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2017-02-02

2015年度、2016年度、修士課程総括

修士過程の2年間を走り抜けた感慨にふけっている。

先月の上旬に修士論文を提出したものの、1月末までは口頭試問や学科で出している冊子の編集実務、内定した会社の課題、講義のレポートなどといった学生生活の残業のようなものが一気に襲いかかってきて、なかなか気が抜けなかった。特に大学は単位をギリギリで計算していたので、一つでも落としたら即留年になるため、無駄に神経をすり減らした。しかし、それも今朝であらかた片付いた。

改めて修士の二年間の生活を振り返ってみると、これほどまでに遊ばなかった期間は俺の人生になかった。毎週毎週余裕がなくて、映画も見なかったし、遊びにも行かなかった。指導教授も大学院時代はそうだったと言っていたので、そういうものなのだろう。そもそも我が学科は教授三人に対して私の同期はゼロである。つまり同学年は俺一人。手厚い指導を受けられる反面、要求される課題は質・量ともにレベルが高く、力は付いたが苦労も多かった。

修士論文のテーマを決めたのが一昨年の秋。そこから翌年の1月にかけて論文を一本書いた。しかし、2月から7月くらいにかけては修論に全く手がつけられなかった。これは就活のせいである。

就活によって得られたものはマジで何一つ無い。
正直どこの企業にも心の底から入りたいなどとはまったくもって思っていなかったので、そこそこ業務内容に興味あるか、受かったらスゴイと言われるかもみたいな企業を中心に適当にエントリーしていた。なので、落ちてもそんなに気落ちすることはなく当然か〜、くらいの気持ちでいたのだが、周囲がこちらの必要以上に期待してくれたり気を使ってくれたりするので、そこがけっこう辛かった。

就活中に出会った人は、人事を含めいい人も多かったけど、社会だとどうしても時間という制約があって共有している前提が擦り合わないまま話が進むので、もっと違うところ(高校とか)で出会ってゆっくり仲良くなれたら良かったのかもな、と思った。現代社会はとにかく忙しすぎる。

というわけで、不毛な就活期間中、修論の調査は遅々として進まず、なんだかんだ本格的に資料を集め始めたのは8月に入ってからだった。なので、実質3、4ヶ月で構想→執筆→完成までこぎつけたわけだ。このペースが正しかったのかは疑問だが、自分は膨大な資料を積み上げて一気にガーッと読むことで思考を繋げていくタイプなので、合っていたとは思う。ただ最後の追い込みの12月は辛かった。クリスマスもなかったし、正月もなかった。忘年会は少しだけ行ったけど、多くの誘いは泣く泣くキャンセルせざるを得なかった。

お陰で満足の行く修論は書けたと思う。もちろん至らない点は数多く、課題は無限にあるのだけど、今自分自身が持っている実力は余すこと無く発揮できたと感じている。教授に口頭試問でこのまま研究を続けて欲しい、と言われたときは、お世辞かもしれないけど嬉しかった。教授の一人は社会人になっても土日に開く演習に出てもいいからと熱心に誘ってくれた。多分行かないと思うけど、めちゃくちゃ有難かったし、自信になった。

もともと二年で満足行く修論を書くことを目標に大学院へと進学したので、その目的は達することができたと思う。あとは成績発表を待ち、無事に単位を数え間違いなく取り終えているか確認するのみ。数学が絶望的に苦手なので、足し算くらいはできていることを祈るばかりである。

とりあえず、日記としてはこんなところ。
修論のお陰でタイピングが得意になったので、このブログでも今後サラッとなんか書いていけたらいいと思っている。

2015-12-31 2015年映画ベストテン このエントリーを含むブックマーク

2015年末に他のブログに書いたものですが、統一のため転載)

2015年映画ベストテン
1『チリの闘い』3部作

2『ハッピーアワー』

3『映像の発見=松本俊夫の時代』

4『ブラックハット

5『パディントン

6 『インヒアレント・ヴァイス

7『誘拐の掟』

8『ジュラシック・ワールド

9『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

10『THE COCKPIT』

以下コメント



1『チリの闘い』3部作

 今年、山形国際映画祭(YIFF)で日本初の劇場上映がなされた『チリの闘い』は、1970年代のチリにおける政治的緊張とアジェンデ政権の崩壊を同時代的に捉えた世界的にも極めて名高いドキュメンタリーフィルムであるにも関わらず、長らく日本での公開が行われてこなかった作品である。本年のYIFFでおおよそ40年越しに上映が行われたことは、2015年最大の事件であるといっていい。会場には本作の監督パトリシオ・グスマンの盟友であり、自身も『生意気でだらしのない奴ら』などで知られる、ドキュメンタリー映画監督のカルロス・フローレス・デルピノも駆けつけ、上映後にはティーチインも行われた。質疑応答の中で、ある人は「30年この作品を待ち望んでいた」と述べるなど、会場には異様な興奮と熱気が渦巻いていた。

 本作の舞台となった1970〜73年のチリは、政治的、芸術的、文化的に激動の時代であった。チリでは1970年大統領選挙によってサルバトール・アジェンデ大統領に当選し、世界で初めて合法的な自由選挙による社会主義政権人民連合」政府が誕生した。アジェンデは企業や鉱山国有化、それを民衆へ再分配することで支持を拡大し、1973年3月の議会選挙でも左派勝利を収める。しかし、これに対してブルジョワ階級は猛反発、アメリカ選挙で勝った社会変革者であるアジェンデキューバ同様に極めて危険視し、企業や経済体と協力して経済封鎖やストライキを使って政権の打倒を試みた。すると、アジェンデを支持する民衆は、地域労働者連絡会を結成してこれに対抗。民衆の支持するアジェンデ政権と、アメリカの支援する経済界が真っ向から国を分断する危機的な事態へと転落していくのである。この対立の鍵となったのは軍部だった。当初はアジェンデに対して肯定的であったチリ軍部は、経済の苦境が続くと次第に反アジェンデ派が支配的になっていく。親アジェンデ派の筆頭であったプラッツ将軍が失脚すると、代わったピノチェト将軍は一気にクーデターへと突き進み、73年9月に「国外追放か死か」という二者択一をアジェンデに突きつける。これを拒否したアジェンデは、官邸ミサイルが次々と打ち込まれる中、壮絶な最期を遂げるのである。

 アジェンデは民衆の圧倒的な支持をバックに変革を断行しようとしたが、それが極めて難しいものであることもまた、当初から周知の事実であった。そのため、芸術家たちは映像によってこれを支援しようとキャメラを手に取った。本作の監督、パトリシオ・グスマンもその一人だ。グスマンクリス・マルケルの協力によって経済封鎖の中こっそりと密輸入したフィルムを用いて撮影を行い、クーデター後はこれをキューバに持ちだして編集することで完成させたのである。

 本作は約1時間半ごとに別れた3つのパートで構成されており、上映時間は全体で4時間半近くに及ぶ。第1部「ブルジョワの叛乱」でサルバトール・アジェンデ大統領率いるチリの社会主義政権議会選挙以降に直面する危機的な事態が一通り示され、第2部「クーデター」で軍のクーデターによって政権が決定的に崩壊する様がキャメラに収められた後、第3部「民衆の力」で時系列が巻き戻されて、民衆によるアジェンデ政権の支援が―もはや決して成功しないものとして―語り直される、という構成をとっている。

 本作において、前述したような大きな歴史の流れは、4時間半にわたってとめどなく溢れかえる膨大な量の映像によって示される。「パトリシオ・グスマンはチリで起こっていることを全て撮ろうとした」とデルピノ氏がティーチインで述べていたが、まさしくその言葉通り、あらゆる種類の映像がここには存在している。ニュース映像やテレビの討論番組フッテージを利用したものもあれば、実際に撮影班が16ミリキャメラを手に取って街に繰り出し、パレードで民衆に手を振るアジェンデや、路上で繰り広げられる群衆のデモの様子を捉えたものもある。戦車の進軍と銃撃戦の様子を撮影し、撮影者が流れ弾によって死ぬ瞬間を記録してしまった衝撃的な映像もあれば、民衆の暮らす日常生活の中へと入り込み、無数の人に次々とマイクを向けて質問を投げかけ、返答を記録した映像もある。しかし、我々観客がこの映画から一瞬足りとも眼を逸らすことができないのは、なによりも、それら無数の映像が、全て、チリという国とそこで生きる人々のその瞬間を確かに捉えてしまっているからにほかならない。猛烈な手際によって編集された映像は、この時のチリではどんな空間のどんな瞬間すら、永遠に歴史化されてしかるべき、とんでもない事態が進行中であり、キャメラの果たすべき役割は、ただ、目の前を記録することのみにあったのではないか、という考えさえ抱かせるほどだ。

 それらの映像によって浮かび上がってくるのは、チリという国における社会変革の困難さであり、おおよそ理想とかけ離れた矛盾が支配する国が自身の存続のために抵抗を続けるそのしぶとさだ。大きな歴史のうねりの中で、人々の力は弱く、そして敵はあまりにも巨大である。民衆の集団行動によるアジェンデ支援はブルジョワの狡猾な策略によって戦果を得ないうちに抑えこまれ、逆にアメリカの陰謀によって経済的に追い詰められたアジェンデ政権は真綿で首を絞められるように危機へと陥っていく。近代的なイデオロギー同士のぶつかり合いが暴力的な衝動を幾度と無く経験しながら混乱していく瞬間の全てがそこにはある。そして最後は皮肉にもアジェンデ自身が内戦を起こさないために民衆に禁じた軍事力によって、自らの命を絶たれるのである。

 だが、全てが終わった後に再び民衆に焦点を当てる第3部に涙を禁じ得ないのは、絶望的な状況の中でそれでもなお信念を持ち、連帯し、行動する人々の姿もまた、その瞬間のチリにおける真実であったことを知るからだ。第3部の副題「民衆の力」は、アジェンデ政権の最期の年月におけるスローガンである。民衆たちはいずれクーデターが起こることを分かっていながらも、力を結集してアジェンデを守ろうとした。その極地とも言えるのが、トラック業界のストライキに対抗するため、民衆の各々が自家用車軽トラなどに友人や同僚、さらには見ず知らずの他人を乗せて職場や工場へと送り届けるという場面である。ストライキの影響で工場がストップすると、アジェンデの変革も窮地に追い込まれてしまうため、断固として工場を動かし続けなけばならない、と語る労働者の瞳は、信じられない程に決意に満ちていて、資本主義に慣れ親しんだ価値観からすると一歩間違えばカルト的な狂気に見えなくもない。だが、工場へ向かう友人の軽トラの荷台に軽やかに乗り込み、あまりにも自由な風に吹かれてほころぶ彼らの表情が、この映画が捉えたチリの中で、もっとも美しい瞬間であったことも、忘れられない真実なのだ。



2『ハッピーアワー』

 濱口竜介監督の新作は、映画史に残る作品になってしまった。お腹の膨らんだ純が、友人の中学生の息子に笑顔で手を振りながら船の動きに逆らって大股で歩き出すあまりに楽観的な足取りとか、「なんでそんな目でみんねん」と言ったその「目」を見せてしまうところとか、クラブでの一連のシーンとか、決定的なショットの凄さも無論忘れがたいのだけど、ショットだけの映画では決してなくて、長く、間歇的なコミュニケーションの中である種の不穏さが時間差で効いてくるような感覚や、言葉だけで何かが時々伝わっていく感覚もまた、とてつもなく素晴らしかった。これは、脚本も、台詞も、役者も素晴らしくないと決して達成し得ない地平で、そういう意味では、恐ろしい「作家性」だと思う。特に研究者の公平の話し方が良かった。急遽小説についての対談をする場面の会話内容は、電車の車窓風景描写についての話が、どこまでも映画の話をしているように聞こえるのだが、それを聞きながら、濱口の処女作『何食わぬ顔』のあの辞書を読む見事なシーンなどを思い出してしまった。本作は、色々な点でこれまでの濱口作品の集大成であるように感じたので、次回作はどんなことになってしまうのか、日本映画界における数少ない楽しみのひとつとして、期待を抱いている。



3『映像の発見=松本俊夫の時代』

 奇しくも上位3作品は全て長尺の映画になった。本作は松本俊夫とその周辺の人物に徹底的なインタビューを行い、日本映画界における奇才の映画史的位置づけを模索した作品。合計7時間半くらい(実はもう1時間半あるのだが、第4部作までで一応の完結はなされている)。しかし松本俊夫最晩年の実験映画が松本俊夫自身の解説によって初めて恐るべき作品へと進化してしまう実験映画編の恐ろしさと言ったら、ほとんどホラーであろう。ラストは似合わないくらい感動的。



4『ブラックハット

 ハイパーなテクノロジーが最後どうしようもないアナログ性に回収されてしまうことに対する萌え的感情をうまく突かれた。『007スペクター』も同様の理由。



5『パディントン

 アメリカの映画館で子どもたちに囲まれながら見たんだけど、パディントンが手持ちタイプの掃除機を両手に(MIGPのトム・クルーズのように)バキューム力を利用しながら煙突をガシガシ登って、脱出を試みるシーンで、あと一歩で頂上というところで電池が切れる。万事休すか、と館内が息を飲んだその時、家族が手を伸ばしてパディントンを掴み救出すると子どもたちの歓声が上がり拍手喝采即号泣。家族とキス。『北北西に進路を取れ』みたいに誤魔化さないで、恥ずかしげもなく切り返すんだけど、これがベタに良いんですよ。



6 『インヒアレント・ヴァイス

 シャスタとにわか雨の中を走る移動撮影は今年の映画で一番美しかった。



7『誘拐の掟』

 リーアム・ニーソンは『フライト・ゲーム』(これは昨年か)も『ラン・オールナイト』も良かったけど、代表してこれで。でもやっぱ『ダークマン』っしょ(だよね〜)。



8『ジュラシック・ワールド

 今年大量にあったリブート作品の中で唯一20世紀に退行していたから。



9『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

 予告で一番良かった女の子が地平線の敵を指でつまむショットって本編にあったっけ?



10『THE COCKPIT』

 あの首の前後運動が示されるショットがゴキゲンで良かった。



次点『007 スペクター』『インサイド・ヘッド