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2015-08-09

nice100show2015-08-09

[]境界のないセカイ 2巻(幾夜大黒堂)

気が付けば2ヶ月半もブログ放置していました。

始まって以来の大事ですね。いかんいかん。

毎度ながら、大袈裟なことを書こうとするから躓くんですよ。

今日はちょっと簡単にしていきましょう。


ということで、先日購入したこちらをようやくしっかり読みました。


連載開始から途中まではスマホのアプリで読んでたんですが、作中の表現(1巻収録部分)が問題視されて単行本発行がストップ、急遽連載を移籍して1巻が発売されたという、ネット界隈ではちょっと話題となっていた漫画です。

こちらのブログの方ではどのくらいオープンにしていたかわかりませんが、最近LGBTを含む性、ジェンダーの問題に関心を持ってまして、そういったこともあり、また単純に絵柄が好みだったこともあって、大変珍しくまんがの単行本を購入しています。

(ちなみに他に買ってるのも微妙にそういうテーマが絡んでいたりします。たまたまですが。)


表題に2巻と書きながら1巻の感想も交えて書きますが、物語は「性選択」ができるようになったセカイのお話です。

18歳になったら誰もが自分の好みの性を選択できる、それが「性選択制度」。

前半のヒロイン「啓ちゃん」は、生まれたときは男性だったけど、想い人(男性)のために女性になって主人公の目の前に現れます。

この『男を好きになるなら自分は女になる』ことをはじめとして、「男ならこうあるべき」「女ならこう」というステレオタイプのジェンダーについて、コミカルなタッチでそのおかしさが描かれており、そういった問題に関心がない人にも楽しく入ってもらえるような仕掛けになっています。


後半のヒロイン「聡美」は、女性として生まれるもその野球の才能が認められ、「男子」プロ野球にスカウトされたことで、性選択をすべきか悩み始めるストーリーです。

「啓ちゃん」編が恋愛による性選択だったのに対し、「聡美」編は職業(仕事)による性選択と扱う題材が微妙に変化し、脇役の中でも同様に将来の仕事のために性選択を考えるシーンも出てきます。


いずれのケースでも「性選択」という制度があることで、現実よりも自由になった気がする反面、より「性的役割」は強化されているとも見てとれます。

そのあたりは作者さんのツイッター(@ikuyadaikokudou)を見る感じ、狙ってやっているようなので、今後の展開にも期待です。


しかしこうやって客観的に見ているとそのおかしさに気づきやすいんですが、いざ身の周りとなるとどうなのか。

とある調査では、人口の5.2%はLGBTとも言われています。

実に20人に1人。

おお、そう考えるとクラスメイトに常に一人はいたじゃん、って数字ですよね。

つまりあの時の何の気ない一言が、実は友人のことを傷つけていた、なんてこともありうるわけです。

あるいは今日発したその一言が、隣の人にとっては一番聞きたくない言葉だったかもしれません。


そんなこと言い出したら何も話せなくなるじゃん、でしょうか。

いやいやそんなことありません。

いったいどんなことが固定化された性観念から来ている言葉なのか、あるいはどんな「性」の形があるのか、それにどんな風に悩んでいる人がいるのか。

そういったことを少しずつ知っていくことが、私たちの周りで傷つく人を減らす鍵となっていくのです。

そして本作は、そのための大きな一助となるのではないか。

僕はそう思って、この作品にとても期待しています。


興味を持たれた方はぜひ、この機会に手に取ってみてください。

また、作者の幾夜大黒堂さんのツイッターも面白いのでぜひ。



ついでに1巻もリンクを張っておきますね。

2015-03-17

[]マーケット感覚を身につけよう(ちきりん)

ここ3年ほど、「モノを売る」という仕事に接していて、どうしたら売れるのか、売るためには何が必要なのかというのがなんとなく考えられるようになってきていたところで、敏腕バイヤーさんから紹介されたので購入してみました。

こういう「ザ・ビジネス書」みたいなの買うのは珍しいんですが(笑)


内容はこのタイトルの示す通り「マーケット感覚」というものに着目し、その説明や身に着け方、そしてなぜそれが必要となるのか、身に着けることで何が変わるのかといった話が書いてあります。

「マーケット感覚」とは何かとは前書きに書いてあるのですが、「価値を認識する能力」を指します。

ある商品にどんな価値があるのか。

それは誰に対する価値で、どんな状況で意味のあるものなのか。

その価値に見合う対価はどれくらいが適正なのか。

そうしたことをまさに「感覚で」理解できるかどうか、というところに鍵があるように思います。


そしてそれは商品だけに限らず、人間としての能力、魅力みたいなところでも同じことが言えるとのこと。

就職市場や婚活市場においても、自分の価値を認識し、それを正しくPRすることが「売り込む」上で大切である、ということが(商品を売る経験も込みで)僕自身もなんとなく理解できたような気がします。


まあ理解できたからと言って実践できるかと言われると難しいんですが、ともあれ何でもやってみなければ始まらない、やってみて市場から評価を受けるべし、というのも本書の教えですので、あまり深く考えずアプローチすることも時には大切なのかな、と思ったりしてみます。





さてさて、もうすぐブログの毎日更新を止めてから1年になろうとしています。

毎日にはならないかもしれませんが、少し復活する方向で動けたらと考えています。

2014-08-03

nice100show2014-08-03

[]地図のない旅(村山由佳)

親友に勧められて読み始めた「おいしいコーヒーのいれ方 Second Season」の8作目。

前作のログはこちらから>>14-03-31 記憶の海


犯した罪とその贖い、というのがこの「Second Season」の大きなテーマになっているんじゃないかと思うのだけれど、そのことに少し近づいた本作。

罪を犯した人間を憎むのか、あるいは憎まないことで罰を与えるのか。

「赦す」とはどういうことなのか。

そして、罪を犯した人間は、どうそれを贖うことができるのか。


結局のところ、誰しも「誰かを赦す」なんてことはできなくて、自分の満足できる形で、想いを納めることが精いっぱいなのだと思う。

そして犯した罪は誰かに赦してもらうのではなく、自分自身がそれを糧として、同じ境遇に立つ誰かを救うことで、少しだけ償われる。


それならば、と我が身を振り返る。

自分は、誰かを少しでも救うことができているのだろうかと。

あのときに背負ったものをまだ降ろせていないと感じるのであれば、それは自分が何もしていないからなのだろうと。


あとがきによれば、物語は佳境に近づいているようだ。

果てさて、毎年楽しみにしているこのシリーズ。

自分には決してありえないような他人の人生から、あといったいどれくらいのことが学べるだろうか。


***


上記の話とは全く関係ない(こともないかもしれない?)のだけれど、仕事で面倒を見ている後輩がいて、その子がまあちょっとなんというか、有体に言えば人としてあんまりな有様でちょっと(ではなく)困っている。

先日も彼の名前で送られてきた文書の宛名(僕宛て)が、あまりに酷い間違いをしていたので軽い気持ちで注意をしたところ、謝らないばかりか他人に罪をなすりつける始末。

おまけにその調子で茶化してくるものだから頭に来てしまって(ここは僕も悪かった)、丁寧に教えてあげればよかったのに売り言葉に買い言葉みたいな返しをしてしまって、そこからはもうひどいことひどいこと。

しまいには上司の名前まで引っ張り出して「言いますから」なんて言う始末。

きっと彼にとっては切り札を切ったつもりなんだろうけれど、それをして困るのは良くて貴方、最悪は関係のない第三者が巻き込まれるんだよ、ということすらもわかっていない。

もうほんと怒りが沸点を通り越してしまって、冷めた。


こんなつまらないことで、あまつさえ他の人まで巻き込んで仕事に支障をきたすなんて、どちらが悪い以前に社会人としての振る舞いじゃないよね。

それが許される職場もあるかもしれないけれど、少なくとも僕がなりたいと思う大人の姿ではない。

…と、いうことで、瞑想すること数分。

怒りを鎮めて彼に謝ることにしました。(言い忘れましたがここまでみんなメールのやり取りです。だから余計にこじれてるんだろうけれど。)

全面的に謝罪しているけれど、彼はその意味がわかっているかな。いないだろうな。

きっと「上司の名前を出したらビビッて引き下がったわはは」くらいにしか思っていないだろうというのが透けて見えますが(苦笑)


在るべき大人の姿っていったいどんななんでしょうね。

過ちをちゃんと注意すべきなのか、しかし注意しても聞かないのであればもう仕方のない人間とスルーしてしまうことなのか。

ここまで酷い人間に当たったことがなかったので、果たしてどうすれば良いのやらわかりません。

こんなときこそ、お世話になった先輩に頼ったりして、大人の解決方法というやつを学びたいと思います。


あー、お酒が飲みたい。

2014-05-11

nice100show2014-05-11

[]偉大なる、しゅららぼん(万城目学)

学生時代に「友達」から紹介されて以来ハマっている万城目学の6作目(うち一篇はスピンオフ的存在であるホルモー六景、他にエッセイ有)。

舞台としては京都、奈良、大阪に続いて4つ目となる「滋賀」。

色んなことが隠されていたプリンセス・トヨトミとは逆で、当たり前に存在している「家」の存在と、それに対する肯定・否定、嫌悪感、その未来。



万城目ワールドではあるのだけれど、ボーイミーツガールの要素がほとんどない(「早瀬」は出てくるけどサブ的だし)のと、ホルモー六景の時に書いた「言葉の疾走感」があまり感じられなかったこともあり、やや冗長に感じた次第。

あまり書くことがないので、とりあえず読んだ記録くらいで。

偉大なる、しゅららぼん (集英社文庫)

偉大なる、しゅららぼん (集英社文庫)


**


近況ですが、ぼちぼち過ごしています。

ブログ毎日更新を辞めたおかげでパソコンを開かない日も増えてきて、メールが溜まる溜まる。

なんだかいろいろ考えたりもしてしまいますが、まだ言葉にはせず抱えてみている次第。

2014-05-07

nice100show2014-05-07

[]キャバ嬢の社会学(北条かや)

Twitterでフォローしていた北条かや(@kaya8823)氏による著作。

同志社大学で社会学を学び、京大大学院に進んだということあって、Twでもジェンダーや若者論的な分野でのツイートが多く、その切り口の絶妙さと語り口の軽妙さに惹かれてフォローしていました。

今回はそんな彼女の修士論文を本にしたものということで、いったいどんな切り口で、学術的に「キャバクラ」が語られるのか、そしてそれを通してどんな社会を読み解こうとしているのかということが気になり、珍しく農業分野以外の新書購入を決意した次第です。


本書の構成は、数多の紹介文にも書かれている通り、女らしさを売りにするキャバ嬢たちを“そうするしかない人たち”と哀れみ、自分とは違うと決めつけていた著者が、知人から「それってキャバ嬢を差別してるだけじゃない?」と言われ愕然、真相を確かめるべくキャバクラへ潜入する、というもの。


第一章では「キャバ嬢を差別していた女の自分」として、社会に蔓延する<カラダとカネの交換>システムについて分析。

<カラダとカネの交換>と言ってしまうと、援助交際や風俗産業等でお金を稼ぐことばかりに目が行きがちだが、そこには「会社の受付嬢になって微笑むこと」から「メイド姿で男性客にコーヒーを出すこと」、「知らない男性とデートしてお金をもらうこと」、「自分の下着を売ること」と階層化されており、それをどこまで許容するか、どこで線引きをするかは本人の選択であり、他方「制服姿のコスチュームで踊るアイドル」も含めて、この<カラダとカネの交換>システムは社会全体に浸透してしまっている、と説いています。

そう言えば時同じくしてこんな記事も。

>>地銀らしからぬセンスでホットなサービスをお届けする大垣共立銀行

著者はそのシステムの中でコンプレックスに苦しみながら、そこから抜け出すために学んだ社会学を用いて、キャバクラというまさに<カラダとカネの交換>システムの最先端に近い場所に潜入し、そこから「社会」を読み解いていくことを決心する、という導入部分です。

まぁ個人的にはここまでが非常に面白く、この先も非常に良いペースで読み進めることができました。


第二章は「まずはキャバクラについて調べまくる」。

女子の二割が「キャバ嬢になりたい」と答えたアンケート結果と現在の市場規模、キャバクラの歴史、現在のキャバクラの構造(空間的、人的)について著述されています。

歴史をさかのぼると明治時代のカフェーで働く「女給仕」から戦後・高度成長期のキャバレーを経て、オイルショック後の経済停滞がキャバクラを産んだということ。

「ただ座ってお酒を飲むだけ」の仕事が高度成長期の「接待」によって社会の中に組み込まれていく、そしてその中で「買う男」「買われる女」の構図が出来上がっていく様が非常にわかりやすく書いてあります。

個人的には昨年度からの職場で、飲み会のあとにスナックに行くことが増え、上司の痴態(というほどではないのかもしれないが、少なくとも私の感覚からしたら痴態)を目の当たりにすることが多かった自分としては、なるほどこういった構図を引きずっているのかなぁと納得できた部分もあり、そこに乗り切れない気持ちにも整理がついた、という意味でも非常に有益でした。

ところで気になったのは本章には「社会学ではこのように、インタビューされる側の『なぜそう思ったの?』に対する答え(『だって○○だから』)が、社会的な期待を基に『作られてしまう』過程を重要視する」とあるのですが、その点が後半で今一つ見えてこなかったこと。

これは私の読解力不足によるものかもしれませんが、「キャバ嬢」つまり「キャバクラで働く女性」が、社会的な圧力をどう受け止めどう感じているのか、それが感覚になり自分の言葉になっていく過程というところにも興味があったので、その部分がもう少し厚めに書いてあれば研究としてさらに面白かったのかな、と思う部分もありました。

章終盤ではキャバクラ店の構造と、ホステスクラブとの違いについて書いてあり、学生時代に農家に連れて行かれた連れて行っていただいた福岡・中洲の夜の店を少し思い出してみたりして。


第三章、ここが本書的にはメインになるのでしょう、いよいよキャバクラに潜入します。

ただの女子大生だった(である)著者が、あれよあれよという間に「キャバ嬢」に「変身」していく。

その一連の流れと、メイクルームでの取材から「女のコスプレ」と述懐されていますが、まさに。

というかそんな話で言えば、学生だって「学生」のコスプレをしているようなものだという人もあるだろうし、公務員も然りでしょう。

あるいは「キャバクラに行く男性」のコスプレをしている人がいないとも限らない。

(例えば接待等で行かなければいけなくて…なんて話は確実に在ると思う。

 だとすると、コスプレの「女」と「男」が、お互いにそれを感づかれないようにしながら談笑し合う、そんなキャバクラ店内での心の機微、そうした部分に互いに踏み込みうるのか否か、というところもまた見てみたかったようにも思います。)

そしてこのあたりからキャスト(キャバクラ嬢)へのインタビューが増えていくのですが、ここに今一つ厚みがないというか、もうひとつ面白い話が聞けるかな、という期待に応えられないというか。

それが著者の力不足だとは思えず(キャバクラへの“潜入”期間もかなり長いようであるし)、それよりかむしろこちらの期待過剰、あるいはキャストの女性たちがそこまで考えを巡らせられていない部分もあるのではないかと。

そこはその女性たちに余裕がないからなのか、あるいは何らかの「考えさせない」圧力があるのか。

というよりも、それってキャバクラに限らず現代社会全体に言えることで、考えが非常に短絡的というか、「1,2までいったら普通3,4,5くらいまで考えるでしょ!」みたいな問題というのがあるのではないかと考える部分です。


第四章は「キャバ嬢たちの接客戦略」。

三章の延長のような形で、キャバクラの中でのことを客観視して分析しています。

こういった「そこにある空気・慣習」を文章として誰にでも読める平易な形で表していることは、本書のポイントの一つかと。

キャバクラ経験が(少)なくても、ある程度頭の回転が速い人であれば先が読めるので物珍しいことではなくなってしまうかもしれませんが、そうしたことを「きちんと文章に落とし込む」ということが意外と難しいことであり、おそらくは社会学では重要なことなのです。(おそらくは、というのは私が社会学を学んだわけではないので)


第五章では「キャバクラ嬢の深い『病み』」として、キャバ嬢にかかる精神的なストレスについて分析。

来店客のセクハラや一方的な恋愛感情とそれを仕事として受け止めつつかわさなければならないという要因が挙げられ、それに対処することはキャバ嬢の「自己責任」であるとされ、彼女たちはそこから身を守るため自己啓発に走る、というもの。

ここでも自己責任論が出てくるのか…と辟易する部分もありつつ、ではなぜ世の男性たち(の一部)はそのような行為に走るのか、「キャバクラ」というシステムを「勘違い」する要因はどこから生まれるのか、という疑問が残ります。

つまりはお金を払って行く場所であるにもかかわらず、そのルールを守れない、自分に都合の良い方に考えてしまう、その背景に何があるのか、ということにも興味が出てきます。

まぁそこまで行っちゃうと「キャバ嬢の社会学」の範疇から外に出てしまうんですかねー。残念ながら。


終章の見出しは「すべての女性はキャバクラ嬢になりうる」。

ここでは実際にキャバクラ嬢を体験した身としての「<カオとカネの交換>システムには魅力がある」ということ、そして「この社会に生きる限り逃れることができない」という社会分析からこのように述べていますが、この「キャバクラ嬢」というのが、冒頭であったように、ある種の風俗産業に勤めるものだけを指すのではなく、一連の線引きできないシステムにおける多様性の中の一部を指しているとしたら、どれほど根深く<カオ(カラダ)とカネの交換>システムがこの社会に根付いているか、ということなのではないでしょうか。



ということで、ザクザクと言いたい放題書いていましたが、つまるところ「世の中カオとカネの交換だよ」というなかなか一般的・倫理的には許容しがたい、少なくとも私自身はしたくない論について、それをひっくり返すのがどれだけ難しいことか、自分の今の生活の中にもそれがどれほど染み込んでしまっているのかを、客観的とは言わないまでも少しひいた目線で考えることができるようになった、という点で、読んで良かった本であったように思います。

今後の北条氏のご活躍に期待しつつ、自分もダラダラ書いているだけじゃなくてこうやってまとめなきゃいけないんだよな(北条さんのブログでのまとめ記事とか面白いです)、と考えた次第でございました。

同世代がこうして活躍していると力をもらえますよね。


キャバ嬢の社会学 (星海社新書)

キャバ嬢の社会学 (星海社新書)