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ウィンストン・チャーチルは本当に「日本人は外交を知らない」と言ったのか?


2013年10月29日追記:記事タイトルを『ウィンストン・チャーチルの言葉とされる「日本人は外交を知らない」関連についてまとめてみた』から『ウィンストン・チャーチルは本当に「日本人は外交を知らない」と言ったのか?』に変更しました。


2014年2月5日追記:記事の趣旨と引用の補足を追加


2015年9月23日追記毎日新聞社翻訳委員会訳『第二次大戦回顧録』の該当箇所の画像引用


2010年のエントリの続き的なエントリ。下記のようなネット上でよく見かける「ウィンストン・チャーチルが日本の外交を評したとされる言葉」は本当にチャーチルが言った言葉なのか?という疑問に端を発した検証エントリである。

チャーチルの「対日世界大戦回顧録」より

4 : 名無しさん@12周年 : 2012/04/08(日) 22:53:57.25 id:KleOmKES0 [1/1回発言]
 ■■ チャーチルの「対日世界大戦回顧録」より


日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。
笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。
反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数が上がるのに、
それができない。
それでもう一度、無理難題を要求すると、これも呑んでくれる。
すると議会は、いままで以上の要求をしろという。


無理を承知で要求してみると、
今後は笑みを浮かべていた日本人がまったく別人の顔になって、
「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、
あなたは話のわからない人だ。ここに至っては刺し違えるしかない」
と言って突っかかってくる。


英国はマレー半島沖合いで戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを
日本軍に撃沈されシンガポールを失った。日本にこれ程の力があった
なら、もっと早く発言して欲しかった。

【外交】日本の対中国戦略 「いつも笑顔で不可解な国になれ」 | ログ速@2ちゃんねる(net)

この言葉をGoogleの期間指定で検索してみると、2006年辺りからネット上にぽつぽつと出てきている。日下公人が雑誌『WiLL』2005年8月号のコラム「繁栄のヒント」の中でチャーチルについて取り上げたのが広まったらしい。

日下公人『繁栄のヒント』(2005年)より

チャーチル第二次世界大戦回顧録のなかにこんなことが書いてある。


日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、いままで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別人の顔になって、


「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分らない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」


といって突っかかってくる。


これは、昭和十六年(1941)年十二月十日、マレー半島クァンタンの沖合いでイギリスが誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻が日本軍によって撃沈されたときの日記だが、チャーチルは、これによってイギリスはシンガポールを失い、インドでも大英帝国の威信を失うのではないかと心配しながら書いている。


チャーチルは、「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」と書いている。つまり、日本は相手に礼儀を尽くしているだけで外交をしていない、外交はかけひきのゲームであって誠心誠意では困る、ということらしい。



日下公人「繁栄のヒント」『WiLL』、ワック、2005年8月号。

これと同じ内容の話を、麻生太郎が雑誌のインタビューで言っている。

麻生太郎『「保守再生」はオレにまかせろ!』より

麻生 オレが尊敬するチャーチルの『第二次大戦回顧録』に、興味深い記述がある。


<日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、いままで以上の要求をしろという。


無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人がまったく別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。


英国はその後マレー半島沖合いで戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない>


ここに日本外交の本質が凝縮されてるね。日本では、黙って「ハイ」と答えることが美徳とされる。要求をしたほうは、相手の表情や仕草の微妙な変化を察するのが美徳とされる。しかし国際社会では、お互い自分の要求を明瞭な言葉であらわさない限り、交渉は成立しないわけさ。


麻生太郎「『保守再生』はオレにまかせろ!」(聞き手:宮崎哲弥)『諸君!』、文藝春秋、2008年2月号。


拡散の起点である、日下公人の著作を当たってみると、1997年以降の本でこの文言を確認する事ができた。(勿論見逃しているだけで、それ以前にも書かれてるかもしれないが)

日下公人『これからの10年 - 日本経済、谷底からの再出発』(1997年)より

チャーチル『第二次大戦回顧録でこういうことを書いている。「日本人は外交や交渉ということを知らないらしい」。


イギリスが日本に要求を吹っ掛けると(チャーチルは「吹っ掛け」という言葉を使っていないが、外交の第一歩は当然吹っ掛けることから始まる)、日本は予想に反して反論してこない。「承知しました。その要求をのみますから、仲良くしましょう」とニコニコと受け入れてくれる。「それでは、われわれはイギリス国内へ報告する手柄にならない」とまでは書いていないが、政治・外交をするゲームの楽しみがないとチャーチルはボヤいている。たしかに少しは揉めてくれないと、政治家は仕事がない。


だから要求をエスカレートして、「これも寄越せ」と言うと、それも「のみましょう」と言ってくる。ニコニコして日英親善だと言っているからそうかと思って、三回目、またエスカレートすると突然、顔つきが変わる。「イギリスは紳士の国だと思っていたが、悪逆非道の国である。もうこれ以上は我慢ならない。刺し違えて死ぬ」と言って突撃してくる。そんなに悔しいのなら、言えばいいではないか。なんで突然そう爆発するんだ、「外交なのだから、交渉すればいいじゃないか。日本人は不思議な国民だ」というのがチャーチルの主張だが、そのとおりなのである。


チャーチルがそう書いているのは昭和十六年十二月、イギリスが誇る東洋艦隊の主力戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻をマレー沖で日本海軍航空隊に沈められたときで、シンガポールを失う予感に沈みこんでいたときである(もしかしたらインドも)。だから言外の意味は、日本をなめて自分はやりすぎの失敗をしたという反省なのだが、それを認めたくないから、開戦を決意するほど苦しいのなら、それをあらかじめイギリスにわからせて妥協点を探すのが政治外交なのに……、と書いているのである。


日下公人『これからの10年 - 日本経済、谷底からの再出発』、PHPソフトウェア・グループ、1997年、158-159頁。

この1997年の文章ではチャーチルの『第二次大戦回顧録』に書かれているとある。

日下公人『闘え、日本人 外交とは「見えない戦争」である』(2005年)より

そう言えば、チャーチル友人への手紙の中で、こう書いている。


「日本人は無理な要求をしても怒らず、反論をしない。笑みを浮かべてこちらの要求をすんなり呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手を説得し、ねじ伏せてこそ政治家の業績になるというものだからだ。そこで今度はさらに無理難題を要求してみると、これもまた呑んでくれる。こうなると議会から『今まで以上の要求をしろ』と言ってくる。無理を承知でそれを言うと、突然、日本人はまったく別人のような顔になって、『これほどに譲歩に譲歩を重ねたのに、こんなことを言うとはあなたは話の分からない人だ。事、ここに至っては、刺し違えて死ぬしかない』と言ってつっかかってくる」


彼がこう書いているのは、日本が英米に宣戦布告をした直後のことである。


当初、チャーチルは東南アジアに南進してきた日本軍の実力を舐めていた。


イギリスが誇る東洋艦隊には新鋭戦艦の「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」がある。これに対して、日本の南方部隊には「金剛」「榛名」という、艦齢二七年の旧型戦艦しかない。この両者が対決すれば、かならずイギリスが勝つというのが「当時の常識」である。


しかし、日本は新戦法を用意していた。それが航空部隊による艦船攻撃という方法で、海軍の陸上攻撃機(一式陸攻と九六式陸攻)八五機が魚雷と爆弾による攻撃を実施し、わずか二時間ほどで「プリンス・オブ・ウェールズ」は撃沈され、「レパルス」も転覆して海中深く沈んでしまう。つまり、イギリス東洋艦隊は壊滅してしまったのである。


チャーチルはこの知らせを聞いて、先ほどの言葉を書いているのだが、彼としては「日本人が最初から、これだけの実力と覚悟を持っていることをこちらにそれとなく教えてくれていたら、妥協する余地はいくらでもあった。それなのに日本人は黙って何も言わないから、我々は大変な目に遭った」と言っているのである。


日下公人『闘え、日本人 外交とは「見えない戦争」である』、集英社インターナショナル、2005年、50-52頁。

この2005年の文章では『友人への手紙』に書かれているとある。

日下公人『よく考えてみると、日本の将来はこうなります。』(2006年)より

チャーチルこんなことをいっている


日本人は無理な要求をしても怒らず、反論しない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると英国議会は、さらにいままで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人がまったく別人の顔になって、


「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分からない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」


といって突っかかってくる。


これは、昭和十六年(1941)年十二月十日、マレー半島クァンタンの沖合いでイギリスが誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻が日本軍によって撃沈されたときの感想だが、チャーチルは、これによってイギリスはシンガポールを失い、インドでも大英帝国の威信を失うのではないかと心配しながら書いている。


チャーチルは、「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」という。つまり、日本は相手に礼儀を尽くしているだけで外交をしていない、外交はかけひきのゲームであって誠心誠意では困る、ということらしい。


日下公人『よく考えてみると、日本の将来はこうなります。』、ワック、2006年、129-131頁。

この文章はWiLL2005年8月号に掲載された『繁栄のヒント』を再録したものと思われるが、『繁栄のヒント』では『第二次世界大戦回顧録』と書かれているが、この文章では『チャーチルはこんなことをいっている』とやや曖昧な表現になっている。また『繁栄のヒント』では『プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻が日本軍によって撃沈されたときの日記』と書かれてるが、この文章では『プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻が日本軍によって撃沈されたときの感想』となっており、こちらもやや曖昧な表現となっている。

日下公人アメリカに頼らなくても大丈夫な日本へ』(2006年)より

日本には力がある。日本は、訪れる国難のレベルに応じて自らを決する力、ポテンシャリティ(潜在能力)を持った国である。しかし、その力を活かす外交技術においては歴史に学ぶ必要がある。


たとえば一九四一年(昭和十六)年十二月十日、イギリスが戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスをマレー沖で日本海軍航空隊の雷爆攻撃によって失ったとき、時の首相チャーチルは、「日本人は不思議な国民である。交渉ということを知らないらしい。交渉の最初はどこの国でも少しは掛け値を言うものだが、日本人は反論せずに、微笑をもってそれを呑んでくれる。そこでもう少し要求をエスカレートさせてみると、また微笑をもって呑んでくれる。しかし、それを続ければ、あるとき突然顔を上げると、その顔は別人になって、刺し違えて死ぬとばかりに攻撃してくる」という述懐を残している。


チャーチルが言いたかったことは、”そんなに苦しいのなら、思いつめる前に言ってくれればよかった。そうすれば、イギリスだって戦艦とシンガポールを失わずに済んだ。”という後悔である。国家と国家が親善と戦争の間を「交渉」によって行きつ戻りつするのは、政治家にとってはゲームのような楽しみなのに、日本人には両極端しかないのか、という驚きの念がそこには感じられる。


日下公人アメリカに頼らなくても大丈夫な日本へ』、PHP研究所、2006年、24-25頁。

Googleブックスのリンク
この文章では『述懐』という表現になっている。

日下公人『YESと言わせる日本 智慧と実力と大きな心』(2008年)より

一九四一年十二月十日、イギリスが"不沈艦"と誇った戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスをマレー沖で日本海軍航空隊の雷爆攻撃によって失ったとき、時の英首相チャーチルは、「日本人は不思議な国民である。交渉ということを知らないらしい。交渉は最初はどこの国でも少しは掛け値を言うものだが、日本人は反論もせずに、微笑をもってそれを呑んでくれる。そこでもう少し要求をエスカレートさせてみると、また微笑をもって呑んでくれる。しかしそれを続ければ、あるとき突然、顔を上げその容貌が別人になって、刺し違えて死ぬとばかりに激しく攻撃してくる」という意味の述懐を残した。


チャーチルが言いたかったことは、"そんなに苦しいのなら、そんなにこちらの要求が不当だと考えていたのなら、思いつめる前に言ってくれればよかった。そうすれば、こちらも相応の妥協点を考え、戦艦とシンガポールを失わずに済んだ"という後悔である。国家と国家が親善と戦争の間を「交渉」によって行きつ戻りつするのは、政治家にとってはゲームのような楽しみなのに、日本人には両極端しかないのか、という驚きの念がそこには感じられる。


日下公人「YESと言わせる日本 智慧と実力と大きな心」『別冊正論Extra.09』、産経新聞社、2008年。

この文章では『述懐』という表現になっている。


日下公人『「超先進国」日本が世界を導く』(2012年)より

繰り返すが、日本には力がある。日本人は訪れる国難のレベルに応じて自らを決せられる力、ポテンシャルを持っている。


だが、誰であれ指導者たらんとするならば、その力を活かす外交術を歴史に学ぶ必要がある。大東亜戦争時の指導者に最も欠けていたのがそのセンス、柔軟な感覚だった。


たとえば一九四一年(昭和十六)年十二月十日、日本海軍航空隊は、イギリスが誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスをマレー沖であっという間に撃沈した。時の首相チャーチルは、「日本人は不思議である。交渉ということを知らないらしい。交渉の最初はどこの国でも少しは掛け値をいうものだが、日本人は反論せずに、微笑をもってそれをのんでくれる。そこでもう少し要求をエスカレートさせてみると、また微笑をもってのんでくれる。しかし、それを続けると、あるとき突然顔を上げたその顔は別人のようになっている。刺し違えて死ぬとばかりに攻撃してくる」と述懐した。


「それほどに苦しいのなら思いつめる前にいってくれればよかった。そうすれば、イギリスだって戦艦とシンガポールを失わずに済んだ。」というチャーチルの後悔の言葉である。国家と国家が親善と戦争のあいだを「交渉」によって揺れ動くのは、政治家にとってはゲームの楽しみなのに、日本人には両極端しかないのか、という驚きの念がそこにはある。


日下公人『「超先進国」日本が世界を導く』、PHP研究所、2012年、145-146頁。

Googleブックスのリンク
この文章では『述懐』という表現になっている。


肝心のウィンストン・チャーチル第二次世界大戦回顧録だが、一番手に入りやすいのは河出書房新社から出ている『第二次世界大戦』全4巻(佐藤亮一訳)である。

第二次世界大戦〈1〉 (河出文庫)

第二次世界大戦〈1〉 (河出文庫)


この書によるとチャーチルが戦艦の撃沈を知ったくだりにはこうある。

W・S・チャーチル第二次世界大戦』より

それから二時間も経たぬうちに、両艦は海底にあった。


十日*1。私が書類箱を開いていると、寝台のそばの電話が鳴った。軍令部長だった。彼の声は変だった。彼は咳込んで、喉をつまらせたような声を出し、最初ははっきりと聞き取れなかった。「総理、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの両艦が、日本軍に沈められました。飛行機だと想います。トム・フィリップス*2が溺死しました」。「確かかね?」「まったく疑いの予知がありません」。そこで私は受話器を置いた。私は一人なのがありがたかった。すべての戦争を通じて、私はこれ以上直接的な打撃を受けたことはなかった。本書の読者なら、いかに多くの努力と希望と計画とがこの二隻の戦艦とともに沈んでしまったかがよくわかることだろう。寝台で寝返りを繰り返していると、この知らせの十分な恐ろしさが私に浸透してきた。カリフォルニアへの帰路を急いでいた真珠湾の残存艦を除いて、インド洋にも太平洋にも英米の主力艦は一隻もいなくなったのだ。この広大な海域にわたって日本が絶対の力を誇り、われわれは至るところで弱く、裸になってしまったのである。


その朝十一時に下院が開かれると、私はすぐさま出席して事の次第を自ら報告した。そして翌日、新たな状況に関する十分な声明を発表した。明らかに宙ぶらりん状態にあったリビアの長引いた戦闘に関しては、かなりの不安があったし、少なからぬ不満もあった。非常にきびしい代償が日本の掌中にあってわれわれを待ち受けているという予測を、私は隠しはしなかった。一方、ロシアの勝利はヒトラーの東方戦略の致命的欠陥をあらわに示し、冬も依然として猛威をふるうはずだった。Uボート戦は現時点では押えており、われわれの損害は大いに減じていた。最後に、世界の五分の四がいまやわれわれの味方として戦っていた。究極的な勝利は確実だった。こんな意味のことを私は演説した。


早期の勝利を約束するようなことはすべて避け、私は事実を語るというきわめて冷静な形式を用いた。下院は非常に冷静で、その判断を保留しているようだった。私はそれ以上を求めも期待もしなかった。


W・S・チャーチル第二次世界大戦』第3巻、佐藤亮一訳、河出書房新社<河出文庫>、1984年、62-63頁。

「もっと早く発言して欲しかった」は見当たらず。シンガポール陥落に関する章(第3巻93〜111頁)を見てもシンガポールに迫る日本軍の脅威を描いてはいるが「外交を知らない」云々の文言は特に見当たらず。


河出書房新社の『第二次世界大戦』は長い回顧録を短くまとめた短縮版の邦訳であるらしい。その前に出版された毎日新聞社版『第二次大戦回顧録』(全25巻)にあったのが省かれたのかとも思い、毎日新聞社版の蔵書がある図書館に行って当該箇所を読んでみたがプリンス・オブ・ウェールズが沈められた辺りで「外交を知らない」に当たる記述は見当たらず。


そのかわり、太平洋戦争の戦端を開く直前の時期の日本に対してはチャーチルはこう書いている*3

ウィンストン・チャーチル『第二次大戦回顧録』より

また我々は外交交渉の細目的経緯をして日本を、ヨーロッパ戦争から単に無理のない程度の膨張または戦利品を求めたに過ぎない被害頓馬として、そして今狂信的に奮起させられ十分に準備させられた国民が受諾すべく期待され得ない提案を米国によってつきつけられたものとして描かせてはならない。長年の間日本は凶悪な侵入と征服によって中国を苦しめて来ていたのである。そして今インドシナの奪取によって日本は事実上、そして三国条約によって公式に、枢軸国と運命をともにした。日本は思う存分に振舞って、その責任をとればよいだけのことであった。


ウィンストン・チャーチル『第二次大戦回顧録』第11巻、毎日新聞社翻訳委員会訳、毎日新聞社、1951年、399頁。

日本はニコニコ耐えてないし長年暴れまわっていたと書かれている。「外交を知らない」云々は何か怪しいなぁ…と思った。全巻を通読してさらに調べてみたい。

*1:1941年12月10日

*2:イギリス東洋艦隊司令長官

*3:河出書房新社版では省略されている。毎日新聞社版では日本に言及している箇所が結構ある。