスが下手だからこそそれが魅力につながることもある。「可愛い」というキーワードに代表されるように、アイドルの定義やその評価基準は必ずしも一つに定まらないということは、もう多くの人々が気づいていることだろう(だが、ここで「可愛くない」ことこそがアイドルの魅力である、あるいは「可愛い」という評価基準そのものをアイドルは破壊しているのだ、という議論はおよそ説得力を持たないように思われる。ここではこの議論には深入りしないが念のため。)。
「可愛い/可愛くない」「上手い/上手くない」などの客観的な評価が難しいだけでなく、その評価が「優/劣」に直結しないため、アイドルの評価は時に他のアイドルからの比較として語られる場合がある。この手のアイドル語りはとても安易で、一見何か説得力があるように感じられるために、我々はついつい比較を行なってしまう。しかし多くの場合この手の語り口では比較によって一方を持ち上げるのではなく他方を貶めているだけであることに注意が必要である。
そして、先ほど述べた「地方アイドル」というキーワードに関しては、さらなる注意が必要だ。そもそも「地方アイドル」という言葉自体の定義が明確でないにもかかわらず、我々はつい便利なこの言葉で地方に拠点を置くアイドルたちを総称する。他にも「ご当地アイドル」など、いくつか彼女たちを表す名称があるが、それぞれ若干のニュアンスの差はあれども、基本的には「地方/中央」という二項対立ヒエラルキーからは逃れるとこが出来ないように思われる。
地方に拠点をおいている、フラットにそれだけのことなのに、様々な意味が否応無くついて回る、なんとも厄介な概念である。先ほど列挙したRYUTistの評価にしても、後半の方は、「地方アイドル"だから"良い」あるいは「地方アイドル"なのに"良い」というように、"地方"という文脈への参照からは逃れられないように見える。


このような言葉遊びは無意味で、ただ目の前のものを「良い物は良い」と感じればいい、そう切り捨てる人もいるだろう。だが、多かれ少なかれ、我々がアイドルを目の前にして「意味」や「文脈」を無視できないことは明らかである。多くのアイドルファンが嘆き悲しむ「卒業」であれ、アイドル本人が死んでしまうわけでもない。いくら雑誌やライブに出なくなるとはいえ、その子はどこかの街でそれから先の人生を歩んでいくのだから、そこまで悲しむ必要はないということになる。

自分はこのようなブログをもう3年ほど書いているように、アイドルの「意味」を過剰に読み込んでしまうタイプの人間である。そのような自分の性格を理解しつつも、たまにはそういった"めんどくさい"ことに囚われないでアイドルを楽しみたい。そんなことを感じながら新潟行きの深夜バスに揺られていた。「ゆりり卒業」ライブとはいえ、まだ実際のRYUTistは生で2回しか見たことがなかったし、ゆりりとちゃんと話したこともなかった。「ゆりりの卒業」を祝うあるいは悲しむというよりも、5人のRYUtistを古町のホームライブで見てみたい、最初で最後のチャンスだ、という意気込みのほうが強かった。そもそもRYUTistはなぜだか「地方アイドル」という文脈に自分のなかであまり強く結びついていなかった。


朝の6時頃にまだ暗い新潟駅に降り立ち、下調べも予定も何もなかったために1時間ほど駅の周りをぐるぐると歩きまわってからネットカフェに入り、10時頃街が動き始めるまでうたた寝したりYouTubeRYUTistのライブ動画を見たりしていた。10時になり、徒歩で古町方面に向かい歩き始めた。アイドルがいくつか番組を持っているFM PORTの前を通り、強く寒い風が吹きすさぶ萬代橋を渡り、元町・古町商店街を一通り歩き、寿司屋で海鮮ちらし丼を食べ、気づくともう13時を過ぎていた。

FM PORT RYUTistがゲスト出演した番組を関東からもスマホアプリで聞ける時代。


新潟駅と古町を結ぶ萬代橋


小さな巨人里中智。新潟出身の水島新司御大のキャラクターが古町商店街に並んでいる。小さな巨人というのはなんだかRYUTistっぽい(こじつけ)。


自分のなかで「地方アイドル」というもやっとしたものとは結びついていなくとも、RYUTistがどういう街に根付き愛されているのかを見る時間は十分にあった。ホームライブを行うライブハウス「LIVEHOUSE 新潟 SHOW!CASE!!」があるのは、専門学校が集まる小奇麗なビル。商店街の少し離れた場所には演芸場やキャバクラ密集地帯などもあり、雑多な雰囲気がどこか心地よい。
開場時間に入り口につくと、予想を超えたたくさんのファンが。当然男性が多数だが、女性のファンも多く、年齢層も幅広い。ロビーには小さな子供が走り回っていて、よく見るとメンバーにそっくり。妹さんたちだろう。はじめてのホームライブということもありそわそわしていたが、疎外感はない。そして15分押しでいよいよ始まった卒業公演。。


白い冬服衣装に包まれて登場したメンバーたち。しっとりとした『わたしの青い空』から始まり、『夏の魔法』『カラフル・ミルク』と人気曲へつなげる。その後もどちらかと言えばカッコイイ曲やアップテンポの曲が続き、気づけはあっという間に本編は終わってしまった。
アンコールで『Arrivals and Departures』を歌った後、サプライズ出演ということでゆりり以外のメンバー&観客からkiroroの『Best Friend』をゆりりへ送る。そして、最後の最後の曲は、もちろん『ラリリレル』。。。


自分はRYUTistがラリリレルを笑顔で歌っている間、ずっとボロボロと泣いていた。それはもう自分でも引くくらい泣いていた。普段からラリリレルを聞くときは街中で歩いている時でもなんでもすぐ泣きそうになるし、自分は何かあると割りとすぐ泣くタイプなのだが、それでも自分で驚くほど泣いていた。
こう書くとゆりりに失礼かもしれないが、別にゆりりが卒業するから悲しくて泣いていたのではなかった。むしろこの日のライブ中、ゆりりが卒業することはほとんど忘れていた。忘れさせてくれた。とにかく5人のRYUTistが一番立ち慣れている場所で、一番ファンに受け入れられている場所でライブを見れたことが嬉しくて楽しくて仕方がなかった。
『ラリリレル』を歌っているRYUTistは何もかもが素敵だったが、何が良かったのか今思い返してもよく説明できない。古町だから、新潟だから、地方アイドルだから、地方アイドル"なのに"、そういう文脈が全て剥がれて、目の前で歌い踊るRYUTistの姿もちゃんとみえているのだけれども、彼女たちの歌は自分の中の奥深くの自分でも気づいていない繊細な部分に優しく刺さる。泣いたら恥ずかしいとか、卒業なんだから祝福のために逆に泣かないでいようとか、泣いたらメンバーの姿が見えなくなるなとか、そういうことが頭を過ること無くただただ泣いていた。普段からよく泣くくせに、泣くときはそういう事ばかり考えている自分にしては、本当に貴重な体験だった。


ここまで書いてきたものの、最初の地方アイドルだからどうだとか、そのコンテクストがどうだという話を各必要はなかったのかもしれない。ただ、そういうところから逃れられない、逃れられないから楽しいんだと思っている節すらある自分が、地方アイドルは何か、アイドルとはなにか、はたまたRYUTistそのものの個別性みたいなところも越えて、その奥にあるなにかあたたかくて柔らかいものに触れられて涙が止まらなかったんだという経験を書き記しておきたかったのだ。自分は確かに古町でRYUTistをみたはずなのだけれども、『ラリリレル』のときに一体何を見ていたのだろうか。未だによくわからない。



ライブから2日立ち、ようやく落ち着いてきてゆりりが卒業なんだなということを受け止め始めている、とおもいきやその点についても未だによくわかっていない。まぁそれもそれでいいだろう。また古町のホームライブで、新しいRYUTistに会える日を楽しみにしている。


ありがとね ほんとにね
泣きそうだった 楽しくて
またあおね つぎの日曜日
きっとここで過ごそね




ゆりりさん卒業おめでとうございます。「またあおね」。