おやすみプンプンがすごい

お久しぶりです。最近は留年してがっかりして少し学校行くようになって毎日酒飲むようになって何も変わらない自分に気付かない振りをしながら全てをうっちゃってニコニコ動画を観ていたら少し太りました。近況報告終わり。

僕はここしばらく浅野いにおという人の漫画が好きなんですが、その人の最新作であるおやすみプンプン第3巻を昨日購入ののち読了しましたところとても震えました。この漫画は本当にすごいです。あらすじみたいなのは僕の拙い文章力ではきっと上手に書けないのでamazonなどの人にお任せしますが、社会的で理性的な存在と自称しているけれど本当はただの知能指数が他より少し高いだけの動物である「人間」というものを、「動物」としての真実の部分と実社会における思考や立ち振る舞い方などの現実部分との両方を明らかにして、主に恋愛感情を媒介にしながらその矛盾をただひたすら生々しく描き出している、みたいなのが僕の解釈です。自分でも何言ってるかわかんないけどニュアンスを感じてもらえたら嬉しい。

以前から同じ様な事書いてますけど、人間が動物である以上恋愛感情の根源は性欲であって、ドラマやなんかを顕著な例として恋だ愛だと綺麗な事みたいに言ってるのも結局は本能を必死に飾り立ててるだけだと僕は思うんです。逆に言えばそういう飾り立てをする事によって人間と動物に一線を引く事が出来たとも言える。恋愛が解りやすいと思うから恋愛で言ってるんですけど、それだけじゃなくてマナー道徳宗教法律なんかも全て同じ様な事だと思います。それによって人間は繁栄している訳だから「人間」としてはそれが正しい、だけれども「動物」としては嘘が混じってるから真実ではないんです。だけどももう一度「動物」としての生き方をする事は「人間」になってしまった我々には出来ない。そういう矛盾も抱えたものが「現実」として自分が生きなければならない世界なんですね。

その矛盾の中で僕は今でもどういう風に現実を生きればいいのか決めかねているけれど、浅野いにおおやすみプンプンはその矛盾をただ明確に「矛盾の形のまま」クリアにして提示している様に僕には見える。だからひりつくようなリアルがあって恐怖と興奮を同時に感覚するようなすごい変な感じになって僕はわーってなったみたいな感じです。俺がデカルトとかカントくらい偉大な哲学者だったらもっと論理的に上手に説明出来るんだけどね。まあ簡単に言うと超おもしろかったっす、ってことっす。

22歳児のモラトリアム

新年が明けてから比較的頑張って生活している。


学生という名のニートだった僕は今やちゃんとそれなりに学校に行き先生に単位をくださいとお願いを出来るようになったし、今までめんどくさいからといって諦めていた出席の足りない授業のテストやレポートも精一杯書いた。そんで春休みになったからといってニコニコ動画を14時間くらい眺める生活に戻らずにすぐさま社会復帰を志し、今は巣鴨でおばちゃんの着用する赤いパンツとかを売る店で週6で働いている。短期だけど。


色々な誤解を受けるのを承知で言うと、高校に行ってなかった期間と合わせてニート歴はそれなりの僕が今思うのは、世の中はカネだ、ということだ。
個々人の幸せはそれぞれにあるものだけれど、世の中は基本的にカネの力で動いている。今の社会では生きるためにカネが必要で皆必要に迫られて毎日仕事をしている。個人がその仕事において成功をおさめる事は会社なり店なり組織の成功に繋がって、個人はその見返りとしてカネをもらえる。個人はそのカネによって幸せを買えたり買えなかったりするけれど、幸せが買えなくても生活するだけでカネはたくさん減る。
つまり人はカネが必要な社会に生まれてカネのために働いてそれがカネで出来た社会にとって利益になるのだ。いやらしいくらい良くできた社会だと思う。


僕は大学でインド哲学をお金を払って学んでいて、バイト先でハンガーのかけ方をお金をもらって教えてもらっている。これってなんなんだろうと思う。おカネをもらえると生活や娯楽が裕福になって僕はとても嬉しくて、僕は時々カネの社会に取り込まれそうになる。だけど、僕はまだそれに若干の違和感を持っているのだ。社会ではそれは甘えとか落伍者だとされるのだけれども。


全然別の話だけど、最近はエレファントカシマシの最新アルバム「STARTING OVER」ばっかり聴いている。宮本浩次の素直すぎるラブソングの裏に隠れたレコード会社移籍直後のミュージシャンとしての苦悩や気遣いや心境の変化、それに「俺たちの明日」の「さあ頑張ろうぜ」という気持ちにすごく感情移入して生きることの切なさと希望を若僧の分際で垣間見ています。是非色んな世代の人に聴いてもらいたい一枚です。

僕と江原さんと嘘と胃袋

江原啓之の「霊視」に矛盾 霊視した父はご存命だった

新年(略)。数ヶ月ぶりの更新でいきなり江原先生の話題ですが、僕は生きています。酒を飲みにいく以外の用事で家から出ないので体重と借金が増えました。順調にダンボールハウス生活に近づいているそんな一年の幕開けです。
で、本題の江原さんなんですけどなんだかポカをやらかしたようです。「あなたのお父さん、今も天国から見に来ていますよ」「先生、お父さん死んでないッス」みたいな。
まあこの記事だと報道側のいやらしい悪意も若干見えるのでどっちが正しいんだかわかりませんが、僕はやっぱそんなもんなんかな、と思いました。こういう論理的な根拠がなくてただその「真実味」だけを商売にする人は決してこういうポカをやってはいけないと思うのだけれども、江原さんは少なくともその真実性が疑われる様な事を言っちゃったと。つまり自分の言動が真実ではないという事の証拠たりえるものを提示してしまった訳で、大変切ない感じになっている。
僕は江原さんの様な人は基本的に嘘をついていると思っていて、何故ならそれは前述のように自分の発言の真実性を証明する事が出来ないからで、言ってみれば一種の宗教でありそれは法に触れない詐欺だと思う。それはあくまで個人的な感情だし、それで江原さんの様な仕事に対して特別嫌悪感の様なものもないけれど、こういう事があるとやっぱ嘘なんかなあと思って切ない。
そういう人智の及ばぬ何かを信じる事で精神にプラスの効果を得られる事はあるし、それならそれでいいのだけれどもやっぱりそれは幻であって第三者的な真実ではないのだ。そういう事が辛くって酒を呷って幻覚にすがるのだけれども、翌朝ストレスと酒で二重に胃が痛くって余計に大変な事になったりしながら明日も僕は生きていきます。本年もよろしくお願いします。

男の子と愛の方程式

僕が大学生活の後半で構築した極めて真剣な哲学の1つに「愛は性欲である」というものがあるのですが、それとよく似た素晴らしい哲学をニコニコ動画で見つけたのでご紹介致します。
松本紳介 全員違う一人エッチ その1
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1378697
その2
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1379072


この番組の中盤(その1の10分くらいから)で紳介さんの打ち出した男の子の愛の方程式「好き−エッチ=愛」は、とても解りやすく明快な真実だと思います。細かい事は是非ためになる話なので番組の方を観ていただきたいのですが、忙しい方のために要約すると好きという気持ちは色々な相手や場面で持つ事があり、しかし性欲は好きという感情や愛情も内包して自己に迫ってくる強い衝動であるため本当の愛情と性欲からくる愛情の判別が出来ない、だから事が済んで性欲が治まった時に残っている好きという気持ちが本当の愛である、というお話です。

僕は根底の所ではその残った愛情も性欲に裏付けされたものだと推測するのだけれども、でも意味としては同じで、その残った愛情こそが僕達が映画や歌にして賛美している曇りなき愛の形なのだろう。

性欲の中に含まれる愛も確かに愛の一つなのであるから本質的には否定されざるべきものだと僕は思うのだけれども、今日の社会では道徳的な理由などから比較的ネガティブな捉え方をされていて、男女関係のいざこざから性犯罪に至るまで多くの問題を起こす一因となっている。

その原因の一つは上の方程式で言う本当の愛と性欲の選り分けが皆出来ていないからじゃないかなと思う。これを書く事で少しでも誰かの人生が明確になったり上手くいったりすればいいなと思ってこの文章を書きました。

僕の職業は現状ネット懸賞家兼ニコニコ動画鑑賞家兼真実探求家なのだけど、知ったところでどうにもならない無意味な真実に多少辟易していた僕に、役に立たない真実・哲学ばかりでなく、生きる指針になるもの、またそういう使い方もあるのだと一つ気付かせていただきました。最後冗長な自分語りになりましたが、普通に面白かったんで削除されない内に見てみてください。

実家に帰らせて頂いています

色々ひと段落してやっと夏休みの大学生らしくなった僕は来る日も来る日も家で寝る生活を送り、あ、よくないな、と思ったので来る日も来る日も酒ばかり飲む生活を送り、あ、よくないな、と思ったので実家に帰ってきました。

実家に帰ったからといって別にやる事もないし、妹が買った漫画を読みました。別にやる事もないのでご報告してみます。オノナツメさんの「not simple」という漫画とイタリア語のよくわかんない題名の「5番目の部屋がどうの」みたいな漫画を読みました。

前者は結構悲しいお話で後者はとっても暖かいお話で極端だけど、どっちも面白かったです。絵柄がやる気あんのかってくらいシンプルだけどキャラクターは皆魅力的です。あとなんか基本的にいい人ばっかりだし、悪い人が出てもなんか100パーの悪い人は出てこない。なんか雰囲気が絵本みたいだなーと思った。あとねー、うんとねー、ストーリーがちょうおもしろくてサラッとしつつもしっかりしてるみたいななんかそういうのがすごくてちょうおもしろかった。

妹の他の漫画はもう変なうんこみたいな漫画しかなかったのであとはリアルを読みました。バガボンドとかそういう他の活動どうでもいいからリアルをあと1年以内に20巻くらいまで書いてほしい。野宮の「あとーんす!」が気に入ったので日常生活に積極的に取り入れていきたい。生きるって大変だなーと思った。野宮は「クソみたいな今の瞬間をしっかり生きる事がいつか見える俺の道に繋がるんや」ってゆっていて、すげーなーそうかー、と珍しく納得したんだけど、そういうなんか根本的な生きるパワーみたいなもの、前進する、前進したいという意思がちぃとも湧いてこないのだね。僕は。

僕は思うんだよね。真実と現実ってとっても矛盾している。世間一般の人って自分の本心をすごく偽っていて、それに自分でも気づいていない。何故ならそれは世間で正しいとされているからね。それってもはや人間社会に生きる者としては真実と呼べるものだけど、でも本当の所の真実とは矛盾するものなんだ。

そういう事がたくさんあり過ぎて、日を追うごとにまた見えてきて、なんかとても疲れる。

例えば今までなんてことなく言ってきた自分の言葉に自分で嘘だと気づいた時。その嘘を嘘だと解りながらこれからも言い続ける事って僕にはとても苦痛だ。少なくともすごく勇気がいる。

現実の世界にいるためにはたくさん必要な嘘があるのだ。でもその嘘が体中に付着していると気づいた時、僕はそれを潔癖症みたいに払い落とす事を始めたんです。その時はそのほうが絶対いい人間になると思っていたけど、今はもうわかんないなあ。でも僕はただ真実が何かを知りたかっただけなんだ。

はてなダイアリー利用者に100の質問

下記の自分見失い状態を機に、自分を見つめなおす意味を込めて↑をやり直しました。出来るだけ取り繕った自分を排除して本音で答えたつもりです。
http://d.hatena.ne.jp/nichicchi/19851014